第9話「職場の皆様にご挨拶ください」

「アキルさん、ですよね? どうしちゃったんですか?」


 受付から飛び出してきた眼鏡をかけた小柄の女性は、怪訝そうに俺を見つめるとゆっくりと手にした刺股を下ろした。本人の小柄で可愛らしい外見に似合わず、刺股は先端にトゲトゲの付いた凶悪なやつだ。しかし刺股って漢字表記が怖すぎるよな……。


「今警報鳴らしたの、先輩ですか? おかしいな、認証に失敗したことなんて今まで一度も……」


 長身痩躯の男性は、首を傾げながら俺の傍らまで歩み寄ると、識鑑の球に自身の手をかざした。球が先程と同様に淡い光を放つと、通路を妨げていた遮断板が上がる。


「……ちゃんと動くよな」


 動作を確認し、彼は首を傾げて腕を組んだ。暗い紺色がかった髪色で、同じ色の眼が印象的な彼は、カース・リヴィアム。同じ民務局・戸籍課の同僚で、アキルの後輩にあたる。システムの不可解な挙動を考察する彼の真剣な様子は、日本で一緒に仕事をした有能なエンジニアが問題に向き合っていたときの雰囲気を思い起こさせた。


「リヴィさん。識鑑の球、壊れちゃったんですか?」

「いや、全然壊れてませんよ。だからおかしいんだ」


 受付の眼鏡女子も俺の隣に立って会話に参加する。俺はようやく、頭の高さまで挙げていた腕を下ろした。栗色の髪に細いフレームの眼鏡をかけた彼女は、リス・メリアナ。名前を「思い出し」てから、その身に纏う雰囲気が動物の栗鼠(リス)に似ていることに気付いてちょっと吹き出しそうになった。もちろん耐える。


「先輩、何かしました?」


 眉根を寄せ、リヴィアム――愛称リヴィが、俺を疑わしげに見つめてくる。俺は素早く首を振った。


「ホントですか? 先輩、抜き打ちの変なテストとか始めたんじゃないですか?」

「いや、知らない。本当に何も――あ」


 俺はふと、自分の左の親指にある青い石の指輪に思い至った。


「普段と違うことといえば、今日はこれを付けてるが」


 会長の指輪をリヴィに示すと、彼は目を見開いた。


「うわ、すっげー指輪。これ<星(スタル)>じゃないすか。やば……」

「え、<星>?」


 メリアナ、愛称メリィも俺の手元を覗き込んでくる。それから、彼女は手にしていたトゲトゲの刺股を取り落とした。がらんがらん、と少々派手な音がフロアに響くが、彼女は気にせずそのまま俺の左手を取った。目を輝かせて指輪を見つめ、わぁ、と呟く。数秒後、ゆっくりと視線を上げ、俺と目が合うと弾かれたように慌てて手を離した。


「すすすみません、ごめんなさい申し訳ありません! つい興奮しちゃって」

「いや、大丈夫。こちらこそ、びっくりさせてごめん」


 明らかに目の色が変わっていた。彼女は宝石、というかこの世界における燐曜石をこよなく愛しており、希少な石を見つけると平常心を失ってしまうらしい。まぁ、燐曜石には比喩じゃなく魔力が宿っているらしいからな……。しかし、まだ若いとはいえ本来かなり落ち着いて見える彼女がここまで取り乱すとは、よほど貴重なものなのだろう。


「これ、どうしたんですか? 石もすごいけど多分これ、魔詩(コード)もやばいですよ。後でゆっくり見せてくださいね」

「ああ、構わないけど……これが原因だと思うか?」


 リヴィはしばし指輪を見つめ、しかしゆっくりと頭(かぶり)を振った。


「それは関係ないっすね。識鑑の球は対象者の魔力紋そのものを識別してるんで、どんなすごい燐曜石や魔術具を身に着けていても影響ないはずです。ってか、そういうのも試験運用で試しましたよね?」

「そう……だよな」


 識鑑の球の導入にはアキルも関わっている。そしてこの画期的な入館システムの技術的な構想と実装は、実はほとんどこのリヴィが本業の傍らでやり遂げてしまったのである。徐々に記憶と現実とを照らし合わせながら、俺は人知れず感嘆の息を漏らした。こいつ……すごいな。戸籍課の業務量は膨大で、それだけでも殺人的に忙しいのに、半分は趣味とはいえこんな複雑な仕組みを作り上げ、しかも半年ほどで実業務の運用に載せてしまったらしい。


「他の可能性は、例えば先輩の魔力紋が変わっちゃったとかですかね。俺はこれまで見たことないけど、極稀にそういう例があるらしくて」


 魔力紋というのは、この世界で人が――というより生物が生まれ持った魔力の性質や波長のことで、その生命に固有かつ生涯不変の特質であるとされている。要は、指紋と同じように個人を識別することのできる要素である。識鑑の球は、職員の魔力紋を事前に登録することで個人を識別し、自動で入館可否を判断するという仕組みである。導入後は入館渋滞が解消され、非常に熱の入った感謝が寄せられた。


「とりあえず、もう一度先輩の魔力を登録してみましょう」


 一人で頷くと、リヴィは再度識鑑の球に手をかざして入館し、その台座の裏手に回った。


「もう一度手をかざしてみてください」


 告げられて、俺は恐る恐る球に手をかざす。今度は先程のような反発する感じはない。球は青く輝き、何事もなかったかのように遮断板が上がった。


「……普通に新規登録になっちゃいましたね」

「何だったんですか?」

「やっぱり先輩の魔力紋が変わってる……」


 メリィが遮断板の向こうのリヴィに声を掛けると、リヴィは答えて何度も首を傾げている。魔力紋が変わっている。それは恐らく、俺がカイ・アキルではなく海地陽だからだろう。動揺を表に出さず、俺は黙ってリヴィを見つめた。


「先輩。先輩ですよね。カイ・アキル一等戸籍管理官ですよね」

「ああ」

「俺のフルネームは?」

「カース・リヴィアム」

「俺の口癖は?」

「どれのことだよ……『先輩、養ってください』とかか」

「メリィの夢は?」

「ここでは言えん」

「うわ先輩だよ間違いないよ」


 リヴィは天を仰いだ。なんで魔力紋が変わるんだ、等とぶつぶつ呟いている。

 ちなみにメリィの夢は、飲み会で酩酊状態の本人曰く、最高等級<月(リュナ)>の燐曜石を手に入れ、毎日一緒に散歩して、一緒にお風呂に入り、一緒に眠ることらしい。「燐曜石と結婚する」みたいな言い方をすることもあり、スペック的には優秀なのに残念な子である。


「とりあえず登録できたんで、行きましょうか」

「ああ、手間をかけて悪かった。メリィも、驚かせてしまって申し訳なかった」

「いえ! でもあの、後でまた指輪見せてください!」


 俺は苦笑して頷き、ひらひらと手を振ってその場を後にする。

 こうして、俺はようやくアキルの――自分の職場に辿り着くことができた。

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