第30話
次の日の朝、日が昇ると同時に出発の準備が始まった。
初めに、周辺に咲いている野花が摘まれた。目ぼしい花は、相変わらずノゲシやタンポポぐらいしかなかったが、それらは、もとは図書館だった瓦礫の山に捧げられた。全員で手を合わせ、死者の魂を鎮めた。
片腕になった女の子は、新妻が背負った。途中でズレ落ちないように、帯でしっかりと固定し、一メートルぐらいの垂木を背中に縛り付けた。彼女の頭上に突き出した先端部に点滴バックがかけられた。その液体には鎮静剤も混ぜられているので、女の子は新妻の背中で眠っていた。
犬肉の燻製や武器、食料の類は島田と十文字、カンタロウで分担した。綾瀬は薬が入った軽めのバックだけだ。それでも体力がないので、フラフラとたよりなかった。
「私は自分のペースでいくから、みんなは先に行って」
足手まといになることを嫌い、自分のことはおいていくように綾瀬が言った。
「この子の治療は穏香しかできないんだから、そんなに遅れられても困る」
腕を切り落とした本人の付き添いは必須だ。怪我が悪化しても、綾瀬のほかに適切な処置をできる者がいない。
「だから、私は早く歩けませんって」
「大丈夫だよ。私もこの子を背負っているから、そんなに早く歩けない。とにかく安全を優先しよう」
六人は巨大な墓標を離れて、ゆっくりと動き出した。
子どもといえども、怪我人を背負って長距離を移動するのは難儀だった。女の子の患部を気遣いながら、点滴バックの具合を見ながら足場の悪い道を歩くので、思ったよりも疲労が蓄積する。新妻自身が号令をかけ、途中で何度も休憩をはさんでの帰り路となった。
体力があり余っているカンタロウは、交代する旨を幾度となく申し出るが、そのたびに却下された。断ったのは、新妻ではなく綾瀬だ。
「チンミは、おれがおんぶするって言ってるだろう」
「ダメよ。ふらついて転ばれでもしたらたまらないわ。姉さんに任せるのが一番よ」
「ふらついてるのは、お姉ちゃんのほうじゃないか。ガイコツみたいでキモいし、お姉ちゃんたちの中で一番ブスだ。びじんの十文字のお姉ちゃんとくらべたら、百倍ブスだ」
「うるさいっ」
人生で初めてブスと言われて、しかも十文字と比べられて、ムッとした表情だった。カンタロウと綾瀬は、ウマが合いそうになかった。
「千早姉さん、代わろうか」
新妻の疲労を心配した十文字が、交替を申し出た。綾瀬をおんぶして精魂を使い果たした経験のある島田は、そんなことはおくびにも出さなかった。
「これくらい平気だよ。軽いからな」
スローペースな行軍となったが、日が暮れる前に、ゲームセンタービルへ帰ってくることができた。
「みんな、おかえりなさい」
「おかえりなさい」
一行がゲームセンタービルに着くと、鴻上と志奈が出迎えた。二人の表情は冴えなかった。
「なんだこれ」
大広間に来るなり、島田が絶句していた。室内は瓦礫だらけでひどいありさまだった。天井や壁材が、大概に剥がれ落ちていたのだ。
「昨日の地震よ。まじめに、ここはダメかもしれない」
いつもマイペースな小牧が、めずらしく弱気な態度を見せた。その哀しげな表情から、大広間以外にも大きな被害が及んでいることが分かった。
「修二は大丈夫なのか」
妻の心配事の先頭は、常に夫のことである。
「男子たちの部屋も、ひどいことになってるよ。あ、でも大丈夫。義之君が頭をちょっと切ったけど、ほかにケガ人はないよ」
島田が男たちの部屋へ急いだ。小牧の見立てをあまり信用していない。自分の目でたしかめるまで安心できないようだ。
「千早姉さん、ちょっといいですか」
鴻上が新妻を呼び出した。いつものように神妙な顔つきだが、今回は声に重さがあった。よくない報告をするのだろうと、リーダーは覚悟する。
「ちょっと待っててくれ、唯」
そう言って鴻上を待たせた。先に、背負っている女の子を、どこに寝かすのか綾瀬と相談しなければならないからだ。
「隼人の横にベッドを用意しようと思ったけれど、あそこの部屋は危なそうね。とりあえず、私の部屋に寝かせます。看病しやすいですし」
「そうしてくれるとありがたいよ」
女の子は、綾瀬のベッドに落ち着くこととなった。部屋の主は新妻の力を借りて、ほかの部屋から余ったベッドを調達した。
「チンミ、よかったな」
ベッドですやすやと眠る女の子を見て、カンタロウは一安心した。十文字が彼の肩に腕を回す。
「カンタ、綾瀬がついてるから心配ないよ。このお姉ちゃんね、ブスだけど治療の腕はいいんだから」
「うん、十文字のお姉ちゃんの千倍ブスだよね」
綾瀬が爆発する前に、二人は部屋を出て行った。十文字は、彼を連れてビルの中を案内するつもりでいた。
「みんな、天井が脆くなってるから気をつけるんだよ」
リーダーが注意するまでもなく、動く際は誰もが上を見ていた。
綾瀬の部屋が落ち着くと、新妻は大広間に戻って鴻上のもとへ行った。
「待たせたな、唯」
「いいえ、大丈夫です」
「それで留守の間に何があった。どうせロクでもないことなんだろう」
鴻上は首を縦に振った。
「率直に言いますと、人喰いが現れました」
「人喰いだって」
もっとも聞きたくない言葉だった。新妻の顔から血の気が引いていた。
「あいつらは、ブルベイカーが、あの時始末しただろうよ」
「新手です。しかも数が多いみたいです」
「多いみたいって、唯、おまえが確認したんだろう」
「奴らを見つけたのは、私ではありません」
「じゃあ、誰だよ」
「あのう、私です。私がみつけました」
申し訳なさそうに割り込んできたのは天野だった。手に汚らしいナップサックを持っていた。
「あ、それはあいつらのナップじゃないか。そんなもの持ってくるな。なにが入っていると思ってんだ」
「干からびた手首が入っていました。それと発煙筒。もちろん捨てましたけども」
すでに鴻上が中身を確かめて、人肉と思しき不浄物は捨て去っていた。
「ちょっとまて、だいたいどうして志奈がそんなもの持ってるんだ。詳しく説明してくれよ」
「それは、あのう、私、子犬を飼ってたんです、駅前の交番で。時々エサをあげたりして、それは死んじゃったんですけど、お墓があるので、たまにお参りに行くんです」
「一人で外に出ていたのか。勝手なことをするなよ、志奈。命がいくつあっても足りないぞ」
「私、へまばかりしますけど、隠れるのはうまいんです。絶対に見つからない自信があるんです。だから、あの人たちは何だろうと思って、隠れながら観察してたんです」
子犬の墓参りに外出した際、駅前付近であやしい集団と出会ったので、物陰に隠れて様子を見ていたと、天野は説明した。
「そうしたら、人の死体を引きずってきて、そして、よってたかって、そ、そのう、あ、あれは」
「解体してたんだろう」
天野は苦悶の表情で頷いた。その時の光景を思い出したのか、おもいっきり目を瞑って震えている。
「それで、人数はどれくらいだった」
「たぶん、三十人はいたと思います。いや、もっとかも」
「三十人以上って、やたら多いじゃないか」
絶望したい気持ちだった。人喰いといえども、四、五人ほどならば、こちらから仕掛けて掃討してやろうと考えていたが、三十人相手では分が悪すぎた。
「やつらは、そこにいるのか。住みついていたのか」
「いえ、しばらくしたら南のほうに行ってしまいました。駅前にはたまたま来ていたみたいです」
「そうか」
彼女のグループが対処できるのは、せいぜい七、八人までだ。三十人以上となると、戦うだけ無駄である。人喰いは組織で狩りをし、よく統制がとれている。ある意味、野賊なんかよりも手ごわい相手なのだ。
「ミーティングをするよ」
新妻は男子たちの部屋に全員を集めて、大勢の人喰いが、この近辺に姿を現したことを説明した。
「ここが見つかるのも時間の問題だな」
「いや、修二、もう見つかってると思ったほうがいい」
「だな」
修二と田原は現実を直視する。彼らが生き残ってこられたのは、常に最悪に備えてきたからだ。
「で、どうするよ。ここの守りを固めて籠城するか」
「いや、それは得策じゃないよ。ただでさえガタがきてるんだ。三十人に攻められちゃあ、とてもじゃないがもたないさ」
籠城案は、賛同を得にくい状況だ。
「その人くいってのに、つかまったらどうなっちゃうんだよ」
新参者であるカンタロウは人喰いを知らない。つぶらな瞳で質問する。
「もちろん、肉にされるんだよ。しかも、生きたまま切り刻まれてバラバラにされるんだ」
当たり前のように島田が言うと、カンタロウの顔があきらかに引きつっていた。そこにいる皆が厳しい表情をしている。
いくつか案が出されるが、どれもが緊急避難的で、一時しのぎに過ぎなかった。抜本的な解決には遠く、皆が重苦しく唸っていた。
「みんな死んじまうのよ。魚みたいに解体されて、おいしくい食べられるんだ。朝比南高生の刺身の女体盛りだって、キャハハ」
「裕子、黙っていろ」
森口は躁鬱の症状を繰り返している。そして、ときどき不規則な発言をして周囲を困らせていた。
「あのう、そ、そのう、提案があります」
手を半分ほど挙げているのは天野だ。カメのように首を引っ込めて、周囲をキョロキョロと伺っている。
「なんだ志奈、いい案でもあるのか」
そこにいる誰もが期待などしていない。どうせ泣き言だろうと思っていた。
「私、そのう、昨日交番にいった帰りに、ブルベイカー姉さんと会ったんです。姉さんも見張っていたみたいなんです、あの人たちを」
ブルベイカーと聞いて、皆の視線が天野に集まった。
「それで、ブルベイカー姉さんもけっこう心配していて、このままでは遅かれ早かれ、みんな喰われてしまうだろうって」
「あいつが喰われるのは知ったこっちゃないけどね」
そう言って、島田が話の腰を折ろうとした。天野の話がどういう方向へいくのか、敏感に察知していたからだ。
「続けろ、志奈」
新妻は、少し強い口調で言う。天野はおどおどしながらも、はっきりとした言葉で続けた。
「それで、ブルベイカー姉さんと少しお話ししたんですけど、むこうも私たちと合流したいんじゃないかって、そんな感じがしたんです」
そこまで話して、天野はいったん言葉を切った。ブルベイカーと会って話をしたことに対し、叱責されると覚悟していたのだ。しかし、新妻は腕を組んだまま黙って聞いている。怒る気配はなかった。
「三十人以上の人喰いが相手なら、あいつがいくら能天気でもヤバいと思うさ」
「朝比南高は守りが固いですけど、包囲されたら一歩も外に出れませんし」
「でもよ、合流したいっていったって、ブルベイカーがあんちゃんたちを拒否してるんじゃねえかよ。なに言ってんだって」
ブルベイカーに対して、女子たちは極めて否定的だった。
「志奈、おまえが思っていることを言えよ。なにか考えがあるんだろう」
新妻は、天野が漫然と話しているのではないと感づいていた。
「やっぱり、ブルベイカー姉さんのとこと一緒になるしかないんじゃないかと。このビルはもうだめだし、外には人喰いがたくさんいるし、それしか生き残ることができないと思うんです」
女子たちは、ややあきれた顔で天野を見た。十文字が、少しばかり口を尖らせながら言う。
「だからあ、ブルベイカーはな、千早姉さんとあんちゃんたちを受け入れないんだぞ。まさか、見捨てていくなんて言わないだろうな」
「私、お願いしてみます。明日、ブルベイカー姉さんとまた会うことにしてるんです。だから、お願いして、みんなを受け入れてもらうように言います。向こうも切羽詰まってるはずだから、きっといいお返事をもらえると思うんです」
天野の提案に対し、女子たちは冷やかな態度だった。とくに友人をブルベイカーに見殺しにされた綾瀬は、氷のように冷たい息を吐き出していた。
新妻は、天野がブルベイカーと会う約束をしていることが気に食わなかった。そんな大事をリーダーの許可なく勝手にするのは、グループに対しての背信行為だ。
だが、いまは彼女を責めないことにした。ブルベイカーとの接点を使うことになるかもしれないからだ。
その場は動かなかった。命じたわけでもないのに、誰も口を開こうとしない。息が詰まるほどの沈黙だった。まったく反応がないので、天野は戸惑っていた。
「俺が意見を言ってもいいか」
立ち上がったのは修二だった。松葉杖の先端が瓦礫の角にのってよろけてしまった。島田が慌てて肩を貸す。妻に礼を言うと、彼は一人で立った。
「今すぐにでも、ブル姉さんと合流すべきだ。俺たちはおそらく受け入れられないが、それはそれでいい。千早姉さんはきっと大丈夫だよ。ブル姉さんは、スネているだけだからね。心の中では、一番来てほしいと思ってるよ」
「修二、バカなこと言ってんじゃないって。ケガ人と病人だけで、ここをどうやって守りきるんだ。人喰いがいるんだよ」
「友香子、聞くんだ。ここに留まっていても座して死を待つだけだ。それも、考えうるかぎり、残酷でみじめな死だよ。可能性があるなら賭けてみるべきだ。行ける者だけでも行くべきなんだよ」
妻は鬼のような形相で聞いていた。彼がケガ人でなければ、手が飛んでいたことだろう。
「なにかを得るには、なにかを置いていかなければならない時もあるさ」
「そうそう。それに俺たちが、そう簡単に喰われるかよ。人喰いがやってきたって、うまく隠れてやり過ごすし、逆にとっつかまえて料理してやるよ」
田原のいうことを誰も本気にしていないし、本人でさえ信じていなかった。
「私は隼人を置いて、自分だけ行く気はない」綾瀬は、きっぱりと言った。
「私だって、あんちゃんを残していけるかよ」
「亭主おいて、女房だけ逃げろってか。そんなみっともないマネができるか。ナメんじゃねえよ」
十文字と島田も同じ意見だ。
「いや、志奈の言うことも一理あるよ」
しかし、もっとも強硬に反対するであろう人物が違う意見を持っていた。
「ブルベイカーのほうもヤバい状況なんだ。人手がほしくてたまらないはずだ。いまなら、こっちの条件を突きつけやすい。戦うにしても、全員で合流したほうがいい」
「姉さん」
島田が叫ぶ。十文字と綾瀬も考えを吐き出そうとするが、それをリーダーの権力が制した。
「聞いてくれ、みんな。私たちは、もうつんでいるんだよ。この盤上では、どうやったって負ける。だから、ひっくり返して新たな盤で勝負しなければならないんだ。人喰いどもは狩りには長けている。もちろん、ぞんぶんに戦ってもいいが、三十人とやりあって無事ではすまないさ。全員ではなくても、私たちの何人かは確実に仕留められて、そして肉にされる。私はねえ、自分の妹や王子たちの一人でも犠牲になるのは我慢がならないんだ」
人喰いと正面きって戦うのはリスクが大きすぎた。特に新妻、島田、鴻上は、以前に完膚なきまでに叩きのめされている。彼らの能力を知っているし、新妻の言っていることには説得力があった。
「ブルベイカーだって追い詰められているんだ。あいつはバカじゃないからね。協力するしかないと悟るさ」
その場の空気は、ブルベイカーグループとの合流のほうへと流れていた。彼女を毛嫌いしている女子たちも、仕方ないという雰囲気に吞み込まれている。それは一秒を経ることに大きくなり、そうでなければならないとの考えが支配的となっていた。
「でも、行くんだったら全員一緒だよ。一人でも欠けたらダメだから。絶対にダメだから」
「姉さん、そこだけは譲れません」
島田と綾瀬は、譲歩の最低ラインを強く主張した。
「もちろんだよ」
当然、リーダーはよく理解している。
「志奈、ブルベイカーと明日会うのだったら、条件を探ってきてくれ。こっちはすべての武器と食料を提供する。ただし、連れて行くのは全員だ。一人だって欠けはしないし、これ以下の値引きは絶対にない。絶対にだ。そう伝えるんだ」
「わかりました。大丈夫です。きっとうまくいきますから」
天野はいつになく力強く、自信をもって答えた。キリリとした顔に使命感が燃えていた。
天野は、一人でブルベイカーと会いに行くことになった。
人喰いが跋扈している中を、もっとも戦闘力の低い女子が、単独で行動するのはきわめて危険である。待ち合わせ場所まで、新妻は鴻上と十文字を護衛につけようとしたが、天野本人がきっぱりと断った。
「みんながいると、ブルベイカー姉さんが警戒して、まとまる話もまとまらないと思います。おそらくケンカになっちゃうだろうし。それに私は隠れ路を知ってるんです。誰にも見つからずに行ける自信があります。人数がいると、かえって目立ってしまって危険だと思います」
護衛は不平を言いながらの待機となった。新妻は彼女に手榴弾を二つ持たせ、自爆用のベルトを掛けた。小銃を与えなかったのは、天野が使いこなせないからだ。
「もしも、人喰いどもに捕まりそうになったら自爆しろ。生きながら解体されるよりはマシだ」
厳しい激励だった。リーダーは新兵に対し、過分な覚悟を要求する。
「大丈夫だと思います。私、何度も行ってますから」
天野は走った。鼠のようにすばしっこく、廃墟の建物の間を駆け抜けていく。おとなしそうに見えて、そのじつ韋駄天のような走りを見せる妹を目で追いながら、新妻は感心していた。鍛えれば、よい偵察員になると考えていた。
昼になっても天野は戻ってこない。綾瀬の部屋で安静にしている女の子と、見張りの十文字を除き、他の者たちは男子の部屋に集まっていた。帰ってくる天野の報告を知りたくてたまらないのだ。
皆の昼食が終わって、少したった。
一人で遅めの缶詰を食べていた十文字は、左からやってくる気配を感じ取った。 とっさに弓をかまえるが、見慣れた女が小走りに近寄って来るのを見て一安心し、彼女のほかに怪しい影が近づいてこないか注意した。幸いにも、他に不穏な気配はなかった。
「おかえり」
「うん、ありがとう」
天野を迎え入れてから、十文字は入り口を幾重にも塞ぐ。そして見張りを中断して、男子たちの部屋へといった。ゲームセンタービルの周囲には、原始的な警報装置が施されている。もし侵入しようと近づく者がいたら、かなり大きな音が鳴るはずだ。
「よく帰ってきた。志奈、ご苦労さん」
「志奈、やるなあ。ホントに一人で行ってきたんだな」
男子の部屋で、皆が天野の帰還をねぎらった。
「それで、ブルベイカーとの交渉はどうだったんだよ」
天野に食事をさせる前に、さっそく島田が本題を切りだした。全員の真剣な視線が突き刺さる。森口だけが、ヘラヘラと笑みを浮かべていた。
「結論から言います。千早姉さんは受け入れると言ってました」
どこからか安堵の息が漏れていた。ただし新妻は、ポーカーフェイスだった。
「それと怪我をした女の子と、男の子も受け入れるそうです」
ふー、と息を吐き出したのは十文字だ。これでブルベイカーグループと合流することになったと、誰もが考えた。
「カンタ、ブルベイカーはきついぞ。覚悟しておいたほうがいい。それと外人ばっかだから、言葉で苦労するからな」
「俺、外国の言葉なんてわからんよ」
カンタロウの頭を、十文字がいやというほど撫でた。まだ幼さの残る顔が、はにかんでいる。
「でも」と、天野は水を差すことも忘れなかった。
「なんだよ、志奈。まさか」
「そのう、動けない人は、そのう、ダメだそうです。四人は無理だって言ってました。そのう、兄さんたちです」
修二に田原、義之に十文字隼人は拒絶された。戦力的に魅力のない男子たちを、引き取るつもりはないとのことだ。
「ふんっ。あのクズ女の言いそうなことよ。結局、いいとこどりなのよ」綾瀬が吐き捨てた。
「ま、そうじゃないかと思ったよ。ブルベイカーに期待するだけムダってことだよ」
「カンタ、日本語だけで大丈夫だよ」
新妻の宣言を待つことなく、結論はすでに共有されていた。
「そうだな。ブルベイカーとの共同はナシだ。私たちだけでやっていくしかないな」
「ちょっと待ってください」
天野は、その結論には納得できないようだ。
「それはそのう、悪意があってじゃないんです。ブルベイカー姉さんは仕方ない立場にいるんです」
「立場もクソも、あいつが女王なんだから、なんでも好きに決めれるだろう。ただ修二や田原が邪魔なだけなんだよ」
「そういうことね」
島田と綾瀬が一蹴しようとしていた。
「まあ、志奈の話を聞こうじゃないか」
新妻は天野に話させようとした。ブルベイカーとじかに話したのだ。彼女の意見に突破口があるかも知れないと、わずかばかりの期待があった。
「ブルベイカー姉さんたちも、物資がギリギリで余裕がないそうです。外国人さんたちの仲間も朝比南高に来たらしいのですが、病人ばかりで追い返しているそうです。 食料と医薬品に限りがあるし、余分はないみたいです。だから、リーダーの身内だからって特別扱いできないんです」
ブルベイカーグループは、物資が比較的潤沢であると誰もが思っていた。天野の言っていることは、意外な事実だった。
「チンミちゃんとカンタロウ君を引き取るだけで、精いっぱいだと思うんです。ブルベイカー姉さんも、兄さんたちを受け入れられないのは断腸のおもいなはずです」
「なぎさを拒否したときは、さも楽しそうにしていたけど」
綾瀬は嫌味を隠さない。彼女には、それを言う権利があった。
「きっと、ほかの人の目があるから、わざとそうしたんですよ。そうしないと、しめしがつかないじゃないですか」
「それはどうかしら」
綾瀬がそう言うと、天野は一瞬、煙たそうな顔をした。
「姉さん、行くべきだ。俺たちのことを考えなくていい。なんとかやるさ、なあ、田原」
「おうよ。全然心配はいらないさ。手遅れになる前に、ブル姉さんのところに行ってくれよ」
修二と田原は、じつに清々しい態度をとった。彼らは自分たちの運命を自らの手に戻そうとしていた。その行きつく先は過酷な現実なのだが、覚悟は決めている。ただし、義之は下を向いたままで、十文字隼人は意識が薄弱だった。
「ふざけんなっ」
島田が激高する。彼女が夫を見捨てる可能性は、ほぼない。
「ふざけないでよ」
「絶対にねえよ」
綾瀬に続き、十文字も声を荒げた。彼女たちが男子を残して出ていく見込みも、ほぼなかった。
「でも、それしかないですよ。じゃないと、どうやって生き残るんですか。だって、人喰いは、すぐそばにいるんですよ。ここにいたって、みんな食べられちゃいます。今日にだって食べられちゃいますよ」
「志奈ちゃん、ちょっと落ち着こうか」
少々興奮気味の天野を、小牧がやんわりと抑えた。
「志奈、行きたきゃあ、おまえだけで行けよ。それは止はしない。だた、修二をおいてあたしらだけでいくなんて言うな。ふざけたこと言ってると、おまえでも容赦はしないからな」
ピリピリと辛みの効いた言葉が突き刺さる。しかし、今日の天野は一味違っていた。
「でも、みんなで行かないと意味がありません。そのう、みんなでいかないとだめなんです」
普段は引っ込み思案でおとなしく、なにごとにも消極的な天野が、しぶとく粘り腰を見せた。島田の手と足が飛びそうなので、新妻が、すーっと天野の前に立ちはだかった。
「そのみんなに、あたしの旦那は入ってないんだろう。田原も義之も」
「私の彼氏も」
「あんちゃんも」
「志奈ちゃん、男子をおいていけないよ。そんなひどいことできないって」
小牧の言葉が決定打となった。
「結論を出すよ。ブルベイカーとの合流はナシだ。どうしても行きたい者がいるなら行くがいい。ただ、私はここに残る。王子たちと残って、クソ野郎どもが来たら叩き殺すだけだ。修二、田原、これはリーダーとしての決定だ。あんたらが何を言おうと変わらないからな」
リーダーにこれほどまではっきりと言われたら、男子たちは従うしかなかった。
じつは彼女たちの気持ちがうれしくて、感無量となっていた。修二も田原も、義之でさえ男泣きしていた。天野も黙ったままであり、異議を申し立てはしなかった。その場は解散となった。
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