第19話
新妻と十文字がゲームセンタービルに帰ってきた。ほかの四人もすでに帰宅している。大広間に、男子を除く全員が集合していた。島田はザリガニと巨大な淡水貝を獲っていて、テーブルの上に自慢げに並べた。
「どうだい、このシジミ、ジャンボだろう。しかも十個もあるんだ。今夜はシジミパーティーだよ」
「これ、シジミじゃなくて、ドブ貝だよ」
万里子が冷静に指摘する。
「なんでもいいじゃんかよ。とにかくデカいんだからさ」
「これまたずいぶんとおっきいなあ。万里子の尻より大きんじゃないか」
場を盛り上げようと新妻が茶化すが、小牧はとくに反応を示さない。
「ちなみにこれ、もの凄く臭いんだけど、大丈夫ですか。やっぱ捨ててきた方がよかったんじゃないですか」鴻上がイヤそうな顔をしている。
ドブ貝は、水がよどんだ溜め池から獲ってきた。相当に汚れているために、自然と貝も臭くなっていた。
「ニオイくらいなんだよ、少し生臭い程度だろう」
そう言って、島田はドブ貝の合わせ目付近に顔を近づけてニオイを嗅いだ。
「オエー、くっせ。なんだよこれ、ウンコじゃないか」
「だから言ったんですよ。臭すぎるって」
汚い溜め池に裸足で入り、嬉々とした島田がドブ貝をほじくり出していた光景を、鴻上は思い出していた。そこにいるみんなが、ドブ貝のニオイを嗅ぎ始めた。
「うん、これはすごいわ」
「これ、ちょっと食べられそうもないなあ」
「どうします、捨てちゃいますか」
ドブ貝のあまりの悪臭に、多少の悪食には慣れているはずの女子たちも引き気味だった。
「大丈夫よ、西山さんが全部食べてくれるから。普段から役にたってないんだから、なんでも食べて貢献してくれるでしょう。私たちは違うものを食べれば、一人分節約できるし」
さも憎々しげに言う森口に西山が突っかかって行こうとしたが、合間に綾瀬が入って止めた。相手にしてはダメだと目で言いきかせた。西山は大きく息をして、心を落ち着かせようとする。森口がさらに言おうとするが、珍しく小牧が気を利かせてしゃべりだした。
「たぶん大丈夫だよ。しばらく神社の水でドロ抜きをしてから煮ればいい。干物にしたら、きっといいダシが出ると思う」
「ちぇっ、せっかく海鮮鍋にしようと思ったのに」
「友香子姉さん、それより足を洗いましたか。あの水、相当臭かったです。友香子姉さんの足も、きっと臭いはずですよ」
「んなことねえだろうよ。って、くさーっ。あたしの足、すんごいウンコ臭いんだけど」
島田が珍妙な体勢で足の指のニオイを嗅ぐと、クスクスと笑いが起こった。
「裕子たちの収穫はなんだよ」
「じつはね、すごいものを見つけちゃった」
森口が、足元に置いてあった物をテーブルの上にあげた。紙袋が一つと、小さめなポリタンクだった。
「裕子、なんだよそれは」
「じゃじゃーん。これはねえ、なんとトウモロコシの種なのです。志奈ちゃんがホムセンの倉庫で見つけてきたんだよ。すごいでしょう」
自慢げな森口とは対照的に、天野は少しばかりうつむいていた。恥ずかしいのか、皆に視線を合わせようとはしなかった。
「トウキビかよ」
島田が袋を手に持って重さを調べていた。一キロあればいいところだろう。
「たぶん、あの倉庫を探せばまだあるよ」
「でもこれだけだったら、スープの具にしかならんだろう。うちらの人数で食ったら、一食分しかないって」
「なに言っているのよ、友香子。これは種よ、種。これを植えるの。半年後には焼トウモロコシが食べれるんだから」
すぐに食べるのではなくて、畑に植えるための種ということだ。
「でもさあ、畑は全滅したじゃないか。また植えたって、どうせ寒さでやられるか、病気になるのがオチだよ」
「だから、これなの」
今度は、小さなポリタンクを掲げた。
「裕子、それはなんなんだ。液体肥料か」新妻が訊いた。
「農薬ですよ、姉さん。これは強力で、ええーっと説明書を読むと、この種と合わせて使うと、害虫はみんな死ぬから収穫量も倍になるって、寒さにも強いんだって」
「おいおい、そんな毒みたいなもの畑にまいて大丈夫なのかよ。鶏だっているのに、なんかイヤなだあ」
「汚染されたドブ貝を食べるよりはマシでしょう」
「いや、だから、この貝たちは万里子が美味しく料理するってさあ」
「うん、たぶん、すっごく美味しくなるから」
女子たちは楽しそうに話している。新妻と十文字が大量のドッグフードを見つけてきたので、気持ちに余裕ができていた。
「ちょっと見せてもらっていいかしら」
綾瀬が種の入った袋とポリタンクを手にした。森口はどうだといわんばかりに、勝ち誇った表情で腕を組む。
「ええーっと、これはGM種ね」
「GMってなんだよ、アメ車か」
「遺伝子組み換え作物のことよ。このトウモロコシは病気や害虫に耐性を持つように、人為的に遺伝子を操作されているの。でも特定の農薬とセットで使わないと効果がでないから、これを畑に散布するの」
そう言いながら、綾瀬は農薬のポリタンクに注目していた。その愛くるしい目を細めて、英語混じりの注意書きを丹念に読み砕いている。
「ふ~ん、じゃあ、たくさんまかないとな」
新妻はのん気に言った。彼女に農業関係の知識は、まったくなかった。
「姉さん、これはダメです。とくにこの農薬は危険なんです。こんなものを使うと土が死んでしまいます。今すぐに捨てるべきです」
「ああーっ、なに言ってんだよ、てめえは」
森口が、繁華街のチンピラみたいな絡み方で綾瀬に突っかかった。
「あの畑は、私たちが再出発する希望なんですよ。まっさらな大地に種を育んで、安全な作物を作るんです。もし子供ができたら、彼らに引き継ぐんです。ちゃんとしたものを残してあげるんですよ」綾瀬は、ひるむことなく言った。
「なんか、大げさな話になってきちゃったよ」
島田が雲行きの怪しさを感じていた。ケンカになるのではないかと心配している。
「森口さん、あなたもそう言ってたじゃないの。あんなに努力して土づくりからやっていたのに、それをすべて無駄にするの。この薬を撒けば、この薬に耐性を持つ種子しか育たない。ほかの作物は生きていくことを許されない。子供たちに農薬まみれで、しかも遺伝子的に安全が不確かなものを、食べさせるわけにはいかないのです」
綾瀬の力説が続いていた。森口が、いまにも爆発しそうだった。
「ですから、」
「ちょっと大げさじゃないのか、綾瀬。だいいち、遺伝子組み換えの食い物って、けっこうあったぞ。お菓子だって豆腐だって、安いやつってだいたい輸入の穀物が原料だったろう。前に散々食っていたのに、今は食えないっておかしいって」
新妻の反論は的を得ている。
「ええ、そうです。でも、そうじゃないものもありました。私たちは選べました」
「まあ、あたしの母ちゃんは遺伝子組み換えでないって表示がないと、豆腐は買わなかったなあ」
「だから、なにが言いたいんだって。あんたは私にケチをつけたいだけだろう」
自分が嬉々として持ち帰ったものを、不要だと言われているのだ。食料担当の責任者としては、侮辱されていると感じても仕方のない状況だ。
「この強力な農薬は使ってはいけないんです。せっかくあそこまでしたのに、畑が壊れてしまいます」
「そんなの気にしていたら生きていけないだろう。原発だってぶっ飛んでるんだし、農薬ぐらいで騒ぐなよ」
「綾瀬さあ、気にしすぎだって」
大げさな話であると、新妻と島田が諌めた。GM種と農薬を気にしているのは、綾瀬だけだ。
「私にイヤミを言いたいだけでょう。この二人はなんにも働いてないから、ケチをつけたいのよ」吐き捨てるように森口が言った。
「あんたさあ、人の我慢につけ込むものいい加減にしろよ。穏香は、わざわざあんたのクソ畑を心配してるんじゃないかよ。それに、わたしらだって外に行きたかったけど、姉さんに言われたから仕方なく残ってたんだ。あんたの方こそ、こんな毒薬を持ち帰って、エラそうなマヌケ面してるんじゃないって」
いよいよ、西山の堪忍袋の緒が切れてしまった。
「片手がなに言ってんの。バカなの。食いすぎのくせして」
とっさに、その左手が森口の首を締め上げる。反射的に森口の張り手が何度も頬をぶっ叩いたが、西山は渾身の力で絞めあげていた。
「死ね、クソがー」
森口の張り手が拳に変わり、二発三発と打ち込まれる。西山の顔が充血し、さらに肘鉄を食らうが、それでも絞め続けた。食らいついたヒヒのように奇声を発しながら、必死の形相だった。
「おい、やめろって」
「なぎさ、離して」
西山を綾瀬が、森口を島田が抑えた。その間に新妻が入って、二組を引き剥がす。
「おまえらいい加減にしろ。裕子、あんまり言うな。なぎさも言いすぎだ」
いちおうケンカ両成敗的な裁定だったが、西山は納得がいかない様子だった。
「わたしのどこが言いすぎなの。片手とか食いすぎだって言われたのに、どこが言いすぎなんだよ。ふざけんなよ」
西山は泣いていた。綾瀬に抑えられながらも、リーダーに食ってかかった。
「少し言われたぐらいでイチイチ騒ぐな」
自分が非難されているように感じた新妻は、思わず声を荒げてしまった。
「姉さん、それはなぎさが可哀そうです。酷くないですか」綾瀬が口を挟んだ。
「うるさいっ、この話は終わりだ。せっかく食い物をとってきたのに、なんだってんだ。私がなにか悪いことでもしたのかっ。おまえは、いつもいつも小言ばかり言いやがって、腹が立つ」
そこまで言って、新妻は{しまった}と後悔した。ついつい本音を漏らしてしまったのだ。リーダーとしては、やってはいけないことだ。
その場が凍りついたように固くなった。綾瀬は西山を抑えたままじっと見ている。その鋭さに耐えきれなくなり、新妻は強引に話題を変えるしかなかった。
「さあ、晩飯にするぞ。万里子、さっさと用意しろ」
小牧が食事の用意を終えるまで、大広間はかつてないほどの重苦しい空気に包まれていた。誰も口をきこうとしない。小牧は調理したものをテーブルに置くと、男子たちに配膳するために、さっさと行ってしまった。
綾瀬と西山も、自分たちの分を持って自室へと引きこもった。食事は皆が一緒に食べるのが、ここのルールである。鴻上がみんなで食べようと言っても、二人は慇懃に断った。新妻はなにも言わずに、ただ黙々と食べ続けていた。パキッパキッっと、新妻グループの強さを誇っていた連帯感に亀裂が入る音がしていた。
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