第8話「私用がお済みであれば速やかにご出勤ください」
状況を整理しよう。敢えて別の言い方をするなら、ありのまま今起こったことを話すぜ。
PTA会長の引き継ぎを受け(正しく引き継げたかは甚だ疑問だが)、学校の正門を出たかと思ったら、刺客による刺突と矢による狙撃を連続で受けた。驚くべき殺意と周到さという他ない。しかし、魔術具として受け継いだ指輪の圧倒的な防御力――というか最早あれは攻撃力に近いかもしれないが、ともかくその力に守られて俺は完全に無傷である。そのせいか、未だに現実感や恐怖感に乏しい。
人通りの多い王立学校前で起こった白昼堂々の襲撃である。しかしあまりに急速な展開に、周囲の人は事態を飲み込めずにいるらしい。矢が飛来したことについては恐らく気づいている者はいないだろう。
刺客が魔術の防壁に弾き返されて壁に激突するのを目撃した数名が、訝しげにこちらを見つめている。なんかごめんなさい……。俺は顔を伏せるようにしてその場を後にした。
さて、この後の動きが問題である。実は、アキルの短期記憶――蓄積された知識ではなく自身や周囲の直近の言動などの一時的な記憶――を掴むのは難しいが、ふとした拍子に「思い出す」ことがある。それによれば、どうやらアキルは今日の勤怠について、勤め先に「PTA会長の引き継ぎが終わり次第で出勤する」と伝えていたらしい。ならば真っ当な社会人としてはこのまま出勤するのが当然で、出勤のルートも一応頭に入っているのだが、命を狙われている状態で職場に出勤して問題ないのだろうか。悩ましい。
以前アキルの仕事について「公務員みたいなもの」と表現したが、具体的には「戸籍管理官」とでも訳すのが適切だろう。戸籍を管理する、つまり、国民の身分関係や家族構成を正確に記録・管理し、社会の法秩序の基盤を維持することがその目的である。
この王国都市エデュカシアは王のお膝元、王国最大の都市であり、その人口は10万人に迫る。当然のことながらIT技術のないこの国の戸籍管理は大部分を手作業に頼らざるを得ず、その膨大な業務を何と30名程の職員で回している。現代日本の役所の窓口担当が聞いたら卒倒してしまいそうだ。
想像してみて欲しい。10万人の名前が記載された名簿がある。その中の任意の二人が結婚し、さらに子どもが生まれる。その赤ちゃんが誰と誰の子どもで、どんな名前を付けられて、さらにその子が誰と結婚して、いつ亡くなって……という情報を延々と正確に、しかも適宜参照可能な形で紙面に管理し続ける必要があるわけだ。すると、そもそも単なる名簿の形式では成立しないのだ。そのため、戸籍においては単なる一覧とは異なる特殊な管理が必要となる。
基本的に職員の大半は膨大な規模の戸籍台帳の管理・維持に大きな労力を割いているが、アキルは外回りの仕事も多かった。地域の職能別自治会が簡易な戸籍情報を管理してくれているので、その情報を集めて回る役割が必要なのだ。
仮に、外回りの最中に襲撃されたとしよう。俺自身は、恐らく問題ない。指輪に魔力を注いでいる限り、物理力による攻撃は全く怖くない。しかし、同行している職員はどうだろう。巻き添えを食らう可能性もあるし、彼らを人質に脅されるようなことがあると厄介だ。
しかも、先程の攻防の帰結を考慮すると、この指輪の防御障壁はどうも単に防ぐというより、力を反射している可能性がある。刺客にせよ飛来する矢にせよ、防壁で一瞬静止させた後に後方に弾き飛ばしているように見えた。本来ならもう少し実験したいところだが、この仮説が正しければ、俺が跳ね返した攻撃が同僚を直撃しない保証はどこにもない。怖過ぎる。
諸々考慮した結果、とりあえずこの状況について上長に報告して判断を仰ぐべきと俺の中で結論が出た。さすがにこれは自分で勝手に判断してはいけない案件だろう。こんな時のために上司はいるのだ。こんな時がどれくらいあるのか分からないのでちょっと怪しい気もするが、とりあえず上司はいてくれるのだ。
俺は頭の中に地図を思い浮かべながら、職場――王城に隣接する施設である民務局合同庁舎への道を足早に辿った。目抜き通りの舗装路は、可能な限り石畳の凹凸が低減されるよう工夫されており、徒歩での移動も快適である。途中、何度か刺さるような視線を感じたが、特に襲撃されるようなことはなかった。そうそう、やめときなさい。弾き返されて恥ずかしい思いをしますよ。多分。
ちなみに、指輪の防壁は最初に使用方法を確認して以降、常に展開している。魔術具を通じて魔力を捧げているということになるわけだが、以降も全く変調はない。ものすごくエコな魔術具なのだろうか。……極度の緊張と興奮からアドレナリンが大量に分泌されていて、そのせいで疲労や苦痛に気づけず、急に電池が切れて倒れるみたいなことになったら嫌だな。今後も注視しなければ。
15分ほども歩いただろうか。三匹目のワンコのバスとすれ違ったところで、王城前の広場に到着した。広場の隅には飲食物を中心とした露店が立ち並んでおり、人通りも多い。見上げれば、5m程もある高い城壁の向こうにいくつもの優美な尖塔が見え、王城の威容を知らしめている。
アキルの勤め先である民務局・戸籍課は、王城のすぐ隣、城壁を共有する独立した区画に存在していた。石材・木材を用いて建てられた三階建ての合同庁舎である。王城の流麗豪奢な造りと並べると地味な印象ではあるが、堅牢で歴史を感じる佇まいには個人的に好感度が高い。
建物に入ると、広いエントランスの正面中央に青い球体が鎮座しているのが目に入った。直径1.5メートルほどもある大きな球体は、「識鑑(しきかん)の球」と呼ばれている。あまりにも堂々としているので長い歴史がありそうにも見えるが、実は導入されたのはわずか一年前だという。
ちょうど若い女性が一人、建物の奥に向かって行き、識鑑の球に手をかざした。すると、球が淡く光り、隣接する通路に下りていた遮断板がゆっくりと上がった。女性はそちらを通って入館した。現代日本でも採用されている、カード等を用いた入館システムに近い動作をしている。
識鑑の球は、予め登録された個人の魔力を識別し、登録済みの人物である場合には入館を許可するよう設定されている。このシステムの導入前は、入館の度に身分証を提示しさらに記名しており、手続きが非常に煩雑だったようだ。
アキルの記憶を追体験するように、俺も識鑑の球に手をかざした。すると球は同じように淡く――光らなかった。
「え?」
ばち、と球体から小さな反発を受ける。――あれ? 拒否された?
再度触れてみる。再度、球体にかざした手が弾かれてしまう。今度は、低い警報音がエントランスに二度響いた。これを受け、即座に受付から警戒の表情を浮かべた職員が駆け駆けつけてくる。
まずい。俺は両手を挙げて害意がないことを示した。この時、念のため会長の指輪の防御を解除することも忘れていない。
「……アキルさん?」
刺股(さすまた)のような武器を油断なく構えた眼鏡の女性が、俺の顔を見て呟いた。
「あれ、何やってるんですか先輩?」
さらに、また別の方向から声をかけられる。こちらは男性の声だ。彼はこちらへ歩み寄ると、眼鏡の女性と顔を見合わせ、それからまた俺を見た。いずれもアキルの顔見知りだろう。
エントランスには他にも数名が行き来しており、ギャラリーの視線が痛い。
「また俺何かやっちゃいました」……? いや、ふざけてる場合じゃないな。
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