第25話

「なぎさ、焼けたよ」

 綾瀬たちは、一斗缶ストーブで捕まえたカマドウマを焼いていた。部屋の窓ガラスは割れているから煙のほとんどは外に流れ出るが、それでも充分煙かった。わざわざ部屋の中で煮炊きするのは、屋外では危険なのと、暖をとる目的があったからだ。

 こんがりと焼けたカマドウマの肢をもぎ取って胴体だけにし、それを数匹皿に盛って手渡した。西山は塩を振りかけてモグモグと食べた。見た目と通名は非常によろしくないが、味自体は悪くなかった。よく焼かれているので香ばしく、食感はほぼエビと同様だった。 

 友人が味わっているのを確認してから、綾瀬も食べ始めた。綾瀬グループの今晩の献立は、カマドウマの丸焼きにタンポポ根の水煮である。ここ数日は保存食を探しあてることができず、同じメニューが続いていた。 

 二人は食事をしながら、のべつまくなく屁をたれていた。腸の中にガスが溜まってしかたないのだ。掛け布団の妖怪女子たちは、もはや行儀や作法を気にすることもしなくなっていた。

「はい、また焼けたよ」

「もういい」

 皿に載せられたものを見つめるだけで、西山は口に運ぼうとはしなかった。

「どうしたの、なぎさ。食べなきゃダメよ」

「うん、だけど今日はなんか食欲がないんだ」

「きっと疲れたのよ。ちょっと歩きすぎたかもしれないね」

 西山はわき腹や脚を、しきりに搔いている。毎日爪で引っ掻いているため、傷だらけで血が滲んでいた。症状からして疥癬かもしれないと考えたが、薬がないので綾瀬にできることはなかった。しかも、自分の手足も似たようなことになっていた。西山の下痢は相変わらず続いていて、痔の軟膏もあと一回か二回で無くなってしまう。友人の身体が心配でたまらない綾瀬は、ある決心をしていた。

 食後に、タンポポの根を焦がして作ったコーヒーを飲んでいた。布団に包まり、二人はマグカップの液体をすする。ストーブの炎に揺らされるまま、まったりと時が流れていた。

「ねえ穏香、学校の近くにあったうどん屋さん知ってる」

「知っているよ。学割で安くなるから、隼人と何回か行ったことがあるよ」 

「わたしね、あそこによく行ってたんだ。かけうどんが安くてさあ。天かすもネギも入れ放題で、いっつも山盛りに入れて、おじさんにイヤな顔されてたっけ。ダシが効いてて美味しかったなあ」

 綾瀬がクスクスと笑う。

「おかしい?」

「うん。だって、なぎさの家はお金持ちじゃないの。かけうどんじゃなくて、大きなお揚げとか、お肉がたくさん入ったうどんしか食べないとおもって」

「それはみんなにおごってた。一番高いのをおごってたんだ」

 代用コーヒーには、少しばかりのグラニュー糖が入れられている。貴重品なので量はスプーン一杯までなのだが、甘いものを食べていない二人には十分甘く感じられた。西山は、一滴一滴味わうように飲んでいた。

「なんかさあ、おごるのが当たり前になっちゃってたの。わたしね、親の方針がけっこう厳しくてさあ、お小遣いはそんなにもらってなかったんだよ。みんなの分を出したらなくなっちゃうのね。しょうがないから自分はかけうどん。でもね、おなか一杯にならないから、天かすとネギを山盛りにするんだ」

「なぎさは友達が多かったものね。私なんか、学校の外で遊んぶことなんて隼人だけだったし」

「あんなの友達じゃないよ。損得勘定でわたしにくっ付いてただけ。たぶん、本心ではわたしを嫌ってたと思う」

「そんなことないよ」

「ううん、絶対そうだよ。だってあの大災害の時に、あいつらわたしを見捨てたんだよ。一緒に行こうって言ってたのに、置いてけぼりにされたんだ。もうね、あの時は情けなくて号泣しちゃった。ああ、これで一人だって絶望したさ。近藤先生に拾われるまで、自殺してやろうかと思ってた。でもまあ、あいつら死んじゃったけどね」

 友人の話を聞きながら、綾瀬は災害で滅茶苦茶になった時期を思い出していた。人間の心の中の根源を、イヤというほど見せつけられた日々だった。

「わたしさあ、イヤな性格だったじゃない。いま思うとね、見捨てられて当然だなって。穏香にもずいぶんといじわるしたし」

「そうねえ、けっこういじわるされたかな」

 もちろん、綾瀬は怒ってなどいない。

「わたしね、いまね、すごくうれしいんだ。こんな気持ちになったのって初めてだよ」

「へえ、それはどうして」

「友達がいるから。穏香をね、心の底から友達だなあって思えるからだよ。穏香はわたしを見捨てたりしなかったでしょう。一緒についてきてくれた。それが、すごくうれしい」

「それは逆よ。なぎさが私についてきてくれたんじゃないの。なぎさがいなかったら、私は一人でさ迷っていたよ」  

 綾瀬は、西山の亡霊みたいな顔を見ていた。言いづらくなる前に伝えておくべきだと判断した。

「ねえなぎさ、明日、薬をとりにゲームセンターに行こうと思うの。下痢止めと抗生剤、あと軟膏も安定剤もあるから持ってくる。もともと私が見つけたのだから、文句はないはずよ。だから、ここで待っていてくれる。日暮れまでには帰ってくるから」

 友人の容態は、見過ごせないレベルまで悪化している。薬の投与が必須な状態だ。一緒に連れて行きたいが、西山の体力では途中で行き倒れになってしまうだろう。綾瀬自身も、ゲームセンタービルまで行くのが精一杯で、誰かに肩をかす余裕はない。

「ダメ、それは絶対にダメ、ダメだって、イヤー」

 だが、西山は許さなかった。目を大きく見開き喚きだした。掛け布団を脱いで、必死になって綾瀬にしがみ付くのだ。

「行かせないから。絶対にいかせないって」

「なぎさは病気なの。このままだったら衰弱して死んでしまう。モルヒネだってあるから、とても楽になるから」

「わたしを見捨てないで。お願いだから見捨てないで。穏香があそこに行ったら、絶対に戻ってこないよ。だって恋人がいるでしょう。わたしは一人になっちゃうんだ。また見捨てられて、一人になっちゃう」

 パニックになってしまった。彼女の心の中では、綾瀬が帰ってこないストーリーが出来あがっている。どんなに説得しようが、見捨てられるという恐怖からは逃れられないのだ。 

「うん、わかった。行かないよ。私はずっとなぎさといるから」

 西山を一人にするほうが危険だと考えた。きっとあとをついてくるだろうし、そうすると、どこかで行き倒れになってしまう。それにゲームセンターへ行ったところで、薬を手に入れられるかは、正直いって微妙なところだ。

 新妻は情に厚く、仲間のためなら命をかけるが、そのかわり身内以外には冷淡なところがある。綾瀬は、もはや家族ではなくなった。あれだけプライドを傷つけることを言ったので、ひどく怒っているはずだろう。貴重な医薬品を、すんなり渡してくれるとは思えない。

 人の情は良い悪いでは動かない。終末の世界で散々鍛えられて、綾瀬に甘い考えは毛ほどもなかった。十文字隼人に会いたいのは本音であるが、過分な期待を持たないほうがいいいだろうと、自らを諌めた。

「じゃあ、明日は一緒に薬を探しましょう。あそこには戻らないから安心して」

「うん、うん。ありがとう、ありがとうな、穏香」

 泣きじゃくる西山を抱きながら、明日はせめて痔の軟膏ぐらいは見つけようと固く決心した。

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