第27話

「姉さん、どうしたんだ。誰かにやられたのか」

 走り続けた新妻の鼓動は存分に乱れていた。島田が、なにがあったのかを訊くが、息を切らすばかりだった。

 新妻の姿とその慌てぶりから、誰かの襲撃ではないかと推測された。

「唯、外を見張れ」島田の厳しい指示が飛んだ。

 鴻上が六四式小銃を持って、上の階へ走った。

「來未、おまえも弓を持て。それと万里子と志奈も見張りに立て」

 小牧と天野も、上の階へと急いだ。

「なんだよ、どういうことだ、友香子姉さん。誰が攻めてきたんだ。まさか人喰いどもの襲撃か。それともブルベイカーかよ」

 十文字が食ってかかるように詰め寄った。

「わかんねえよ。とにかく油断するな」

 使い手である新妻が我を失っているのだ。ただ事ではないと判断するしかなかった。

「姉さん、姉さん、なにがあった。綾瀬となぎさはどうしたんだ。まさか、やられたんじゃないだろう」

 西山の名を聞いて、新妻は目を見開いた。そして呆然とした顔で言った。

「なぎさは死んだよ」

「え」

「なぎさは死んだ。おんぶされて死んでた」

「おんぶって、え、なに」

 要領を得ない回答に、島田の思考が混乱する。

「なぎさは死んでいた。もう、遅かった。遅かったよ。だからあの時行けばよかったんだ。雨ん中でも突っ走れば、なぎさを救えたんだ。おまえが止めるから間に合わなくなった。ああ、なんだよもう」

 新妻は、八つ当たりするように喚き散らし始めた。その様子から、島田はようやく西山の死を理解することができた。

「それで、綾瀬はどうしたんだ。まさか、あいつも死んだのか」

 新妻は首を横に振った。

「なんだよっ、綾瀬を連れてこなかったのか」

 新妻は、汚れた包帯を巻いた頭を掻き毟って嗚咽を洩らしている。

「なぎさを死なせてしまった、なぎさを死なせた。私のせいだ。私が妹を殺した。みすみす殺してしまった」

「おい、しっかりしろ。あんたはリーダーなんだよ」

 見ている方が、気の毒な気持ちになるくらい動揺していた。トップに立つ者の狼狽は不吉の前兆だ。この状況を頭の中で素早く整理すると、島田はすぐに行動し始めた。

「來未、唯を呼んできてくれ」

「どうするんだよ」

「決まってるだろう。綾瀬を連れ戻すんだよ。なぎさが死んでるんだったら、あいつも相当ヤバい状態なんだろうさ」

 十文字が急ぎ足で鴻上を呼びに行った。新妻はブツブツとひとり言を呟いている。自分を見失った状態から、まだ抜け出せないでいた。

「姉さん、たのむからしっかりしてくれよ。今までだって散々死んできたじゃないか。なぎさが死んだんなら、とても悲しいことだけど、だからって自分を責めるなって」

 新妻は泣き出してしまった。島田は、彼女の心が落ち着くまでなにを言っても無駄だと判断した。リーダーをあやすことよりも、喫緊の課題に取り組まなければならない。

「友香子姉さん、どういうことだ」

 六四式小銃を抱えて、鴻上が駆け下りてきた。彼女の後に、小牧と天野も続く。

「なぎさが死んだみたいなんだ」

「マジですか」

「え」

「うそ」

 当然のように、三人は驚いていた。

「だけど、綾瀬はまだ生きているみたいだから、死なないうちに連れ戻すんだ。唯、出発の用意をしな。たぶん、泊まりになるからな」

「友香子姉さん、私も行くよ」

「來未は残っててくれ。姉さんを頼む」

「わかった」

 十文字はあっさりと了解した。自分が適任だとわかっていたのだ。

「唯、姉さんが89をおいてきたみたいだから、銃なしでいくよ」

「じゃあ、六四を持っていきたいんですけど」

「だめだよ。ここに銃がなくなるだろう。念のため、手榴弾を何個か持っていけよ」  

「自爆ベルトをつけますか」

「戦うわけじゃないんだから必要ないよ」

 目的は綾瀬の救出である。大仰な武装は必要ではない。

「なぎさ姉さんの、そのう、遺体はどうしますか。ここまで運ぶんだったら、折り畳みの担架を持っていきましょうか」

「いや、死体を運んでここまで戻るのは無理があるだろう。死臭を嗅ぎつけて、野犬どもがくるかもしれないしな」

「では、どうするんですか」

「その場に埋葬するか、焼くかだ。なぎさには悪いけどさ」合理的な判断だった。

 島田と鴻上が綾瀬を救出することとなった。ゲームセンタービルを出る前に、妻は夫のもとに寄って事情を打ち明けた。

「西山さんが亡くなったのか・・・、そうか」

「信じられない」

 修二と田原は、かなりのショックを受けているようだ。義之にいたっては、大粒の涙を流していた。

「友香子、綾瀬さんを無事に連れてきてくれ。これ以上、死人をだしたくないんだ」

「わかってる」

 時刻はすでに午後となっていたが、二人は出発した。無理を押せば今日中に帰れるが、西山の遺体をどうにかしなければならないのと、おそらく綾瀬の体力も限界と思われるので、そのままビジネスホテルに泊まるつもりだった。

 二時間ほどで、ビジネスホテルに到着することができた。探すまでもなく、綾瀬をすぐに発見することができた。

 彼女はロビーの真ん中で、新妻が置いていった缶詰類を温めて食べていた。当然のように、西山も一緒である。椅子に座らされて、相変わらずの不格好な姿勢だった。皿に山盛りにしたミックスベジタブルと焼き鳥を友人の前において、やさしく語りかけていた。

 ひどく異様な光景だった。島田と鴻上がすぐ近くまで来ても、まるで誰もいないかのように振舞っていた。二人っきりで、さも食事を楽しんでいるといった様子なのだ。

 絶望を感じられずにはいられなかった。島田も鴻上も言葉を失っていた。とくに椅子にあらぬ姿勢で座って、吐き気をもよおすニオイを発している西山を直視するのは難しかった。二人は、しばらく立ったままだった。

 食事を終えた頃合いを見計らって、島田が綾瀬のそばにしゃがんだ。そして、ゆっくりと話し始めた。

「綾瀬、なぎさは残念だったよ。ごめんな、あたしもイジメたりしてたからさ。いまさら謝っても償えないけど」

 ひときわ大きな屁がでてしまった。綾瀬は自分が仕出かした粗相に驚き、ハッとして島田を見た。

「帰ろう。こんなところにいてはダメだよ。またあたしたちと一緒にやっていこうや。隼人だって待ってるしさ」

 包み込むような、やさしい口調だった。島田がそのように語るのを、鴻上は初めて見た。

「なぎさも連れていくんでしょう」

 綾瀬がやっと口を開いた。ただし、目線を落としたままだ。

「なぎさは、もう死んだんだ。悪いけど、家まで持っていけないよ。もう、いたみ始めてるし、明日の朝にでも埋めるか、火葬にしよう」

 次の瞬間、綾瀬は顔をあげて島田を睨みつけた。

「なに言っているの。なぎさも一緒ですよ。ええ、もちろん一緒ですとも。帰ったらおなか一杯食べるんです。なぎさはうどんが好きですから、天かすとネギをたくさん入れて、うんと食べるんです。もう、下痢もしませんよ。だって、薬があるんですよ。私は医療にくわしいんです。勉強しました。みんなが食べ物を探している間に、一生懸命勉強しました。だから、大丈夫です。なぎさはちゃんと治しますから。元通りになりますよ。さあなぎさ、帰りましょう。帰って、自分のベッドで寝ましょうね」

 そう言って立ち上がり、西山を抱き起こそうとした。

「綾瀬、ダメだ。なぎさは、もう死んでるんだよ」

 島田が止める。しかし、綾瀬は言うことを聞かない。二人はもみ合っていた。

「いい加減にしろよ、てめえ」

 そう叫んだのは鴻上だった。

「いつまでメソメソしてんだよっ。イライラするわ。身内が死んで悲しいのはてめえだけかよ。てめえがいい子ちゃんで、悲劇のヒロインだってか。ざけんな。私だって弟を死なせてるんだ。わかってんのかっ。あいつは生きたまま焼け死んだって。助けようにも無理じゃないかっ。だって、私が屋根を持ち上げることなんてできないだろう。あいつ、姉ちゃん姉ちゃんって叫びながら死んだよ。私はなあ、私は、なんにもできなくて、ジュージュー焦げていくのを、ただ見てるしかなくて、そんで、そんで」

 喚き散らしているうちに、鴻上の涙が止まらなくなっていた。しまいにはその場にへたり込んで、悪態をつきながらワーワーと、まるで駄々をこねる子供のように泣きだした。

 天地が裂ける大崩壊が始まった時、鴻上は風邪をひいて学校を休んでいた。弟も体調がかんばしくなく、一緒に家にいた。そして大地震が起こり、瞬時に家屋が倒壊した。彼女の部屋はたまたま無事だったが、弟は屋根の下敷きになって身動きできない状態だった。すぐに火災が発生して、救うすべもなく焼け死んでしまった。目の前で、助けを乞う弟を救えなかったのだ。

「私だって家族は死んだよ。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、みんな死んだ。なぎさだって下血が止まらなくなって、私は薬もなくて、どうしようもなくて、なぎさは苦しい苦しいって」 

 綾瀬も泣き出しながら言った。かつての優等生らしからぬ、激しい号泣だった。鴻上に負けず劣らず大きな声だ。ときおり金切り声になり、あふれ出る涙の量も大概だった。 

「もういいって。もう、やめろよ。母さんを思いだしちまったじゃねえか。ちくしょう、ちくしょう」

 母の死を思い出して、島田までもが泣き出してしまった。島田家は母子家庭であったので、母の苦労をよく知っている。彼女もまた、母を救えなかったことを悔やんでいた。

「いったいなんだよ、この世はさあ。苦しいことばかりじゃねえか。こんな辛い思いをするために生まれてきたのかよ。ひでえよな。ほんと、ひでえよ」

 涙がさらに大きな涙を呼んでいた。三人は廃墟のビジネスホテルで泣きじゃくった。床にへたり込んだ女子たちの、嗚咽と慟哭がしばらく続いた。湿りきった時が経過する。

 やがてその場が水を打ったように静かになった。綾瀬と島田が立ち上がる。もう泣いてはいなかった。「なぎさは連れていきます。私は約束したんです。なぎさを見捨てないって約束したんです」

 はっきりとした口調だった。

「でもな、綾瀬。たとえ死体を家まで運んだとしても、どうするんだよ。ミイラになるまで、どこかに飾っとくのか。それはなぎさも望まないし、かえってなぎさを見世物にしちゃってさあ、冒涜じゃないかよ。腐っていく前に焼いてあげようよ。なぎさの遺骨を持って帰ろう。そんで、しっかりと供養してやるんだよ」

 島田の説得に、綾瀬は納得するしかなかった。泣いて感情を吐露したために、気持ちが整理されていた。

「そうね、ごめんなさい。島田さんの言う通りね。早くきれいな身体にしてやらなくちゃ、なぎさが可哀そうだもの」

 荼毘にふすことになった。島田は明朝にしようと提案するが、綾瀬は今晩のうちにしてしまいたいと言った。

「早いほうがいいと思うの。夜なら煙も見つからないし」

 持ち前の理性が戻っていた。温かい食事をとって、空腹を解消したことも効いていた。

「そうだね。早いほうがいいか。明るいうちに木を集めて、日が暮れたら火葬しよう」

 島田が鴻上を見た。泣きすぎて真っ赤に目を腫らした妹は、ウンウンと頷いている。

 それから三人は外に出て、瓦礫から木材を選んで集め始めた。角材や板切れなどは、そこかしこにあった。二時間ほどで、かなりの量を集めることができた。たいていの木材には釘がついていたが、抜く道具もないのでそのままだ。ただし、西山の亡骸がのるであろう個所には、きれいな木片が敷き詰められた。

 西山の遺体は、まっさらなシーツに包まれた。三人で慎重に運び出し、うず高く積まれた木材の上に、そっと置かれた。

 綾瀬は花を添えたいと、そこいらを探し始めた。鴻上が、タンポポの花を両手に一杯摘んできた。おそらく西山は食べ飽きているはずだと思ったが、綾瀬は素直に受け取り、遺体の上に乗せた。少しではあったが、そこに島田が採ってきたカワラナデシコの花も添えられた。  

 ビジネスホテルの裏庭は、具合のいいことに四方がビルに囲まれている。夜になっても、炎と煙が外部に漏れる心配はほぼなかった。鴻上がホテルのボイラー室から灯油の入ったポリタンクを持ってきて、中身を木材にかけ始めた。

「なぎさ、ごめんね」

 綾瀬が、そう言うと同時に炎が上がった。

 火はあっという間に燃え上がり、純白の骸を包み込んだ。西山の無念を燃料にしているかのように、炎は天に向かって高く高く昇っていた。三人は沈黙で鎮魂の意思をあらわしていた。もう、涙を流すことはなかった。

 遺骨の収集は次の日となった。暗い中では、人の骨を見分けるのが困難だからだ。

 翌朝、三人は遺骨拾いに集中した。

 本物の骨壺は手に入らないので、西山の遺骨はアルミ製のお菓子箱に入れられた。それは、ホテルの事務所に放置されていたものだ。

 西山はまっ白で清潔な布に包まれて、最後まで一緒に過ごした友人の腕に抱かれた。彼女たちが、ビジネスホテルを離れて歩き出した。昨日とはがらりと変わって、寒々しい天候だった。

 女子たちの足取りは自然と早くなる。綾瀬は、西山と二人で過ごした家を何度も振り返った。辛いことばかりだったが、いざ立ち去るとなると、友人との思い出が消えていくようで、後ろ髪を引かれるおもいだった。


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