第12話

 新妻と島田、鴻上は、少し前から歩力を強めていた。

 先頭をゆく島田は、しきりに目線を動かして周囲の気配を探っている。しんがりを務める鴻上は、視線と照準と銃口をシンクロさせながら、右に左に後方に忙しく動いていた。場所は、三人がちょうど朝比南の廃墟商店街に入ったところだ。

「友香子、どうだ、数はわかるか」

「わからない。チラチラとしか見えないから、はっきりしない。でも、ぜったいヤバい奴らだ」

 崩れた商店の建物を行き来する影に、島田の注意力が翻弄されている。その姿を見極めようとして目を凝らすと、他の場所に別の姿が現われ、そこに注目するとまた別の家屋の窓に出現する。

 姿を見せない敵に追い込みをかけられ、しかも、かなりの数を相手にしているというプレッシャーが三人をきつく締めていた。偵察能力に長ける來未をおいてきたのは失敗だったと、新妻は後悔していた。

「唯」

「友香子姉さんに同じくです。確実につけられているし、確実に狙われています」

 少し前から、三人は誰かにつけられていた。複数であることはわかっているが、どういった者たちなのか見当がつかなかった。 

「前に襲ってきた奴らでしょうか」

「いや、それはない。あの時、ほとんど仕留めたからね」

 以前、ゲームセンターに襲撃をかけてきた者たちのことを言っていた。

 その際に修二や田原が大怪我を負い二人の男子が死んだが、襲撃者たちはほぼ殺してしまったので、この辺りに残っていないはずだとリーダーは速断した。

「ちくしょう、イヤな予感しかしないよ」

 島田の苛立ちが高まってきた。彼女はリーダーの決断を切望していた。

 だが、新妻の指示は遅れ気味だった。彼女たちは猟犬にポイントされている状態だ。下手な動きをすれば、か細い均衡が崩れて一気にことが進むだろう。不利な状況なのに、大勢で畳みかけられてはもたないと危惧していた。

「千早姉さん、一人トロいのがいます。撃ちますか」

 鴻上が、練度の低い目標を見つけ照準をつけていた。小銃の切り替えレバーは、連射モードになっている。

「そうか、未熟なやつもいるのか。なら与しやすいな」

 こういう緊迫した状況での精神的な余裕は、往々にして生死を分ける要素を持つ。表情には出さないが、新妻は、少しばかりほくそ笑んでいた。

「やります」

「いや、まだだ。やつらは私らの隙を狙ってんだよ。わざわざ、こっちから機会をやるこっちゃない」

「その通りだよ。唯、焦るなよ」

 新妻と島田は、鴻上の拙速な判断を支持しなかった。

「友香子、唯、音パンを出しな」

 音パンとは、スタングレネードのことである。大音響と光だけの手榴弾で殺傷力はないが、敵方の動きを一時的に麻痺させる効果がある。

「こんなところで投げても意味ないです」

 スタングレネードを通りの真ん中で炸裂させても効果がないと、リーダーの戦術を読みきれていない鴻上は焦っていた。

「アホ、いまから屋内に誘い込むんだよ。とっとと出しな」

 すでに手榴弾を手にした島田は、イラついた叱咤を後輩にぶつけた。彼女は新妻の作戦を、いち早く理解していた。

「左に不動産屋の事務所があるだろう。三つ数えて突っ込むよ。三、二、一、それっ」

 三人は蹴飛ばされたかのように動いた。素早く建物の中へと入り込み、事務所の奥まで行くと、そこにあるデスクの下に隠れた。身動き一つせず息をひそめて、無音のトラップを仕掛ける。

 二分ほど待った。鴻上には数十分に感じられて、久々の緊張を強いられた。早く引き金を引きたくてウズウズしている。

 気配がやってきた。それらは、さほど躊躇することなく入ってくる。新妻の指が三つまでをカウントすると、少し待った。それ以上発展しないと考え、頃合いを計り島田と鴻上に向かって頷き、同時にスタングレネードを投げた。

 三つの大音響が炸裂し、稲妻が走った。一呼吸おいてから、女子たちは猛然と立ち上がる。まず、すぐ目前にまで接近していた一人を鴻上の小銃が撃ち抜いた。連射に設定していたので、六発ほどの弾丸を消費した。そいつは六回ほど爆ぜたあと、血を噴き出して斃れた。

「こっちだ、ボケッ」

 右端にいたボロきれだらけの男に向かって、島田は日本刀を振り下ろした。ボロきれ男の頭頂部が刃をガッチリと食い込み、瞬時に絶命する。島田は間髪入れずに胸ぐらを蹴飛ばして、めり込んだ頭蓋から日本刀を外した。そして次を構えるが、三人目は、すでに新妻の斧が心臓に突き刺さっていた。

 三人は死体にかまわず、壁に近寄り外の様子をうかがった。

「まだいるよ」

「わかってる。チョロついてるもんな」

 疑わしきは殺せ。

 彼女たちが日々を生き抜いている世界は、冷酷で非情である。誤った方向に少しでも戸惑えば、それは自らの墓碑銘を刻むこととなる。この世界に在りし日の倫理や道徳などは通用しないし、もとより、彼女たちは彼女たちの論理に忠実だった。

 家族には惜しみのない愛を。溺れる者にはできる範囲で慈悲を。暴力にはより呵責のない暴力を。とくにリーダーである新妻は、それらを徹底することで家族を守り続けていた。

「あいつら、こっちに来るかな」

「さあ、どうだか。銃声を聞いたから、少しはビビってるだろうよ」

「時間を稼げたね」

「唯、見張っててくれ」

 鴻上を見張りにおいて、新妻は襲撃者たちの素性を調べにかかった。同じく見張りをしていた島田は、気になるのかチラチラと見ていた。

「唯、一人で大丈夫か。あたしも見てみたいんだけど」

「ええ、大丈夫です。ここからすべて見えますので」

 辛抱たまらず、島田も検分に加わった。好奇心がうずいて仕方ないのだ。

「しっかしこいつら、ヒドい臭いだ。ゲロ吐きそうだって。しかも雑巾みたいな服着てるよ。ただの浮浪者だったかなあ」

「いいや、ホームレスにしては物騒なもの持ってるさ」

 新妻が、死体から武器とおぼしきものを剥ぎ取った。それらはナタにナイフ、金槌だったが、奇妙なことに金ノコを持っている者もいた。

「こいつ、金ノコなんか持って襲おうとしたのか。配管屋か」

 せせら笑いながら、島田がその金ノコを蹴飛ばした。自分の足元に転がったそれを見て、鴻上はかつてないほどの悪寒を感じた。

「姉さん、こいつら男か」

「ああ、全員野郎だよ。女はいないようだ。あ、コイツのナップになにか入っているぞ」

 日本刀で頭蓋骨をかち割られた男は、薄汚いナップサックを背負っていた。

「缶詰だったらラッキーだ」

「こいつ、なにを入れてるんだ」

 新妻はナップサックの口を開けた。中を覗くが、それがなんだかわからないようだ。そっと手をつっ込み、ゴワゴワしたものを取り出して、目の前に掲げた。

「なんだこれ、ウイッグか。ゴミ捨て場から拾ってきたのか。でも、すごい臭いだ」

「なんで、ヅラなんか持ってやがるんだ。おしゃれなホームレスなのか」

 新妻も島田もカツラだと思っていた。たしかにそれは人の頭髪そのものであり、であるならば、カツラの類だろうと考えるのが自然だ。

「いや、お面か」

 頭髪とともに、なぜか顏の部分もあった。最初、新妻はオモチャのお面と思ったようだ。

「・・・」

 しかし、それはとんでもないものだった。自分が掴んでいるモノを数秒間凝視してから、新妻は慌てて投げ捨てた。

「うわあ、くっそー」

「なんだ、どうしたんだよ、姉さん」

「触るな、友香子」

 床に落ちたそれに手を伸ばしかけた島田を、厳しい声で制止させた。

「それは人の皮だ。頭と顔の皮を剥ぎ取ったんだ」

「な、、、えっ」 

 島田は事実を呑みこめないのか、目を白黒させている。カツラだと思っていたモノが、じっさいは人の頭部の皮を頭皮ごと剥いだものなのだ。

「クソがーっ」

 新妻は鬼のような形相でナップサックを持ち、口を逆さにして中のモノを床にぶちまけた。

「うっわ、な、なんだよ、なんなんだよ、これ」

 多少干乾びたそれらは、切断された手首であり、えぐり取られた内臓類である。乾燥が十分でないために一部が腐敗し、悪臭を放っていた。

「なんだって、こんなもの背負ってるんだよ」

「こいつら、人喰いだ。ちくしょう、人喰いがホントにいやがった」

 新妻は以前、西からやってきた家族から、人喰いの集団が跋扈していると聞いたことがあった。それらは人間の倫理も理性もなくし、群れで人を襲っては貪り喰うということだ。もはや人ではなく獣に近いと、リュウマチを患った老人がしみじみと語っていた。

「じゃあ、なにかい、あたしらは獲物なのか。こいつらの食い物だってことかい」

 それに対する返答を、新妻は汚い言葉で吐き出した。

「チクショー、冗談じゃねえぞ、クソ野郎ども」

「上等だー、ぶっ殺してやるー、逆に生きたまま引き裂いてやる」

 リーダーの怒声が、島田の闘争心に火をつけた。

 新妻と島田は、その人間性において似通った性質がある。

 驚愕や憎しみを激しい怒りに昇華させ、内に秘めた破壊衝動を怒涛の如く放出するのだ。ヒステリーとは、そのエネルギーの質において根本的に違っており、直情的というよりも多分に暴力的なのだが、危機的な状況においては、それが何度も彼女たちの命を救うことになった。

「おりゃっ」

 突然、新妻の斧が空を切って鴻上の方向へと飛んでいった。一瞬身をすくめるが、斧は彼女の鼻先をかすめて、その向こうにいる者へと直撃した。それは額の骨を叩き割られ、血を噴き出しながら悶絶している。 

「唯っ、ぼやっとしてんじゃねえ」

 新妻の激が飛ぶ。見張りが油断していたスキをついて、人喰いの一人が窓から侵入しようとしたのだ。

 鴻上は狼狽えていた。人喰いが自分たちを狩っているという現実に、それほど回転の良くない思考回路が焼き切れてしまった。真に受けてしまう性格が、アダとなっている。 

「ゾンビだ、ゾンビだ」

 人喰いゾンビに襲撃されていると、彼女の脆弱な想像力が訴えていた。映画で見たおどろおどろしい光景が、いままさに自分にふりかかっている。このままでは、生ける死霊どもに生きたまま肉を喰いちぎられると、すでにパニックの域まで達していた。

「うわあ、ああ、ああああ」

 小銃から次々と銃弾が撃ちだされる。人喰いを狙って撃っているのではない。とにかく、なにかがいそうな場所に向かって、手当たり次第にばら撒いていた。

「唯、落ち着け。しっかりと狙って撃て。唯、唯」

 リーダーの忠告など眼中になかった。彼女にとっての優先事項は、人喰いゾンビを、この場所へ絶対に近づけないことである。弾が当たろうが外れようが、その予備弾倉もあと三つほどしかないことも、どうでもよかったのだ。

「うわ、なんだ、これ」

 三人が立てこもる室内に、突然煙の塊が現われた。それはもくもくと増えている。赤い煙が、シューシュー音を立てながら充満していた。

「発煙筒だ」

 どこから投げているのか、発煙筒が放り込まれていた。鴻上が狂ったように弾幕をはるのだが、それをあざ笑うかのように次々と投げ込んでいた。

「あいつら、アホなケモノじゃなかったのかよ」

「甘く見るな、友香子」

 人喰いどもの動きは統制がとれていた。最初に偵察員を送り込んできた後、銃器を持っていると確認すると、今度は外に燻りだそうとしていた。彼らの指揮官は、鴻上の滅茶苦茶な発砲から、彼女らが浮足立っていると判断していた。

「姉さん、どうするよ」

「ここにはいられない。裏から外に出るよ」

 たぶん、裏口で待ち構えているだろうと予想できたが、正面から出るよりもマシだと、新妻は判断していた。こちらには銃がある。なんとか突破できるはずだと踏んでいた。

「唯が先頭だ。何かいたら、とにかく撃ち殺せ。そして、つっ走るんだ」

「頭だ、あいつらは頭を撃たないと死なない」

 人喰いは、人であってゾンビではない。偽りの急所を気にする必要などない。

「唯、しっかりしろ。足でも胸でもどこでもいいんだ。わかるな」

「頭だ、頭」

 念仏を唱えるように、頭という言葉を何度も繰り返していた。鴻上の目は血走っている。この状態になったら、なにを言っても無駄なことを、二人の年長者は理解していた。

「姉さん、唯はダメだ。あたしが先頭に立って斬り込む」

 頼りにしていた者が意外にも脆く崩れてしまったことに、新妻は臍を噛むおもいだった。あの小屋での森口と同じように引っ叩いてやりたかったが、そんな余裕はない。ここでライフルマンにへたり込まれては、致命的だからだ。

「友香子、行け」

 島田を先頭に、女子たちが裏口のドアを蹴破って外に出た。相当な煙を吸いこんでいたために走ると息があがってしまうが、立ち止まれば、よほど残虐な地獄を味わうことになる。ここは肺が破裂してでも前進しなければならない。

「横からも来るよ」

「唯、撃ち殺せ」

 新妻に言われるまでもなく、鴻上は射撃を始めていた。

「当たらない、当たらない」

 しかしながら、連射で撃っているのにもかかわらず、一人も斃すことができない。  

 敵方の動きが早いのもあったが、おもな理由は鴻上が頭部のみを狙っているのと、心の動揺が激しくて照準が定まらないためだ。

「おめえ、どこ狙ってんだ」島田が怒鳴った。

「唯、銃を貸せ」

 新妻が鴻上の銃を取り上げようとするが、彼女は頑なに手放そうとはしなかった。

「姉さん、いまはとにかく逃げよう」

「わかった」

 もめている二人の様子を見て、島田が相当イラついていた。

 三人は、路地を曲がって広い道路に出た。前のほうから数人の人喰いがやってくる。島田は日本刀を構え、新妻も斧とナタを両手に持った。鴻上は、相変わらず後方と側面を撃ち続けている。

 人喰いたちは、またもや発煙筒を投げつけてきた。まっ赤な煙が、女子たちの足元でモクモクと立ち昇る。しかも、途切れることなく投げ込まれていた。

「このままじゃ、煙に巻かれる。真正面を突っ切るよ」

「いや、ダメだ」

 走り出そうとする島田を新妻が止めた。取り乱した鴻上の足が止まっているのだ。ワーワー叫びながら、その場に踏んばって撃ち続けている。新妻がいくら怒鳴っても言うことをきかない。

「うわあ、なんだこれ」

 もたもたしているうちに、彼女たちの身体になにかが巻きついてきた。

「網だ」

 漁網であった。

 しっかりとしたロープで編み込まれた漁網が、彼女たちを絡めていた。人喰いたちが左右に走り回り網を狭めていた。刺し網で、魚の群れを追い込むやり方だ。

 漁網は一つだけではなかった。二つめはナイロン製の細い網で、それがまた手足によく絡まり動きを封じられた。さらに三つめの網でダメを押された。三人は人喰いたちの仕掛けた網に巻かれながら、ひと塊になって動けなくなってしまった。

「こんちくしょう」

 日本刀で網を断ち切ろうともがくが、無駄な努力だった。幾重にも巻かれた漁網によって両腕がきつく縛られている状態では、刃を動かすことができないのだ。

 人喰いたちは、そのまま網を引っぱり続けて、赤い煙の圏外へと持ってきた。新妻と島田、鴻上は立っていることができずに、お互いに密着して絡まりながら、ずるずると引きずられた。

 そこに十数人はいるだろうか。人喰いたちが、それぞれに人体解体用の道具をもって、ゆっくりと獲物に近づいてきた。

「唯、撃て、撃て」

 鴻上の小銃には、もう弾が残されていなかった。もっとも弾があったとしても、漁網に絡まれた状態では撃つことはできないだろう。

「だめ、もうだめ」

 ライフルマンは完全に戦意を喪失していた。嗚咽をもらして、いまにも泣き出しそうだ。

 鴻上はパニックから脱することができたが、かわりに彼女の心の全般を絶望が占めていた。ゾンビに生きたまま喰われてしまうという地獄に、骨の髄まで戦慄した。

「あたしは黙って肉にされる気はないよ」

 島田は、まだあきらめてはいない。殺されることはわかっていたが、一人二人ぐらいは道連れにしてやると闘志を燃やしていた。

 勝敗は決していたが、みすみす屠殺されるつもりはなかった。新妻も覚悟を決めている。

「あいつらを甘く見ていた。私のミスだ、すまん」

 近づいてくるボロ雑巾みたいな男を睨みつけながら、新妻は謝罪した。二人は静かに聞いていた。

「たぶん、これから切り刻まれるんだろうけど、大人しくやられるのは癪だからさ。ドカンとやっていいかな」

「あはは、派手にやろうよ、姉さん」

 新妻は、朝比南高校のブレザーの内側に自爆用の爆弾を仕込んでいた。プラスチック爆弾をベルトにして、肩から斜めに掛けていた。

 もしもの時は、盛大に爆発させるつもりだ。リーダーが生きて虜囚の辱めを受けることがないように、とくに危険が予想される外出時には身に着けていた。

「結構な量だから、三人とも粉みじんの肉片になって、あいつらが喰う肉がないな」

 その自爆用ベストの製作は島田も手伝っていたので、威力を十二分に理解していた。

「友香子、唯、すまないが、私の道連れだ」

 すっかりと観念してしまった鴻上は、黙って頷くだけだ。島田はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。

 身体を揺するように動かして、新妻は右手首の自由を確保した。なんとか起爆スイッチに手が届くようになると、安全装置をオフにして、その時を待った。

「どうせなら、あの蛆虫どもを一緒に連れて行ってやろうよ、姉さん」

「当然だよ」

 新妻と島田は、うなだれたように首を落とすと静かになった。抵抗する気配をまったく消し去っている。油断させて、近づいてきた人喰いたちを、できるだけ巻き添えにしようと画策していた。とくにリーダー格の男を始末しておかないと、新妻グループの残された者たちに危険が及ぶこととなる。

「バカがくるね」

「そう、もう少し、もう少し」

 人喰いのリーダーらしき男の後ろに数人がついてきている。手には槍のようなものを持っていた。ある程度近づいたら、それで突き刺すのだろう。

「もう少し」

 新妻はギリギリまで待った。一人でも多く爆発に巻き込みたいと、切に願っていた。

 人喰いのリーダーが、まずは新妻の首に突き刺そうと槍を振り上げた。彼女の指が起爆スイッチに触れようとした瞬間だった。

 パンと乾いた音と同時に、男が後ろにひっくり返った。大の字になって倒れてしまい、首から噴水のように血が噴き出していた。

 後方にいた者たちが弾かれたように動きだすが、ほぼ同時に無数の銃声が響いてバタバタと倒れた。さらに、後ろで見ていた集団にも容赦なく銃弾が撃ち込まれて、あっという間に、すべての人喰いたちが殺されてしまった。

「なんだ、どうしたんだよ。姉さん、なにがあった」

「しっ、私にもわからないよ」

 一分ほどの静寂が続いた。暑く乾いた風が路上のチリやホコリを巻き上げる。それらが目に入らぬよう三人が細目で見ていると、道路の左右から人がやってきた。一人二人ではない。十人前後が、ゆっくりと慎重な足取りで近づいてくる。猟銃やアサルトライフル、分隊支援用の機関銃を持っている者さえいた。

 その中の一人、ブレザーの制服を着た女が短く指示を出すと、ほかの者は撃ち殺した死体の検分をし始めた。触るのもイヤなのか、足でけったあとは唾を吐きかけたりしている。

「あらまあ、海じゃなくて、通りの真ん中で網にかかるマヌケもいるのね」

 彼女は網にかかっている獲物の前に立って、腕を組みながら見下していた。三人が、まぶしそうに見上げた。

「ブルベイカー」新妻が呟く。

 ナオミ・K・ブルベイカーであった。彼女と配下の者たちが、人喰いたちをすべて銃殺したのだ。

「は~あ~、人喰いのうじ虫さんたちを退治したら、余計なものまでいるじゃないのさ。なんか、とっても損した気分なんですけど」

 そう言って、とびきりの笑顔を見せる。これだけのことをしたのに、じつに涼しげな表情だった。その天性の度量の大きさと、男顔負けの度胸は突きぬけていた。

「おい、あたしらを助ける気があるなら、とっととこの網を切ってくれ」

「友香子は相変わらず勇ましいけど、ちょっとオツムが足りないのよねえ。こんな単純な手に引っかかるなんて、ある意味、あなたらしいわ」

 ブルベイカーはケタケタと笑う。配下の者が彼女に近づいて耳打ちした。

「人肉と発煙筒しか持ってないって、こいつらどんだけ使えないんだってさ」

 足元に転がっているボロ雑巾を、ブルベイカーは、さも汚いものを見る目つきで一瞥した。

「ブルベイカー、わざわざこいつらを狩りにきたのか」

 新妻が話しかけるが、ブルベイカーは彼女を無視した。わずかに動いて、鴻上の前で止まった。

「唯、あんたの射撃は無茶苦茶だったよ。しっかもゾンビゾンビって喚いちゃってさあ、もう、父ちゃん情けなくて涙が出てきたよ、ぐすんぐすん」

 ブルベイカーは、楽しそうに泣く真似をした。  

「す、すみません、ブル姉さん。でも助かりました。ブル姉さんがいなければ、私たちはどうなっていたか」

 新妻の心中が穏やかではなかった。

 ケモノじみた人喰いたちのワナにまんまと嵌り、もっとも助けを乞いたくない相手に救われてしまった。しかも、そのブルベイカーには無視されて、致命的なヘマばかりした妹は、ブルベイカーを姉さんと呼び、涙を流さんばかりに感謝している。リーダーとしてのメンツが丸つぶれであり、腹立たしいやら情けないやらであった。

「そりゃあ、食べられていたんじゃないの。なんでもねえ、このうじ虫さんたちは、つかまえた人間を生きたまま解体しちゃうって話だから、それはそれは激痛いことになっていたんじゃないかな。たまたま偶然、ホント偶然に、わたしが通りかかってラッキーだったのよ」

 ブルベイカーが言うと、ちっとも恩着せがましくなかった。いつものように、日々のルーチンワークをこなしただけといった感じだ。

「やっぱり、ブル姉さんはすごい。こいつらを一匹残らずやっつけるなんて」

「まあ、縄張りに汚物どもがいるのって、なんか気持ち悪いでしょう。ウンチの後のお尻は、しっかり拭きとらなきゃね」

 ブルベイカーらしい軽口だ。彼女なら、地獄の業火に焼かれていても冗談が叩けるだろう。   

「ブル姉さんは、」

「唯、ちょっと黙ってろ」

 調子にのってブルベイカーを持ち上げ続ける鴻上を、島田が諌めた。さすがに言い過ぎてしまったと、彼女は下を向いて黙った。

「だからさあ、ブルベイカー、この網を切ってくれるのかって聞いてんだけど」

 どちらかというと、かなり敵対的な口調だったが、もちろん、そんなことでブルベイカーは激高などしなかった。相変わらずの涼しい顔で言うのだ。

「それは手紙の返答次第かな、てへ」

 厳しい条件だった。正直に返答したほうがいいのか迷っていると、ブルベイカーのほうからハードルを下げてきた。  

「ま、今日のところはサービスしておくわ。ちなみに、うじ虫ちゃんたちは、これで全部みたいよ。こんな特殊なやつらは、もうこないでしょうよ」

 ブルベイカーが手を振ると、配下の女たちがやってきて、ナイフでロープを切断し始めた。だが漁網は強靭であり、三人が自由になるまで数分を要した。なかなか進まないので、外国語で悪態をつきながらナイフを押し当てていた。

「礼を言うべきかな」

 無事開放された島田は、日本刀を鞘に納めた。新妻は、少し距離をとっている。

「お礼なんていいのよ、次は見殺しにするから。それと穏香に伝えてほしいんだけど」

「綾瀬に?」

 ブルベイカーの表情が、一瞬真顔になった。

「いつでもいらっしゃい。あなたなら幹部待遇だから、ってね」

「はは、なるほどね。あいつは役に立つからな」

 医療に精通している者は少ない。組織を維持していくうえで、彼女は貴重な人材である。

「あらあ、あなただって役に立つかもしれないわよ。そうねえ、オス犬のエッチ相手なんかはどうかしら。オス犬とさかりのついたメスって、お似合いだよねえ」

 島田の手が日本刀にかかった。傍にいたブルベイカー配下の者たちが、一斉に銃を向ける。

「いやねえ、冗談よ、冗談。本気になっちゃって、ホント友香子は可愛いわ」

 待機している者たちに短く指示を出すと、彼女は歩きだした。

 ブルベイカーが島田から離れると同時に新妻が近づいた。妹の肩を叩いて、忍耐の労をねぎらう。

「それじゃあね、穏香ちゃんによろしく。バイバイ」

 まるで霞が引いていくかのように、彼女たちの姿が消えていった。現れた時もそうだが、気配を極限までそぎ落とし無駄もなかった。射撃位置も、射撃そのものも正確であった。言葉もロクに通じない者たちを、ブルベイカーがよくここまで鍛えあげたものだと、新妻は感心するのだった。

 通りの真ん中には、薄汚いボロ雑巾たちの死体と三人の女子が残された。

「ブル姉さんが来てくれて助かりました。やっぱり、ブル姉さんは」

「るっせー」

 のん気に、まだブルベイカーのことを褒め讃える鴻上に向かって、島田の拳が炸裂した。張り手ではない。固くこぶしを握り締めて、手加減なしで殴りつけた。

「ぐふっ」

 たまらず、鴻上は地に伏せた。そこに島田がのしかかり、二発三発と容赦のない打撃を加えた。

「おめえがラリってるから、このクズ野郎どもに喰われかけたんだっ。おめえがしっかり撃ってたら、あの売女に助けられることもなかったんだよっ」

 殴られた鴻上は、か弱く抵抗していた。いままで、彼女は上の姉たちに殴られたことはなかった。十文字などは、新妻や島田に何度も張り手を食らっていて、そのたびに蔑んだ目でみていたのだが、まさか自分がせっかんを受けるとは思っていなかった。だから、顔面の物理的な衝撃よりも、精神的なショックのほうが大きかった。

「友香子、やめな。もういい」

 新妻が後ろから島田を抱きかかえて、そのまま引き剥がした。頬を腫らした鴻上は呆然自失状態だったが、それでも、のそのそと上半身だけ起こした。

「ご、ごめんなさい。私、なにやってんだろう。だ、だって、ゾンビだと思って、頭を撃たなきゃと思って、だって、怖くて、だって、あいつら人を食べてるから。人の肉をナップサックに入れて持ち歩いてるから、わかんなくなって。ブル姉さんが来なかったらって思ったら、ごめんなさい、ごめんさい」

 オロオロ声で、ぺこぺこと謝る鴻上の姿は痛々しかった。チリと埃と雑草だらけの道路に、彼女は涙を流しながら頭をつけていた。自分が仕出かした失態のために、姉たちまでもが命を落とすとこだったのだ。いつも通り冷静に行動していれば、無様に捕獲されることなどなかったであろうと痛感していた。

「私、とんでもないミスを。どうしようどうしよう」

 鼻水をたらして泣きだしている妹の傍にしゃがみ、新妻はそっと抱きしめた。

「千早姉さん、ごめんなさい」

「大丈夫だよ、唯。なんも心配することないさ。こいつらは特殊だよ。こんなの映画の世界だ。私だって、じつは少しチビってるんだよ。ブルベイカーには言うなよ」

 そう言って、鴻上の涙を指で拭った。妹に面と向かってニッコリと微笑むと、泣きじゃくった顔が不細工な笑顔になった。

「それとな、唯。ブルベイカーのところに行きたいのなら、好きにしていいんだぞ。我慢して、私についてくることもないさ」

 それは新妻の弱音である。じっさい、ナオミ・K・ブルベイカーの実力を見せつけられて、意気消沈していた。 

「ブル姉さんのところに行くのは、みんな一緒じゃないと」

「私や男子たちに選択肢はないよ」

 新妻は、仕方がないという表情をした。鴻上が真剣な面持ちとなる。

「私は千早姉さんと一緒がいいです。どこまでも一緒がいいです」

「ブルベイカーのほうが強いよ」

「それでも、千早姉さんがいいんです」

「ありがとう、唯」

 新妻はまた抱きしめた。今度のは、深い感謝を込めての抱擁だった。

 島田が小銃を拾って鴻上に渡した。

「殴って悪かったな。だけど、今度またヘマをやるようだったら、口がきけないくらいにしてやるからな」

 姉としての叱咤激励である。鴻上もわかっていたので、それほど悪い気はしなかった。

「大丈夫です。もう、大丈夫です」

 すがすがしい表情だった。ゾンビに対する怯懦は、ふっ切れたように見えた。これなら使い物になると、島田は判断した。

「姉さん、どうする。いったん帰るか」

「いいや、綾瀬たちを探そう。ブルベイカーは、もう人喰いはいないと言ってたけど、安心はできない」

「まさか、綾瀬さんたちはもう」

 すでに人喰いたちに襲われて、肉片になってしまったのではないかとの考えが、鴻上の脳裏をよぎった。

「それはないだろう。さっき、ブルベイカーの仲間がこいつらのナップを一つ残らず調べていたからな」

 彼らの持ち物は、すべて路上にばら撒かれている。肉片はどれもが干からびていて、新鮮なものは見当たらない。

「どれも古い肉ばかりだし、もし二人を食料にしたのなら、あたしらまで狙わないだろう」

「まあでも、二人の姿を見るまでは安心できない。すぐに探しに行くよ。唯、先頭を歩きな」

「はい、千早姉さん。でも、もう89の弾がありません」

 人喰い相手に乱射してしまったので、ライフルマンは持参した予備弾を使い切っていた。

「仕方ない、私が先を行くよ」

 リーダーが先頭を歩き、島田と鴻上は、それぞれ十メートルほど距離をあけながらついて行く。危険地帯を走破するときの、いつもの縦隊形だった。

「銃の援護なしって、けっこう不安だなあ」

 飛び道具の威力と信頼感は抜群であったと、周囲に目を配りながら島田はしみじみと思った。


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