第14話「家族との再会につきご配慮ください」
竜種。それはこの世界、パティアレゴスにおける力の象徴にして最強の一角。
あらゆるファンタジーに登場し、常に圧倒的な存在として描かれるいわゆる「ドラゴン」に相当する存在であり、この世界でも元気に活躍している。
といっても、伝説上の存在として滅多にお目にかかれないとか、迷宮の奥底や塔のてっぺんで挑戦者を待つ神性を帯びた存在とかいうわけではない。一般的な魔獣と同様に野や山や谷や洞窟などに生息し、基本的には他の魔獣や動物を捕食して暮らしているらしい。
基本的に人の街や村からは離れたところに生息しており、よほど特殊な事情がない限りは、彼らの方から人の領域を侵すことはない。しかし、それは彼らが敢えて人から離れて暮らしているということを意味せず、人が彼らの生息域から十分に離れたところに街や村を築き上げてきたという帰結に他ならない。
そんな彼ら――竜種は七つ存在するといわれており、それぞれ異なった外観や生態、能力を有している。ただ、いずれも個の人間の力が及ばない圧倒的な存在である点は共通しており、討伐の際には一体の竜種に対して最低でも十名から数十名体制、軍の一個小隊であたることが必要とされている。どの種もとにかく硬いし、生命力=魔力量が非常に多く、それぞれの種に固有の魔術まで扱えるというから手に負えない。「神に愛された種」とさえ言われている。
「……竜種を倒せるわけないだろ……」
食器をトレイごと返却し、歩きながら俺はうんざりと返した。リヴィはちらりと俺を見て、そのまま嘆息する。おい、何だそのため息は。
「でもまぁ、それくらいしか方法がないわけですし。ちょっと頭の片隅に置いといてください」
「いや待て。それくらいしか方法がないわけないだろ、それは最後の最後、もう命を賭けるしかなくなった時に初めて考えるオプションだ」
反駁するが、リヴィは答えない。そのまま俺達は館内を歩いて戸籍課に戻り、さしたる会話もないまま挨拶を交わすと、自席で業務を再開した。
竜種を狩る。席についた後に少しだけその様子を頭の中に思い描き、首を振って想念を振り払った。
午後も時間の流れはあっという間で、作業に没頭しているうちに窓の外は夕暮れを少し過ぎていた。ひたすら続く戸籍のチェック、補正、追記、そして課員への業務割当はいかにも地味な仕事だが、意外とこういう作業は嫌いではないような気がする。「これは国や人々にとって大切で有意義な仕事だ」というアキルの認識と記憶が影響しているのかもしれないが、現代日本で一般的なPCを使った作業とは異なる趣があって楽しい。さらに、処理した量が書類として目に見えて積み上がっていくのも達成感に繋がっているように感じる。
とはいえ、日々集積されるこの圧倒的な情報量はやはり殺人的である。課員全員がどれほど集中力を高めて処理しても、日々舞い込んでくる出生・結婚・離婚・死亡・転籍その他の情報が膨大すぎる。
やはり、この職場を変えなければ、と強く思う。
その日は課長――サドゥさんもほとんど自席に戻らず、戻っても作業に追われている様子だったので話しかけるのが躊躇われた。リヴィと話した魔術具による業務改革の件を切り出すのは明日以降ということにして、俺は周囲のメンバーへの最低限の作業フォローを終えると、挨拶をしてすぐに席を立った。
ちなみにこの職場は、各自その日の仕事を終えたと判断したら帰宅することになっている。以前は、各自にノルマを課して細かく進捗を管理し、割り振られた業務をこなすまで帰宅が認められないというマイクロマネジメントを実施していたらしい。とんでもないブラック公務員であった。しかしこれも、十数年前にサドゥガ・ターカ一等戸籍管理官が課長に就任すると「かえって正確性とスピードが低下する」として現在の形に変革された。
アキルは、自身が結婚することができたのはこの業務改革のおかげとまで考えており、彼にとってサドゥさんはやはりゴッドなのである。
庁舎を出て、俺は家路を急いだ。早く月音に、いやクナに逢いたい。彼女は月音ではないが、とにかくまずは逢いたい。深く考える前に、顔を見て安心したかった。
そして、子ども達。家族に逢いたい。とにかく家に帰ろう。
日はほとんど落ち、街は宵闇に包まれようとしている。徐々に少なくなる人通りに合わせ、街灯がぽつぽつと灯り始めるのをぼんやりと見つめた。どういう仕組みだろうかと一瞬考えるも、すぐにアキルの記憶が魔術具による明かりだと告げた。青白い光に照らし出された王都エデュカシアの街並みは幻想的に美しいが、今の俺にはゆっくりとそれを眺めているゆとりはない。初めは周囲と同じくらいの速度で踏み出したはずの足は、逸る気持ちに追い立てられるように徐々に小走りになり、やがては駆け出していた。
ちなみに、会長の指輪には常に魔力を流している。おかげでというべきか、帰路でも何度か視線を感じたものの、襲われるようなことはなかった。
石畳の大路を抜け、小路に入ると、長屋のように密集する中に、大通りの街灯の頼りない明かりに照らされた二階建ての白い建物が目に入る。アキルの居宅、今の俺にとっての我が家だ。何とか一日をやり過ごし、少しずつアキルの記憶が自分に馴染んでいく感覚がある。
「ただいま」
重いドアを押し開けると、中から温かい光が溢れた。同時に、足元に衝撃が来る。
「おかえり!!」
元気な声が返ってきて、俺は反射的に声の主を両手で高く抱え上げた。わー、と楽しげな声が頭上から降ってくる。世界で最も愛しい者の一人の名を俺は呼んだ。
「――或斗(あると)!」
「?? 僕、アルタだよ?」
きょとんとした顔で聞き返したのは、第三子・次男の或斗――ではない。或斗と瓜二つのアキルの息子、カイ・アルタである。しかし、或斗にしか見えない。髪が少し長いような印象だが、顔の造形から身体の様子、声、反応、匂いまで、どこをどう切り取っても或斗だ。色素の薄い瞳はやや吊り目になっていて、そこは父親に似ているとよく言われていた。
いつの間にか、俺はその小さな体躯を強く抱き締めていた。
「パパ、痛いー」
「ごめん、アルタ。よく分からないんだけど、すごく久しぶりに思えて……」
「君が今日起きなかったからでしょ」
不意に「君」に相当する、やけに大人びた二人称で呼ばれる。そんなところにも或斗の面影を感じて思わず目頭が熱くなった。抱き締める腕が緩むのを感じ取ると、アルタはするりと脱出して奥に駆け出していった。パパ帰ってきたよ、と触れ回っている声が遠くから聴こえた。
「お父さんおかえりー」
「おかえりなさーい」
部屋の奥から声がして、今度は少年と少女が顔を覗かせた。海地家の第二子・長男の昴(すばる)と第一子・長女の星羅(せいら)の二人――と同一人物としか思えないアキルの子ども達である。
反射的に二人に触れたいと願い、抱き締めようと俺は手を伸ばしていた。同時に、駆け寄ろうとさえしていたらしい。一気に感極まった表情で。
「うわなんか来る!」
「こわっ!」
尋常でない俺の様子を見て取り、子ども達はバタバタと逃げていってしまう。一瞬絶望的な気持ちになりかけるも、お陰で少し頭が冷えた。星羅は14歳、昴は11歳だ。子ども達の年齢がうちと同じだとすれば、思春期真っ盛りである。仮に俺が必死の形相で迫っていなかったとしても、父親との過剰なスキンシップは遠慮したいだろう。
落ち着け、と自分に言い聞かせながら俺はゆっくりと廊下を進んだ。そういえば、日本人としてはこちらの街の自宅で靴を脱がないスタイルも落ち着かないが、それはまた別の意味だ。
「アキル、おかえりなさい」
クナが調理場から笑顔で俺を振り返る。子ども達はみんな、クナの影に隠れるようにして俺の様子を窺っていた。ダイニングテーブルの上に夕食が並んでいる。クナが作って、みんなで俺を待っていてくれたのだと知った。
「みんな、パパが変だって。あんまり驚かせたら駄目だよ?」
喉と肺から絞り出すようにして、俺はできる限りの平静な声で返した。
「ただいま」
それから、クナに歩み寄ると、膝をついて屈み、三人の子ども達とクナをまとめて抱き締める。
「――ただいま」
みんな、きっと意味が分からずぽかんとした表情をしているだろう。或いは、何かあったのかと心配させてしまっているだろうか。いずれにせよ、今だけは、こうしていたかった。
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