第33話
「なんだ」
大広間には、カンタロウとチンミを除く全員がいた。森口の死を考えて眠れなく、朝早く集まっているところに、突然の発砲音が響いた。
「銃声?」
「だよな」
それが銃声であると、全員が理解した。しかし、いったいどこから撃たれたのかわからなかった。人喰いが襲撃してきたのかと色めきだち、鴻上は小銃をもち、島田は日本刀を抜刀した。
「ひっ」
天野が小さく悲鳴を上げた。二発目が鳴ったのだ。
「どこだ、どこから撃ってる」
「この中のどっかだ」
外からの発砲ではないとわかった。
「あんちゃんたちだ。あんちゃんたちの部屋だよ」
耳の良い斥候が、すぐに発砲元を突き止めた。
男子たちの部屋は、もっとも攻めにくい場所にあり、外からの侵入は無理だ。なぜそこから発砲音がするのか。考えられる可能性は限られている。新妻と島田は、すでに走り出していた。綾瀬と十文字、鴻上も慌てて続く。さらに小牧と天野も急いだ。
「修二、田原、なにやってる。ここを開けろ」
新妻がドアを開けようとするが、内側から鍵がかけられているので開かない。男子たちの部屋のドアと鍵は、容易に突破されないように頑丈に作られている。
「姉さん、蹴破らないとダメだ」島田が叫ぶ。
「開けろっ、開けろっ」
怒鳴りながらドアを蹴るが、補強されたドアは女性の足ぐらいではぐらつかない。四発目の銃声が響いた。
新妻だけではなく、島田と綾瀬、十文字の足が加わった。動物のように、奇声を発しながらドアを開けようとしていた。
「姉さん、これ使ったほうが」
そう言って、大ハンマーを持ってきたのは小牧だった。女子たちの中ではもっとも落ち着いており、機転が利いていた。
それをひったくるように奪うと、新妻はドアにぶつけ始めた。いくら強化されているとはいえ、鋼鉄の塊でぶっ叩かれて耐えられるものではない。一撃ごとに大きな穴があいた。
「修二、修二」
そのささくれた穴の向こうに、夫のベッドが見えた。いつもの白さに、見慣れぬ朱色が汚らしく混じっている。妻の情動が錯乱を求めた。
「修二っ」
「友香子、どけろ」
島田はドアに貼りついて離れない。狂ったように叫びながら小さな穴に手を突っ込んで、夫のもとへ行こうとする。
「友香子姉さん、邪魔だ」
十文字が引き剝がそうとするが、島田の手は離れない。金切り声を発した綾瀬と冷静な鴻上が、彼女の身体に腕を巻きつけて、三人がかりででようやく離した。すかさず大ハンマーが連続して振り下ろされて、ドアが見る間に破壊されてゆく。
たいがいに壊れたところで、新妻が渾身の力を込めて蹴ると、ドアがはずれた。女子たちが一気に入って、それぞれにかけがえのない者の無事を確認しようとする。
初めは深い沈黙だった。その部屋の時が、凍りついたような静けさだった。
新妻はのろのろと歩きながら男子たちを俯瞰し、島田は修二のベッドの前に立った。綾瀬と十文字來未が、十文字隼人のベッドにいた。誰もそばに寄ってもらえない田原が、命の灯が消えてしまった笑顔で義之を見ていた。
なにが起こったのか、誰がこの虐殺を行ったのか、女子たちは瞬時に理解した。修二の手には、拳銃が握られたままである
しばし恋人を見つめていた綾瀬がキッとした表情になり、島田が見守るベッドにやってきた。そして、血だらけで仰臥している男を見下した後、その腹部を猛烈に叩き始めた。
「てめえ、なにしやがる」
島田が彼女に飛びかかり殴った。綾瀬の唇が切れて、頬が赤く充血し始める。
「きいいいーーー」
ひどく耳障りな悲鳴をあげながら綾瀬も反撃する。腕力ではとてもかなわないが、それこそ気がふれたようにバタバタ暴れた。理由はどうあれ、十文字隼人を撃ち殺した男が憎くて仕方ないのだ。
「てめえ、このう、ちくちょう、ちくしょう」
綾瀬を殴りながら、島田は号泣していた。大量の涙を優等生の顔に落としながら、その殴る力は徐々に弱くなっていた。しまいには両腕をだらりと下げて、ただ泣くだけとなった。身体を震わせながら静かに号泣している。綾瀬も泣き続けていた。
「ひどい」
血なまぐささが充満する室内を見ていた小牧は、ベッドわきの引き出しの上に、メモがあるのを発見した。
「姉さん、これ」
一読するわけでもなく、それをすぐに新妻に渡した。
「ああ」
呆然と受け取ると、新妻はそこに書かれてある文字を要約した。
「王子たちは、ブルベイカーのもとへ行けと言っている。自分たちはここで終わるから、みんなで生き残ってくれってさ。子どもを作って未来につなげてほしいって」
その文章に価値がないような言い方だった。怒りや嘆き、自責の念を通りこして、彼女の心は乾ききった砂漠に行き着いていた。一瞬、どうでもいいとさえ思ってしまった。
「亭主が死んで、どうやってガキを作るのさ。あたしにヤリマンになれって言うのか、修二。アホかよ」
綾瀬への桎梏を解いた島田は、修二のベッドに座り、夫を愛おしそうに見つめていた。綾瀬も立ち上がり、十文字隼人のベッドへと戻った。彼の妹が泣きながら、うつろな目で眺めている。
しばらくの間、誰も口をきかなかった。かけがえのない者の死を胸の奥底に刻むのは時間がかかるし、彼らの魂を心ゆくまで悼むには、そこは狭すぎた。言葉に言いつくせない感情が、次から次へと湧き出してくる。時が止まっているのではなく、止まった時が続くことを願っていた。
「男子を弔ってやろうよ。このままにしとけないよ」
小牧が頃合いを見計らい、その時を宣告する。
「そうだな」
新妻は、男子たちの遺体をシーツで包むように指示を出した。自らは田原に語りかけながら、そのやせ細った身体を慎重に扱う。しかし、島田と綾瀬、十文字來未は動かない。いつまでも死者を愛でる気でいる。
「友香子姉さん、申し訳ないけど私がやるから。その、申し訳ない」
鴻上が修二の亡骸に手をかけようとしたが、それを妻がやんわりと払った。
「ありがとう、唯。でも、あたしがやるよ。世話のかかる亭主でさ、ほんと最期の最期まで散らかしちゃってさ。あたしも、そんなにきれい好きじゃないんだけどね」
涙をボロボロ落としながら、夫の身体を包んでいた。鴻上が再度手伝おうとするが、島田の姿が痛々しくて、結局その手を引っ込めてしまった。
「穏香、來未、私がやろうか」
田原の遺体を包み終えた新妻が、十文字隼人のもとへやってきた。義之の亡骸は小牧が担当している。
「大丈夫です。もう、落ち着きましたから」
綾瀬は気丈にふるまうが、妹の心は折れたままだった。
「綾瀬、お願い。私、耐えられないから。無理だから」
「いいよ、來未ちゃん。私がやっておくから」
「ごめんなさい」
十文字來未は、兄の世話を兄嫁になるはずだった女にまかせた。真っ青な顔で廊下に飛び出して、嗚咽を漏らしながら嘔吐していた。
男たちの亡骸は、きれいなシーツで幾重にも包まれた。担架で一人一人、森口が大事にしていた畑へと運ばれた。木片をありったけ集めて、畑に敷き詰めた。一メートルは積まれたそれらの上に、彼女たちの友人であり、後輩であり、恋人であり、夫であり、そしてなによりも守護者だった男たちが並べられた。
森口の首も、彼らのそばに置かれている。さらにその上に、たくさんの木材が積まれた。夕方になるころには、もう彼らの姿は見えなくなっていた。
巨大な木片の山がひと時の墓標となり、女たちの心情に諦念を要求していた。気温がぐっと下がり、細かな雪粒がちらついていた。新妻の指示でブルーシートがかけられる。これ以上濡れては風邪をひくだろうと、女たちは諦めきれないでいた。
火葬は保留となっていた。人喰いが近くをウロついているのに、肉の焼ける匂いを出すのは得策ではないし、なによりも、彼女たちの精神が鎮魂のための時を必要としていた。
小牧が夕食の支度をし終えた。皆が食卓につくが、ほとんど箸がすすまない。カンタロウとチンミだけが、いつものように、がむしゃらに食べていた。
食事が、しめやかに終わった。新妻は、あらためて修二が残したメモを読み上げた。
彼らの望みはブルベイカーグループとの共闘であり、なによりも女子たちが生き残ることだった。彼女たちが落ち着いて聞いていられたのは、たくさんの近しいものの死を乗り越えてきたからだ。
「すまない。正直言って、私はどうしたらいいのかわからない。適切な判断ができなそうもないよ。みんなの気持ちをききたい」
素直に心の内を吐露するリーダーを、責める者はいなかった。誰もが胸に、それぞれの言いきれぬおもいを抱えている。
「やっぱり、ブルベイカーさんのところに行くべきだと思います。だって、そうしないと修二兄さんたちの気持ちを無にすることになります」
その中でも天野の意見は、相変わらずの一本調子だった。男子たちの遺言を得て、かえって勢いづいていた。
「そうね。そうすることが隼人の望みだったのだし。まったく気がすすまないけど」
「現状、そうするしかないないのでは。私も行きたくはないですけど、しかたないのかもしれません」
綾瀬と鴻上が、ブルベイカーグループへの合流に理解を示した。新妻は、他の者の真意を確かめなければならない。
「來未はどうだ」
「どうもこうも、あんちゃんがいなくなって、ここに残る意味もないだろうさ。ブルベイカーでも誰でもいいから、とにかくぶっ殺したい」
「わかったよ。万里子は」
「どこでもいいよ。私はみんなと一緒。一人はいやだから」
小牧は、どこにいてもいいと考えていた。ただ、一人にはなりたくなかったのだ。
「友香子」
「あたしは行かない。亭主死なせて自分だけが助かるとか、そんなのイヤだって。そんなの、いままでさんざんやってきたじゃないか。もういいよ。あたしは精一杯生きたんだ。人喰いがくるなら受けて立つよ。逃げやしない」
島田は頑なだった。一人で戦いに出て、夫に殉じようとしている。
「カタナのお姉ちゃん、みんなと一緒じゃなきゃダメだ。チンミだってシンコだって、フサミだってション坊だって、おれたちみんなで生きてきたんだよ。一人じゃ生きていけないって、母ちゃんがよく言ってたんだ。みんなで力を合わせないとダメだって」
「ガキは黙ってなよ」
鋭い声で叱咤されて、カンタロウは口を閉じた。隣に座っていた十文字が、慰めるように彼の頭を撫でる。
「友香子、あんたの気持ちもわかるけど、王子たちは、私たちのために命をささげてくれたんだよ。無駄にはできないと思うんだ。私も、ブルベイカーのもとには行きたくないよ。あいつとはもう、親友じゃないんだ。だけど、この状態だったら、近いうちに必ず人喰いどもにやられる。いったん戦力を集めて、ゴミどもを始末しないか。片がついたら、ブルベイカーのとこを離れて、私たちだけの家を探そばいい」
新妻は前からそう考えていたのではなく、いま思いついたのだ。
「それはいい。千早姉さんの言う通りだ。クソ野郎どもを皆殺しにした後、家を探せばいいんだよ。とにかくぶっ殺そうよ」
十文字が色めき立った。ブルベイカーグループうんぬんよりも、とにかく暴れられる戦場がほしいのだ。
「でも、そんなにうまくいくかしら。いちど入ったらなかなか抜け出せないのでは。相手はずる賢い、あのクズ女なんですよ」綾瀬は懐疑的であった。
「そんなの、夜中にでもバックレてやればいいんだって。一緒に戦うけどさ、私たちはあいつの犬じゃないんだ」
「うん。わたしたちの姉さんは千早姉さんだもの」
小牧の一押しで、混迷した状況に道筋がついた。女子たちの気持ちが、少しばかり明るくなる。あとは島田の翻意を待つだけだ。
皆の視線が一点に集まった。とくに、カンタロウとチンミのつぶらな瞳が痛いと感じた。
「あ~あ、なんだよもう。そういうことなら、あたしも行くしかないじゃないかよ。ったく。まあとりあえず、汚え奴らを叩き斬ってやるか」
島田らしい、少し斜に構えた笑顔が見られた。新妻は頷きながら、あらためて妹たちを見渡した。
「じゃあ、話は決まりだな。それと、ブルベイカーのところに持っていく食料は少ないほうがいい。どうせ短い間しかいないんだ。あいつらにタダでくれてやることはない。それっぽい量だけ持っていこう」
「でも、ここを空けたら、そとの連中に盗まれやしませんか」
「それは大丈夫よ。森口さんの隠し場所があるから。あそこなら見つからない」
鴻上の杞憂を小牧が吹き飛ばした。食べ物に対する執着は並々ならぬものがある。彼女の自信には、信ぴょう性があった。
「志奈、あした、ブルベイカーに合流するって伝えてくれ。ただし、食料はこっちも底をついているって言うんだよ。あとあと抜ける話も秘密だよ」
「わかりました。その辺はうまく言います」
明日、ブルベイカーとの会合で、新妻グループの決定が伝えられることとなった。
その夜、女子たちは一晩中男子たちの思い出で盛り上がった。過ぎ去り日の、学園生活の日常を笑い飛ばし、蹴とばし、いじくりまわし、しまいには全員で泣いた。
嘆きの感情は、もはや枯れ果てていると思っていたが、これほどの涙がまだ残っているのに全員が驚いた。また身内の喪失は、これ以上許容されないとも考えていた。とくにリーダーの新妻は、自らがバラバラに引き裂かれようとも、妹たち、子どもたちを守りきる気概でいた。
深夜となり、綾瀬が睡眠を提案した。カンタロウとチンミはすでに寝かせている。今日は眠れないだろうからと、皆に安定剤を配った。
「起きられなくなると困るから、寝つきがよくなる薬ね」
本当は強めの睡眠薬を飲ませたかったのだが、襲撃の危険があるのでできなかった。
「もう寝るよ。王子たちと裕子は明日の夜に火葬にしよう。これだけ冷えているから大丈夫だろうよ」
積もるほどではないが、外は小雪が舞い寒気が居座っている。遺体の腐敗はごく緩やかであるし、木材の上にビニールシートをかぶせてきたので、カラスやトンビにつつかれる心配もない。女子たちは、納得して眠りについた。
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