第5話「PTAの概要と会長業務についてご理解ください」
「PTA室」――とは到底思えないほど立派だ。ぼんやりと周囲を眺めながら俺は再度感嘆した。細部まで美しい彫刻や意匠が様々な箇所に見られる。この部屋、ひいては建物全体と考えると、学校という建造物にどれほどの手間がかかっているのだろう。「百数十年の歴史」とアキルの記憶にはあるが、百数十年前にぽんと作ったわけじゃなく、徐々にこういう形になってきたのだろうか。
それから、天井までカバーする装飾の上にぼんやりとした明かりがあるが、あれは何の光だ? 電気設備がこの世界にあるとは思えないが――
「……すまん、待たせたな」
不意に声をかけられて思考が中断する。笑い転げていたカクガルがようやく復帰してきた。まだ呵々の余韻があるのか、口元を左手で覆うようにしている。俺は一つ息をついて微笑んだ。
「いえ、笑い飛ばしていただいたので、こちらも緊張が解けました。それに、室内が見事なので眺めていて飽きませんでした」
「ああ、この部屋な。ここは学校ができた当初からほとんどそのままらしい。俺はもう慣れちまってるが、立派なもんだな」
ふう、と改めて大きく息を吐いて、今度こそカクガルは完全に平静を取り戻した。
「いや、試すような真似をして悪かった。実は俺が引退するにあたって、会長をやりたいってやつがそれなりに出てきてな。だが、どいつもこいつも話にならねえ。やっぱり自分からやりたいなんてやつは駄目だな……おかしな話だが」
「え、やりたいって人がいたんですか?」
初耳だった。当然、アキルの記憶を含めても、である。やりたいという人がいたのに、手を挙げたわけでもない俺が会長に? なんで、私が会長に。
カクガルはにやりと笑った。
「腑に落ちないって顔をしてるな。お前さんは、俺が推薦したんだよ」
さらに腑に落ちないことを言われて俺は再度記憶を探り、もう首を捻るしかなかった。
「初対面、でしたよね……?」
「そうだな。でも俺はお前さんを知っていたんだ」
カクガルはじっと俺を見つめた。知っていたのか。でも俺は――この世界のアキルは、確か何の変哲もない公務員みたいな奴なんだよな……。わざわざこの人が気にかけるような存在ではないと思うんだが。
愉快そうに彼は肩をすくめた。この場で多くを語るつもりはないらしい。
「さて、今日は引き継ぎってことで来てもらったんだ。正直、ちょっとお前さんと話してみたかったってのが本音で、大まかな役割と注意事項を把握してもらえれば十分なんだが、いいかい?」
「もちろん、そのつもりで来てます」
ミグリャ・カクガルは満足そうに頷き、立ち上がると、棚の引き出しから一枚の紙と木製のペン、インクを出して机の上に広げた。紙は羊皮紙ではなく植物紙のように見える。彼はそれからペン先にインクを付け、紙の真ん中に「PTA」とこの世界の文字で大きく書いて、丸く囲った。
「PTA。これは、この王立学校エデュカスコラ全体の親と教師による組織だ。基本的に、子どもの安全を守り、学校教育を支援するものとされている」
俺は頷く。この説明は日本におけるPTAと大差ない。というか、なぜ大差ないのかが不明だし、PTAはここの共通語で発音もそのまま「ピーティーエー」なのだが、一体どういう偶然なのか。いや、偶然のわけないよな……。
カクガルはさらに、円で囲んだPTAの上に「会長」と書き足した。さらにその上に「学校」と書いて、PTAと学校の間に線を引く。
「会長は、学校とPTAとの間を繋ぐ役割だ。学校行事に参加するし、何か問題があれば、校長や副校長と話し合ったりもする。親の代表として、子どもたちにも顔を知られるようになる立場だ」
この説明にも違和感はない。というか、ほぼ日本のPTA会長の標準的な姿である。
「他に重要な役割として、地域との連携がある。この地域ってのが少々曲者でな。知ってると思うが、学校は王立と銘打っていながら王の支配下にはない。基本的に教育方針や人事、予算についての自治が認められているんだが――」
紙面の「PTA」の左隣にカクガルは「地域」とまた大きく書いた。それから「地域」と「会長」を線で結ぶ。ちなみにいくつか紙面に並ぶことでようやく気付いたが、本人の外見の印象に比して非常に整った美しい文字である。もっと無骨で強そうな筆跡でも全く驚かないのだが。
「地域は例外的に学校運営に口を挟む立場にある。形式的にはあくまで『意見を述べる』って建付けなんだが、実際には影響力が強い。資金や人員の面で、学校がだいぶ頼っちまってるからな。要は地域と上手くやっていくのが学校にとっては大事で、そこの橋渡しや調整も会長の責務になってくる」
なるほど、地域の大人たちの影響力がそんなに大きいのか。
「具体的には、地域側の集まりに顔を出して、学校の取組みを伝えたり、逆に地域からの意見や要望を吸い上げて学校に伝えたりするようなイメージでしょうか」
「その通りだな。察しが良くて助かる」
すみません……全然察しが良いわけではなく、それも日本のPTAだとあるあるなんです。
「地域には、生徒たちの育成のサポートを謳う組織である育勇会と、いわゆる職能別自治会がある。まぁ、わざわざ自分から子どもや学校に関わろうっていう奇特な連中は限られてるし、結構メンバーは被ってるんだけどな。細かいことは追々理解してくれればいい」
「地域」の隣に、「育勇会」「職能別自治会」とカクガルが追記した。要はこの両者をグリップすればいいらしい。
「最後に、これが結構でかいんだが」
中央の「PTA」の左隣に、今度は「PTA連合会」と書き足したカクガルは、腕組みをして紙面をじっと見つめた。
「PTA連合会。俺らは『会長会』と呼ぶことが多いんだが、名前の通り王立学校のPTA会長が集まる組織だ。各校のPTAとは別に、大きな単位で生徒の育成を見守るというのが大義なんだが……いまいちそのようには機能していないと思ってる」
「……どういうことですか?」
PTA連合会――会長会。これも俺のいたPTAの世界と同じ仕組みだ。でも機能してない?
PTA連合会、略してP連では、他の学校の取り組みを共有してもらって、いいアイデアや取り組みがあれば取り入れたり、会長会独自の施策で域内の子どもたちが喜ぶようなイベントを開催したり、PTA間で交流するスポーツ大会を主催したり、手間はかかるけれどそれなりに価値のある活動をしていたと記憶している。個人的にも、地元の会長同士で横の繋がりができたのはありがたかった。変わった人も多くて面白いんだよな。
正確に言えば、これは市区町村のPTA連合会の話で、その上には都道府県単位や全国単位のPTA連合会が存在していたはずだ。といっても下部組織というわけではなくそれぞれ独立していて、都道府県から上の組織との関わりは俺個人は特に持っていなかった。
「PTA間で協力するというより、どちらかというと競い合うような雰囲気になっててな。会長連中の我が強いってのもあるかもしれないが」
接して確信したが、カクガルは大人物だ。その彼が、明らかにトーンを落として語る。この世界のPTA連合会は、どうやら一癖も二癖もあるらしい。
「まぁ、そのうち招集があるだろうからこれも少しずつ知っていってくれればいい。ひとつだけ伝えるとすれば、無理はするな」
俺は頷いた。心配してくれているのだと分かる。彼は、優しいのだ。
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