第24話

 天候は、一日一日が四季を体現するように極端になっていた。

 熱帯のように暑いと思ったら、次の日は木枯らしが吹きつけて、寒さが膀胱を直撃したり、また次の日はポカポカと春のような陽気となった。二日ほど小雪がちらついた後、朝には気温が一気に上がり、昼にはまた寒風が吹きさらした。人の身体もついていくのがやっとこで、畑の作物にとっては死活問題だった。

「ぜんぶ、枯れちゃった」

 森口の眼下には、十センチほどに育ったトウモロコシの苗が並んでいる。ただし、すべて黄色く枯れ果てていた。

「昨日、一昨日の寒さにやられたみたいだな。雪が降っていたからしょうがないよ」

「ちゃんと薬も撒いたのに。寒さに強いはずだったのに、ちくしょう」

「いくら遺伝子をいじくっても、雪が降ったらどうにもならないって。また植えればいいよ」

 落ち込んでいる森口を、新妻が慰めていた。

「とうきびとかはやめて、寒さに強いのを植えたほうがいいんじゃないか」

 穀物類は安定した天候が欠かせない。新妻は、多少の寒さでも育つもののほうがいいいと考えていた。

「それは無理」

「無理って、諦めちゃだめだろう。ダイコンとか白菜だったら、少しぐらい寒くても大丈夫だ。たしか種もあったはずだし」

「この薬を撒いたらね、ほかのものは無理なの。遺伝子操作のトウモロコシ以外、ぜーんぶ芽も出ないんだよ」

 森口は、なぜか嬉しそうに言うのだった。

「え、そうなのか」

 新妻は、綾瀬が言っていたことを思いだした。その農薬を使うと畑がダメになってしまうと彼女は訴えていたが、大げさに言っているだけだと思っていた。そういえば、雑草類がまったくないことに気がついた。

「青物がならないのはマズいな」

 ビタミンや繊維質が足りなくなると、栄養状態が偏ることになる。ただでさえ便秘気味の女子が多くて困っているのだ。  

「まだ大丈夫だよ。業務用のミックスベジタブルの缶詰がたくさんあるし。ビタミン剤もあるし」

「え」

 新妻は驚いた。それは寝耳に水だったからだ。

「だって、もう底をついているんだろう。食い物はカスカスで、だから辛抱していたじゃないか」

「まだまだあるよ。私、けっこうへそくり上手なのよ」

 森口に悪びれる様子はなかった。かえって、どうだと言わんばかりに腰に手を当てて胸を張っていた。

「裕子、いったいどういうことだ。食料がなくなっているんじゃないのか」

「あははは。そんなわけないじゃんか。私を誰だと思っているんだよ。しこたま溜め込んでるんだっての。キャハハハ」

 声の調子が甲高くなっていた。あきらかに普段の森口ではない。

「毎日毎日、鍋の底をほじくるバカがいなくなってせいせいしたろう。クッソ真面目な優等生もいなくなって、一石二鳥だってよ。あんただって内心そう思ってんだろう。あのクソ女がいたら、いつ自分が蹴り落とされるかわかんねえからなあ。ああーん、そうなんだろう」

「おまえ、なにを」と言ったところで、新妻はようやく気づいた。

 森口の目が血走っているのだ。常人のそれでないのがすぐにわかった。これは会話をすること自体が無理だと悟った。

「千早姉さん、ちょっといいかな」

 そこに十文字がやってきた。喚き散らしている森口をいぶかしく見ながら、喫緊の要件を伝えようとしていた。

「あとにしてくれ」

 先に森口の相手をしなければならない。ことと次第によっては、力づくになりそうだ。

「兄さんたちがおかしいんだよ。すごく具合が悪そうなんだ。修二兄さんは、ずっと寝たまま目が覚めないし、田原兄さんなんか吐いてるし」

「なんだって」

 優先順位が変更となった。新妻の関心は、全力で男子たちへと向かう。

「來未、なんでここにきてるんだ。田原は動けないんだよ。吐いているんだったら窒息してしまうって」

「それは大丈夫だよ。万里子姉さんが看てるから」

 小牧一人では、まったく不安である。一刻も早く男子たちのもとへ行かなければならない。

「裕子姉さんはどうしちゃったんだよ。なんか、おかしいよ」

「裕子は放っておくよ。とにかく男子たちの部屋へ行こう」

 新妻は走り出した。十文字も遅れずについて行く。一人残された森口は、畑の土を足のつま先でほじくりまわしてゲラゲラと笑い続けていた。



「田原、大丈夫か。どんな調子なんだ」

 男子たちの部屋へやってきた。真っ先に、田原の様子を看る。彼の顔色は真っ青だった。

「うう~ん、なんか、ものすごくイヤな気分なんだよ。こんなのは生まれて初めてだ。少し吐いてしまったし」

 具合は悪そうだが、言葉使いはハッキリとしている。致命的な症状ではないと判断できた。

「おまえたち、なんかヘンなものでも食ったのか」

「まさか。さっき森口さんが注射してくれたんだけど、たぶん、そん時の薬の量が多かったんだと思う」

 田原の指摘は正解だった。森口は規定量を超える投薬をしていた。

「修二が起きないんだ。姉さん、そっちを看てくれよ」

 修二のベッドの前に立った新妻は、彼の寝顔に耳を触れんばかりに近づけた。

「大丈夫だ、息はしているよ。寝ているみたいだ」

 修二の容態も落ち着いているようだ。

「千早姉さん、これはどういうこと? 大丈夫なの」

 十文字來未は、まだ状況を理解できていなかった。

「薬の中毒っぽいけど、私じゃよくわからん」

 綾瀬がいればと口に出しかけたが、なんとか押しとどめた。

「隼人のほうはどうだ」

「あんちゃんは薬を打たれてないみたい。裕子姉さんがミスったってことなの」

「いいや、わざとやったんだろう」

「え、なんで」

「裕子はおかしくなっているよ。たぶん、心の病だ。さっきの様子じゃ、けっこうきているみたいで、ちょっとあぶないな。もう治療をさせるのは無理だろう」

 リーダーは、森口が使いものにならなくなったことを告げた。

「食べ物がカスカスってのもウソだよ。まだまだ備蓄があるらしい」

「そうでしょう。そんなにすぐになくなるはずないと思ってたんだ」

 備蓄のことに関して、ずっと疑念を抱いていた小牧は、やっぱりという顔をしていた。

「義之はどうだ、具合が悪くないか」

「おれもなんとか大丈夫だよ。それより森口さんはどこにいるんだ。一人にして大丈夫なのか」

「裕子は畑にいるよ。あとで薬を飲ませるさ」

「友香子姉さんが、いればよかったのに」

 そう言ったのは天野だ。騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。

「いや、友香子がいないのはラッキーだったよ。修二にもしものことがあれば、あいつは見境いなくなるからな。親友でも容赦しないだろう」

 島田と鴻上は食料調達に外出している。遠出しているために、帰りは日没ギリギリを予定していた。

「みんなはここにいてくれ。私は裕子を連れてくるから」

「千早姉さん、私も行くよ。おそらく力づくになるだろうからさ」

「ああ、たのむよ」

 新妻と十文字が畑に行くと、さっきとは打って変わって、森口は泣き崩れていた。彼女の精神は著しく不安定になっていた。躁鬱状態の典型で、もはや正気を保つことは困難だ。

 新妻は、森口から食料貯蔵庫のカギをぶんどった。それから彼女を自室に戻し、精神安定剤を飲ませて寝かせた。

 十文字と小牧と天野を引き連れて、食料を確認しに行く。倉庫の中には、当分の間は心配ないほどの量が確保されていた。カギと食料の管理者は小牧となり、森口の容態が落ち着いたら、他の保管場所も訊きだすことになった。

 グリーンピースの巨大な業務用缶詰を手に取りながら、綾瀬や西山との確執はなんだったのだろうと、歯ぎしりしながら自問する新妻だった。



「友香子姉さん、どうですか」

「いや、ここにはあんまりいないなあ」

 島田は、住宅地の小川に仕掛けて置いたカゴを引き上げていた。中には小さなザリガニが一匹と、小指ほどのアブラハヤが数匹入っている程度だった。カゴは他に二つほど引き上げていたが、獲物は似たり寄ったりの内容だった。

「この川にはたくさんいると思ったんだけど、ハズしちゃったなあ。これじゃあ、スープの出汁にもならんよ」

「だから、公園の池の方がいいと言ったんですよ。あそこならブラックバスもブルーギルも、ウナギだっているかもしれないし」

「あそこはひどいニオイだぞ。ウンコみたいじゃないかよ。この前のドブ貝でこりたからな」

 島田は、できるだけきれいな場所で獲りたいと考えていた。

「もう一度、かごを仕掛けますか」

「いんや、ここは薄いし無駄だろう。それと、そろそろ帰らないと日が暮れちゃうし」

「そうですね。今日のところは退散しますか」

「ううー、それにしても冷えてきたな」

 カゴをたたんだ二人は家路につくことにした。木枯らしが吹くほど気温が下がっていたので、制服の上にコートを着ていた。寒い寒いと愚痴りながら、道具と武器を背負って歩きだした。

「あ、そうだ。この先にスーパー銭湯があったっけ」

「ありましたね」

「ちょっと、そこに寄ってもいいかな」

「あそこもメチェメチャになってますよ。お風呂なんて入れないですって」

「唯、あたしをバカにしてるのかよ。そんなことはわかってるって。シャンプーがなくなったんだよ。ついでだから仕入れていきたいんだ」

 銭湯には石鹸やシャンプーの類が売られていた。建物は崩れ落ちているが、探せば一つくらい見つかるかもしれない。

「私もトリートメントがなくなってしまったんです。行きましょう」

 二人の利害が一致した。少々遠回りとなるが、寄り道することになった。

 二十分ほど歩くと、スーパー銭湯の廃墟が見えてきた。しぜんと早足になるが、島田の歩みが急に止まった。そして鴻上の腕をつかんで素早く動いた。建物の陰に隠れて呼吸を整える。背負っていたカゴを降ろして、日本刀に手をかけた。鴻上も小銃を手にする。

「誰かいましたか」

「ああ、誰かいる」

「ちょっと、見てみます」

 鴻上の小銃には、いつもの近接用のダットサイトではなく、遠距離狙撃用のスコープが取り付けられていた。河原でイタチでも見つけたら仕留めるつもりだった。

 鴻上がしっかりと小銃を構えて、スコープを覗いている。

「どんな奴だ。人数は」

「あれは」

 見覚えがあった。鴻上は思わず叫んでしまった。

「綾瀬さんですよ。その横にいるのはなぎさ姉さんです」

「声が大きいぞ、唯。え、マジか」

 綾瀬と聞いて、島田はすぐにブルベイカーグループがいるものと判断した。  

「二人のほかは」

「いいえ、どうやら二人だけですね。しかも、ヘンな格好してますよ」

「ちょっと、それ貸せよ」

 いてもたってもいられず、島田は鴻上から小銃をぶんどると、代わりに自分の持っていた日本刀を手渡した。

「友香子姉さん、実弾が入ってますから間違っても撃たないでくださいよ。いちおう、セーフティーはかけてますけど」

「うんなこと、わかってるよ」

 スコープの中には、スーパー銭湯の瓦礫の野でうろつく綾瀬と西山の姿があった。

「間違いないな。にしても二人だけでなにやってんだよ。ほかの連中はどうした」

「他に人の気配はないです」

 鴻上はウエストポーチから小さな双眼鏡を取り出して、周囲360度を警戒していた。

「唯、いいモノ持ってるじゃねえか」

「あげませんから」

「いらねえよ」

 二人は、しばし観察を続けた。

「どうします。挨拶しにいきますか」

「いいや、ブルベイカーたちがいるかもしれないし、それはやめておこう」

「じゃあ、このまま帰りますか」

 どうしようか迷ったが、島田はもう少し様子を見たいと思った。鴻上も賛成だった。

「それにしても、あの二人は何をしてるんだよ」

「地面を見てますから、ネズミでも探してるんじゃないですか」

「ネズミを素手で捕まえるとか、無理ゲーだろうって」

「じゃあ、ほかの何かですかねえ」

「なにかって、なんだろうな」

 双眼鏡とスコープ越しでは、視野がどうしても限定されてしまう。二人が探しているものを確認できない。

「よし、もう少し近づいてみるか。うまい具合に風が吹いてるから気づかれないだろう」

「そうですね」

 木枯らしの音に紛れて、二人はそうっと接近していった。スーパー銭湯の横にあるコンビニのゴミポストに身を隠した。タイミングよく風がやみ、ゴミポストの隙間から覗き見を始めた。雑音がないので、綾瀬と西山の会話が、かろうじて聞こえてきた。

「ほら、なぎさ、そっちよ。そっちにいった」

「うん、うん」

「なぎさ、違う違う、そっちよ」

「うん」

 綾瀬が地面を指さしながら大きく掛け声をかけると、西山がフラフラと動いていた。いきなりしゃがみ込んで、地面を叩きつけるように手を出した。

「つかまえた」

「ナイスよ、なぎさ」

 西山がなにかを捕まえたらしく、左手にゲンコツをつくっていた。綾瀬が駆け寄り、トートバッグを差し出した。拳が袋の中に入ると同時に手を引っ込めた。袋の口は、しっかりと閉じられている。

「あの格好、セーラー〇ーンですね。私、大好きだったんです」 

「しっ」

 島田は緘口を求めたが、鴻上はしゃべりたいようだ。

「綾瀬さんはセーラー〇ーキュリーで、なぎさ姉さんがセーラー〇ーン、月〇うさぎですね。片手のセーラー〇ーンって、なんか萌えますよ。綾瀬さんは、やっぱり知的な感じかなあ」

「唯、ちょっと黙ってろよ」

 綾瀬と西山はセーラー〇ーンの衣装を着ていた。あきらかにコスプレ用なので、見た目は派手だった。 

「二人して銭湯の廃墟でセーラー〇ーンしてるなんて、どういうことですか。ブルベイカーさんの指令ですか」

「あたしが知るかよ」

「あんな格好して寒くないんですかね」

「そりゃあ、寒いだろうさ」

 コートを着て丁度いい気温である。肌を露出させたコスプレ衣装は、けっこうな寒さだろう。

「綾瀬さん、痩せてませんか」

「なぎさもだよ。ちょっとひどいな」

 セーラー戦士は痩せこけていた。拒食症患者のように頬がこけて、その露わになった腕や脚も存分に細くなっている。また頭髪も乱れていて、電気ショックでチリヂリに焼けたみたいに潤いがなかった。まるで、幽鬼や飢餓鬼がコスプレ衣装を着ている感じで、華麗なる正義の味方という要素を一ミリも見出せなかった。

「だいぶとったね」

「うん、わたし頑張ったから」

「なぎさは偉いね」

「うん」

「じゃあ、帰ろうか」

 目的を達成したのか、二人はその場を去るようだ。綾瀬は、傍らに置いてあった掛け布団をマントのように羽織った。そして、同じものを西山にも着させた。掛け布団は両端に紐がついており、それを身体の前で縛り、ずり落ちないように工夫されていた。

「あれ、布団ですよね」

「布団だな」

「なんで、布団をかぶってるんですか」

「そんなの決まってるだろう。寒いからだよ」

 布団をかぶったままだとさすがに動きづらいので、二人は脱いで作業していたのだ。 

「唯、あの二人がなんでコスプレしてるかわかっただろう」

「いいえ、見当もつきませんけど」

 島田は、ふー、とため息をついた。

「着るものがないんだよ。コートが無くて布団を被ってるくらいだからな。あいつら、制服だけで出て行っただろう。パジャマもジャージもないんだ。四六時中制服を着ていたら、汚れるし傷んじゃうからな。着替えは絶対に必要だし、洗濯したら着るものがなくなっちゃうし」

「だからって、コスプレ衣装ですか」

「あたしらだってパンツ一枚見つけるのに苦労してるんだ。おそらくコスプレショップで見つけたんじゃないか。あたしの結婚式のドレスと同じで、ああいうものは誰もとらないだろう」

 役に立つ物資は誰かにとられている。残っているのは、必要のないものかキワモノなのだ。

「でもヘンですよ。ブルベイカーさんのところに、服のストックぐらいあるはずですって」

「二人はブルベイカーのところにいないんだろうさ」

「まさか」

「あの姿が何よりの証拠だって。ホームレスよりホームレスじゃないかよ。おっしゃれでハリウッド女優なブルベイカーが、あんな格好させるかって。しかも二人とも激やせだろう」

「言われてみれば確かにそうですね。あの瘦せかたは、食べてないってことですね」

「食べれてないってことだな」

 綾瀬と西山がスーパー銭湯から離れていった。痩せこけた女二人が、掛け布団を身体に巻きつけて歩いてゆく。とても異様な光景であり、彼女らのオーラは滑稽さと惨めさで満ち満ちていた。とくに西山の足取りは酔っ払いのように危うく、確固とした芯がなかった。綾瀬に寄り添わないと、真っ直ぐ歩けない。

 島田と鴻上は、二人が去ったあとの地面を調べていた。なにを探していたのか知りたかったのだ。

「唯、なにかいるか」

「いえ、特にこれといってはないですねえ。あ、バッタがいますよ」

 足元でモソモソと動いている昆虫を発見して、鴻上が捕まえた。島田がやってきて、さっそく検分する。

「大きなバッタです。いや、コオロギかな」

 マダラ模様で翅がなく、胴体が太いそれを手のひらにのせて、しげしげと見ていた。

「綾瀬さんたち、これを捕まえていたんですね。そこらにチラホラいますから」

「ああ、そうみたいだな」

 島田も、すぐに発見することができた。寒さで動きが鈍くなっているために、跳ねまわったりはしなかった。

「こんな大きなコオロギ、初めて見ました」

「唯、それはコオロギじゃないって」

「え、じゃあなんですか」

「カマドウマだよ」

「カマドウマって、なんですか。コオロギと馬のあいの子ですか」

 キョトンとしている鴻上に、島田は衝撃の事実を告げるのだ。

「うちの田舎のばあちゃんの家によくいたよ。別名、便所コオロギだ」

「便所コオロギって、うわああ」

 鴻上は、それを慌てて放り投げた。とびきりの不快害虫を触ってしまったのだ。すぐに手のひらのニオイを嗅いで、コートになすりつけていた。

「なんかそれ、聞いたことがあります」

「便所や風呂場によくわくんだよ。こびり付いた垢やウンチを食べてるって話だけど。ここは銭湯跡だから、エサがたくさんあるんじぇねえか」

「イヤー、キモい」

 両手で身体を締めつけながら、鴻上が地団駄を踏んでいた。

「なんだって綾瀬さんたちは、こんなもの捕まえていたんですか」

「そりゃあ決まってるだろう。食うんだよ」

「え、便所コオロギをですか」

 信じられないといった表情で姉を見ていた。

「綾瀬は食い物探しをほとんどしたことがないし、なぎさも片手になってから留守番ばっかだったから、魚やザリガニをとったりできないだろう。銃がないから野良猫を撃ち殺すこともできないし。こんなものしかないんだろうさ。それに虫って案外栄養があるって話だし」

「・・・」それ以上、鴻上が言うべきことはなかった。

 二人はしばし、その場で考えに耽っていた。シャンプー探しをすっかりと忘れている。

「帰るぞ、唯」

「あ、はい」

 彼女たちも帰ることにした。

 島田の足は、みじめの極みにいる綾瀬や西山より重いものとなった。あの利発で可愛らしく人一倍プライドの高い綾瀬が、みるも無残な姿になっていた。チリヂリの頭髪で骸骨のように痩せこけ、掛け布団を被って徘徊している。それはまるで異常者か妖怪の姿だ。

 彼女を知る者にとっては、心のまっさらな個所を抉られるような気分だった。あの姿を思い出すたびに、自分の良心が奈落の底へ沈んでいくような感触を味わうのだ。むしろ自らがそのような運命になっていたほうが、気が楽だった、とさえ思っていた。

 はたして彼女たちが出ていく必然があったのか、自分たちはボタンを何段もとばして掛けているのではないか。すっかり暗くなった廃墟の街を早歩きしながら、島田は考えずにはいられなかった。



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