第14話

 その日は、朝から大忙しだった。

 料理担当は、食料の備蓄に脅威を与えぬように、式の献立を慎重に考えなければならなかった。

 森口と小牧は、ああだこうだと言いながら食材を吟味している。どれだけ使ったら適量であるのか、議論がわかれていた。よせばいいのに、鴻上が料理の古本を持ってきて、二人の間に割って入る。美味しそうな写真を見せながら、「姉さん、これがいい」とねだるが、常に現実と向き合わなければならない食料担当責任者は、邪魔者を見るような目つきだった。

 医療担当も忙しかった。綾瀬は、廃墟病院で見つけた薬を男子たちに投与した。とくに修二に対しては、念入りにペインクリニックを施した。彼は、今日という日の主役である。ただでさえ気持ちが高ぶっているのに、綾瀬穏香の秘密調合的な麻薬を多めに打たれて、すっかりとハイテンションボーイになっていた。

 あの日、彼女と西山は、モルヒネを主とする薬品、注射器を廃墟病院で大量に見つけ出し、それらをリュック一杯に背負って無事に帰ってきた。そして、疲れ果てて到着した新妻たちを笑顔で迎えた。

 呆気にとられるリーダーだったが、ブルベイカーたちがしらみつぶしに探したはずなのに、これほどの薬品を見つけだしてくるとは、あらためて綾瀬の能力に感心し、そして、やや嫉妬混じりの賞賛をおくるしかなかった。



「なあなあ來未、これじゃないほうがいいんじゃないか。やっぱ、真っ赤なドレスでさあ」

 純白のウエディングドレスを着こんだ島田が、着込みを手伝っている妹に言っている。十文字來未は口が悪く粗暴な性格ではあるが、ことファッションのことについては、なかなかに通じていた。

「友香子姉さん、アホだろう。色つきの衣装はお色直しに着るんだよ。結婚式の最初は、純白のドレスに決まってんじゃんか」

「あんまり白いとさあ、下着の汚さが目立っちゃうだろうが」

「ひょっとして、いま履いてるの、あの汚いショーツか」

 十文字がドレスをまくり上げて、下着の具合を確認する。「へへへ」と、島田は苦笑いで誤魔化していた。

「うわっ、汚ねえ。なんだよもう、信じられんわ。どこの世界に、結婚式の花嫁がシミだらけの汚ねえパンツ履くんだよ。こんなん見せたら、修二兄さんに抱いてもらえんだろう」

「しかたないだろう。洗っても洗っても、とれないんだからさ」

 常に最前線に立って斬り込んでいく島田は、その極限の恐怖と緊張から失禁してしまうことが多々あった。もともと膀胱が弱い体質なのもある。

「にしても、替えぐらいないのかよ」

「替えも、みんなこんなんだよ」

「新品は」

「んなもの、ねえよ」

「どっかいって探してこいよ。なんでドレスは見つけられて、パンツはダメなんだよ」

 結婚式用のドレスは、ブライダル専門店の廃墟で見つけることができた。利用価値がないのか、略奪されることもなく、そのまま放置されていた。彼女は、とにかくあるだけの衣装を持ってきたのだ。

「しょうがない、私のを貸してやるよ。だけど新品なんだから、チビったりするなよ」

「あんたのって、イチゴのお子ちゃまパンツだろう。そっちのほうが恥ずかしいよ」

「お子ちゃまじゃないっ。ちゃんとしたやつだからな」

 十文字はその場をいったん離れて、自分用に保管していた新品のパンツをもってきた。「わりいわりい」と言いながら、島田がシミだらけのパンツを脱いで、純白なそれを履いた。



 本日は、おめでたい日だった。

 彼女らの根城であるゲームセンタービル内で、上谷修二と島田友香子の結婚式が執り行われるのだ。

 結婚といっても、婚姻届けをだす役所も、法律を執行する国家権力もないので形式だけなのだが、グループの中でけじめをつけることになり、晴れて夫婦と認められることとなる。二人は前々から区切りをつけたいと思っていたが、こんなご時世であるから、派手な式など夢物語であると諦めていた。

 綾瀬と西山が医療品を大量に見つけたこともあって、新妻グループ内に安堵の空気が広がった。日々節制と我慢を強いられているので、皆の気持ちに、はじけてしまいたいとの欲求が昂っていた。

 常にグループ内の士気を気にしているリーダーとしては、貴重な資源を使ってまでも、そろそろガス抜きが必要であると考えていたし、彼女自身もイベントではっちゃけてしまいたいとの欲求があった。もっともストレスをため込んでいるのは、リーダーである新妻千早自身なのだ。

「友香子、結婚式はどうよ。やってみないか」

 二日前の夕食の席で、新妻千早は唐突に言い放った。乾パンを薄いコンソメスープの中にひたして食べていた島田は、キョトンとした顔でリーダーを見た。

「それはいいねえ。すごくいいよ」

 最初に賛同の意を示したのは十文字だ。自分のことのように目を輝かせていた。

「大賛成。そろそろ、はっきりさせてやりたかったのよ」親友の森口も同調する。 

「おめでとう、島田さん。心から祝福するわ」

 綾瀬が立ち上がって手を叩いた。皆がつられて拍手を送る。西山までもが、自らの胸を叩いて祝福した。

「そ、そんな急に言われても、あたし一人で決められないよ。修二にもきかないと。ってか、そもそも、あたしってプロポーズされてたっけ」

「じゃあ、善は急げだな。さっそく修二に言ってこよう」

「ちょ、今からなの。それちょっと無理だって、むりむり」

 新妻千早がウダウダ言っている島田の首根っこを掴んで、男子の部屋へと強制連行した。もちろん、他の女子たちも一人残らず、ニタニタしながら後ろをついてきた。

 男子の食事は先に終わらせていたので、彼らはベッドに寝ながら、食後のまったりとした時を過ごしていた。

「修二、ちょっといいか。友香子が話したいことがあるんだと」

 部屋に入るなり、新妻千早は島田を修二のベッドの傍に立たせた。彼女は耳まで真っ赤にさせながら、モジモジとしていた。

「べつにいいけど、なにかあったのか、友香子」

「いや、そ、それは、そうの、なんだよ」

 いまさら照れる間柄でもないのだが、結婚という二文字が、彼女の恥じらい心に火をつけていた。

「姉さんが、そのう、け、結婚式を挙げたほうがいいって、突然言い出しちゃって。あ、あたしはべつに、そんなのなくたって修二が元気でいてくれたら、それだけでいいから、だから、なんていうか、あたしは、結婚なんてこっぱずかしいことなんて」

 存分にキョドりながら、それでも言葉を吐き出し続ける可愛い恋人を見て、修二も決心せざるを得ない心境になった。

「そうだな。俺たちもそろそろけじめをつけないといけないし、友香子に花嫁衣裳の一つも着させてやれないんじゃあ、俺の甲斐性もたかが知れてるからな」  

「よっ、いよいよ決心したか。つうか、本当は男のほうからいうんだぜ」

 隣のベッドに寝ている田原が言った。親指をあげて、親友を祝福している。

「その通りだな。だから、あらためていうよ、友香子」

 修二がベッドから出て、彼女の前に立った。片足だが、なんとかバランスをとることはできた。島田とは数センチしか離れていない。

「友香子、俺と結婚してくれ。こんな身体で申し訳ないが、この地球上で、俺ほどおまえを愛している男はないない。ほんとに好きなんだよ」

 修二はしっかりと彼女を見つめていたが、島田は彼の顔をまともに見ていなかった。モジモジと微妙に身体を動かして、それでもしまいには、ぴったりと密着した。

「うん、いいよ」

 まっ赤な顔で、はにかみながら頷いた。久しぶりの女の顔だった。

「パンパカパ~ン」

 後ろで見ていた十文字が大声を張り上げた。そして万雷の拍手が鳴り響いた。

「ちょ、恥ずかしいって。なんで、みんないるんだよ」

「いよ、ご両人、熱いねえ。ヒューヒュー、ッゲッホ」

 調子にのってひやかしていた田原だが、途中で激しく咳き込んでしまった。慌てて新妻千早が駆け寄って背中をさすり、水を飲ませた。姉さんすまないと、彼は申し訳なさそうだった。

「よし、結婚式するよ」

 リーダーがガッツポーズをすると、ワーッと、その場が沸き上がった。修二と島田はお互いを見つめ合ったまま、しっかりと抱き合うのだった。



「なんかさあ、來未」

 純白のドレスを着終わって一休みしていた島田が、同じく一休みしてお湯を飲んでいる十文字に、しみじみと語りかけた。

「なによ。もしかして、もうパンツにチビッたんか。ちゃんと洗って返してよ」

「チビってねえよ。まあ、式の最中に修二にキスされたら、たぶんやっちゃうだろうけどさ」

「はいはい、それはごちそう様。いまからノロけられたら、本番はたいへんだっつうの」

 十文字が飲み終わったマグカップを机に置くと、島田がすかさず手を伸ばした。茶渋だらで真っ黒に汚れたそこには、すでに一滴のお湯もなかった。 

「だから、そうじゃなくてさあ、あたしだけ結婚式なんて贅沢させてもらって、みんなに申し訳ないっていうかさあ、なんか一人だけ、いいおもいしてるなってさあ」

 新妻グループの誰もが、制限された厳しい生活を強いられていた。個人的な願望や欲望を極力抑えた毎日だ。それぞれが、少なからずのうっぷんを抱えている。島田は、自分だけ式をあげてもらって申し訳ないとの気持ちと、彼女らの不満や嫉妬を買うのではなかと心配していた。 

「それは気にすることないよ。だって、私たちだって実は楽しいんだよ。もう、ウキウキして、昨日から寝られなかったからさあ。万里子姉さんなんて、今日のご馳走を爆食いするために、今朝から飯抜きだって、張りきってんだからさ」

「いや、それはやりすぎだなあ。てか、あいつ、ふつうに朝メシ食ってたぞ」

 二人がおしゃべりをしていると、地味めなパーティードレス姿の新妻千早がやってきた。着飾った花嫁をしげしげと見て、なにやら意味ありげにニヤつくと、さらに吟味するようにゆっくりと一週した。あらためて彼女の前に立つと、ウンウンと頷いた。

「馬子にも衣裳とは、よく言ったもんだよ」

 島田が照れくさそうに下を向いた。

「パンツは、私のだから」

 十文字がドレスをめくって、まっ白な下着を露わにした。島田が慌てて元に戻す。

「今日ばかりは日本刀を持つなよ」

「姉さん、さすがにそれはないよ、ははは」

「いや、友香子姉さんにはやっぱこれでしょう」

 十文字がふざけて日本刀を手渡すと、花嫁はよしきたとばかりに座頭市のマネを始めた。ウエディングドレス姿の花嫁と、そのモノマネが絶妙なほど滑稽で、三人は大笑いとなった。

 涙を流して笑い転げた後、新妻千早は真顔になって花嫁を見つめた。島田のバカ笑いが、ゆっくりと鎮まってゆく。

「友香子、そろそろ行くかい。ハイテンションな新郎が待ちくたびてるぞ」

「うん」

 花嫁は、数多の花嫁がそうであったように、希望に満ち溢れた表情をしていた。



 ゲームセンター内の大広間が、結婚式会場となった。

 いつもの椅子や机類を隅に片づけて、広いスペースが確保されていた。招待客たちは、左右両方に分かれてお出迎えとなる。修二と島田は部屋の外で、いまかいまかと、緊張しながら待ち続けていた。新妻千早愛用のプレーヤーが、結婚式定番の音楽を流し始めた。

 新郎新婦の入場となった。

 天野が扉を開けると、二人は一礼してから入場した。

 まず島田の純白のドレスが、参列者の目を奪った。鴻上や天野は初見なので、憧れるように見とれていた。修二も花婿にふさわしく、よくノリが効いたタキシード姿だ。ただし即席の義足が合わないのか、歩き方はひどくぎこちなかった。

 新郎の親友である田原は、ベッドに寝たまま招待されていた。いつもの寝巻きではなくて、しっかりと背広を着ている。義之も同じくスーツ姿で立っていた。意識がはっきりとしない十文字隼人は、隅のほうで寝かされていた。

 女子たちも、廃墟の街から見つけ出したパーティードレスを着こみ、念入りにメイクを施している。今日ばかりは、朝比南高校の制服を脱ぐ日だった。 

 男たちがワーワーと声援を送ると、調子にのった修二がガッツポーズをしたり、ピースサインをしたり、不自由な足でステップをしたりする。あまりにせわしなく動くので、花嫁が、彼の尻の肉をおもいっきりつねった。

 田原が手製の紙吹雪をこれでもかとまき散らすが、それらは全部自分のベッドに落ちていた。義之は、ゲームセンターの景品だったクラッカーを、続け様にポンポンと撃ち出して奇声をあげていた。フューフューと楽しそうに口笛を吹いて、いつもの陰気臭さを吹き飛ばしていた。

 新郎新婦入場には、似つかわしくないほどの盛り上がりだった。厳かな雰囲気とは、少しばかり遠い式である。

「穏香、ちょっと薬を盛りすぎたんじゃない。男子たちのテンションがヤバいよ」

「いいのいいの。だって今日は結婚式なんだよ。おめでたいんだから」

 西山が綾瀬に耳打ちするが、医療担当は、なにも心配することはないと涼しい顔だ。

 綾瀬は、今日に限り男子たちに投与する麻薬の量を多めにしていた。もちろん、意識が飛ぶほど強くしてはないが、今日という日を存分に楽しめるだけの必要量を与えている。苦痛は絶対に感じないはずだと確信していた。

 歓声に包まれながら、新郎新婦がゆっくりと進む。新妻千早が神父と神主とそれらしきものを兼ねて、即席の壇上にいた。

 修二・島田が、彼女の前に並んで立った。さすがのハイテンションボーイも、大人しく神妙な顔つきになった。ほかの参列者も、ここは静かにする場面だとばかりに、口を閉じた。

「ア、ナ、タ、ハ、カミ、ヲシンジ、マスカ、てへ」

 緊張した空気を逆手にとった新妻のギャグに、あちこちから失笑が漏れた。島田も、ちょっと下を見ながらクスクスと笑っている。修二は清々しい表情のままだ。

「ええーいもう、単刀直入にきくけど、あんたらはお互いが好きで、とんでもなく愛していて、そんでもってエッチなこともいっぱいするんだろう。異議なき場合は、ハイと答えよ」

 最後の部分だけが厳かだった。新郎新婦は一度お互いを見合った後、インチキ神父に向かって、同時に「ハイ」と言った。

「かしこみ、かしこみ~」

 やはりインチキ神主が、なにやらそれらしいことをうにゃうにゃと宣う。

「それでは、誓いの熱いキっスを」

 新妻千早の言葉に、参列者のほうがそわそわしている様子だった。女子たちからの、小さな声での声援が熱かった。

 新郎新婦が向き合う。

「友香子」

 修二の顔が斜めに傾いた。

「いや~、これは恥ずかし」と花嫁が照れきったところで、彼女の唇が奪われた。

「う、」

「あ、」

 長くて濃厚な接吻だった。皆、生唾を飲み込むのも忘れて凝視していた。女子は、キスされている花嫁も含めて、例外なくうっとりする。

「ひゃっほー」

 まったりと切ないキスが終わると同時に、田原の絶叫が響いた。義之がパンパンとクラッカーを撃ち鳴らし、せっかくのロマンチシズムを台無しにしながら参列者の目覚めを強要する。めずらしく感動していた綾瀬が、もっと薬の量を増やすか減らすかしたほうがよかったと悔やんでいた。

「おめでとう、お二人さん」

 新妻千早がそう言うと、再び万雷の拍手が起こった。今度は、もらい泣きをしながら叩く女子が多かった。

 それからは新郎新婦を囲んでの、呑めや食えやの宴会となった。皆が待ち望んでいた、はっちゃけ披露宴の到来である。

「お、裕子、そんなのあったのか」

「もちよ。こういう日のためにとっておいたの」

 森口がテーブルにデンと置いたのは、シャンパンのボトルだ。氷がないので冷えてはいないが、銘柄は確かなものだ。

「裕子姉さん、まさか一本だけではないですよね」

 アルコールに目のない鴻上が目の色を変える。

「唯、今日は友香子と修二の結婚式なのよ。もちろん、ジャンジャンあるよ」

 つぎつぎと、シャンパンの瓶が出てきた。さらに一升瓶まで登場する。

「うひょー、ポン酒もあるじゃん。裕子、どこに隠してたんだよ」

 日本酒まで供された。それは花嫁が恋い焦がれていたものであった。

「友香子に見せたら、ものの数分で空けられちゃうから、隠してたのよ」

「ひとをウワバミみたいに言うなよ」

「ふふ、まあ、今日はいいでしょう。存分にお飲み」

 さっそく、新婦はグラスを持った。新郎が一升瓶をもって、トクトクといい音を立てて注いだ。

「ととと、ありがとう、修二」

「どういたしまして、奥さん」

「これが夫婦になって、最初の共同作業だな」

 新妻千早がそう言うと、その場がどっと笑いに包まれた。のんべえな花嫁だなと、十文字來未が笑っていた。

「これは、うんまい」新婦は、グラスの清酒をあっという間に飲み干してしまった。

「友香子姉さん、あんまし飲み過ぎんなよ。私のパンティーにチビられたらかなわないからな」

「ちょ、來未っ、修二の前で余計なこと言うんじゃないってさ」

 久しぶりのアルコールで、宴会は盛り上がり始めた。誰もが普段は見せることはない笑顔で、はしゃいでいた。

「俺にもくれよ」

 田原が叫んでいる。当然、彼もお酒が好きなのだ。新妻千早が綾瀬をチラリと見た。

「男子は薬が効いているから、お酒はダメ。上谷君もだよ」

 主治医は厳しかった。田原はベッドのマットレスの角度をあげているので、上半身は起きている。ガッカリと、うなだれる姿が哀愁を誘った。 

「でも、ほんの少しなら、いいかも」

 田原の、あまりの落ち込み様に綾瀬の良心が痛んだ。少量ならば、との制約付きで許可を与える。新妻千早によって、ショットグラス一杯分の日本酒が振舞われた。

「これはうめえや」

 素直に喜ぶ田原を見て、リーダーもニコニコしていた。 

「修二も飲もうよ。お酒大好きじゃないのさ」

「うん、じゃあシャンパンをもらおうかな」

 やや大きめのグラスに、花嫁が嬉々としてシャンパンを注ぎ入れた。主治医が不安そうな顔で見ている。

「上谷君、」

 綾瀬が、たまらず叫んだ。

「わかってるよ。一口だけだって」

 修二は一口だけ飲んで、それ以上グラスを傾けなかった。綾瀬はホッとしたが、花嫁は不満そうであった。

「酒もあるけど、料理のほうもすごいな。こんなにあったんだ」

「裕子が隠してたんだよ。ほんと、へそくりの天才だからさあ」

 夫婦となった二人は、自分たちのために用意された料理の数々にご満悦だった。参列しているほかのメンバーも同じだ。その若さに相応しく、モリモリと食べていた。ただし、体調がかんばしくない男子たちは、つまむ程度だ。それでも久々のご馳走である。目で存分に楽しみながら味わっていた。

「鶏、だいぶつぶしちゃった」

 鳥のもも肉にかぶりつきながら、万里子は悲しそうだった。だが、自ら殺生した生き物に対する食欲は非情なまでに旺盛で、骨の髄までしゃぶる勢いだ。

「もう、タマゴを産まなくなったのだから、しかたないっしょ」

 鶏の飼育係りでもある森口と綾瀬が、このおめでたい日に老いた鶏の処分を決めた。新妻グループでは十羽以上飼っていたが、タマゴを産むのは五羽もいなかった。

「増やしたいんだけども、オスがいないもんね」

「ひよこ、かわいいよね」

 農家の鳥小屋に生き残っていたのは、すべてがメスだった。誰にもとられずに生きているだけでも奇跡であった。

「俺でよければ、オスの代わりになるぜ」

 田原は調子にのっていた。しかも、今日はそれが許される日だ。

「雄太には私たちがいるじゃないか、鶏なんかで精力を使い果たされたら、カラダがうずいて眠れないよ」

 自分の胸をもみほぐすような仕草で、新妻千早が挑発する。負けるものかと、森口が両腕で自慢の胸を挟み、さらにストリップダンサーのように身体を揺すった。アルコールが、彼女の心にある大胆な部分を露出させていた。田原のほかに、義之が食い入るように見つめている。 

「チクショウ、もう、ギンギンだぜ~」

 田原の絶叫に、その場がどっとわいた。十文字來未などは、机をたたいて大ウケしていた。

「はいはい、ちょっと注目してくれる~。みんなに話したいことがあるから」

 久しぶりの楽しい歓談のなか、花嫁が立ち上がった。皆が彼女に注目する。笑い声が静かに落ちていった。

「今日は修二とあたしのために、こんな立派な式を用意してくれて、本当にありがとう」

 島田はゆっくりと、家族の一人一人を見つめながら話していた。

「こんな世の中になっちまったけど、友達や親や先生たちもいなくなっちまったけど、ここまで頑張ってこられたのは、みんなのおかげで、そんで、あたしは修二が大好きで、みんなが大好きで、うまく言えないけど、これからもずっと一緒にやっていきたいんだ。今までありがとう、そんで、これからもありがとう」

 簡潔で飾りのない言葉だが、島田の素直な気持ちが皆の心にじんわりと浸透した。小牧と西山はすでに涙目になり、田原までもが泣きそうだった。花嫁はスピーチを続ける。

「上谷ずん子は、夫である修二と力を合わせて」

「まてまて」

 十文字來未が、さっそく横やりを入れた。

「なんだよ、來未。これからいいところなんだからさあ、最後まで気持ちよくしゃべらせろよ」

「いやいや、ずん子ってなんだよ、ずん子って」

 好奇の目が夫婦に集中していた。新婦は腰に手を当てて、さも当然のように言う。

「おまえアホだろう。結婚したら名前がかわるんだよ。島田友香子は、新たなステージに突入したんだって」

「苗字が変わるのは知ってるよ。なして、友香子がずん子になるんだって。そもそも、ずん子ってなんだよ。東北かっ」

「苗字が上谷になるんだから、名前も合わせて変えたほうがいいだろう。上谷友香子じゃあ、なんかインパクトがないっていうか、平凡っていうか」

 修二はニコニコしながら頷いている。新妻の主張に、夫としては異議なしのようだし、可愛い妻の戯言を楽しんでいるのだ。

「名前は変えちゃダメだろう。てか、ずん子はないだろう。麗子とかミクとかキャサリンとかバーバラにしろよ」

「欧米かっ。だいたいバーバラってなんだよ。ババアじゃんか」

「でもずん子じゃあ、短いんじゃない。もう一文字足して、ずずん子のほうがいいよ」

「それだったら、ずんずん子ってほうが、なんか語呂がよくないですか」

「言いにくいなあ。いちいち、ずんずん子姉さんって言ってたら、舌をかみ切ってしまいそうだ。やっぱマーニーでいいんじゃね」

「アニメかっ。なつかしいな、まったく」

「なにも、{ずん}にこだわらなくてもいいのでは」

「そういう綾瀬さんには、なにかいい候補がありますか」

「そうねえ、たとえば、じゃん子とか」

「じゃん、はねえなあ」

「では、{じゃい}でどうでしょう」

「それなら、ジャイ子でいいんじゃない」

「あたしは、ジャイアンの妹かよ」

「あはは、それはないわ。だって友香子姉さん、めっちゃ絵が下手じゃん。漫画家の素質ねえし」

「だから、ジャイ子じゃないって言ってるだろう。ていうか來未、あんたの字の汚さよりはマシだっつうの」

 新婦の新たな名前をどうするのか、喧々諤々の熱い議論が、とても酒臭い宴会場で続けられていた。焼いた鶏の軟骨をしゃぶっていた鴻上が、その不毛な状態にケリをつけようと、多少ろれつの回らない口調で提案した。

「ちばや姉さんに決めてもらうのら、いいんじゃないれしゅか」

 皆の視線が新妻千早に集まった。彼女はすでに、相当量のシャンパンと日本酒ですっかりと酔っぱらっていた。トロンとした目を気だるげにあげながら、どうでもいいよという感じで言う。

「島田友香子で、いいんじゃんか」

 結局、島田友香子は島田友香子のままとなった。せめて苗字は変えたいと強情をはる花嫁だったが、ほとんどの女子が酔いつぶれてしまい、話はそれ以上進展しなかった。

 男子たちも麻薬疲れなのか、ぐうぐうとイビキをかいて寝てしまった。もう一方の主役である修二までもが、ウトウトしていて朦朧とした状態だった。

「やっぱ、ずん子でいいんじゃないかなあ」

 一人元気な花嫁が、手酌で日本酒を飲みながら、自らの改名にこだわっていた。


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