第8話

「ハ~イ、私の王子たち、さびしかったか~い」

 妖しい音楽とともに、新妻がその部屋へと足を踏み入れた。

 彼女は胸元を大胆に露出させ、腰に手を当てお尻を大仰に振る。そしてエロチックなステップで歩くのだ。後ろに続く友香子が、片手に音楽プレーヤーを持ち、片手にボンボンを振っていた。

「うおおお」

「ひゅーひゅー」

「俺たちの天使がキター」

 ベッドに横たわる男たちが、黄色い歓声をあげた。

「ほ~ら、おまえたちの大好物なエロエロナースだよー」

 新妻は自身の両胸に手を当てて、ことさらに揺り動かした。プルンプルンな肉風船が、男たちを悩殺してやまない。

「姉さん、姉さん、たまんねえよ。俺のムスコがギンギンだぜ」

「田原、おまえは正直でよろしい」

 エロエロナースが、ベッドの一つに腰かけた。そこは田原雄太(たはらゆうた)のテリトリーであり、彼は枕元で見つめる新妻と話したくて起き上ろうとした。

「うう」

 だが、全身に痛みが走った。激痛といっていいほどの衝撃で、しばし呻いたあと、呼吸を整えるのに苦労していた。起き上ることを諦めて、大きく息を吐き出した。

「うん、そのままのほうがいい」

 いたって真面目な顔の新妻が、彼の肩にそっと手をかけて言った。 

 田原は斧で左肩を砕かれ、右腕も複雑骨折し容態はかんばしくはなかった。両手があがらないうえに、高所から落下して腰を強打したために歩くことができない。ほぼ寝たきりの状態だ。

「修二、焼き鳥の缶詰をたくさん見つけたんだ。焼き鳥だよ、焼き鳥。すごいっしょ」

 上谷修二(かみやしゅうじ)のベッドでは、友香子が甘えるように話していた。

「スゲエな。焼き鳥なんて、もう食えないかと思っていたよ」

 修二は、さも嬉しそうに微笑んだ。その表情が友香子の心を熱くさせて、テンションが跳ね上がった。

「いま食べる、いま食べるか、すぐ食べよう」

「あとで、飯の時間にみんなで食うよ」

「そ、そうだね、後のほうがいいか、そうだよね、みんないるもんね、あはは」

 最愛の人においしいものを食べさせてあげたくて、島田はついつい焦ってしまった。しかしこの部屋には、修二のほか三人の重症者がいる。食べ物は平等に分けられるのが、ここの鉄則だ。

 修二も田原同様、いや、このグループで生き残っている四人の男子は皆重症を負っていた。修二自身、右足の膝から下をナタで切り落とされたうえに、鎖骨や肋骨、その他の骨も存分に痛めつけられていて、かろうじて歩ける程度だ。他の二人も相当な怪我と病気で、ベッドから降りられない毎日だった。

 次に新妻は、佐藤義之のベッドに行った。彼は怪我ではなく病気で寝込んだままである。内臓の疾患であり、症状はかなり悪く治る見込みは薄かった。歩くことはできたが、よほど体調のいい時に限られた。

「あんちゃん、あんちゃん」

 一番端のベッドに駆け寄ったのは、十文字來未だ。

「あんちゃん、食い物とってきたよ。缶詰だよ。レトルトのお粥もあるから。野沢菜のお粥だよ」

 彼女が話しかけている男は、返事もしなければ身動きもしなかった。まるで死人のように仰向けになりながら、ほんのわずかな息遣いだけをしている。目の部分は包帯が幾重にもまかれて、見るからに痛々しかった。

「あんちゃん」

 彼は十文字來未の兄で、十文字隼人(じゅうもんじはやと)。

 他の男子同様、戦いで負傷し寝たきりとなっているが、その傷の度合いは四人の中でもっとも甚大だった。手榴弾の爆発に巻き込まれたために、身体のあちこちに爆風と破片を受けた。とくに両目をえぐった鉄片は威力があり、彼の視力をすべて抉り取ってしまった。

 脳に損傷を受けたようで、一日の大半を朦朧とした状態で過ごしている。意識が戻ってくるのは、それほど頻繁ではない。

 兄妹のもとに、エロナース姿の新妻がやってきた。田原と修二、もう一人の男子が凝視している。

「隼人、隼人」

 大概なエロ看護婦が十文字兄に話しかけるが、彼はポーカーフェイスを崩さなかった。 

 ドアを開けて誰かが入ってきた。背を向けていたが、それが何者であるか新妻にはすぐに分かった。

「で、隼人の具合はどうなんだ、綾瀬」新妻は、振り返るわけでもなく言った。

「見ての通りよ。良くもないし悪くもない。意識が途切れ途切れになるから、たぶん、そんなに苦しくはないと思うんだけども」

「いや、それは違うぞ」

 田原だった。首だけ十文字隼人のほうに向けて話している。

「十文字のヤツ、夜になると、なんちゅうか、こう、呻くんだよ。ウーウーってさ」

「ああ、そういえば、なんか言ってるな。うなされてるのかと思ってたけど」

 新妻が振り返った。リーダーの視線を受けても、綾瀬はなにも言わない。

「ちょっといいか」

 新妻は綾瀬を連れて、いったん部屋を出た。ドアをしっかりと閉めて、音がもれないように気をつかった。

「十文字は、痛くて寝られないんじゃないのか」

 問い詰めるような目線だった。

「・・・」

 綾瀬は黙っていた。言うべきことは山ほどあるが、どうせ受け入れられないだろうと諦めている。

「田原や修二だって、かなりキツそうだぞ。看護はどうなってるんだ」

 修二は、切り落とされた足に激痛が走る毎日だ。すでに右足はないのだが、その痛みは脳の神経回路にしっかりと刻まれている。いわゆる錯覚の痛みであるが、彼にとってはまぎれもない現実の痛みなのだ。

 田原は脊椎をやられているので、下半身がほぼ動かない。さらに戦いで負った傷の慢性疼痛に悩まされており、下手に動こうとすると激痛が走る。

「もう薬はあまりないの。私たちだっていつ怪我をするのかもしれないのに、四人のためだけに使えない」

 医療担当として現実的な処置をしなければならない綾瀬は、抑揚のない声で言った。

「ロキソニンとボルタレンは、たっぷりあるじゃないか」

「あんなもの、飲み続けたら胃が爛れる。それに、あのへんじゃあもう効かない」

 大怪我が原因となっている慢性疼痛に、通常の鎮痛剤はさして効果がなかった。かえって、副作用により内臓を傷めつけるだけだと綾瀬は言う。

「モルヒネは、まだあるだろう」

「ほとんどない。あとは緊急用に残してあるだけ。彼らには申し訳ないけど、少しぐらいの痛みは我慢してもらうしかないの」

 男子たちの看護係でもある綾瀬は、意識的に薬の投与を減らしているようだ。

「まえにフェンタニルの貼付薬を見つけたじゃないか。ノルスパンテープだって」

「もう使った」  

「なあ綾瀬、隼人の容態を見ただろう。あれは夜になると痛みだして寝てられないんだ。だから呻くんだよ。薬はなんとか見つけてくるから、いまある分を使ってやれよ」

「姉さん、私たちはどうなるの。また襲撃されて怪我をしたら、モルヒネなしでどうやって処置をするの。苦しんで苦しんで、苦しみぬいて死ねっていうの。島田さんや來未ちゃんが大怪我をして、痛くて泣き叫んでいても、姉さんは放っておく気なの」

 綾瀬は、腹の底に溜まっていた感情を一気に吐きだしてきた。性根が真面目なだけに、回りくどい言い訳などつけない。直球を投げつけてくるのだ。

「極端なことを言うな。薬は探してくるっていってるだろう」

「毎度毎度言ってるけど、まともな薬なんて、もうないんじゃないの。腕を切り落とされているのにナプキンをあてがうの。苦しんでのた打ち回っていても、モルヒネやリドカインがなければなんにもできない。そんなのダメよ、絶対にダメ。だから、彼らに与える薬はもうないのよ」

 強い意志を感じさせる厳しい通告だった。

「しっかりと聞こえてるんだけど」

「せめて、小さい声で話してくれればなあ、ははは」

 二人の会話の内容は、洩れなく部屋の中へと筒抜けだった。男子たちが申し訳なさそうな表情をした。現在の自分たちがまったくの役立たずで、女子たちのお荷物でしかないことに忸怩たるおもいがあった。 

 島田は、神妙な顔で聞き入っていた。最愛の人が苦しむのは望まないが、綾瀬の言っていることもよく理解していた。最前線で常に危険と対峙している彼女としては、薬のありがたみを人一倍わかっているし、それがない状態の恐怖も身に沁みていた。

「いいかーっ。誰のおかげで、私たちはこうして生きているんだ。朝比南高校の先生や男子たちが、頑張ったからじゃないか。命がけで私たちを救ってくれたから、こうして生きていられるんじゃないか。私たちのために何人の男たちが死んでいった。どれだけの犠牲を出してきたんだ」

 新妻は感情を昂らせていた。過去の殉職者が次々と心に浮かんできて、抑えきれなくなっていた。



 世界が崩壊し始めた時、朝比南高校付近の破壊もすさまじかった。

 それはかつてないほどの大地震だった。絶え間なく地面が突き上げられたかと思うと、すぐさま大波がやってきて、沿岸の家々を舐め尽した。街は瞬時に廃墟となり、圧倒的多数の人々が死ぬことを強制された。逃げまどうヒマがあったものは、ほんの一握りだった。何度何度も襲ってくる地震に建築物はもちこたえられず、多くの人々を呑み込んだまま、次々と倒壊していった。

 災禍は間をおくことなく次々と押し寄せ、人は呆然とする余裕さえなかった。すべてのライフラインが粉砕され、生き残った者たちの絶望は計り知れなかった。それでもなんとか歩み始めた人たちは、天地が逆さまになったような異常気象と、極めて毒性の強いインフルエンザの猛威に晒されることとなった。母や息子が、肺に水が溜まって苦しみ悶えて死んでいった。寒波の到来した次の日には、灼熱の砂漠となり、弱りきった精神と肉体をボロボロにしていった。

 そこに巨大地震が執拗にやってきては、大地の裂け目をつくって、生き残った者たちを奈落の底へと引きずっていった。

 国家は消滅していた。国民を統制し、自由を与える主体は、終末の到来ともに瓦解したのだった。僅かな数まで減らされてしまった人間たちは、原初の昔にそうであったように、再び荒れ野に裸のまま放り出されてしまった。 

 拠り所を失った人々は、戸惑うばかりで秩序をとり戻すことはなかった。国民の意識は分断され、かつてこの国の美徳でもあった、皆で助け合う共助の精神など、どこかへ吹き飛んでしまった。大量の移民たちとの軋轢も、その乖離に拍車をかけた。彼らとの共同作業は、良い方向に収束することはなかった。かえって、争いのタネになっていた。

 もはや、個別に生きていくしか道はなくなった。そうなると、乏しい物資の奪い合いが始まるのは必然のことだ。小競り合いが、命を懸けた戦いへと行き着くのに、そう時間はかからなかった。生き残った人間同士の肺腑を抉るような戦いが、あちこちで勃発していた。

 当初、朝比南高校生には、多くの生徒と教師が残っていた。しかし、日が経つにつれて彼らは安全を求めて、あるいは家族を探しに去っていった。出奔は日々増え続けた。気づけば、一握りのグループだけしか残っていなかった。彼らはお互いを家族であると信じて、毎日毎日死にもの狂いで生きていた。 



「いまさら、死んだ人たちのことをいっても仕方がない。死んだ人たちのことをおもっても、生き返るはずはないから。あの人たちはもういないし、それにどうでもいい」

「おまえー、どの口がそんなことを言うんだー」

 淡々と語る綾瀬に対し、新妻は殴りかからんばかりの怒りと気勢だったが、クリンとした瞳で彼女を見つめたまま身動き一つしない。

 リーダーは下唇を血がにじむほど噛みしめながら、自身の激高した感情を必死に落ち着かせようとしていた。激しく呼吸を繰り返しながら、徐々に冷却していく。そして権力者にふさわしい威厳を取り戻すのだ。

「とにかく、薬は出し惜しみするな。足りなければ、私一人でも探しに行く。それと制服を着ろ」

 綾瀬はジャージ姿である。屋内では、そのほうが動きやすいからだ。とくに医療担当者は、身軽さを求めていた。

「制服は動きづらいし、汚れても替えがない」

「いいから着ろっ」

 突き刺さるような命令だった。綾瀬は、言い返せずに黙ったままだ。

「近藤先生の言ったことを忘れるな」

 そう言い放つと、新妻はその場を去ってしまった。


 近藤愛子は朝比南高校の教諭だった。より正確には、朝比南高校で最後まで生き残った教師だ。彼女は絶望した生徒たちを叱咤激励しながら、生き抜くことへの執着を叩きこんだ。

 彼女が、生徒たちに制服を着るように力強く指導したのだ。そうすることで、自分たちは無頼な暴徒や、汚らわしい野盗の類ではないと自覚させようとした。

 制服を着ることで朝比南高校生であるとの矜持をもたせ、自暴自棄のあまり、卑劣な行動をとらないように戒めていた。さらに近藤教諭は、同じ服を着るもの同士は家族であると、常日頃から言い聞かせていた。朝比南高校の制服は、皆の意志を統合する印であり、人間らしく社会生活を営もうとすることの象徴なのだ。 

 近藤教諭の熱の入った指導は、朝比南高校の生徒たちによく浸透した。綾瀬のように合理的な思考をする者は稀で、皆はすすんで制服を着るようになった。近藤愛子が野盗に連れ去られ、首や手足を切り落とされた姿で路上に放置されても、その教えは徹底された。


 島田が出てきたが、綾瀬の顔を見ないように、そそくさと行ってしまった。十文字來未も出てきた。青や赤の痣らだけの不細工な顔を向けて、さも不機嫌そうに言った。

「あんちゃんは、まだ苦しんでるんだ。今夜は薬をやれよ、綾瀬。寝たきりだけど、いちおうアンタの彼氏だろう」

 十文字隼人と綾瀬穏香は付き合っていた。二人は朝比南高校の同じクラスだった時に、恋人同士となった。なにかとルーズな十文字隼人を、学級の責任者であった綾瀬が面倒をみているうちに、お互いを好きになったのだ。美男美女の、お似合いのカップルだった。この世の崩壊がなかったら、今頃は夫婦になっていたのかもしれない。

 十文字隼人が重傷を負ってから、綾瀬は綾瀬穏香としての役割だけを全うし、恋人に関心をもたなくなったように見えた。兄をとられたうえに、身内の看病に熱心ではない綾瀬に対し、十文字來未は不信感を募らせていて、それは嫌悪をこえて憎しみとなっていた。

 新妻たちが去っていった部屋に、綾瀬は残ったままだった。修二と田原は、いつものことなので、さほど気にしていない。 

 十文字隼人のベッドの脇までやってきて、彼の腕や脚をさすり始めた。血行を良くすることで、僅かながらでも回復を促しているのだ。毎日、綾瀬がこのようなことをしているとは、他の女子たちは知らない。修二たちも、あえてその事実を口外するようなことはしなかった。


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