第17話

「うるさい、おまえが決めるな」

「じゃあ、誰が決める?その片手なの」

「てんめー」

「ちょっとあんたら、もうやめなって」

 朝から大広間が騒がしかった。

 二人の女子が言い争っていた。島田が間に入って、暴力沙汰に発展するのをどうにか防いでいた。小牧はどうしたらよいのかわからず、天野はオロオロするだけだ。係わりあいたくない鴻上は、周囲の様子をうかがいに89式小銃を抱えて屋上に行ってしまう。十文字來未と綾瀬は、食事をさせるために男子の部屋にいっており、その場にはいなかった。

 新妻が起きてきた。険悪な空気となっていることに、すぐに気づいた。

「なんだ、どうしたんだ」

「いや、そのう、なんか裕子となぎさがやり合っちゃってさあ」

 島田はケンカの当事者ではないのだが、申し訳なさそうな顔をしていた。

「裕子、なぎさ、なにを言い争っているんだよ」

 リーダーが来た段階で、二人は距離をとっていた。

「わたしが役に立たないから、食いぶちを減らすっていうんだ」

 西山が吐き捨てるように言う。激しい怒りの表情だったが、よほど悔しかったのか目がうるんでいた。

「西山さんは片手なんだから、半人前でしょう。半人前の人が、ご飯をたくさん食べるのはヘンだって思う」

 森口が、せせら笑うように言った。

「裕子、おまえなにを言っているんだよ。正気なのか」

 さすがに森口の言葉は過ぎていた。食べ物や医薬品などは、平等に分けられるのがこのグループの鉄則だ。身体がどういう状態であろうと、差別することは許されない。 

「西山さんは大食いなのよ。いっつも人の倍は食べている。外に行って食べ物を探してこないのに、食べてばっかりだって言っているの」

「わたしだって外に行ってる。この前だって、病院に行って薬をとってきたんだ」

 西山は、ムキになって言い返した。

「あの薬って、西山さんが探し当てたんだっけ。てっきり、ブルベイカーさんからもらったと思っていたわ」

「てめえ、どういう意味だ」

 西山が片腕を振り上げて森口に迫るが、新妻が抱きかかえるようにして止めた。

「裕子、あんまり言うな。なぎさも落ち着け」

「落ち着いてられるかっ、ちくしょう」

 西山は泣きだしていた。森口は、さらに手ひどい言葉を口にする。

「でも、みんな思っているでしょう。西山さんの食い意地が汚いって。まるで残飯係だものね」

 西山の食欲は旺盛であり、小牧よりも食べる量が多かった。鍋の残り物は、いつも決まって彼女が片づけていた。口にこそ出さないが、誰もがそれを疎ましく思っているのは事実だ。

「なぎさは、そういう体質なのよ。人よりも代謝が多くて、エネルギーをすぐに消費しちゃう。だから、食べても食べても太らないでしょう」

 西山を擁護したのは綾瀬だった。男子の食事が終わったので戻ってきた。十文字來未も後にいる。

「片手がないんだから、代謝も半分になっているんじゃないの。綾瀬さんはお医者さんなのに、そんなこともわからないの」

 森口は片腕のことを執拗になじり、そのたびに西山の心が抉られていた。   

「裕子、もういいだろう」

 グループ内の争いは危険だ。ただでさえ綾瀬とギクシャクしているのに、これ以上のもめ事は、新妻にとっても相当なリスクとなる。

「いいえ姉さん、全然よくないの。なんでかって、もう備蓄が底をつきそうなんです。食べるものがないんですよ」

「え、そうなのか」

 意外だと思ったのは新妻だけではない。そこいる全員が、食料の備蓄は、まだまだ余裕があると考えていたからだ。西山さえも、そう思っていた。

「私はね、意地悪で言っているんじゃないの。食べ物がただでさえ残り少なくなっているのに、一人がガツガツと食べるのは不公平でしょうって言っているだけ。しかも家にばかりいる人が、命がけで外に出ている人の分まで食べているんだよ。体質が、どうのこうのも言い訳にはならない。そんな個人的な理由で、ほかの頑張っているみんなが、飢えていいなんてことはないでしょう」

 正論であった。理詰めでは強い綾瀬でも反論しづらい状況だった。西山は、下唇をきつく噛みしめて耐えていた。 

「だったら、決められた量を出せばいいんだよ。いままでは大なべで、みんな好き放題に盛っていたけど、そんなアバウトにやるんじゃなくて、きちっと計って、公平に分ければいいだけの話しじゃん」

 十文字來未が、いたってシンプルな妥協案を示した。 

「來未の言うことに一理あるな。備蓄が底をついているんだったら、節約していかないとマズいだろう。それと食料探しを優先しないとな」

「森口さん、あとどれくらい残ってるの。まだまだ余裕があると思っていたけど。なんなら私も手伝うよ」

 食料の備蓄が残りわずかということに、綾瀬は釈然としなかった。

「それは私にまかせてくれない。これでも、毎日一生懸命考えて配分しているの。綾瀬さんは医療担当だから、そっちをやってよ。こっちには口出ししないで」  

 食料担当の責任者はずっと森口がやっていて、相当の苦労をしていることを皆が知っていた。備蓄のことに関しては、リーダーでさえ容易に口出しできない。襲撃や略奪に備えて、彼女はいくつかの場所に食料を分散して保管していた。そして、すべての場所を知っているのは森口だけだ。

「よし、じゃあ今晩から決められた量でやろう。もちろん、皆が同じ量だ。これで文句はないだろう」

 争い事を早く収束させたい新妻は、拙速な結論を下した。一見公平に思えるが、西山にとってはキツい裁決となった。綾瀬の見立て通り、彼女の代謝異常は先天的な疾患であった。人よりも多くカロリーを摂取しないと、命の灯を燃やし続けるのは困難なのだ。

 綾瀬が異議を唱えたが、新妻は無視した。悔しさで泣き続けている西山を抱きながら慰めていた。 

 その場は解散となった。二人の横を通り過ぎる森口が、「裏切り者」と小さく罵った。綾瀬が言い返そうとしたが、彼女はすでに行ってしまった。



 島田は夫のもとへ来ていた。外出しない時は夫婦でまったりと過ごすことを、最近の日課としている。ただし、修二は独力で歩き回れるほどに回復していないので、居場所は男子たちの病室となる。田原や義之が同席しているので、ヒソヒソと話すのだった

「ところで義之にきいたけど、今朝揉めてたんだってな」

「ああ、ちょっとね」

 朝の騒動のことを修二は知っていた。たまたま義之がお茶をとりにいった際に、大広間での出来事を聞いてしまったのだ。

「森口さんと西山さんが、だいぶやり合ってたって話だけど、なにが原因だったんだよ」

「大したことじゃないよ。女同士だからさあ、いろいろとあるんだよ」

 島田としては、騒動の原因を知られたくなかった。余計な心配をさせたくないからだ。

「食料のことだろう」

「ああ、うん」

 しかし、夫は知っているようだ。

「なんだか、蓄えがもうあんまりないんだって。そんで、なぎさはよく食うだろう。それに裕子が噛みついちゃってさあ」

「西山さんは食べなきゃもたない身体なんだよ。わたしを嫁にすると食費がたいへんだぞう、って前に冗談で言ってたからさ。なんでも遺伝子の病気がどうたらこうたらって、医者に言われたらしいぞ」

 いつものように、二人の会話に聞き耳を立てていた田原が割り込んできた。

「え、やっぱそうなのか。綾瀬が言ってたこと、本当だったんだなあ」

「まさか、西山さんだけ食わせないとかしないよな」

「それはないよ。べつに、なぎさをイジメようとかじゃないから」

「ならいいんだけど」

 もう一人、夫婦の会話を傍で聞いている者がいた。

「飯がないって本当か。そんなにひっ迫してるのか。この前はあんなにご馳走があったのに」

 義之は、友香子と修二の結婚式のことを思い出していた。

「ないっていうか、少なくなってるみたいよ。そんで今晩からは、決まった量を公平に配ることになったんだよ。ああ、でもここのは減ったりしないと思うよ。もともと、あんま食べないからさあ」

 男子たちの食事の量は変わらないことを言っておきたいと、島田は思った。

「俺たちはいいんだよ。一日中動いてないんだからさ。なんなら水だけでも平気だって。友香子やみんなには、ひもじい思いをさせたくないんだよ。みんながお腹空かせてギクシャクしたら、何のために身体を張ってきたのかわからんよ。だから、もし足りなくなったら俺たちのを減らせよ。田原だって、最近は太り過ぎでダイエットしなきゃっていってたんだよ。な」

 頷きながら、田原が苦笑する。

「うん、ありがとう。ほんとにありがとう」

 夫たちの気遣いがうれしくて、妻はおもわず泣きそうになってしまった。

「食いものを制限すると士気が落ちるからって、前から多めに出すのが、ここの流儀だったのになあ」田原が残念そうに言った。

「でも、ないものはしかたないっしょ」

「まあ、そうだけど」

 その場に言葉が固まってしまった。空気がなんとなく気まずくなっている。誰かが口をひらくのを待っていた。

「なあ友香子、俺ずっと考えていたんだけど」

 このタイミングで言うのは憚られる内容だと承知していたが、修二は前々から考えていたことを妻に告げることにした。

「ブル姉さんのグループと合流してみないか」

「ブルベイカーの?」

 島田の表情が険しくなる。

「ほら、うちみたいに少人数だと、食べ物探しだったり守りを固めたり、なにかと制約されるだろう。二つのグループが一緒になれば、人数も武器も増えるから、いろんなことができるよ。それにブルベイカーさんは食料探しの名人だし」

 意外にも、ナオミ・K・ブルベイカーは、優秀なサバイバーであった。街中にある食料品の捜索のみならず、食べられる野草の採集や魚の捕獲などに大活躍だった。ザリガニを獲ることも、彼女が提案したのだ。

 思考停止して茫然自失状態の皆を、その持ち前の快活さで導き、とにかく食べることを優先させた。教師たちが規律を正し、実質的な生活は彼女の指揮のもとで為されたのだった。

「なに言ってんだよ、修二。ブルベイカーのとこは外人ばっかなんだよ。言葉もロクに通じないし、あいつらが、あたしたちに協力するわけないよ。食い物だって独り占めされるのがオチだって」

 ブルベイカーからの手紙のことを、男子たちは知らない。自分たちが拒絶され、見捨てられているとは夢にも思っていなかった。そして女子たちは、そのことを知らせないようにしていた。

「でもな、ブルベイカーさんは、うまいこと統率しているんだろう。あの人は非凡っていうか天才っていうか、なんていうか人たらしの才能は抜群だから、なんとかまとめあげてくれるんじゃないか。外国人でも日本人でも、同じ人間には変わりないだろう。そもそも、ブル姉さん自身の見た目がモロに外国人だし」

「そうそう。もう惣島もいないんだし、千早姉さんとは和解できると思うんだけどなあ。俺は外国人の姉ちゃんでも、ぜんぜんイケルしな」

 田原の能天気な言い草に、島田はムッとした。

「あたしは行かない。あの女が死ぬほど嫌いだし、外人部隊と一緒って、考えただけでもムシズが走るわ。そんなにブルベイカーがいいのなら、修二や田原だけで行ってよ」

「そう熱くなるなよ。悪かったよ、ちょっと言ってみただけだって。俺の奥さんは友香子なんだよ」

「そうそう、俺らはなにもブル姉さんが好きってわけじゃないんだよ」

 修二と田原は謝罪した。彼女を怒らせるのは本意ではない。

 正直なところ、島田はブルベイカーを嫌っていなかった。なにをやらせてもそつなくこなすし、どんな危機的な状況でも陽気で機嫌よく対処する能力には、本心では大したものだと感心していた。むしろ新妻よりも、リーダーとしての素質を高く評価していた。

 ただ、ブルベイカーに男子たちが受け入れられることはないし、そのことは伏せていなければならない。彼女を嫌っているフリをしなければならないのだ

「だいいち、ここを襲撃させたのは、あの女じゃないか。修二たちをひどい目にあわせたのはブルベイカーなんだよ」

 一度ボルテージが上がると、なかなか引っこまないのが島田の性格だ。そこまでする必要はないのだが、自分の夫を無碍にした女を、悪役にしなければ気がすまなくなっていた。その実力を評価しているからこそ、新妻と男子たちに対する仕打ちが許せなかった。

「まさか、それはないだろう。あれはたまたまだよ」

「だって、あのダニどもは、ここの出入口を知っていたじゃんか。ブルベイカーがチクって、けしかけたのしか考えられないって」

「ブル姉さんがいなくなって、俺たち不注意になっていただろう。そのスキを突かれたんだって。たぶん、あいつらは何日も張ってたんだよ」

「なんだって、そんなにブルベイカーのカタを持つんだよ。さっきからイラつく」

 妻は、不機嫌な態度を見せて部屋を出ていってしまった。怒ったのではない。それ以上話を続けていると、言わなくてもよいことを吐き出してしまいそうだからだ。

「今日の奥さんは機嫌が悪いなあ」

「ああ、ちょっとピリピリしているみたいだ。やっぱり、なんかあるんだな。マズいことにならなきゃいいけど」

 修二は、小さくため息をついた。穏やかで平和な時がしばらく続いていたが、その安定が終わりを告げるのではないかと心配でならなかった。 



「志奈ちゃん、まだワンちゃんのとこに言ってるの」

 小牧は、マテバシイのドングリをフライパンで炒っていた。火が通ったドングリの殻を剥くのが天野の役目だ。熱いうちに外そうと、指を水で冷やしながらつまんでいた。

「ううん、最近はないですけど。どうしてですか」

「ここも食べ物が少なくなってきたみたいだから、もしワンちゃんにエサをあげてたって知れたら相当怒られちゃうよ。今朝の騒動見たでしょう」

 小牧は、犬ごときに与える余計な食料はないと言っている。

「あの犬、死んじゃったから」

「え、そうなの」

「うん、だから埋めてきたんだ。たまにお墓参りに行くけど、食べ物はお供えしないよ」

 小牧の懸念は払しょくされた。志奈にエサやりを止めさせるために小言を用意し、それは相当に気まずくなると覚悟していたが、杞憂に終わった。心の重荷がとれて、機嫌がよくなっていた。

「は~あ、ご飯が唯一の楽しみだったのに、なんかガッカリ。私も食べてたからね~」

「でも、なぎさ姉さんって、万里子姉さんよりもすごく食べるし、あれでよかったんじゃないのですか」

「なぎさは体質だから仕方ないんだよ。私の親戚にも同じ症状の子がいて、いっつも食べてたもん。食べてないと、からだが動かなくなるんだって」

「そうなんですか」

「でもヘンだなあ。そんなに急に備蓄がなくなるはずないんだけど」

 食事のメニューを考えたり調理をするのは、だいたいが森口と小牧だ。だから備蓄に関するおおよその感触はつかんでいた。

「初めから、それほどなかったんじゃないですか。裕子姉さんがみんなを不安にさせたくなくて、あるフリをしていたとか」

「そうかもしれないけど」

 数か所ある食料貯蔵所のカギは、森口が管理している。もし誰かが捕まっても、容易に口を割らされて略奪されないように、彼女一人だけに託されていた。

 小牧は、すべての隠し場所に入ったことはない。食料は一週間分をひとまとめにして、責任者が台所に置くことになっていた。出されるのはおもに米や乾物、缶詰類だ。獲ってきた魚介類や野草、小動物は冷蔵庫がないので、たいていその日に消費される。 

「うう~ん、やっぱりないのかなあ。ま、しょうがないかあ」

 小牧は、それ以上考えるのを止めた。食べ物が少ないと思うだけで、気が滅入ってしまうからだ。


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