第4話「屈強そうな前会長にご挨拶ください」
扉の先、室内には大きなテーブルと椅子、それから大きな戸棚がいくつか並んでいた。それから、ちょっと見た限り何だか分からない物が、部屋の奥の方に積み上がっている。建物と調度品由来の歴史ある荘厳な印象を除けば、日本の小学校のPTA室と基本的な機能は同様なのかもしれない。
意識が空間に向いた刹那。不意に感じた強い視線に射抜かれ、俺は一瞬身を強張らせてしまう。その眼の主は、部屋の正面奥の大きな椅子に悠然と腰掛けていた。
彼が王立学校エデュカスコラの現PTA会長、確か名前は――
「ミグリャ・カクガルだ」
俺より二回りほども大きな体躯(たいく)は明らかに鍛え抜かれた威圧感を放っている。銀の短髪と髭に覆われた口元、そして鋭い両の眼は俺を捉えたまま、厳粛な雰囲気を湛えていた。これは、俺を試しているのか。……恐らくそうだろうな。日本でも、何度かこういうことはあった。経験豊かな人生の先輩が、俺を見極めようとしている。
ならば、こういう時は決して萎縮してはいけない。俺はその視線を真っ直ぐに受け止めると、背後でドアが閉まるのを待ち、ゆっくりと会釈した。
「はじめまして、カイ・アキルです。本日は宜しくお願いします」
できる限り友好的に見えるよう目で笑いかけながら、柔らかく告げる。カクガルはしばし俺と視線を交わした後、微かに頷いて自身の隣の椅子を示した。
「こちらへ」
威圧感が少しだけ和らいだように感じた。どうやら悪くない第一印象を与えることができたらしい。しかしここからが肝心だ。俺は内心で冷や汗をかきながら、再度気を引き締める。
元の世界に戻るために、俺はこの世界の情報を集める。そしてこの世界を知るには、一人でも多くの味方を得なければならない。ミグリャ・カクガルは、今の俺が親交を結べる可能性のある中でも最高の相手だとアキルの知識が教えてくれる。しっかりしなければ。
カクガルは長方形のテーブルのいわゆるお誕生日席の位置にかけているので、俺が隣の席につくと直角の位置関係になる。彼はじっと俺を観察している様子だったが、少しの間を取ってから問うた。
「カイ・アキル。お前さんはどうして会長を引き受けた?」
……あれ? まさか、今から面接が始まるのか。てっきり会長になるのはもう決まっている前提で、情報の引き継ぎがメインだと思っていた。それともこれは雑談みたいなものなのか。
そもそも「元の世界に帰るためにこの世界の情報を集める」という当面の目的を考えたとき、PTA会長になるという手段が最適解なのかどうか、まだ判然としない。しかし、期待されると自分の力量以上に応えたくなってしまうのが俺だ。自分で省みる限り悪癖だと思っていたが、月音は「いいところ」と言ってくれていた。
「子どもたちのためにできることがあるなら、やれるだけやってみたいと思いました」
以前会長になるにあたって、似たようなことを聞かれた際とほぼ同じことを答えた。素直に答えるなら、特に当時と変わるところはない。
カクガルはテーブルに肘をつき、顎をさするように手を当てた。好奇の色を浮かべ、さらに尋ねてくる。
「ほう。それで、お前さんに何の得がある?」
「得……? ええと、あまり人が思うような得は無いかもしれませんね。というか、意識していません」
カクガルは眉を顰めた。
「何が言いたい?」
「例えば、会長をやっても何か報酬があるわけではないですよね」
「そうだな」
「むしろ仕事のことや家族のことを考えるなら、余計な手間や拘束される時間が増えてマイナスのほうがずっと大きいくらいじゃないかと」
「……ああ、その通りだ」
腕を組み、ゆっくりと目を伏せると、カクガルは深く頷いた。重い実感が籠もっている様子に見える。
「骨折り損のくたびれ儲け、ってやつかもしれねえな。それが分かっていながら、お前さんは一体何が嬉しくて会長なんかやろうってんだ?」
「……人生観みたいな話になってしまうんですが」
俺は釣られるようにして腕を組み、視線を落とした。無意識だったが、心理学でいうミラーリング、いわゆる同調効果にあたる動きである。
「結局、誰かのためになることでしか、人は幸せになれないって思うんです」
カクガルは黙ったまま、視線で続きを促した。俺はそのまま語る。
「自分の欲望を次々と満たして、人よりも優位に立って、みんなから羨望の的になったとしても、その高揚や充足感は一時的なものでしかないと思うんです。そのまま同じように幸せを求めるなら、もっともっと欲望を押し広げて、ひたすら上を目指さないといけない」
……何だか若造が偉そうに語っている図になっていないか? 後でめちゃくちゃ怒られるんじゃないかと少し怯えながら、しかしそんな様子はおくびにも出さないよう努めながら、俺は続けた。
「俺みたいな半端な人間には、そのゲームで勝ち続けるのは無理です。けど、自分じゃない誰かのために正しいことをやること、それを積み重ねていくことなら、何とか俺にもできる」
ここでカクガルを見つめながら顔の正面で指を一本立て、表情を引き締める。
「これがもう、めちゃくちゃ自己肯定感アガるんです。超簡単に幸せに近づける」
沈黙。
少し間があって、カクガルの肩が震え始める。
まずい。やらかしたか。
しかし直後、彼は吹き出した。そのまま大笑いである。机を叩き、体勢を何度も変えながら、十数秒も笑い続けただろうか。まだ苦しそうに彼は俺に向き直った。
「てめえが楽に幸せになる道が、人のためになることってか。要は、自分で自分を褒めてあげるためにこんな……会長なんてやろうってことかよ。お前めちゃくちゃ利己的なやつだな!」
「いやいやカクガルさん、そこだけ抽出して言い方はあまりに悪意があるでしょう!他にも色々ありますよ、俺ほんとに子ども好きだし!」
慌てて反論するが、さらに大笑されてしまった。実際俺の言ったことはそういうことだ。
しまった、あまりにも率直に話し過ぎてしまった。異世界に来た混乱と極度の緊張で完全に変なテンションになってる。しかし、あれだけのやり取りでこちらの意図するところ――結局は自己満足の世界だってこと――を完璧に汲み取ったカクガルは相当賢いような気がする。
カクガルは目の端の涙を拭いながら手を挙げて俺を制した。まだ完全には笑いが収まらないようだ。
「いや、アキル。悪い。分かっている、その理屈はお前さんの善性の一面を説明してるだけなんだろう。だが、俺に威圧されながら堂々とよくもまぁあんな、いや初めてだったもんでよ」
くくく、と懸命に堪えた笑いが漏れ続けている。どうやら今の言葉からすれば、悪印象は持たれていないようだ。ただこれは……もう落ち着くのを待つしかないな。
俺は息をついて天井の装飾を数え始めた。
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