第21話

 追放の身となった綾瀬と西山は、午後の廃墟をさ迷っていた。

 なにも持たないで追い出されてしまったので、まずは、今夜の寝る場所を確保することが優先された。雨が降ってきそうなのと、無防備のまま歩き続けるのは体力のムダな消耗となるばかりか、野犬に襲われたらひとたまりもない。食料や生活物資、武器のたぐいを探すのは、明日以降にするつもりだった。なによりも興奮した精神を落ち着かせ、ぐっすりと眠る寝床が必要となる。

 しかし街の建物群は、猛烈な空爆で破壊され尽くされたように荒廃しきっている。ネグラは地震にも耐えられて、なおかつ病気を忌避できるほどに衛生的であり、さらに水場に近いことが要求される。トイレが水洗であり、バケツの水でも流せるのなら文句なしだが、そんな都合のいい場所が、そう簡単に見つかるわけがない。

 なんとか原型を留めている小さなビルやマンション、店舗などを探し続けた。夕方から雨が降ってきたが、もちろん雨具などはもっていない。濡れては大事になってしまうので、急ぎ雨合羽となるモノを探した。

 倒壊したラーメン屋の軒先で、大きなポリ袋を二つ見つけたので、首と手を出す穴をあけてポンチョ代わりとした。袋の中身は古き日の生ごみであり、しっかりと口を縛られていたために中身を出すと相当な悪臭だった。とにかく雨具となるものはそれしかなかったので、水たまりで泥をなすり付けて洗ったが、厳しいニオイをつけたままの着用となった。

 日が暮れてからもしばらく歩き回り、ようやく寝床になりそうな場所を見つけた。そこは廃ラブホテルだった。一室だけ天井が崩れていない部屋があり、雨風や寒さを、なんとかしのげそうだ。内壁は穴だらけで床も存分に散らかっていたが、大きなベッドと布団がある。二人が並んで寝ても、十分な余裕があった。部屋に備え付けの懐中電灯がまだ生きていたのが、この日一番の幸運だった。

「なにも、私についてくることなかったのに」

 綾瀬は、まっすぐ天井を見ている。友人を巻き込んでしまったことに責任を感じていた。寝返りをうった西山が、友人の横顔をじっと見つめている。

「わたし一人で、あそこにいられるわけないよ。そのうちみんなからシカトされて、食べ物もくれなくなるって。ねえ、知ってた、私の分だけ量が少ないの。汁だけ同じ量で、中身がスカスカだったんだよ」

「うん、知っていたよ。だから、こっそりとあげていたのよ」

「うん、ありがとう、穏香」

 二人はお互いの手を握り合っていた。空腹が容赦なく襲ってくる。とくに西山のお腹は、悲鳴に近かった。

「お腹すいたね。このホテルのどこかに乾パンでもないかなあ」

「今日はもう遅いから寝ましょう。明日は、朝からいろんなものを探さないといけないよ」

「うん、そうだね。寝ようか」

 一日中歩き続けて体は相当に疲れていた。ややしばらくすると心が落ち着いてきて、眠りの衝動が、二人を奈落の底へと引きずり始めた。空腹も睡魔には勝てないようで、二人は微睡の海へと徐々に落ちていった。



 翌朝、綾瀬と西山は、まだ暗いうちから起きた。まず初めに水場を確保しなければならない。ゲームセンタービルでは、雨水を洗濯やトイレに使っていたが、飲み水は神社の湧水を使用していた。あそこまで水を調達しに行くには距離があるし、新妻たちと顔合わせになるのは避けたかった。

 昨日、ラブホテルの外に置いておいた洗面器に水が溜まっていた。雨水ではあるが、綾瀬はいちおう消毒してからと考えていた。さて、どうやって沸かそうかと思案していると、西山がグビグビと喉を鳴らして飲んでしまった。

「うまいー」

「だめよ、なぎさ、煮沸してからじゃないと。洗面器だって汚れているのだから」

「雨水だから平気だよ。洗面器は昨日洗っておいたし。それに沸かすにしても、鍋もなければコンロもないでしょうに」

「そうだけど。お腹こわしてもしらないから」

 ゲームセンタービルを出て行くとき、下痢止めや解熱剤など基本的な常備薬を持ってきたかったのだが、自室への入室を拒否されたためにできなかった。

 下痢や風邪を甘くみると大病に繋がることがある。とくに、二人は仲間から追放されてホームレス同然の身である。健康には、くれぐれも注意深くないと命取りになってしまうと、綾瀬は心配していた。

「水だけじゃあ、お腹いっぱいにならないよ。早く食べ物を探そうよ」

「あ、まって、なぎさ」

 右腕を失ってから、ゲームセンターでの西山の役目は留守番と掃除に洗濯である。食料探しをしなくなって久しい。だから、その苦労が身体から抜けきっていた。まるで遠足でも行くかのように楽しげだった。

 これからの生活はとても困難なものになると、綾瀬は気がついていた。彼女にしても、薬探しは得意だったが、食料のことは門外漢なのだ。

 物資探しを始めてすぐに、鍋と食器類、塩などの調味料を見つけることができた。しかも、すべてがラブホテルの事務所兼台所にあったので、手間がかからなかった。ただし、食べ物はそう簡単には見つかりそうもなかった。

 近所の廃屋やマンションを探したが、缶詰一つ見つけることができなかった。塩やコショウではさすがに空腹が満たされないので、午後は植物採集に切り替えた。

 この辺で食べられそうな野草は、アザミとタンポポ、オオバコくらいしかないが、道端や空き地のどこにでも生えているので手に入れやすかった。とくにタンポポは大きな株があちこちにあり、極太の根が採集できた。それらは、もはやゴボウであり、とにかく空腹な二人は、土まみれになりながら掘り返した。結果、持ち切れないほどの量を確保した。

 ポータブルのガスコンロでもないかと探したが、見つけることはできなかった。ラブホテルにはプロパンガスのボンベがあったが、壊れていて使用不能な状態だ。二人は錆びついた一斗缶を見つけ、側面に穴をあけてストーブを作った。木片を入れて火をおこす。幸い、ホテルの名を冠した使い捨てライターが山ほどあったので、着火は容易かった。

 綾瀬グループの本日の献立は、野草だけのスープだ。味付けは塩コショウだけだが、タンポポの根はたくさん入っていた。それはもうスープなどではなく、タンポポ根の煮物だった。

「ねえねえ、やっぱり屁の元は美味しいね。ほとんどおイモみたいだもんね」

「でも、これだけ食べると、オナラが出ちゃう」

「布団の中でのオナラは禁止だからね。罰金ものよ」

「なぎさの方こそ、絶対にやめてね」

「うう~ん、これだけ食べると出ちゃうかな。てへ」

「こら」

 二人だけの夕食だった。内容は貧しくとも、久しぶりにリラックスして食べることができた。とくに西山は上機嫌で、鍋の残り汁を最後の一滴まで、さらに底の方に残っていたコショウの一粒まで平らげた。

「ごちそうさま。なんとかお腹がふくらんだよ。スープの塩加減が、バッチリだった。さすが、穏香は料理がうまいよ」 

「今日は菜っ葉だけだったけど、明日はもっと栄養があるものを探さないと」

「ご飯食べたいね。ほっかほかの白飯」

「どこかに、保存用のアルファ米でもないかな」

 その日も二人は早めに床についた。照明器具が懐中電灯だけなので、起きていてもやることがない。

 ベッドで横になっても、明日からはどこを探せばよいか、綾瀬は考えすぎてなかなか寝つけなかった。ある程度空腹を満たされた西山は、ぐっすりと眠っている。

 彼女は滅多に外に出ていなかったので、たまに一日中歩き続けると体力を著しく消耗してしまう。食事の量だけではなく、質も向上させていかないと西山はもたないだろう。綾瀬はときおり寝返りをうちながら、腸の中にわだかまったガスを暴発させる友人を、重たい気持ちで見つめていた。



 最近、夫の顔色が良くなっていることに、島田の気持ちはほころんでいた。夕食のオカズであるザリガニの殻をむいては、そのプリッとした身を彼の口の中に放り込んでいた。

「ここんところ、調子いいみたいね」

「ああ、薬が効いているのかなあ」

 医療担当の綾瀬がいなくなって、男子たちの看病は森口に任されていた。彼らに対する投薬の量はかなり増やされている。修二だけではなく、田原と義之も調子がよさそうだった。十文字隼人は相変わらずだが、それでも意識がある時は会話に参加できるようになった。

「裕子がお医者さんの才能があったのに、ちょっとびっくりだわ。これなら最初っからやってればよかったのに。綾瀬って、意外にヤブだったんだよ」

「友香子、あんまり悪く言うなよ。綾瀬さんだって、親身にしてくれていたよ」

「ま、まあ、そうだけど」

 綾瀬と西山が出て行ったことを、修二は歓迎していない。ただ、そのことで妻や他の女子たちを責め立てることはしなかった。

「いまごろ、どうしてるんだか」

「心配ないよ。ブルベイカーのところで医療担当として重宝されてるんだって。まあ、ヤブだけど」

「友香子っ」

夫がたしなめた。妻はペロっと舌を出して悪びれている。

「ブル姉さんのとこって、どんな感じなんだろう。外国人ばっかなんだろうから、話をするのもめんどいなあ。まあ、綾瀬さんならうまくやると思うけど」

「あの女は相変わらずの鉄仮面で、ふてぶてしく居座ってるんだよ」

 田原の問いに、十文字來未が率直な意見で返した。彼女は田原と義之のベッドの間にいて、茹でザリガニの殻をむいていた。

「まだ高校の校舎にいるんだろう。よくあんな広いとこを守りきれるなあ。あのときブル姉さんだって諦めて出てきたのにさあ。また戻るなんて」

「最近じゃあ、めっきり人もいなくなったからさ。襲ってくるヤツがいないんじゃないの」

「あっちもこっちも、どんどん人がいなくなってるよな。この国っていうか、地球はどうなってしまうんだろう」

 修二は、本気でこの星の行く末を危惧しているようだ。妻が笑みを浮かべている。

「人類滅亡なのさ」

「根暗なこと言うなよ。テンションが下がるだろう」

 達観したように言う義之に向かって、十文字來未がザリガニの尻尾を投げつけた。

「俺はザリガニが食えるだけでもありがたいけどな」

 そのザリガニの頭部をチューチューと啜っている田原は、ご満悦だった。

「ところで友香子、食料調達の方はどうなんだ。うまくいってるのか」

「前とたいして変わらないよ。あったりなかったりさ」

 食料探しは喫緊の課題なので、以前にもましてあちこち探し回っているのだが、収穫量はさほど変わらなかった。

「港には何かあると思ったんだけど、スカだったしなあ。ああ、ちっくしょう」

 港湾区域への遠征は泊りがけとなった。しかし、岸壁の倉庫群は瓦礫ばかりで、缶詰などの食い物を見つけることはできなかった。

 海で、かろうじてメバルやアジを数匹釣り上げることができたが、遠征隊のその日の夕食にも足りない始末だった。十文字來未は大きく期待していただけに、落胆も大きかった。

「ブル姉さんたちは、どうやってるんだろうな」

「ブルベイカーは犬みたいに鼻が利くからね。ほんと、あの顔でさえずるいのに、ほかにいろんなこと出来ちゃってさ。神様は不公平だって」

「やいてるのか」

「そんなんじゃないよ」

「あそこって、どれくらいの人数がいるんだよ」

「さあ、あたしもわかんないよ。まえ見た時は十人くらいだったかなあ。なんか、女ばかりだって話だけども」

 田原の問いに対する答を、正確に知っているものはいない。

「それって、女の園じゃないかよ。俺、いきてええなあ」

 冗談を言う田原に、十文字來未がザリガニの殻をぶつけた。

「スケベバカ」

 ハハハと笑って誤魔化していた。部屋の中の雰囲気が緩くなった。修二は気になっていることを話すことにした。

「なあ、友香子」

「その話はダメ」

「まだ本題に入ってないぞ」

「言わなくてもわかる。ブルベイカーのとこと合流するって話でしょう」

「実はそうなんだ」

「前にも言ったけど、あたしたちには、その気がないの。まったくない」

「だけどなあ、こっちは人数が少なくなってるし、やっぱり綾瀬さんを失ったのは痛いって」

「へえ、綾瀬がいいんだ。そうよねえ、毎日看病してもらったからねえ。あたしより美人だしさあ」

「あのなあ、友香子。俺たちは夫婦なんだぞ」

 島田は不貞腐れた表情をしていた。綾瀬の名前を口にしたのは失敗だったと気づいたが、時すでに遅しである。

「とにかく、あたしたちはブルベイカーとは一緒にならないよ。何度言われても考えは変わらない。そんなに綾瀬が恋しいんだったら、手紙かメールでもすれいいじゃん」

 さもプリプリとした態度のまま、島田が出て行ってしまった。

「ほんと、男はエロくてどうしようもないわ」

 十文字來未も退室した。

「あーあ、まだ食ってる途中なのに」

 そう言うと、残りのザリガニを食べるために、ほとんど動かない上半身を無理に引き起こした。

「うぐう、くう」

 身体中のいたるところに痛みが走るために、田原は難儀していた。

「そんなに食いたいのか」

 修二がベッドを降りた。松葉杖をつきながら、つい、いましがたまで十文字來未が座っていた椅子に腰を下ろそうとしたが、背中に激痛が走って悶絶していた。

「なあ、修二。俺たちはお姫様が世話してくれないとエビも食えないんだぜ。なんとも情けないなあ」

 親友の自虐的な冗談に、腰をおさえた修二がウンウンと頷く。

「田原、ザリガニだから」

 義之から空気を読まぬツッコミが入ったが、あえなく無視されてしまった。


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