第31話


 異変はすぐにやってきた。ゲームセンタービル付近に、不穏な人影が頻繁に出没するようになった。

 それらは鼠のように駆け回り、はっきりと姿を見せないが、汚いナップサックを背負いボロをまとっていた。集団ではなく、一、二人で行動している。新妻グループの偵察をしているようで、うかつに外に出られない状況が続いていた。

「ちくしょう、人喰いどもに、ここを嗅ぎつけられたみたいだ」

「ええ、確実にバレているでしょうね」

「やっぱ、そうだよな」

 島田と鴻上が見張りをしていた。ここ数日は、出入り口の上にある部屋にこもりっきりだ。窓から外の様子を交替で見て、もしもの襲撃に備えている。

「なんだか妙ですね。人数が多いのであれば、とっくの昔に襲ってきていいはずですけど」

「下手に突っ込んで死にたくないんだろう。こっちに銃があることを知ってるんじゃないのか」

「でも前の人喰いグループは、あの時、全員が排除されたじゃないですか」

「ケイタイでも持って連絡してたんだろうさ」

「まさか」

「唯、今度は頭だけを狙うことなんてするなよ。ゾンビは映画の中だけだからな」

「友香子姉さん、その話は勘弁してください。あ、また来ました」  

 鴻上の小銃が怪しい人影を追うが、照準が定まる前に、それは姿を消してしまう。

「彼らは相当な手練れですよ。こっちに狙いをつけさせないですもの」

「人の肉を喰ってるんだからさ。妖怪みたいに魔力があるんだよ」

「友香子姉さん、それこそゾンビ映画かアニメのみすぎですって」

 部屋のドアに気配があった。ノックがなされ、十文字が入ってくる。彼女は弓矢を背負いながら、二人への食事を持っていた。

「昼飯か。ちょうど腹減ってたんだよ」

 昼食のメニューは、大盛りのミックスベジタブルとドッグフード、乾パンである。二人は見張りの目を十文字と交替した後、胡坐をかいて食べ始めた。

「來未、あっちゅいお茶がほしかったなあ」

「んなもの、自分で淹れてこいってさ。それよか姉さんたち、外の様子はどうなんだよ」

「どうもこうもあるかよ。クソ野郎どもが、相変わらずウロウロしてウザいよ」

「一人ぐらい撃ち殺してやれよ。見せしめになるだろうに」

「そうしたいのはやまやまだけど、動きが素早いんだって。それにムダに撃って、騒ぎを起こしたくないし」

「私がやってやろうか」

 そう言って十文字が弓を引いた。窓からその身を出して、獲物がいないか目を凝らす。

「なんだよ、いないじゃねえか。せっかく串刺しにしてやろうと思ったのによ」

「あいつらも昼めしを食ってんだよ」

「友香子姉さん、彼らのお昼ごはんって、なんですかね」

「人喰いなんだから、人肉に決まってるだろう。どこかのマヌケが解体されて、ハンバーグにでもなってるんだ」

 島田は腹をすかせた駄犬のように、ガツガツとドックフードを食べている。スプーンですくったドッグフードが人肉のミンチに思えて、鴻上はいやいやながら口に運んでいた。

「お、なんか出てきたよ」

 一人のボロがゆっくりと近づいてきた。十文字の弓矢がしっかりと狙っている。

 突如、鴻上は自分たちがポイントされていることに気が付いた。ライフルマンであるがゆえに感じる同類の視線であり、第六感でもあった。ハッとして島田の顔を見ると、姉は妹の表情からすべてを読み取った。

「來未、伏せて」

「伏せろ、來未」

「え」

 十文字が、ポカンとした表情で二人を見ていた。ミックスベジタブルの皿をぶん投げた島田が彼女の身体に突進し、そのまま床に押し倒した。

 その刹那、ヒュンと空気を切り裂く音がして部屋の奥が弾けた。壁材の一部が破片となって散った。

 間髪入れずに鴻上が撃ち始める。窓枠に小銃だけを出して、狙いを定めずに、とにかく連射した。自分は窓の下へと身を隠している。

 島田が怒鳴っているが、鴻上は無視して撃ち続ける。そうしている間にも、敵方の銃弾が次々と突入してきた。危なくて、三人は窓の外を見ることができない。

 ゲームセンタービルのライフルマンは射撃をいったん中止して、相手方の弾丸を計測することにした。ためしに皿を窓に掲げると、瞬時に撃ち抜かれた。弾着と発砲音の差を測り、おおよその距離を割り出した。

「五百メートル以上先から狙撃されている。相手は凄腕だから、絶対に窓のほうに行かないで」

「なんだよそれ、食人族の中にゴルゴがいるのか」

「なんでライフルを持ってんの」

 三人とも、窓側の壁にぴったりと背中をつけていた。鉄筋コンクリートのビルなので、ライフルの銃弾は壁を貫通しない。

「おい、ここで縮こまっているスキに、入り口を突破されるんじゃないか」

「その可能性はありますね」

 相手は大人数なので、攻め入ってくると考えるのが普通だ。

「來未、あたしと一緒に下に行くよ。ゲスどもがいたらかまわず串刺しにしろよ。間違っても生きて捕まるな」

「わかった」

「唯、援護をたのむ」

「まかせて」

「まだ飯の途中なのにさ」

 鴻上が再び撃ち始めた。狙撃者がいると予想される方向に引き金を引く。彼女の小銃ではあたりそうもないが、とにかく弾幕を張らなければならない。

 島田と十文字が部屋を出た。急いで下の階に降りて、ゲームセンタービルの出入り口にやってきた。そこにはすでに新妻が六四式小銃を構え、綾瀬がヌンチャクを手にしてヒュンヒュンと振っていた。

「唯はどうした、まさかやられたのか」

「いんや、上でスナイパー対決してるよ」

「スナイパーって、やっぱり銃撃されていたか」

「今回の人喰いは人数も大概だけど、武器も侮れないってさ。姉さん、ひょっとして侵入されたのか」

「それはないけど、さっきから外が騒がしいんだ。鳴子が鳴りっぱなしだし、ドアに何かをぶつけてるんだよ」

「ドアを壊される前に、外に出て何人か片付けようか、姉さん」

「陽動かもしれないよ、友香子。外に出たとたん、前みたく網でからめとられたらどうしようもない」

「それはありえるね」

 打って出ることは躊躇われた。相手の出方なり行動なりがつかめないと、作戦の立てようがない。もう少し様子をみることとなった。

「おま、それなんだよ」

 やせた女が大真面目な顔でヌンチャクを振っている。当たり所が悪ければ、自分の二の腕を叩き折ってしまうだろう。十文字は、ややあきれた顔で綾瀬をみていた。

「なにって、ヌンチャクよ。これけっこう固いから、当たれば敵の頭蓋骨ぐらい割れるでしょう」

「接近された時点でお陀仏だよ。いいからそんなもんしまえよ。それと、これ渡しておく。もしつかまりそうになったら、自分の心臓に当ててピンを抜けよ」そう言って、手榴弾を一つ手渡した。

 綾瀬は戦闘に参加したことがほとんどない。戦いのシビアさを、身をもってわかっていないのだ。

「うん」

 素直に自爆用の手榴弾を受け取ると、ヌンチャクをおいて静かになった。いまさらながら、殺し合いの恐怖に慄然とするのだった。

 その日は、それ以上緊迫した事態にはならなかった。敵方も暗くなる前には撤退したようで、鴻上が降りてきて、狙撃者が去ったことを告げた。そこにいる全員がお互いを見て、静かに息を吐き出した。



 ボロをまとった者たちの、散発的な威力偵察が続いていた。目張りしている窓に銃弾が撃ち込まれたり、ゲームセンタービルの周りに発煙筒を焚かれたり、油断がならない状態に悩まされている。しかし、建物の中へと襲撃してくることはなかった。あくまでも、いやがらせ程度でおさめている。

「あのクズども、なんで一気にこないんだよ」

「気味が悪いですね」

 見張り部屋にて、島田と鴻上は、ここ最近同じような言葉をやり取りしていた。

「これは精神的にやられるな」

「獲物は苦しめたほうが、肉が柔らかくなるって言いますからね」

「そんなの初耳だよ。唯、意外とロクでもないこと知ってるじゃないか」

「友香子姉さんほどではないですよ」

「照れるなあ」

「いや、褒めてないですから」

 見張り部屋の窓には、狙撃銃でも貫通できない厚さの鉄板が取り付けられている。細い覗き穴が切られていて、二人は時々そこから外を眺めていた。冗談を言い合いながらも気を抜くことはなく、目を光らせている。


「姉さん、飲み水がほしいです」

 大広間では、小牧が新妻に水の心配事をぶつけていた。  

 新妻グループでは、屋上の貯水タンクに雨水をためて洗い物やトイレの水として使っているが、飲料水に関しては、近くの神社の湧水をポリタンクで運んでいた。しかし、危険な輩が出没し外に出られなくなってしまったので、その水汲みに行けなかった。

「いちいち煮沸しなければならないから、面倒だもんな」

 番茶を湯飲み茶わんに淹れながら、十文字もそう思っていた。

「ここの水って、ちょっと臭いよ」カンタロウだった。 

「カンタ、あんまし贅沢言うんじゃないって」 

 カンタロウとチンミにお茶が配られた。女の子は歩けるほどに回復し、出された食事をすべて平らげる健啖ぶりを見せていた。

 片腕になってしまったことを、特に苦にしていない様子だ。いまも湯飲みをもって、フーフーと小さな口で息を吹きつけながら、おいしそうにすすっていた。

「なんとか、あいつらを追っ払いたいな」

「ぐずぐずしてると、こっちが干あがっちゃうよ」

 新妻グループには打開策が見つからない。リーダーも悩んでいた。

「やっぱり、ブルベイカー姉さんに助力を頼むべきだと思うんです。私たちだけでは、どうしようもありません」

 ここぞとばかり天野が申し出る。彼女はブルベイカーグループとの合流をあきらめていない。 

「志奈、その話は決着がついているだろう。それと友香子のいる前では言うなよ」

「そうだよ、蒸し返すなって」

「はい、でも、そのう」

 新妻が、わざと機嫌の悪い顔をする。天野の声がトーンダウンする。

「すみま・・・」

「いや、志奈ちゃん。その話を続けたほうがいい。もっと訴えたほうがいい」

 修二だった。松葉杖をつき、青い顔して現れた。森口の投薬が出鱈目だったせいか、いまになって男子たちの症状が悪化していた。具合が悪そうな息遣いをしている。

「修二、寝てないとだめだ。友香子にどやされるぞ。穏香はどこにいるんだよ」

「いや、姉さん。黙ってられないよ」

 彼は自分たちを見捨てて、ブルベイカーグループと合流するよう促しにきた。幾多の修羅場をくぐりぬけてきた修二は、現在の状況を危機的とみなしている。手遅れにならないうちに、最愛の者たちを、その身よりも遥かに価値があるものを救いたい一心なのだ。

「ブル姉さんのところに行くんだ。それしかない」

「その話は」

「ねえ、誰か、森口さんを見なかった」

 上の階から綾瀬が降りてきた。森口を探しているようでアタフタしている。新妻と修二の会話が中断してしまった。

「いや、ここにはいないぞ。部屋にいるんじゃないのか」新妻も彼女の行方は知らなかった。

「それがいないの。薬を飲ませなければならないんだけど、どこ行っちゃったのよ。まさか外に出て行ったわけないよね」

「男子の部屋じゃないの」小牧が言った。

「いや、こっちには来てないよ」と修二が否定した。

「いまは外に出ると危ないって、裕子だってわかっているだろう」

「だったらいいけど、精神状態が日増しに悪くなっているから、無茶するかもしれないのよ。今日から、もうちょっと強めの安定剤に変えようと思っていたのに」綾瀬は心配しきりだ。

 天野が神妙な表情をしている。なにか知っているようで、それに気づいた新妻が問いかけようとしたが、彼女の方から言ってきた。

「あのう、裕子姉さんなら、さっき出ていきましたけれど」

「なんだって」

 新妻が、信じられないという顔で見つめた。リーダーのその厳めしさに、彼女はただただ縮こまるばかりだ。

「畑に植えるノビルをとってくるって言ってました。ノビルは強いから、どんな畑でもなるんだって」

「誰が許可したっ」

 大声で怒鳴った。殴り掛からんばかりの勢いで迫り、天野は思わず頭を手で防御する。

「千早姉さんには、許可をもらったって言ってました」

「そんなわけないだろっ。あいつ、どれくらい前に出て行ったんだ」

「三十分くらい前です」

 六四式小銃を手にし、さらに自爆用のベルトを掛けて、新妻は大広間を出て行った。そして、上の階で見張りをしている者たちのもとへ急いだ。カンタロウとチンミを綾瀬にまかせ、弓矢を持って十文字も後をついていった。

 新妻が見張り部屋のドアを、蹴破るように開けた。

「友香子、唯、外に出るよ。ありったけの弾を持っていきな。手榴弾も」

「なんだよ、姉さん。なにがあった」

 島田と鴻上が驚いた顔で見上げた。十文字までもが弓矢を持っているのを見て、ただごとではないと悟る。

「襲撃か」

「ちがう、裕子が勝手に外に出て行ったんだ」

「え、なんでさ」

「畑にノビルを植えるんだとさ、ったく」

「はあ?」

 二人とも訳が分からないといった表情だった。新妻は補足的な説明をしなければならなかった。

「穏香が言うには、裕子の病状がひどくなっているらしい。おそらく、ふつうの思考ができないんだろうさ」

「ああ、なるほど」

 うんと頷くと、鴻上は小銃を背負った。予備のマガジンが入ったポーチをたすき掛けにする。島田も、日本刀を抜き身の状態にした。

「裕子、本格的におかしくなっちまったか。それで姉さん、どんな作戦でいくんだよ」

「ないよ」

「え、それはまずいだろうよ。前みたいにからめとられたらどうするんよ。三十人相手は骨が折れるよ。ゴルゴ野郎も狙撃してくるし。まずは、どういうルートで行くか考えてから」

「そんな暇はない。人喰いに捕まれば、その場で解体されるんだ。悠長なこと言ってられない」

 森口を救うには、考えている暇はなかった。それは全員がわかっていた。

「ちくしょう、最近ついてないや」

 全容がはっきりとしない敵中に突っ込まなければならない。地団駄を踏む島田であった。

「でも、入り口のドアからは出てないと思いますよ。気配がなかったし」

「そうだよ。あたしたちが気づかないことなんてありえないって」

 二人は、出入り口の真上の部屋で見張りをしていた。なにかの動きがあれば、感づいているはずだ。

「裕子姉さんの部屋からだと思います」

 いつの間にか、天野も来ていた。森口の外出に責任を感じているようだ。

「そうだ、裕子の部屋にも脱出用のロープがあったんだ」

 各部屋には、襲撃に備えて窓から脱出できるようにロープが用意されていた。全員で森口の部屋に行くと、窓の目張りがはがされて、ロープがたらされていた。

「裕子のやつ、デカ乳のくせして、よくこの高さから降りられたな」

「感心している場合じゃないよ、友香子」

「そうだね、行くしかないか」

 部屋のロープを巻き上げてから、四人は階下へ降りた、カンタロウが健気にも同行を志願するが、十文字が許可しなかった。綾瀬が、彼の手をしっかりと握っている。

 新妻、島田、鴻上に十文字が外へ飛び出した。数メートルの間隔をとって、小走りで動く。空気は乾いていて暑かった。

「姉さん、どこに行くんだよ」

「公園だよ。裕子は前に、あそこでノビルを引っこ抜いていたからさ」

「ったくよう、ネギなんてどうでもいいじゃないのさ」

「薬味は欠かせないだろう。ネギのないラーメンなんてラーメンって言えるのか。ラーメンの構成要件を満たしているのかっ」

 十文字に鴻上が食ってかかり、ネギ類への熱いおもいをぶつけていた。

「どうしてネギでキレてんだよ。裕子姉さんといい鴻上といい、わけわかんねえよ。構成要件って、なんのことだって。アホのくせして難しいこと言ってんじゃないってさ」

 十文字は、下を向いてぶつぶつと文句を言っていた。

「おい來未、うるさいぞ。ぶつくさ言ってないで集中しろ。來未は知らないだろうけど、あいつらは油断できないんだ」

「わかったよ」

 新妻にまで怒られてしまい、十文字は仏頂面になった。面白くないのか、地面を蹴とばしてから顔をあげ、「あ」と素っ頓狂な声を出した。

「なんだ來未、人喰いか」

「いや、ブルベイカーだよ」と言って、北西の方角を指さした。

「ブルベイカーが」

 百メートルほど離れた廃ガソリンスタンドに、制服姿の女が立っていた。

「ああ、ブルベイカーっぽいのがいるな」

「確かに、ブルベイカー姉さんです」

 鴻上が小銃のスコープをのぞき込んでいる。

「唯、ブルベイカーに銃を向けるな。殺されるぞ」

「あ、はい」

 人喰いが跋扈している中で、ブルベイカーが単独で行動していることは考えられない。周囲に銃を持った仲間が配置されているはずだ。鴻上は小銃を下げた。

「姉さん、どうする」

「行くよ。こっちを見ているってことは話があるんだろう」

 新妻を先頭に、四人はゆっくりと歩いて行った。人喰いのほかに、ブルベイカーの手下を警戒しなければならない。乾いたつむじ風に巻き上げられて地上のチリやホコリが舞うが、彼女らの視線に少しの緩みもなかった。

 ブルベイカーはいつもの彼女らしく、腕を組んで立っている。ただ、表情はいつになく険しかった。おふざけなしの邂逅であると、新妻は悟った。

「ブルベイカー、なにか用か」新妻が先に呼び掛けた。

 島田が右に、左に鴻上、後方は十文字が見張っている。もちろん、彼女たちも包囲されているし、そのことを察知してもいた。

「千早、あんたは戸締りもできないのか。それとも、クズどもにお荷物をくれてやったのか。どっちにしても、最悪な女だな」

 どんな時でも笑顔を垣間見せる美女が、いっさいの微笑みを地に落として、吐き捨てるように言った。どこまでも青く沈んだ瞳が、怒気を含んで睨みつけている。

「なんのことだよ。ブルベイカーに言われる筋合いじゃない」

「これでもか」

 凍った表情のまま、ブルベイカーが左にずれた。警戒した鴻上が、小銃を持ち上げようとする。周囲の敵意が、痛みを感じさせるほどに強くなった。新妻の目は、かつて親友だった者を追うが、それが突如として中断された。

「っ、・・・」

 息が喉に引っかかったまま、絶句してしまった。

 そこにあるものが信じられず、それが親しい者のなれの果てだとの認識を腹の底に落とし込むまでに、幾度も気を失いかけた。悲しみや怒りよりも驚きのほうが圧倒的に強く、それは頭蓋を砕かれるような衝撃を伴っていた。

「うわあ、な、な・・・」

 島田も存分に驚いていた。いまにも口から泡を吹いて、倒れそうなほどの衝撃を受けていた。

 血だまりだった。

 廃ガソリンスタンドのコンクリート地面に、一メートルほどの血液のサークルが出てきていた。そして、その真ん中に切断された頭部があった。新妻グループにとってよく知られた顔が、首から上だけで鎮座していたのだ。

「おい、どうしたんだ。なにがあった」

 後ろを見張っていた十文字が、弓矢を構え背中を向けながら近づいてきた。呆然と立ちすくむ新妻の背中に自らを合わせ、あくまでも後方を警戒しながら、チラチラと前方を見た。

「裕子姉さん、なんで地面に」

 そこまで言って、やはり彼女も愕然とし言葉を失うのだった。

 森口裕子の生首だった。精神のバランスを崩す前は、料理が上手で屈託のない笑顔が可愛らしい、優しくて知的な女性だった。その生首が、血だまりの中に佇んでいた。

「どうして」

 新妻が崩れ落ちた。その場に四つん這いになって、血の気の失せた顔で小さくなった妹を見ていた。

「わたしも、いまさっき見つけたんだ。裕子はここで殺されて、胴体だけ持っていかれたようだ。なんで首を残していったのか、わからないけどね」

 ブルベイカーの言葉が新妻の頭上に、ボトリボトリと落ちていた。その存外な重さに耐え切れないと思っていた。

「てめえか、ブルベイカー。てめえがやったのか」

 かつて親友だった者への喪失感が、友達の命を奪われた絶望が、島田の憤激に火を点けた。抜き身の日本刀を構え、殺さんばかりの憎悪でブルベイカーを睨みつけていた。

「斬りかかるのは勝手だけど、その刀をもう十センチでも振り上げたら、あんたも裕子と同じところに行くことになるよ、友香子」

「友香子、やめろ。ブルベイカーを斬っても意味がない。逆にこっちがやられる」

 新妻が叫ぶ。嘆きの海に沈みきった意識を自らの魂へと強引に戻し、彼女らのリーダーであらんとする。

「ちきしょうっ」

 その激情とは正反対に、島田の身体は動こうとはしなかった。

「今回のウジ虫どもは賢いよ。ちょっとでもスキを見せたら、一巻の終わりだから。あいつらがウロついているから、わたしんところも身動きがとれなくてさ、不便でしょうがないんだ。あったまきたから、今日はフル武装で掃討作戦に出てきたんだけど、そういう時に限っていないし。ひょっとして千早たちのところに張り付いてるんじゃかと思ってここまで来たけど、ちょっと遅かったよ」

 ブルベイカーは淡々と話す。島田は泣きながら、そして激しく怒りながら聞いていた。鴻上は、森口の生首から目が離せなくなっていた。彼女のトラウマリストに、また一つ忘れえぬモノが加わった。十文字だけが、油断なく周囲を警戒している。

「裕子はいい子だったな。誰にでも優しくさあ、じつは男子に人気があったのを、千早も知ってるでしょう。じっさい、わたしよりも、もててたんじゃないかな。おかしくなったのは残念だけど、とにかくいい子だった」

 新妻の目に涙があふれた。妹を失った悲しみと、結果的にグループの管理をおろそかにしてしまった自身の不甲斐なさに、心の底から涙があふれ出ていた。

「わたし達もだけど、千早、あんたのところは相当にヤバいよ。このままだとウジ虫どもに一人ずづエサにされて、そのうち骨だけになるさ」

「うるさい。あんたに言われたくない」

 ブルベイカーは、島田をチラリとみた。ひどく冷徹で容赦のない視線だった。 

「志奈の伝言を聞いただろう。わたしは受け入れる用意がある。だけど、こっちも事情があってね。ケガ人やら病人を、いままで散々断ってきたからさ。いまさらわたしの知り合いだからって無理なんだよ。だから、男子たちはナシだ」

「はあ? あたしらが、てめえのとこなんか行くかよ。寝言もたいがいにしな」

「裕子は頭のいい子だったけど、友香子、あんたはほんとどうしようもない。そんなにヤリマンじゃあ、修二もたいへんだろうさ」

「死にてえのか」

 いまにも飛び掛かっていきそうな気配だった。

「友香子、やめろ。ブルベイカーの挑発に乗るな」

 周囲の建物の陰から、強張った気合が放たれ続けている。十文字が数を把握する。そして、自分たちがいかに不利な立場にいるのかを悟った。

「友香子姉さん、ヘタに動くな」

 十文字がそう言うと、ブルベイカーが、今日初めて笑みを見せた。

「千早、一日待つよ。みんなで肉になりたいっていうなら、それは勝手だけど、生き残るチャンスがあるなら、そうしたほうがいい。男子たちには悪いと思う。でも、しょうがないよ。わたしもこれが限界なんだよ」

 ブレザーを脱ぐと、ブルベイカーは血だまりの中に足を踏み入れて、森口の首をそっと持ち上げた。彼女を上着にくるんで、それを新妻の前に置いた。

「千早、よーく話し合って返答を聞かせて。あなたたちが来たら話がややこしくなるから、明後日の正午、いつもの場所で待っていると志奈に伝えてよ」

 ブルベイカーが、その場を離れた。近くに点在していた殺気も、彼女とともに一つ一つと消えてゆく。残された四人は、しばらく口をきかなかった。


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