第7話「命を狙う等の行為はご遠慮ください」
【PTA会長は命を狙われる】。
いや、聞いていないんだが……。
この事実について、こちらの世界の俺ことアキルの記憶を探ってみたが、該当する直接の知識は彼にも無いようだった。これまで、アキルはPTA組織には関わりを持ってこなかったらしい。そのためか、PTAに関する知識はかなり断片的だった。それこそ、学校で習うような歴史の知識に頼ることになる。ただ、そこからおおよその推論を組み立てることはできそうだ。
「学校」が整備されたのは百数十年前。王立学校としてエデュカスコラを含む5つの学校が順次整備された。その後、【ザガ事変】と呼ばれる突発的な戦闘行為を皮切りに、紛争及び戦争状態が生じ、長期化した。これにより、王や貴族といった権力者が学校運営を行うことが難しくなる。この折、崩壊しかけていた学校と教育を維持するために生徒の親達が自主的に教師を巻き込んで協力し合うようになった。これがこの国のPTAの起こりとされている。
この時代のPTAは非常に上手く機能したようだ。親と教師の連携を通じて数多くの教育改革が為され、さらに各校PTAが連携して学校組織の強靭化を達成していく。結果、王立学校は英雄や勇者と呼ばれる優秀な人材を数多く排出することになり、彼らが国の中枢を担うことでPTAの功績・名声と影響力は著しく大きなものとなっていった。
その後、戦争が終結し平時に戻ると、学校運営は王権に返還される。しかし、PTAはその功績の大きさと意義から、継続して学校を補助する機関として正式に認可された。しかし、ある時期から学校は教育の独立を提唱し、王権・貴族・教会、さらにPTAによる教育内容への干渉を避けるべく動き始めてしまう。この頃から徐々にPTAの存在意義は揺らぎ始め、「学校運営を支える自主的で進歩的な親達の集まり」から「過去の功績を盾に、学校運営に過度に干渉する形式主義・規範重視の団体」に姿を変えていく。
時代は流れ、現在のPTA。
形式化した活動や意義の乏しい集まりが強制力を伴って残存していることから、積極的に活動する親の数は減り、そもそもPTAへの参加拒否を表明する家庭も現れている。しかし、今なお権威とレガシィを十二分に保持しているPTAの組織は変わらない。退かぬ・媚びぬ・顧みぬという南斗の帝王のような姿勢を崩そうとしない。
……なるほど。これは難しい。
現代日本のPTAとは似ているところも全く違うところもあるが、結局は同じような理由で嫌われているということだろう。会長の命を狙わなければならないほど嫌うものだろうかとも思うが、この世界のPTAは、過去の偉業のために途轍もない名声と権威を維持している。この辺りがよくない影響を与えていそうだ。
ちなみに日本のPTAは、戦後アメリカの指導を受けて当時の文部省が奨励するという、いわゆるトップダウンによって形づくられた。自発的な親の共助により生まれたこの世界のPTAとはこの点が大きく異なる。他方、程度の差はあれど形骸化している部分があり、一般の親から煙たがられているという点はほとんど似通っているといっていい。
考えをまとめよう。
PTAは親や家族に過度な負担を強いてこれを改めない。形骸化している割に力は大きいので、逆らうことも難しい。このため、その代表としてのPTA会長には怨嗟の思いが集中し、場合によっては殺意を抱く者もいる。ちょっと苦しい仮説だが、こんな感じだろうか。
もしこれが正しければ、これからPTAが変わっていくことで会長が命を狙われるような事態を無くしていける可能性はある。
しかし、PTA改革がそれほど簡単に進むとは思えない。現代日本では様々な時流の後押しもあって変化の土台が整いつつあった。一方、この世界のPTAは日本のそれに輪をかけて柵(しがらみ)が多い印象がある。少なくとも当面は「命を狙われる」ことを前提に生活していく必要があるかもしれない。
そろそろ学校を出なければ。思索を続けながら、俺は帰り支度を進めた。といっても簡単に部屋の中を確認する程度である。鍵は渡されていないが、施錠に関しては帰りに守衛さんに声をかければよいと先程伝えられている。
さて、全く実感が湧かないが、どんな状況でどんな風に命を狙われるのだろう。
夜道や人通りの少ない道で襲撃される。これは、行動に気をつければある程度防げそうだ。
狙撃される。この世界――パティアレゴスには銃は普及していないらしいが、弓や弩(いしゆみ)、吹き矢などの手段があり得る。対策は……あまり思い浮かばない。白昼でも狙撃される可能性はある。
あとは毒。本気で警戒するなら、外では食事できないな。経皮毒などの可能性もある。触れるもの全てに気を配らなければならない。
或いは罠。落とし穴とか? そんなの素人にはどうしろと。
考えるほど、完璧な対処は不可能と思えてくる。何にどの程度気をつける必要があるのか、カクガルを問い詰めておけばよかった。軽い感じで言っていたし、もしかしたらそこまで頻繁でもないのかもしれないが――こんな異郷の地で、俺は死ぬわけには行かない。
部屋を出るところで、俺は再度「会長の指輪」に触れた。前会長によれば、この指輪は俺の身を守ってくれるという。「上手く使え」と引き継がれているが、どう使ったものか。
校門に向かって歩きながら「魔術具」についてアキルの知識を紐解いてみる。最もシンプルな理解は、「魔力を捧げると特定の効果を返してくれる道具」ということになるらしい。
「神もしくは世界に対し請願を行い、魔力を捧げることで世界を局所的に書き換える」のが「魔術」。この仕組みを応用したのが「魔術具」で、人が魔術を行使する際の細かな手順を省略して魔力を捧げることで端的な効果を得ることができる。基本的に高価なのであまり一般市民には出回っていないが、火打ち石の代替品や、内部に水を作り出す容器やコンテナのような生活品はそれなりに身近であるらしい。
ということは、みんなある程度は魔術具を扱えるのだろう。でも魔力なんてファンタジーな力は俺には無いぞ、多分。
さらに記憶を手繰り寄せていくと、どうやら魔力というのは人が持つ生命力に近い概念らしい。現代日本の王道ロールプレイングゲームにはよく「HP(体力)」と「MP(魔法力)」という仕様がある。HPは打たれ強さのような指標で、ゼロになったキャラクターは死んでしまうのが一般的だ。一方、MPは魔法を行使する際に消費し、これが枯渇すると魔法を使えなくなる。
この世界の魔力は「HP」に相当する。つまり、ここでは魔力が枯渇すると死ぬ、のだ。
思いがけない事実に背筋を怖気が走った。この指輪を使うにしても、命を守るために生命力を削るってどうなんだろう。もちろん、死ぬような使い方をしなければいいのだろうがちょっと複雑な気持ちになる。
とにかく、これで魔術具を使用するイメージが少し具体的になってきた。魔力とか魔術とか難しいことは考えず、生命エネルギーを注ぎ込むようにイメージすればいいのだ。この感覚はアキルの記憶とも符合する。
既に左の親指に装着している指輪に対し、俺は意識を集中した。「捧げる」と心の中で呟く。
すると、即座に指輪の青い石――燐曜石(りんようせき)というらしいが、それが仄かに光を帯びる。次の瞬間には、眼前に薄い光の膜のようなものが広がった。
「何だこれ…?」
防御障壁、魔術的なバリアのようなものだろうか。子供の頃、よく両手を交差してバリアーってやってたよな。目に見えるんだな、バリア。質量はどうなってるんだろう。
触れようと右手を伸ばすが、境界に届かない。左手を動かすと、領域自体が移動した。観察する限り、この指輪を中心に球形に障壁が展開しているらしい。半径は1.5から2メートルというところか。床から下はどうなっているのか気になる。
魔力すなわち生命力を捧げているということで、疲労や倦怠感がないか少々警戒したが、何も感じない。消費は微々たるものらしい。これなら常時展開しててもいいくらいかもしれない。
校門に辿り着いたので、到着したときと同じ初老の守衛さんに挨拶し、言葉を交わした。
「PTA会長の引き継ぎが終わりましたので、PTA室の施錠をお願いします」
「お疲れ様でした。私はボルムと申します。今後とも宜しくお願いします、会長」
ボルムさんは席を立つとにこやかにお辞儀をして、鍵束を手に校舎に向かっていった。この間は受付はしばらく不在になるらしい。短い時間とはいえ、大丈夫だろうか。人手が足りていないのかもしれない。
少し心配しながら校門を出る。
刹那、左手から何かが突然迫ってきた。人だ。顔を隠している。手に光るものが握られている。俺は反射的に身を逸らそうとするが、そこでその人影は一瞬動きを止めた。彼我の距離はおよそ2メートル。一瞬の後、相手は後方に跳んだ。いや、全速力で前進する体勢から、瞬間的に10メートルも後方に跳躍できる人間はいない。彼か彼女かわからないが、相手は衝撃を受けて吹き飛ばされたらしい。もんどり打って転がり、建物の壁に激突した。あの勢いでは死んでしまうのでは、という考えが頭を過るも、相手はすぐに身を起こすと、すごいスピードで路地裏に消えていった。すごいな、ダメージはないのか。日本人ならよくて数ヶ月入院しそうな交通事故だが……。
さらに何らかの気配を感じて他方を見やると、凄まじい勢いで何かが飛来するのが見えた。矢だ、と理解する前にそれはまたピタリと静止した。矢の中央部、シャフトの部分が一瞬たわんだかと思うと、そのまま後方彼方に高速で消えていく。
どうやら、俺は指輪に守られたらしい。すごいな、会長の指輪。……ちょっとひく。
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