第11話
次の朝、新妻は少し遅く目覚めてしまった。二日にわたる遠征で、気力も体力も消耗していたのだ。不埒な男たちに妹が強姦されかけ、その復讐と刑罰の執行に、負のエネルギーを大量に放出したのも原因の一つだ。しきりに大きなあくびをして、凝った肩を自身で揉みほぐしながら大広間へとやってきた。
「姉さん、おはよう」
「おはようございます、千早姉さん」
「ああ、おはよう」
森口がすぐに声をかけてきた。いつも通りの自然な笑顔見せられて、気分はよくなっていた。
「ご飯にしますか」
「ああ、そうだな」
天野がリーダーの朝食を用意する。新妻は椅子に座りながら、まだ醒めきらぬ目でその様子を見ていた。
「そういえば、今朝は静かだな。他はいないのか」
そこには森口と天野しかいなかった。いつもの朝なら、ほぼ全員が集まってガヤガヤやっているからだ。そんなに寝坊してしまったのかと、新妻はあらためて時計を確認するが、それほど寝過ごしたわけではない。
「友香子と來未は男子の部屋にいるよ。万里子は、コンビニで見つけたホットケーキの粉で、なんかお菓子みたいものを作ってる」
お土産には缶詰とレトルト以外にも、価値のあるものがあったのだ。
「唯は」
「唯ちゃんは屋上で、たぶん周囲を見回しているんじゃないかな」
「ふ~ん」
新妻は冷えた飯にお湯をかけながら、かっ込み始めた。おかずはチーズ風味のスナック菓子と乾パンに塩を振ったものだ。バリバリと小気味よい音をたてて、さらに飯をすする。
「綾瀬も十文字のとこか」
いつもいるはずの綾瀬の姿が見えないので、なにげなく言ったのだが、意外な答えが返ってきた。
「綾瀬なら出かけたよ」
そう言ったのは、島田だった。ちょうど、男子の部屋から帰ってきたところだった。
「出かけたって、どこに」
「朝比南赤十字病院。薬を探すんだってさ」
「あそこは前にさんざん探しただろう。それに・・・」
「そうなんだよ、姉さん。我らが母校、朝比南高校のすぐ近くだよ」
その病院は、かつては地域の中核となる大病院であったが、いまは存分に崩壊しており、幽霊の類が出現しても不思議ではないくらいの廃墟病院となっていた。
新妻が気にしているのは、そこにはもう目ぼしいものがないということよりも、どうしてこのタイミングで綾瀬がそこに行ったのか、だった。なぜなら朝比南赤十字病院は朝比南高校のすぐ近くにあり、さらに朝比南高校は、ブルベイカーグループの根城でもあったからだ。
「綾瀬一人でいったのか」
「西山も一緒だよ。ロクヨンを持っていったけど」
ロクヨンとは六四式小銃のことである。年代物のアサルトライフルで、重いわりに部品がよく脱落するので、鴻上は嫌っていて触ろうともしない。
「二人だけで行ったのか。唯を連れて行かなかったのか」
「みたいよ」
綾瀬と西山だけで外出したのだ。頭脳派な綾瀬は戦闘にはまったく向かいないし、西山は何度も修羅場をくぐっているが、いまは片腕だけとなってしまい、まともに闘うことは難しい。小銃を持ってはいるが、二人とも銃器の扱いは慣れていないはずだ。暴漢に襲われたら、身を守れる保証はない。
「昨日の今日だから、ブルベイカーのとこに行ったんじゃね。あたしらを見捨ててさ」
しかも、出かけた先はブルベイカーグループの鼻先である。島田が言わんとしていることを、新妻も森口も考えていた。天野は、オロオロとして落ち着きがなかった。
「もしそうだとしても、それがなにさ。あの人がいなくたって、私たちはここで生きていくだけだって」
自分に言い聞かせるような話しぶりだった。森口は自らの決心の固さに、ウンウンと頷いていた。
「ま、そういうことだね。かえってスッキリするかもよ」島田も同じ気持ちだ。
「いや、放ってはおけないだろう。唯と一緒にいって連れ戻してくる」
しかし、リーダーである新妻の意見は違った。
「姉さん、ここを出ていきたい奴は行かせればいいんだよ」
「まだ、ブルベイカーのもとへ行ったとは限らないだろう。たぶん、本当に薬を探しに行ったんだよ。昨日も一人でも探しに行くって言ってたしな。綾瀬もなぎさも家族だよ。私の妹たちだ。怪我でもされたら、たまったもんじゃない」
唯を呼んできてくれと、新妻は天野に頼んだ。妹は戸惑いながらも、その指示に従った。
「そういうことなら、あたしも行くよ。ブルベイカーたちは襲ってこないと思うけど、ヘンタイ野郎はどこにでもいるしな」
「悪いな、友香子」
人数が多いにこしたことはない。その建物から一歩外に出れば、そこに安全な場所などないからだ。
「私も行く」森口も立ち上がった。
「裕子は残っていてくれ。綾瀬がいないんだから、おまえになんかあったら、男子たちの看病をする者がいなくなる」
綾瀬がいないと、医療方面で頼りになるのは彼女だけだ。
「うん、わかった」
森口はあっさりと納得した。
「來未はどうするの。あいつの弓と度胸はかなり役に立つよ」
「いや、來未もおいていこう。まだ傷が治ってないし、ブルベイカーの動きも気になる。使い手を一人残しておきたい」
「それもそうだ」
結局、綾瀬・西山の捜索は、新妻と島田、鴻上の三人で行くことになった。呼び出されて血相変えて大広間に入ってきた鴻上は、すでに銃をかまえていた。
「侵入者ですか」
慌てた天野が呼び出しの内容を伝えずに、ただ急ぐように言ったのだ。
「まあ、あんたがいれば安心だわ」
キョトンしている鴻上の横を素通りして、島田は日本刀を抱えた。新妻はサスペンダーの胸の部分にナタを仕込み、手には斧を持っていた。天野がイヤそうな目で見ている。
「じゃあ行くかい」
「はい」
「あいよ」
三人はゲームセンタービルを出た。体勢を低くして小走りに進む。森の中で獲物を探す狩人みたいな姿は、とても年頃の女に見えなかった。
新妻たちが出ていくと、森口はゲームセンタービルの脇にある小さな空間へと向かった。そこは周りがビルで囲まれているので、ほぼ中庭のような感じだった。すき間はコンパネ板と有刺鉄線で防御されている。しっかりと遮断されているので、不審者が外界から侵入する心配はほぼなかった。
「やっぱり全滅か」
アスファルトではない黒土の地面にしゃがみこんで、森口は落胆していた。そこにはトウモロコシの苗を植えていたのだが、度重なる異常な冷え込みで枯れてしまっていた。
「予想外の寒さでさ。俺も気になってたんだけど」
「あ、義之君」
いつの間にか、佐藤義之が後ろにきていた。ほとんど物音を立てずに近づいてきたため、森口はまったく気づかなかった。
「大丈夫なの、そのう、寝てなくて」
「うん、今日は調子がいいんだ。朝さあ、綾瀬さんがグリーンピースのスープを持ってきてくれたんだよ。それ飲んだら、元気が出ちゃった」
青白い顔で無理に笑顔をつくるが、その表情は、誰が見ても充分に具合が悪そうだった。実際に立っているのもやっとの状態であり、いまの彼を奮い立たせている唯一のものは、目の前にいる女子の存在、ただそれだけだ。
「グリーンピースの缶詰、私がみつけたんだよ」
立ち上がった森口は、ピースサインを見せてちょっと照れていた。キャラに合わないそのいじらしい仕草に、義之の薄暗い笑顔が明るくなった。
「すごく美味しかったよ。さすが、森口さんだ」
「あれえ、それは違うでしょう。私は見つけただけで、おいしいスープを料理したのは綾瀬さんだよ」
「そ、そうだけど、やっぱ森口さんが缶詰を見つけないと、そもそも料理できないし」
「私が見つけたってのはウソだよ。ほんとうは友香子よ」
「え、そうなのか。ああーっと、なんだかなあ」
バツの悪そうに目を泳がせる義之を見て、森口はクスクスと笑っていた。
「それもウソ。ちゃんと私が見つけたんだから」
「やっぱり、どうりで美味いと思った」
「だから、料理したのは綾瀬さんだって」
森口と二人っきりで会話できるのがうれしくて、義之は自身の乏しい知識を搾り出して話をする。
「苗がさ、ちょうどのびようとしたときに霜にあたったんだ。もうちょっと成長してたら、少しは耐えたのかもしれないけど」
「へえ、義之君は農業にくわしんだ」
「はは、べつに家が農家だったわけじゃないよ。母さんが家庭菜園好きで、たまに手伝っていた程度だよ」
「ふ~ん」
森口の表情の奥にある感情を、彼は読み取れない。ここからどう導こうか、やはり農業ネタが最善だとの判断に至ったようだ。
「また植えればいいんだよ。ほら、今日はけっこう暑いし、この天気、当分続くと思うんだ。俺も手伝うからさ」
「でも、種がないの」
「ええーっと、まだあったような」
「さっき見たら、カビが生えちゃってた。物置きに水がたれていたみたいで、なんかもう、踏んだり蹴ったり」
不幸にも、備蓄していたトウモロコシの種は全滅してしまった。適切ではない場所に保管していた森口の不注意である。彼女の落胆は、自然災害と自戒の念が混じり合ったものだ。
「で、でも、森口さんなら、きっと育てられるよ。種なんて、どこかにまだあるし、森口さんなら見つけられるから。絶対に大丈夫だって」
「種じゃなくて、グリーンピースだったら見つけられるよ」
「それって、やっぱ種じゃないか」
「ふふふ」
二人の会話が、うまい具合に嚙み合ってきた。強い日差しに義之の体調は悲鳴をあげるが、彼の気持ちは浮ついていた。
「裕子でいいよ」
「え」
なぜ義之が重病をおしてまでここに来たのか、森口は気がついていた。その兆候は以前から、いや、同じクラスにいた頃から知っていた。
彼の想いに応えてもいいと思った。遠征で十文字が暴漢に叩きのめされたり、可哀そうな少女が錯乱したのを見たりと、良いことがなさ過ぎる毎日で、女としての慰みが欲しかった。彼を愛しているわけではないが、誰かに身を任せたいとの欲求があった。
「裕子って呼んで」
断定的な言い方だった。彼女の決意が、はっきりと読み取れる強さがあった。
「裕子だったら、必ず見つけてやり遂げるさ」
森口は義之の正面に身体を置いた。そしてブレザーを脱ぎ捨て、ブラウスのボタンに手をかけた。
「触っていいよ」
黄ばんだブラジャーの前ホックは、すでに外されていた。太母を思わせる豊満な乳房が、その幅狭な筐体からとび出している。真夏の熱気が地面から沸き上がり、湿った土臭さとともに鼻をついた。
義之は軽い動機をおぼえながら、目前に突き出された乳房に手をおいて、まるで腫れ物にでも触るかのような力でか細く揉みだした。森口の口から生臭みのある吐息が洩れる。彼女はそっと目を閉じて、感じるまま、されるがままに身をゆだねていた。
初めて触れた女性の乳房が予想外に柔らかく、それをどう扱っていいのか難儀していた。あまりにも動揺していたために、彼女の唇に触れることも思いつかないでいた。しかも彼の体力は、若い欲情を支え切れないほどに弱っている。だが森口はそれ以上の行為を要求し、その身をさらに密着させてきた。
「お、おれ、やっぱ、ごめん」
義之は彼女から離れてしまった。乳房を露わにしたまま、なにごとかを訴えたい表情をしている森口を直視できず、斜め下を向いていた。粘り気のない冷えた汗が、彼の額を駆け下りた。
義之のあらゆる想い、考え、意志が枯れ果てた老人のように薄弱となっていた。好きな女を受け入れるだけの量も気合もなかった。現実は、いつも辛いものを彼にぶつけて、散々に傷つけてきた。だから義之は、極めて弱く身勝手な妄想の中でしか女を愛撫できない男となっていた。
「そう、」
森口はブラジャーを元通りにし、ブラウスのボタンを留めた。足元に置いたブレザーを羽織ると彼に背中を向けてしゃがみ込み、なにもなかったかのように土をいじり始めた。
人生最大の敗北感を味わいながら、義之はフラフラとした足取りで戻っていった。森口は見送らなかった。大粒の涙を落としながら、土をいじり続けていた。
事務所の簡易キッチンで、ホットケーキを作っていた小牧のもとに、天野がやってきた。
「あ、志奈ちゃん、ちょうどよかった。ホットケーキ作ったから、みんなに持っていってよ」
「ええーっと、たぶん誰もいないと思います」
「え、どうして」
コンビニで手に入れたホットケーキの粉を、すべて使っていた。テーブルの上には、大概な量のパンケーキが積まれている。
「綾瀬さんとなぎさ姉さんは病院に薬を探しに行ってますし、千早姉さんと友香子姉さん、あとは唯ちゃんも、綾瀬さんたちを探しに出ていきました」
「ええー、そうなの。こんなに作っちゃったのに、どうしよう。あったかいうちに食べたほうがおいしいのに」
「あ、でも、裕子姉さんと來未ちゃんならいますよ」
「よかった。それと修二や田原っちとヨッシーにもね」
小牧は上機嫌に言った。美味しい食べ物、とくに甘いものさえあれば彼女は幸せを感じられるのだ。
「まず、男子のとこに持っていこうか」
「そうですね」
二人は、数十センチに積まれたホットケーキのタワーから、数枚を別の皿に取り分けた。小牧は、さらに数枚を盛っていいものかどうかを悩んでいる。
「これで足りるかな」
食いしん坊の小牧は、食べきれる適量を常に自分尺度で考える。少しどころか、かなり足りない気がしていた。
「上谷さんと田原さんの分だけあれば足りるんじゃないですか。佐藤さんはほとんど食べないし、十文字さんは無理でしょうから」
固形物を咀嚼できるのは三人だけだか、この胃にもたれそうなホットケーキを、内臓の病気を患っている義之は食べられそうもないと、天野は判断していた。さらに、今日の義之には精神的な要素も追加されるべきだろう。
「あ、それと」
「どうしたの」
「万里子姉さん、これ少しもらっていいですか」
天野は温かで扁平なそれらの一枚をとると、半分をむしりとった。そして、その半月をビラビラとなびかせてニッコリと微笑んだ。
「全然いいけど、それだけでどうするの。たくさんあるからもっと食べて大丈夫だよ」
「私のじゃないんです。ワンちゃんにあげたくて」
「え、ワンちゃんって」
「じつはこの前、駅前の交番で犬を見つけたんですよ。まだ子犬なんですけど、可愛くて。お腹を空かせてるはずだから、あとで持っていってやろうと」
「へえ、そうなんだ」
動物にさほど興味のない小牧は、その犬の素性についての話を盛り上げることはしなかった。
「そのう、大切な食べ物をワンちゃんなんかにあげたって知れたら、たぶん綾瀬さんは怒ると思うし、千早姉さんにも何か言われそうで。すみませんけど、内緒にしといてもらえますか」
自分たち以外に与える余分な食料はないとのコンセンサスは、このグループの皆が共有している。
「まあ、今日はたくさんあるし、いいんじゃないの。でも、いつもあげるのは、やっぱりダメなんじゃない」
天野の気持ちを考えて今日のところは見逃すが、やはり食料は無駄にできない。食べ物が大好きな小牧は、食べ物のことを常日頃からシビアに考える女子だ。ただ、そのことをやんわり伝えるのが彼女らしかった。
「ありがとうございます。今日だけですから」
天野は嬉々として歩きだした。
「あ、どこ行くの」
「さっそく、あげてきます」
「駅前の交番って、けっこう遠いよ。一人で行ったら危ないよ。來未ちゃんにたのんで、一緒についてきてもらったら」
新妻グループでもっとも戦闘力のない天野が、たとえ縄張り圏内だとしても、一人で外出するのは危険である。かといって小牧も腕に自信がないので、誰かにまかせたほうが適切だと判断していた。
「一人で平気ですから。前にも何度も行ってるし」
小牧は疑問に思わなかったが、天野のように弱々しい女子が、一人で外出するのには理由があった。子犬の世話は副次的な出来事でしかない。そして彼女の行動は、このグループの行く末に重大な変更をもたらすこととなる。
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