第16話

 次の日、新妻は綾瀬と二人だけで外に出た。名目は、彼女たちの縄張り内にある薬局に行って、薬を探すというものだ。しかしながら、すでにそこは隅から隅まで探し終わっている。いまさら行っても、綿棒一つ見つけることはできないだろう。

 もちろん薬局に行くというのはただの口実で、新妻が自分と二人っきりになりたいのだと、綾瀬は気づいていた。また、彼女がそう考えるだろうということも、新妻には分っていた。ともにお互いの腹を探りながら、歩き続けた。

 古く小さな薬局だった。もとは老婆が一人で切り盛りしていた店で、通常の市販薬のほかに、なにかをアルコールで漬け込んたビンがいくつもあった。もっとも、すでに割れていて中身はなかった。

「それで、話したいことはなんですか、姉さん。なにか気に入らないことがあるんでしょう」

「まあ、そんなに構えるなよ。べつに綾瀬の性格うんぬんじゃないから」

 新妻は木製の椅子を持ってきて、彼女に座るように促した。自分は先に座って、鴻上から借りたアサルトライフルを脇に立て掛ける。綾瀬は立ったままだ。

「ブルベイカーのことだよ」

「ブルベイカーさんが、どうかしましたか」

「ブルベイカーがな、どうも私たちのことを知っているらしいんだ」

「知っている?」

「友香子と修二が結婚したことや、綾瀬が病院で見つけた薬のことを知ってただろう」

「ああ、たしかに知っていましたね」

「それはおかしいだろう。あり得ないんだって。誰かから聞かないと、知りえないだろう」

 なるべく穏当に話すつもりだった。だが、どうしても詰問するような態度になってしまう。

「はは~、だから私が関与しているというのですね、わかりますよ。それでどうしますか、イスカリオテのユダは許せないでしょう。せっかくこんなところまで連れだしたんだから、その銃で撃ち殺しますか。あなたは人の頭蓋を撃ち砕くのが好きみたいだから」

 いつになく、綾瀬は挑発的だった。疑われて、憤慨しているといった様子だ。新妻の腹の中で、そういう反応はしてもらいたくないリストの、トップ3に入る態度である。リーダーの表情が厳しくなる。

「まじめにきけよ、綾瀬」

「私はいつでも大真面目です」

 新妻が立ち上がった。綾瀬は動かない。

「ブルベイカーのとこに行きたいんだったら、それはそれでいい。止めはしない。だけど、こっちにいながら、こっちの情報をチクるのはダメだ。私はそういうのが大嫌いなんだ。おまえは、私を知っているだろう」

「私は私たちにとって必要なことをする。いままでもそうしきたし、これからもそうする。ブルベイカーさんのもとにいようが、あなたのもとにいようが関係ない。でも、汚いまねはしていない」

「チクリは、汚いまねじゃないのか」

「汚いまねはしない。私は、汚いまねはしない」

 綾瀬は無実を訴えている。それをどこまで信じたらいいのか、新妻にはわからなかった。文明のみならず、人間の性根が崩壊する様を何度も見てきた。なにがあろうとも、相手が誰であろうとも、完璧に信用することができなくなっていた。

「それは、おまえがブルベイカーと通じてないと判断してもいいのか」

「あなたは、いや、あなたがたは、私が何を言っても信用しないでしょう」

 つっけんどんな言い方だが、綾瀬は言葉の一つ一つを慎重に吟味していた。誰を相手にしているのか、また彼女がどれほど容赦ない女なのかを、よく知っているからだ。 

 新妻は一度、肩で大きく息を吸った。

「どうせ二人きりなんだ。私に言いたことがあるだろう。言えよ。きいてやる」

 シコリを取り除くには、お互いの本音をぶつけ合うことも必要だと新妻は考えた。しかし、それは往々にして更なる緊張を呼び込むことになる。新妻の実直さなのだが、未熟なところでもあった。同じくリーダーとしてグループを率いているブルベイカーなら、けしてやらない行為だ。

「それを言って、私は無事に帰れますか」

 新妻は、傍らに立て掛けている小銃を持った。安全レバーをフルオートにし、コッキングレバーを引いた。そして、それを綾瀬の胸に押しつけるようにして渡した。

「心配なら、私を撃ち殺せ。銃の撃ち方は以前教えただろう」

 数秒間、二人の視線がぶつかり合った。綾瀬は89式小銃の弾倉を外すと、薬室に残っていた弾を弾き飛ばし、そして小銃を新妻に返した。素早い動きだった。

「ブルベイカーさんを、出すべきではなかった」

 綾瀬は、いきなり核心を突いてきた。覚悟はしていたが、新妻にとってもっとも触れられたくないことだった。

「ブルベイカーは、自分の意志で出ていったんだ。私が追い出したわけじゃない」

「あなたが追い出したのです。いいえ、違いますね。あなたは止められたはずです。あなたは未然に防げたはずです」

「どういう意味だ、綾瀬」

「ブルベイカーさんが出ていかなければ、私たちは襲撃されることもなかった。惣島君や笹川君も死なずにすんだ。残っている男子だって、怪我をすることもなかった」

「それが私のせいなのか。私が惣島や笹川を殺したっていうのか。ふざけんな。それに襲ってきた奴らは、すべて殺した。仇は討ったし、そもそも、あのゴミどもをそそのかしたのは、ブルベイカーだ」

「ブルベイカーさんのせいにしていれば楽ですね」



 ナオミ・K・ブルベイカーが出てから間もなく、ゲームセンターがある雑居ビルに襲撃者がやってきた。荒れ野をさ迷う無頼の男どもで、倫理観も道徳観も知性も欠如した野獣だった。河原の小屋で、十文字來未を強姦しようとした男たちと同類といっていい。

 ただし持参していた武器の凶悪さと人数では、彼らにいささかの分があった。しかも、新妻と十文字來未、島田と鴻上は物資調達に行っていて留守だった。ゲームセンターに残っていた女子は、戦闘には不向きな者ばかりだった。

 男子たちは、大型の発電機を直そうと全員が屋上に集まっていた。必ず見張りを置かなければならない規則があったが、その時は守られていなかった。新しくリーダーになったばかりの新妻が、指示を徹底させていなかったのだ。

 賊は、唯一の出入口を知っていた。意味深な合言葉もなく、ただ無遠慮に暴力的に押し入ってきた。女子たちは上の階にいたが、それらの侵入にすぐに気づいた。警報機を要所要所に取り付けていたからだ。

 彼女たちは、直ちに上の階に逃げた。ケダモノたちの手にかかる前に、非常階段を上へ上へと急いだ。入れ違いに屋上から男子たちが駆け下りてきた。パイプレンチに斧、金属バットなどロクな武器を持っていなかったが、手榴弾を数個所持していた。それらは放置された自衛隊の車両から手に入れたものだ。

 戦いは熾烈を極めた。怒号が飛び交い、刃物と銃弾が交錯し、廊下が血だらけになった。万が一にも男子たちが突破されると、残された女子たちはさんざん慰みものにされ、ことが終われば残虐に殺されるてしまうだろう。男子たちは、死にもの狂いで戦うことを強いられていた。

 誰もが、わが身を顧みなかった。その凶刃を受ければ、甚大な苦痛と損傷を負うとわかっていても突進していった。自身も爆塵に巻き込まれるのを覚悟して、突っこんでいった者もいた。

 ケダモノたちは猟銃にチェーンソー、日本刀などで武装していて強力だった。だが、地の利は男子たちにあった。

 万が一の襲撃に備えて用意していた隠し武器と、トラップが役に立った。それでも捨て身の戦法で、上の階から徐々に一階にあるゲームセンターまで押し戻すのだった。六人を殺したが、彼らも惣島と笹川という二人の男子が命を落とした。そのうちの惣島は、ブルベイカーがゲームセンターを出ていく原因になった男だった。

 野獣どもはあらかた駆逐されたが、生き残った数名が逃げ出した。新妻たちが戻ると、彼女たちの家は血みどろになっていた。唖然としながら、四人は用心深く捜索した。見慣れない死体のほかに、よく知っている顔があった。惣島と笹川の二人の男子だ。とくに惣島の亡骸は壮絶で、チェーンソーで胸を抉られ、アバラ骨が外に突き出していた。

 新妻は、怪我を負って動けなくなっている修二と田原、十文字隼人を見つけ、すぐに手当を始めた。島田が大声で怒鳴り、その声に呼応して、屋上に避難していた女子たちが降りてきた。綾瀬が怪我人への処置を始め、小牧と西山も手をかした。怯えきった天野は、使いものにならなかった。  

 新妻と島田、鴻上の三人は、彼女たちに看護をまかせてすぐに残党を追った。十文字來未が残ったのは、兄が三人の中でもっとも重症だったからだ。

 猟犬のように血の跡を追い、ゲームセンタービルから数百メートルしか離れていない公園で、手負いの男たちを見つけた。遠距離から鴻上が狙撃し、二人の男を撃ち殺した。怪我がひどい残りの二人はうずくまったまま、動けないようだった。三人がその前に立つと、怯えきった顔で見上げた。  

 ケダモノだったものは、新妻の手によって、じっくり時間をかけて処理された。苛酷に情け容赦なく、非常に手際の悪い拷問となった。その光景をチラりと見ただけで、鴻上は吐いてしまった。彼女の忘れることができないトラウマであり、それはいまも度々繰り返されている。



「そうする理由を、あなたが作ったんです。くだらない色恋沙汰で、私たちを危険にさらした」

「おまえに言われたくない。おまえだって男がいるだろうが」

「私は、誰かのものを奪ったりはしない」

「私も奪ってはいない」

「ブルベイカーさんがいた頃は安定していたし、私たちの家が襲撃されるなんて、夢にも思わなかった。ブルベイカーさんを失ってはいけなかった」

「それが、ブルベイカーのスパイになった理由か」

 新妻は綾瀬の頭部に手を回し、後ろ髪を乱暴に掴むと、自分の元へと引き寄せた。お互いの顔が、息がかかるほどまで近づいた。

「もう一度いう。私は裏切りを許さない。裏切り者に容赦はしない」

「私は汚いまねはしない」

 強い意志を宿した綾瀬の瞳は、瞬き一つしない。

「どうだかな」

 新妻は手を離した。綾瀬は、乱れた後ろ髪を手櫛で整えた。そして澄ました顔で言う。

「お話はこれだけですか。よろしければ、私は帰りたいのですが」

「ああ」

 綾瀬は一人で薬局を出ていった。新妻はしばしその場でじっとしていたが、突然大声で 喚きだし、その辺のガラクタを手当たり次第に放り投げた。

 割れたガラスの破片で手のひらを一センチばかり切ってしまい、血が流れ出ていたが気にしなかった。男のような野太い声で叫びながら、狂ったように暴れ続けた。


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