第12話「業務の改善提案についてご検討ください」

「先輩先輩、お昼行きましょう先輩」


 昼休憩を知らせる鐘の音とほぼ同時、緊張感のない声をかけてきたのはカース・リヴィアム二等戸籍管理官。入館時、識鑑の球で俺を助けてくれたリヴィだ。


「ごめん、30秒待ってくれ」


 今日は出勤が遅かったので先程着席したばかりのような気がするが、既に2時間ほど経過していたらしい。アキルの基本的な業務は、出生・結婚・死亡・要支援等の戸籍関連情報の回収・登録の他、課員によって収集された戸籍情報のダブルチェックと承認、さらに戸籍正本の更新である。単純作業の側面が大きいので俺にも当面は問題なくこなすことができそうだが、集中しているとあっという間に時間が過ぎる。作業のきりの良いところで俺は伸びをしてリヴィに向き直った。


「悪い、待たせた」

「いえいえ。食堂でいいですか?」


 俺は頷く。館内の食堂は全員一律のメニューしか提供してくれないが、職員には無償で提供されるため文句を言わず世話になる者が多い。

 入館の際、リヴィとは昼休みに指輪を見せる約束をしている。視線が俺の左親指にちらちら注がれるのを感じ、思わず笑ってしまう。こいつはまるっきり子供というか、本当に無邪気だ。既に二児の父なのにこんなに純粋で大丈夫だろうかと心配になることがある。

 ちなみに、彼が指輪に強い興味を持っているのは、受付のリス・メリアナ嬢のように希少な燐曜石に目がないわけではない。主に指輪に描かれている魔詩(コード)と呼ばれる装飾を参照したいが故だ。

 魔術具は、刻まれた魔詩によって魔術的な効果を発動することができる。例えば熱を発して火を熾すといったありふれた魔術具であればその魔詩も単純で「よく見かける」といった印象になるが、効果が複雑になるほど魔詩も複雑になるのだという。これはアキルの知識の受け売りだ。ただ、アキル自身は魔術や魔術具にそれほど造詣が深いわけではないようだ。


 トレイに載った定食を受け取ると、俺達は食堂の長机に横並びに腰掛けた。日本によくある社員食堂や学生食堂と似たような造りになっているので少し安心する。


「先輩先輩、ん!」

「『ん!』じゃないが」


 早速リヴィが手のひらを差し出してくるので、苦笑しつつ、左の親指から会長の指輪を外して手渡した。すると早速様々な角度から食い入るように見つめ、小声で何事かを呟き始める。


「すげえ複雑。どこが起点だ……? こっちで変数を宣言してる……? え、待って全然わからんこれやば……ルーペ欲しいな」

「おい、見ててもいいけど食事は取っておきなさい」


 指摘すると、視線は指輪に固定したまま、匙を口に運び始める。しかし、その匙の先端は口元ではなく頬に刺さった。一人で二人羽織でもやってるのかこいつは……。

 それにしても凄まじい集中力である。日本でも稀にこういう類の人物と知り合うことがあったが、脳のリソースのほとんどを一つのことに差し向けることができるのは、それだけで優れた才能だと思う。

 俺はとりあえず黙って自分の食事を進めた。時折、リヴィの食べこぼしを拾ったり、お椀を口元に近づけたりと世話してやる。ちなみに、今日の食堂のメニューは燕麦と思われる穀物を煮詰めて味を付けたものと、ベーコンと葉物野菜の入ったスープである。美味しいと胸を張って進められるような味ではないが、普通に食べる分には全く問題ない。美食・飽食の現代日本を生きてきたが、食にはいつも感謝しなければならないと思って生きているし、子ども達にも常々そう伝えているつもりだ。


「何か分かったか?」


 解析が一段落したのか、リヴィが視線を上げたので声をかけてみた。


「すみません、正直ほとんど分かんないです。多分これ、指輪を中心に防御用の障壁というか、被膜みたいなのを作り出すんだと思います。直径3メートルくらいの球体で、一定以上の速度・重量を伴う外部からの刺激を跳ね返すような動きをするっぽいです」


 ……ん? どこが「ほとんど分からない」んだ……。


「いや、十分解析できてる気がするんだが……見ただけでそれが分かったのか?」

「いえ、ちょっと魔力を流しながら確認しました。流れてる箇所と結果を見ながら推測しただけです。戦闘用の魔術具はやっぱり俺にはよく分からんですね」


 自分の専門は、あくまで情報系・業務系の魔術具であるという意図だろう。魔術具には、世界のあり方を物理的に書き換えるものと、世界の情報を記録・結合・操作するものの二種類が存在する。前者は主に戦闘や戦争に利用されることが多く、リヴィにとっては興味を持ちづらいのだと聞いたことがあった。もちろん、聞いたのはアキルだが。

 指輪を俺のトレイに載せて返却すると、彼は満足そうに頷いた。


「まぁでも、いい勉強になりました。洗練された美しい魔詩(コード)です」

「そうか、それはよかったよ」


 俺は指輪を再び親指に装着すると、本題を切り出した。


「実は一つ、協力して欲しいことがあるんだけど」

「はい、何でもどうぞ」


 視線を合わせると、即答。ちょっと驚かされる。そのままにっこり笑ってみせるその様子は、尻尾を振る大型犬を連想させた。


「何を、とかまず聞いた方がよくないか……?」

「先輩の提案は大体面白いからいいんですよ。世話になってますし」


 食事の残りを口に運びながら、平然とリヴィは告げる。何だこいつ男前か。


「じゃあとりあえず相談するけど、めちゃくちゃ重いぞ? ……今、うちで紙で管理してる戸籍をさ、『識鑑の球』と同じような仕組みで魔術具に載せ替えたいんだ」


 ぴたりとリヴィの動きが止まる。流石に途方もない話だったか。俺は続ける。


「いや、とんでもない話なのは分かってるよ。全国民の戸籍を載せ替えるってことは、民務局に勤めてる数百人とは全く規模が違うし、戸籍は名簿よりずっと複雑だしな。でももしこれが実現したら、戸籍課の全員が激務から解放される。みんなの疲れきった顔を見なくて済むようになるし、その分国民の役に立つ別の仕事もできるように――」

「先輩」


 まくしたてる俺を遮った後輩は、食卓の一点を見つめている。その視線はトレイの上の食べこぼした人参に注がれているように見えるが、恐らく視線の先に意味はないのだろう。人参勿体ないな……。

 そのまま、リヴィは肩を震わせ始める。

 え、何。怒った……? なんかごめん。

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