第10話

 二人が大広間に戻ると、女子たちの食事はすでに終わっていた。天野と綾瀬、後から来た十文字が後片づけをしている。他の者は本を読んだり、日記を書いたりしていた。

 森口は、努めてリーダーと視線を合わせないようにしていた。あの河原での出来事を、まだ引きずっている様子だった。

 新妻は少しばかり待った。後片付けをしていた女子が戻ったので、その場にいる全員を集めた。

「私が留守の間にブルベイカーの使いがきて、手紙を置いていった。これから読むから、ちょっと聞いてくれないか」

「え、そんなのが来てたんか」

 島田は驚いた様子だった。それは他の女子たちも同じらしく、意外そうな表情をしていた。間をおかずに、新妻が読み始める。

{ゲームセンターの者たちに告ぐ。わたしのところに来るなら、いつでも歓迎する。たくさんではないが食料や医薬品がある。襲撃されることはないし、もしやってきたとしても、こちらには武器があるから撃退できる。過去のわだかまりは気にしていないから、安心して来てくれていい。ただし、新妻千早は除く。動けない者も同様だ}

 最後のほうは多少早口になったが、聞いていた者は、その意味するところを十二分に理解した。

「なんだよ、それ。誘ってるつもりなのか」

「過去のわだかまりを、しっかりと気にしてるじゃねえか。話になんねえわ」  

 島田と十文字が即座に拒絶した。新妻は感情を表わさない。 

「要するに、姉さんと男子はダメだってことね。それは全然魅力的じゃない。ていうか、ナメるって」

 森口も拒絶の意志を示した。自らが抉ってしまったリーダーとの溝を修復したいのと、ナオミ・K・ブルベイカーの提案が、本心から論外と思ったからだ

「ま、多国籍軍に行く気なんて、さらさらねえけどな」

 ナオミ・K・ブルベイカーの率いるグループは、ほとんどが外国人で構成されている。国も民族も様々で、その一団が固まって動くときは、まるで人種のモザイク模様のようだった。

 ゲームセンタービルにいる女子たちは、嘲笑と侮蔑の意味を込めて多国籍軍とか外人部隊とか揶揄していた。彼女たちは純血であること、それを守り抜いてきたことに自負と誇りをもっていた。

 新妻は待っていた。まだ肝心の女子が、意見を表明していないからだ。

「で、綾瀬はどう思うんだ」

「魅力的ではないけれど、考えてみる価値はあると思います」

 クリンとした瞳が、まっすぐ前を見据えていた。

「はあ?、てめえ、なに言ってんだ。ブルベイカーは、千早姉さんとあんちゃんたちはダメだと言ってるんだぞ。私たちだけで あの外人部隊にノコノコ加わるのかよ。そんでどうするんだ、言葉もわからねえやつらのラブドールにでもなるのかよ。反吐が出るぜ」

 十文字が食ってかかる。綾瀬は無表情のままだ。

「綾瀬さん、それはちょっとないわ。私たち、今まで何のために頑張ってきたの。先生や姉さんや修二君たちや、どれだけの人たちが命をかけて守ってくれたの。それなのに家族を見捨てて、自分たちだけがいいおもいをしようなんて、そんなことできるわけないじゃない」

「あんなとこ行っても、いいことなんてあるわけねえって」

 やや説教気味な森口の横で、島田はキビシイ視線を綾瀬に投げつけていた。日本刀が傍にあったら、斬り捨てていたかもしれない。

「なにも、今すぐに行くなんてことは考えていません。将来に向けて、いくつかある選択肢の一つとして、排除すべきではないと言っているんです」

「そうだよ。あからさまにブルベイカーさんたちと敵対するよりも、ちょっとばかりツバをつけていた方がいいよ。合流しないまでも、ひょっとしたら協力しあえるんじゃないか」

 綾瀬の意見に西山が賛同する。十文字と島田の顔色が変わってきた。爆発寸前である。

「協力だあー、ブルベイカーがなにをしたのか、おまえ忘れたのか。あいつは外人どもをけしかけて、あたしらを襲ったじゃねえか。修二たちが体張ったから、あたしたちは、こうしてレイプもされずに生きてんだぞ」

 しかし、その戦いの代償は高くついた。男子たちが負傷し動けなくなったからだ。自分の言っている言葉に興奮した島田は辛抱できなくなり、西山の襟首を締め上げた。

「あれはブルベイカーさんの指示じゃないって。全然違うグループだし。てか離せよ」

 身体をよじって離れようとするが、島田の握力はそれを許さなかった。もとより片腕だけなので、抵抗しきれないのだ。

「ああーっ、バカか、てめえは。あいつがそそのかしたに決まってるだろう。あいつらは、一か所しかない出入口を迷うことなく突破してきたんだから。あたしら以外に知ってたのは、ブルベイカーだけだろうが」

「友香子、とにかくやめろ」

 新妻が二人の間に割って入った。島田を力づくで引き剥がし、落ち着くように言った。リーダーに諭されて怒気を収めたが、西山を穴のあくほど睨みつけている。

「志奈と万里子はどうだ。意見があるならきかせてくれ」

 天野も小牧も、このグループの構成員である。貢献度は低いが、だからといって、彼女たちを除外するようなことはしなかった。

「私は、ここのほうがいいよ。ブルベイカーさんのところは知らない人ばかりだし、言葉も通じないし」

「私はそのう、ええーと」

 天野は返答に困っている様子だった。どっちの側にも与したくはない様子だ。

「やっぱり、ここでいいです」 

「よし、決まりだな」

 新妻グループでは、重要な事柄は多数決によって決められる。もっとも、リーダーの意向を十分に忖度した投票となるのが常だった。

「もし不服なら、遠慮なく出ていっていい。私は恨んだりしないから」

 それは、おもに綾瀬に向かって言い放たれた。

「決定には従います」

 彼女は、当然のように受け入れた。まるで異議をとなえたことがなかったかのような、白々しい態度だった。

「そうか」

 正直なところ、リーダーはホッとしていた。女子たちの中でも、綾瀬に出ていかれるのが最もダメージが大きい。なにかと小うるさくズケズケと物申すが、管理能力、医療技術を含めて、役に立つことが多々ある人材なのだ。

「西山、おまえは出ていくんだろう。大股ひらいてさあ、多国籍軍に毎晩慰めてもらえよ。ブルベイカーによろしくな」

 なぎさは、キッと島田を睨んだ。綾瀬が奥歯をキリキリと噛みしめる彼女の背中を押して、その場から離れた。

 

 ナオミ・K・ブルベイカーは、新妻千早の親友であった。朝比南高校では、いつも一緒だった。天真爛漫で、いささか天然気味なブルベイカーを、しっかりものの新妻がフォローする間柄だった。二人のコンビは学内では有名で、男子も女子も誰もが憧れる存在だった。

 この世が極めて不確定な要素で満たされた後も、二人の仲は不変だった。地獄のような災禍の中を、彼女たちは自らの身を盾にしてまで相手をかばってきた。

 仲間とはぐれて飢えに瀕した際にも、僅かな飯を、その一粒まで分け合って食べた。脳髄まで凍りつきそうなほど寒い夜も、お互いの肌を密着させてしのいだ。ナオミ・K・ブルベイカーの鼓動が、新妻千早の吐息となった。困難を乗り越えるごとに、二人の絆は深まるばかりだった。

 

「あの女も昔はさあ、朝比南のてっぺんアイドルだったけど、いまじゃあ外人部隊の女大将かあ。言葉もロクにつうじねえ相手を、どうやって手なづけてるんだか」

 夕食後の歓談の時間だった。女子たちは椅子に座ったりソファーに横になったりと、まったりとした時をくつろいでいた。

「そりゃあ決まってるじゃんか。エロいことしてるんだって。一日何本もしゃぶってんだろうよ」

 島田の話し相手は十文字だ。いつも、この二人によって会話の投げ合いが始まる。

「はは、バージンのくせして、よく言うよ」

「なんだとー」

 事実を指摘されて憤慨した十文字は、おもわず立ち上がるが、島田は気にしないし、怒ったはずの女子もすぐに座った。これも、いつものことだ。

「でも、ブルベイカーさんたちも女子ばかりだよ。男はいなかったような」

 物資調達の際に、小牧は何度かブルベイカーグループと遭遇している。ちなみに二つのグループは、表面上は敵対していない。

「だったら、女同士で乳繰り合ってるんだろう。ああー、キモッ」

 そう言って、さも気持ちの悪そうな仕草をする十文字を、森口は、やや冷めた目で見ていた。

「万里子姉さんは何度も見てるんだったら、ブルベイカーさんとこを、どう思うの」

 鴻上の問いにキョトンとした後、小牧は興味なさそうに言った。

「どうって、よくわからない。あ、でも鉄砲はたくさんあったよ」

「そこかよ」

「だってえ、私、難しいことわかんなし。綾瀬さんに訊いた方がいいんじゃない」

 この場に綾瀬と西山はいなかった。先に寝ると言って、寝部屋に行ってしまった。

「しっかし、ブルベイカーもちっさい女だよなあ。姉さんに男とられたくらいでグレちゃってさあ」

「友香子、その話はもういいよ」

 新妻の声が尖っていた。そのことには触れられたくないようだ。島田は、しまったという表情をして口をつぐんだ。


 ナオミ・K・ブルベイカーは、ゲームセンタービルのグループと決別することとなった。朝比南高校を守りぬいていた最後の教師が、路上に無残な姿で打ち捨てられて半年が経っていた。

 ブルベイカーは、このグループで生きていく気はないと宣言したのだ。驚いた皆が彼女の真意を質した。強力なリーダーであった彼女がいなくなると、自分たちの生存が根本から崩れてしまうからだ。

「新妻千早と、一緒にいる気はない」

 ブルベイカーは、そう短く吐き捨てた。しかも、これ見よがしに唾まで吐きだした。その場にいた者は絶句してしまい、ただただ立ちすくむだけだった。新妻は、少し離れた場所で黙って聞いていた。

 それは近藤愛子教諭が亡くなり、拠点を朝比南高校から、いまのゲームセンタービルに移した直後だった。このグループで指導的立場にいた上級生はナオミ・K・ブルベイカーと新妻千早だけだった。生き残っていた男子は、全員が一年下であったので二人には遠慮がちであり、指揮を主にナオミ・K・ブルベイカーに任せていた。

 じっさい、彼女は人を惹きつけ能力に長けているばかりではなく、細事にわたって気の利く女であり、集団を指揮統制する天性の才を持ち合わせていた。

 近藤教諭を惨殺され、絶望の淵をさ迷っていた者たちを、持ち前の明るさで日々の生活へと引き戻した。相棒の新妻も、当然のように全力でブルベイカーをフォローした。献身的ともいえる姿勢で支え続けた。

 別れの理由はありふれてはいたが、とても深刻なものだった。

 ブルベイカーが想いをよせていた年下の男子を、新妻が奪い取ってしまったというものだ。小さなグループなので、色恋沙汰は噂を立てるまでもなく、すぐに周知の事実となる。

 ブルベイカーが、その男子と親しくし会話していたのは、皆が知っていた。だが新妻はその前の夜、皆がいる大広間で付き合い始めることを宣言したのだった。ブルベイカーの落胆は計り知れなく、誰の目にも彼女の奈落が、はっきりと読み取れた。



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