第34話
天野がブルベイカーとの会合から帰ってきた。大広間で自爆ベルトを外すのを、新妻が手伝う。皆が彼女の話を聞きたくて、うずうずしていた。
「それで、ブルベイカーはなんて」
真っ先にそう質問するのは、リーダーの役目だ。
「明日の正午、全員で来てくれって言ってました。ただし、朝比南高も襲撃されているみたいで、くれぐれも気をつけてと言ってました。防護を厳重にしているので、容易には近づけないみたいです。だから、合言葉をもらってきました」
「合言葉がいるくらいヤバいのか。こっちと一緒かよ」
「なんでも、人喰い以外の盗賊たちにも狙われているらしいです。女装してくるからタチが悪いとのことで、間違って撃ってしまわないようにしているみたいです」
「おいおい、大丈夫なのかよ。あっちのほうが危ないんじゃないか」
「ブルベイカーも戦力がほしいってことでしょう。もうちょっと早く、その情報がほしかった」
ブルベイカーグループがそんな切迫した状態なら、もっと有利な交渉ができたのではないか。自分がもっと機転を利かせていれば、男子たちの死を回避できたのではと、新妻は悔やんでいた。
「姉さん、過ぎたことは考えないようにしましょう」
リーダーの表情から、その心情が丸わかりだった。綾瀬が、それとなく気をつかった。
「志奈、その合言葉ってなんだよ。まさか、山、川じゃないよな」
「デマケーション、だそうです」
「え、なんだ、そのデマなんとかって。ドイツ語か。綾瀬、どうなんだよ」
「demarcation、 境界線って意味よ。どうして英語なのかしら」
「日本語では聞き取りにくいとのことです。向こうさんは、外国の方ばかりなので」
「外人部隊の共通語は英語か。ブルベイカーは、もともとアメリカ人だしな。ほんとに、ここはどこの国なんだってさ」
「境界線か。言い当て妙だな」ブルベイカーらしいと、新妻は思った。
「そんな覚えにくいやつじゃなくて、もっと有名どころにしてくれよな。どうせなら、サノバビッチか、アベンジャーズとかにしてくれたら言いやすいのに。デマなんとかって、すぐ忘れそうだってさ」
「友香子姉さん、サノバビッチってなによ。カッコいいのか、それ」
「あんたみたいなことを言うんだよ」
「へえ、そうなの」
十文字は、まんざらでもない表情だった。いろいろな意味で間違っていたが、綾瀬はあえて訂正しなかった。
「今日は持っていくものの整理をしといてくれ。それと王子たちの火葬は、明日ここを出る直前にやろうと思うんだ。遺骨は人喰いを始末して、私たちの家を見つけた後に取りにこよう」
人喰いがブルベイカーグループの付近にいるならば、いま目立つ狼煙をあげてわざわざ呼び戻す必要はないと、リーダーは考えた。おそらく、ゲームセンタービル付近で、何人かが見張っているはずだからだ。
「カンタ、チンミ、あんたらにも持ってもらうからね。軽いのだけど。それとブルベイカーには気をつけるんだよ。あれは、あぶねえ女だからな」
子どもたちに、十文字がハッパをかけた。
「そのお姉ちゃんって、十文字のお姉ちゃんより美人なの」
「はあ?、私のほうが上に決まってるじゃん」
「來未よりは上だけど、私よりは下かな」
めずらしく鴻上が軽口をきいた。当然のように十文字が食ってかかると思われたが、苦笑いするだけで、なぜかカンタロウの頭をポンポンと叩いていた。
次の日の朝食後、全員が大広間で出発の用意をしていた。
「みんな、フル武装で行くよ。途中で人喰いに出会っても、向こうが攻撃してこなかったら無視して進むんだ。殺すのは、ブルベイカーたちと一緒にやるからさ。とにかく、朝比南高の中に入るまでが勝負だよ」
リーダーが生きのいい声で気合を入れる。その快活さに、皆が奮い立っていた。
「とりあえず、人喰いどもの集団は、この辺にはいない気がする。たぶん、朝比南高近辺にいるんだ。ブルベイカーのとこに着いたら、でっかい声で合言葉を叫ぶんだよ。外人部隊の連中は警戒しているはずだから、ちょっとでも疑われると撃たれるからな」
合流するまでは緊張が続く。戸惑いは命取りとなるので、リーダーは指示を徹底させた。
「そういえば、合言葉ってなんだったっけ」
もちろん冗談だと誰もが思ったが、島田は本気で悩んでいた。
「バケーションだったか」
「オバケーションだよ、友香子姉さん。もう、大丈夫かよ」
やや上から目線で十文字が言うが、彼女も間違っていた。
「デマケーションだよ、十文字のお姉ちゃん」
「そう、そのデマケーションだよ。そう言ったろう」
「オバケとか言ってたじゃんか。だいじょうぶかよ」
カンタロウは、あきれ顔だった。隣に立っているチンミが、小さなリュックサックを背負って、サッと敬礼をした。周囲を見回して反応を待つ。
「はい、よろしくね」
小牧が返礼して、小さな勇気をねぎらった。チンミは、ホッとしたような笑みを浮かべて手をおろした。
「姉さん、そのベルトは私が掛けます」
新妻が、自爆ベルトをたすき掛けしているところに綾瀬が近づいた。それは自分が着けるべきだと志願する。
「これはダメだ。指揮官用だよ、はは」
もしもの際の自爆は、リーダーの責務であることを強調するが、綾瀬には別の理由があった。
「私、ロクな武器もってないですし、格闘戦はできないので、もし人喰いに捕まったら自殺もできません。生きながら解体されるのは嫌です」
綾瀬が手にしているのは、ヌンチャクと文化包丁のみだ。もともと体力がないので、格闘にはまったく向いていない。人喰いの接近を許した段階で、彼女の命運は尽きてしまう。
前に渡されていた手榴弾も、手練れが使ったほうがいいという理由で、新妻が持つことになった。リーダーは、彼女を足の先から頭のてっぺんまで見てから、小さく頷いた。
「わかった。これは穏香に預けるよ。だけど、軽々しく使うなよ。最後の最期にな。使い方はわかるな」
「もちろん、承知してます」凛とした表情で答える綾瀬だった。
「万里子、おまえはこれを持て。綾瀬と同じことを言うけど、これも最後だからな」
SIGの残り弾は一発だけで、その拳銃は小牧に渡された。一発で戦えというのではない。もし捕まりそうになったら、自決せよとの意味だ。
「うん、わかった。ここぞという時に使うね」
小牧はいつも通りの万里子だった。その弛緩した肉体には、どこにも緊張感は見られなかった。
「そろそろだな」
出発の時がきた。リュックサックを背負い、それぞれが得意とする武器を携帯した。
「先に、王子たちと裕子にお別れを言おう」
全員が森口の畑に集まった。木材の山を覆っているブルーシートが解かれ、乾いた木材に灯油がかけられた。島田が火をつけると、黒い煙がもくもくと立ち昇り、瓦礫の墓標は瞬く間に燃え上がった。雪がちらついていたが、男子たちの炎には微塵も影響しなかった。
「修二、悪いけど、これからブルベイカーのところに行かなければならないんだ。あとで必ずもどってくるからさ」
島田が声に出してつぶやいた。他の者は、心の中でそれぞれの言葉を捧げた。十分ほど、その場に留まっていた。火は轟々と渦を巻いて燃え上がり、畑をオレンジ色に染めている。これだけ火力があるなら燃料が焼き尽くされるまでは消えないし、そうすると遺体に肉は残らないだろう。
「じゃあ、行こうか」
新妻グループが、ゲーセンタービルを後にした。灰色の雲が乾いた軽い雪を落とし、それらが、うっすらと積もっている。新妻たちは、まるで北国のような寒気に身を刺され、肩をすくめながら前進するのだった。
廃墟の街を歩きながら、十文字はあることに気が付いていた。
「友香子姉さん、ちょっとおかしくないか」
「何がだよ」
一行は、つねに周囲を警戒している。先頭は鴻上で、その後に十文字と島田がいた。
「気配が全然ないんだよ。この辺には人喰いの見張りがいるはずだろう。それが全くないんだ」
「どこかで見張ってるんだろう」
「さっきから見てるんだけど、私たち以外の足跡が一つもない。いくらなんでも一人くらいはいるはずだって」
目と鼻が利く十文字は、足跡から相手方の痕跡をたどるトレーサーとしての能力も持ち合わせている。地面には常に気を配っていた。
「だったら、ブルベイカーのところに集まってんだよ。志奈が言ってただろう」
「まあ、そうなんだけどさ」
どうにも腑に落ちない様子だった。彼女の危機を感じ取る感性が、なにかを告げようとしている。
「來未、友香子の言う通りだ。この辺にいた奴らは、ブルベイカーのところに集結しているんだよ。だから、朝比南高に近くなるほど要注意だ。これは突破するのが難しいかもしれないよ」
新妻は、いまの不安ではなく、ブルベイカーグループとの合流の瞬間を心配していた。生き残るための脱出なのに、直前で人喰いに捕まったのでは話にならない。
「ブルベイカー姉さんのとこって、ご飯はなに食べてるんだろう」
「万里子の心配はそこかよ」
「だってえ、気になるもん」
なにはともあれ、この付近に敵の気配がないというのは幸いである。歩いているうちに、皆はいくぶんリラックスしてきた。鴻上だけが、油断なくサイトを覗き込んでいる。
時が経つにつれて、徐々に天候が回復してきた。厚かった雲が薄っすらと透けて、陽光が差し込んできた。急に暖かくなり、やがて暑いと感じられまでになった。コートを羽織ることが苦痛になるほどだった。
「しっかし、さっきまで北海道みたいで、いまは沖縄かよ。こっちの頭がおかしくなりそうな天気だな」
「なにもかもが狂ってるんでしょうね」
「その狂った世界にいる私たちは、どうなんだってさ」
十文字の問いに、鴻上は何も言わなかった。小銃を構えたまま警戒を崩さない。代わりに新妻が答えた。
「とうの昔に狂っているさ、みんな狂ってるんだよ」
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