第32話

「森口さんはいましたか」

 捜索隊が帰ってくると、綾瀬がさっそく尋ねた。森口を二度と徘徊させないようにと、手には強めの安定剤を握っている。

 しかし、帰還した四人の表情は劣悪だった。憔悴しきっている。声をかけるのもはばかられる様子で、それは最悪の結果を意味していた。

「姉さん、そのう、森口さんは」尋ねるほうも辛かった。綾瀬は再度、申し訳なさそうに言う。

「裕子はダメだった」

「ダメだったって、それは、森口さんは死んだってことなの」

「すまない、万里子。裕子を助けてやれなかった」

 さすがに衝撃だったのか、普段は緩慢な小牧の顔が青ざめていた。 

「あのお姉ちゃん、食べられちゃったの」

 カンタロウの無礼を咎める代わりに、綾瀬が言った。

「それで、森口さんの遺体はないのですか」 

「もっていかれた。首だけ残して」

「首だけって」

 島田が前に出てきて、朝比南高校のブレザーに包まれたものを机の上に置いた。それがどういったものなのか、子どもでさえ理解できた。カンタロウとチンミは、けして近寄ろうとはしない。

「胴体はもっていったのに、森口さんの制服は残してくれたのですか」

「それはブルベイカーのだ」

「え」

「ブルベイカーがいたんだ。裕子を見つけたのもブルベイカーだよ」

 今日あった出来事すべてを、綾瀬たちは知らされることになった。

 家族の悲報は男子たちにも伝えられた。新妻はブルベイカーの件も包み隠さず話した。さすがに堪えたのか、修二と田原も終始無言で聞いていた。義之が、せき込みながら号泣している。報告を言い終えた新妻は、男たちの反応を待っていた。

「それでどうするんだ、姉さん。ブル姉さんの言う通り、このままじゃエサになるのを待つだけだ。このビルだってもちそうもないし。選択肢は一つしかない。それは姉さん自身もよくわかってるだろう」

「ブルベイカーとは合流しない。それだけだ」

「それではダメだ。全然だめだ。それは臆病者の選択だ」

 修二の声が鋭く尖っていた。今日に限って、彼女の誇りを傷つけることに躊躇いがなかった。

「姉さん、すべてを救おうなんて贅沢を言っちゃダメだって。リーダーはここぞという時に取捨選択しなくちゃさ。キツいことだけど、そういう役目だ。そして、今がそうしなければならない時なんだよ」

 田原の言葉が重くのしかかっていた。新妻には、彼が望む負担をしょい込むことができない。  

「田原、私に能力以上のことを要求するなよ。できないものはできないんだ。ただ、それだけだ」

 力のない言葉だった。それ以上目線を合わせるのがつらいのか、彼女は早々に男子たちの部屋を後にした。



「修二、どうせ寝てないんだろう」

「ああ」

 すでに夜が明けている。目張りした窓から光りは入らないが、朝がきたことを男子たちは感じていた。義之が窓際によって、欄間部分のカーテン紐をひいた。真珠色の陽光が入り込み、部屋の中がうっすらと明るくなった。義之はベッドに戻って、また横になった。突然の明るさに顔をしかめながら、修二が話し始めた。 

「田原、このままじゃ破滅だよ。クズどもに喰われるのが先か、次の地震で建物の下敷きになるか、どっちにしても先がない」

「ああ、そうだな」

「俺たちは、なんのために彼女たちを守ってきたんだよ。ゴミクズどもに肉をくれてやるために、この命を張ってきたのか」修二は、悔しそうに言った。

「修二、昨日は姉さんにいろいろきついことを言ったけどさ、そもそも決断するのはよう、俺たちのほうじゃねえのか」

 修二が田原を見た。彼は天井を見つめている。数秒の時が、とても長く感じられた。

「だよな」

 修二は、田原の言わんとしていることを完全に理解した。一晩寝ずに考えて、行き着いた結論がそこにあった。親友が肩を押してくれたのだ。

「俺は生きた。なんの因果かこの時代に生まれてきたけど、学校は楽しかったし、クソ面白い親友もいて、いい女と結婚までできた。精一杯生きた。まったく悔いはないよ」

「俺もだよ。あの災害がなくても、どうせちっさい飲食店のおやじで一生を終えたんだ。ここなんて、毎日毎日美人な看護師さんたちに看病されて、チンコまで洗ってもらってよう、こんなの普通の男じゃ味わえないだろう。果報もんってやつだよ」

 一点の曇りもない宣言だった。二人は、今日こそが命をささげる時だと悟ったのだ。

「おれはまだだ。まだまだなんだ。こんな状態で終われない。終わっちゃあ、いけないんだ」

 義之は未練を残していた。彼は、自分の人生に忸怩たる思いを抱き続けていた。

「そうだな。おまえまで連れて行く気はないよ。俺たちは動けないけれど、おまえは歩けるからな。きっと、ブル姉さんにも受け入れられるよ」

「種馬が一人くらい残ってないと、人類の存亡にかかわるからな」

 そう言って、田原はニヤつく。義之は、しばし目をつむって考えていた。

「いや、やっぱりおれも行く。一人おいていかれるなんてイヤだよ」

 自分の身体がどういう状態であるか、義之は知っていた。最近では固形物を胃が受け付けなくなって、ほとんど食べることができていない。すでに手遅れのガンであり、かなり進行している。そんなに長く持たないだろうと理解していた。

「わかったよ。じゃあ、いっしょに行こうや」

 友人の言葉を背中で受け止めた。義之の表情は複雑だった。

「十文字はどうする」

「たぶん、意識はあるだろう。おい、起きているか」

 田原が何度も呼びかける。早朝の気だるい空気の中、彼はわずかばかりに頭を振って健在ぶりを示した。

「穏香のためになるかな」

 かすれて生気のない声だが、彼の意志ははっきりとしていた。

「もちろんさ。それに綾瀬さんだけじゃなくて、みんなのためにもなるんだ」

「うん」とかすかに言った。これで四人の意志は統一された。あとは方法論が残されているのみとなった。

「田原、SIGは、どこにしまったっけ」

「引き出しの一番下の奥だよ。弾は五発しかないからな」

「ああ、十分だよ」

 男子の部屋には、護身用のオートマチック拳銃がある。一丁だけで、予備の弾はなかった。

「修二、悪いなあ、いつも面倒なことばっかり押しつけてさ」

「気にするなよ」

 修二はメモ帳になにかを書いて、それをよく見えるように机の上へと置いた。

「おれを先にしてくれ。みんなのあとはイヤだ。先にいって待ってるから」

 義之が最初となった。拳銃の安全装置レバーが容赦のない位置に戻された。スライドを後退させて、弾丸が薬室内に送られる。

 松葉杖をついた修二が、まずは部屋のドアにカギをかけてから、ゆっくりと義之のもとへ行った。ベッドの上で、彼は赤子のように小さく縮こまり、嗚咽を漏らしながら泣いていた。

「修二、モルヒネを、ちょこっとばかり打ってやったほうがいいんじゃないか」

「ああ、でも、薬はできるだけ残していきたいんだ。俺たちは使いすぎたろうからさ」

「それもそうだな」

 SIG の銃口が義之の頭部に向けられた。修二は、片手で松葉杖をついてバランスを保っている。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。やっぱり最初はイヤだ。さ、三番目がいい」

「ああ、そうするよ、義之。初めは十文字からだ」

 修二が構えを解いた。義之が、ふーと安堵の息を漏らした刹那だった。

 パンと乾いた音が響いた。義之の頭に弾丸が撃ち込まれた。女子たちが洗濯をして、常にきれいにしている真っ白な枕カバーが朱に染まった。

「悪いな、義之。おまえが最初だ」

 彼の躊躇に付き合っていると、いつまでたってもことを為しえないと判断したのだ。

 間隔をあけずに、修二は十文字隼人のベッドへ行き、同じように頭を撃った。彼はなんら抵抗することなく受け入れた。

 田原の番となった。親友は、最後の最後まで面倒をかけることを率直に詫びた。

「気にするなよ、田原。じゃあ、お別れだ。あの世で会おう」

「修二、こういう時はヴァルハラで会おうって言うんだぜ」

「アニメかよ」

 田原は笑って死んだ。当たり所が悪かったのか、先の二人よりも多くの血が噴き出してしまった。そのことを彼に詫びてから、修二は自分のベッドに腰かけた。そして、まだ熱気の残る銃口を、上と下の歯でしっかりと咥えた。

 ドアの外が騒がしくなった。修二は目を瞑って、妻の顔を思い浮かべた。 

「生きろよ、友香子」

 バンとこもった音がした後、彼はベッドに仰向けに倒れた。拳銃に一発残したまま、上谷修二は絶命した。 



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