第13話「必要な素材と貨幣についてご考察ください」

「なぁ、リヴィ。リヴィアムさん……?」


 俯き気味に肩を震わせる後輩に、何が起こっているのか分からず俺はとりあえず声をかけた。待つことしばし、彼はゆっくりと顔を上げた。明らかに上気した頬が、彼の何らかの感情の昂りを知らせている。


「先輩」

「……はい」

「遂に――遂に、言ってくれましたね」

「……うん?」


 俺は首を傾げた。かちゃ、とリヴィの使っていたスプーンが床に落ちる。何だこのテンション。


「――ずっと、考えてました。この職場を何とかしたいって。でも、まだその時じゃないと思ってた。それは、先輩が言わなかったからです」

「ええと。リヴィ、ごめん。どういうこと?」

「言った。ってことは、先輩が本気になった。機は熟したってことです」

「……つまり?」

「ここ数年、俺はどうやったらこの戸籍課の仕事を魔術具で代替できるかをずっと考え続けてきた、ってことですよ」


 噛み締めるようにゆっくりと、リヴィは言葉を紡いだ。口元には笑みが張り付いている。その眼は心底楽しそうに、しかしどこかに不安を湛えているようにも見えた。


「そう、だったのか。すまん、全然気づかなかった」

「いえ、俺が勝手に待ってただけです」

「ということは、段取りも大体頭の中にあるのか?」

「技術的なことは概ね」


 いや、やっぱりすごいなこいつ。どれほど複雑な機構を脳内に備えているんだ。

 それから、同時に思う。今の言い方は、「めんどくさい根回しやら調整やら、技術的なこと以外のすべての障害はあなたにお任せしますよ」の意味だと理解すべきだろう。まぁ、俺もアキルも、技術的なことはさっぱり分からないからな。

 幸い、既にサドゥさんにはある程度話が通っているので、上手く彼を巻き込めば政治的にはほぼ最短経路を走れると思う。変化は常に抵抗を伴うもので、戸籍課の内部にも抵抗勢力となりかねない人たちもいるにはいる。しかし、サドゥさんという人間力の塊が味方にいる以上、課員に対するチェンジマネジメントは間違いなく何とかなると確信できる。上に話を通すのも、俺とリヴィが抜かりなく移行計画を作れば俺とサドゥさんで何とか先に進めることができるはずだ。導入の過渡期、すなわち業務の切替時にどれほど忙しくなるのか想像すると空恐ろしい気さえする。しかし、これが実現すれば戸籍課全体の業務が驚くほど圧縮される……はずだ。現時点で絶対とは言えないが、ほぼ確実に仕事が減る。


 その辺りの事情を伝えて、リヴィと頷き合う。それから俺は腕を組んだ。


「――あとは、何が必要だろう?」

「やっぱりそこですよね」


 そのまま顔を見合わせて苦笑する。今の時点で、この話は単なる俺の思いつきである。つまり、このプロジェクトに差し向ける予算はどこにも確保されていない。俺とリヴィの無償労働で何とかなる部分はよいが、外注すべき労働や具体的に必要な物資があれば結局は何とかして調達しなければならない。


「一番ハードルが高いのは、燐曜石の調達です。これだけ大規模な管理を継続して行いつつ、しかも性質上間違いが許されない。情報が失われることも避けなければならない。となると、<月(リュナ)>の等級の燐曜石が最低でも二つは欲しい」


 二つ、というのは恐らくバックアップという意味だろう。二つの超高性能な魔術具同士で常に情報を同期させ、欠損がないようにする仕組みをリヴィは思い描いているらしい。しかし、<月>の燐曜石は最高等級である。市場価格は恐らくこの世界の俺というかアキルの年収を遥かに凌駕するし、そもそも滅多に市場に出回ることがない。


 ここで、この国の貨幣制度についてアキルの記憶を確認しておきたい。

 エデュカシア王国全土で流通する通貨の単位は「レン」。例えば、この民務局の食堂で外部の人間が食事をする場合、500レンを支払わなければならない。日本の役所の食堂での一食が500円くらいと考えると、概ね1レンは日本円の1円に相当すると仮置きしてもそれほど大きくは外れていないだろう。

 ちなみに、民務局・戸籍課で一等戸籍管理官を務めるアキルの月の手取りはおよそ28万レンであるらしい。それが単純に日本での28万円という比較にはならないのだろうが、三児の父としては何となく心許ないような感じもする。


 それから実は、この国の貨幣は燐曜石を加工した特殊な技術で生成されており、燐曜石の等級に基づいた5種類の通貨として発行され、流通している。すなわち等級の低い順に、薄緑色の<葉(リフ)>=100レン、薄桃色の<花(フラル)>=1,000レン、淡い黄色の<実(ベリア)>=10,000レン、淡い青色の<星(スタル)>=100,000レン、白く輝く<月(リュナ)>=1,000,000レンと定義されている。ちなみに、燐曜石を用いない通貨<砂(ザン)>は1レンに相当し、端数の扱いに用いられている。いずれも小さな円形の金属貨幣で、燐曜石を貨幣に変えるための加工技術は王家によって厳重に秘匿されているという。日本円の硬貨・紙幣にも凄まじい数の偽造防止技術が詰め込まれているというし、通貨の信用を守るという意味では当然だ。

 燐曜石自体が魔力を帯びた貴重なもので、これを加工して生成されるレンの貨幣はそれ自体美しく、高い価値があると見做されている。この点では、地球で過去に流通していた金貨や小判のような貴金属貨幣と共通しているだろう。現代社会で流通する紙幣のように、その価値が国家の信用にのみ依拠している通貨とは対照的といえる。紙自体にはほとんど何の価値もないのに我々が一万円札を有り難がるのは、単にその価値をみんなが信じているからだ。

 ちなみに、加工によって効率は下がっているが、貨幣自体を電池のような魔力源として活用することもできるらしい。この意味では、経済学でいう「物品貨幣」の概念に近い側面があるのかもしれない。


 こうした貴金属貨幣を用いた経済環境では、貨幣価値が安定しやすい。結果としてインフレーション――すなわち貨幣価値が急激に下がってしまうことによる混乱が起こりにくいと考えられる。

 その反面、国家による信用創造が制限され、資金供給を拡大するような政策を採りにくいことにも繋がる。例えば、日本銀行は理論上は無限に円を刷って市場にお金をばら撒くことができ、通貨供給量を増やす政策は経済的に有効な場合がある。一方、この国の王は燐曜石が手元になければ新たにレンを生み出すことができない。

 つまり、今回の魔術具のように、燐曜石にはそれ自体を利用するニーズがある一方で、貨幣の材料として確保しなければならない国家の貨幣政策に基づく需要もある。

 ……なるほど、価値が高騰するわけだ。


「先輩?」


 黙り込んでしまった俺の顔を、少し不安そうにリヴィが覗き込んだ。


「ああ、すまん。ちょっと考えてた」

「<月>等級の燐曜石の確保ですよね。あと他には、魔術具の台座の確保だったり、魔詩(コード)を彫ってくれる魔術彫刻師の手配とか色々あるけど、燐曜石の問題に比べると遥かに小粒なんだよなぁ」


 俺が頷いた時、鐘の音が二度鳴った。そろそろ昼休みの時間が終わるらしい。

 食べ終えた食器を整え、リヴィはトレイを持って立ちながら真剣な表情で告げた。


「先輩。既にいくつか燐曜石を確保するための方法を検討されてると思いますが、俺もずっと考えてきました。でも、どの方法も結局は膨大な費用と時間がかかります」


 俺もトレイを手に立ち上がりながら、リヴィの言葉に黙って頷く。

 民務局の経費として予算申請する。戦士に採集を依頼する。ツテを作り、専門の販路やオークションで購入する。鉱山で採掘する。いずれも遠すぎる道程か、現実味のない方針である。


「ただ、唯一可能性がある方法で、先輩はまず想定してないものがあります」

「……それは?」

「<月>の燐曜石をほぼ確実に保有している魔獣――竜種を狩るんです」

「……誰が?」

「先輩が」


 ……すっごく賢いなぁと思ってたんだけど、やっぱり馬鹿なのかな、この子は。

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