第4話
子どもたちは、図書室の隅で固まって寝ていた。女子たちも、少し離れたところに寝床をこしらえた。タヌキ顔が大量の毛布を持ってきてくれたので、どうにか凍えずに眠れそうだと安心することができた。子どもたちとは違い、五人はお互いに距離をとりながらの睡眠であった。
どれくらいの時間が経過しただろうか。十文字の目が覚めた。ムクっと起き上ると、しまりのない寝惚け顔で立った。そのままふらふらと歩きだしたが、寝ている仲間を踏みつけないように気をつけていた。
「オシッコ」
尿意を催したようだ。子どもたちの寝息が漂う薄闇の中を、彼女は女子トイレへと向かう。
「ううー、ちゃぶい」
無事用を足し終えると、急に寒さが身に堪えてきた。バケツの水で汚水を流すと、身震いしながら出てきた。
「お、カンタじゃないか」
トイレを出たところで、坊主頭の少年と遭遇した。彼も、隣の男子トイレで小便をし終えたところだ。
「お姉ちゃん、モンスターみたいなカミになってるよ」
トイレ付近の廊下には、豆灯が点きっぱなしになっている。真っ暗闇ではないので、うすぼんやりとではあるが、人の容姿が確認できた。
「寝ぐせだよ。私のはひどいんだ。低級モンスタークラスだろう」
十文字は両手で自らの髪をクシャクシャっとした後、ニヤリと笑った。モンスターというより山姥と表現したほうがしっくりとくるのだが、少年はその存在を知らないだろうと考え、彼のレベルに合わせて言ったのだ。
「ううん、そんなことないよ。カミはモンスターみたいだけど、お姉ちゃんはすっげえ美人だから」
「カンタ、うれしいこと言ってくれるじゃん」
十文字は坊主頭に抱きついた。彼女の胸が少年の顔にグリグリと当たり、その未知の柔らかさと石鹸のいい香りに、少年は少年を超えた情動に包まれていた。
「カンタはさ、みんなを守ってるんだな。まともな男はあんた一人だから、頑張るんだぞ」
しばしの抱擁のあと、十文字は彼と向かい合った。
「おれ、カンタロウだよ」
「そうか、カンタロウだったな」
悪い悪いといいながら、十文字はカンタロウの頭をポンポンと叩いた。
「なあ、お姉ちゃんたちは強いんだろう。だれにも負けはしないんだろう」
「ああ、強いさ。そこらへんの男どもなんか、ぶっ飛ばしてきたからな」
「お姉ちゃんたちの中で一番強いんだろう。ええっと、弓矢のお姉ちゃん」
「十文字だよ。十文字來未って名前なんだ」
「それじゃあ、十文字のお姉ちゃんが一番だろ。だって弓矢って最強じゃんか」
坊主頭は少年らしく、強き者への憧憬が強かった。そして、五人の中でも個人的にもっとも気に入っている十文字が、そうであってほしいと切に願っていた。
「うう~ん、どうかなあ。鴻上の持っている銃は、機関銃にもなるから強力だよ。こっちは弓だけだし。友香子姉さんの日本刀は接近されたらヤバいか。キレたら、なにするかわかんない人だからな。裕子姉さんは、そもそも戦闘向きじゃない。頭はキレるけど」
十文字にしては正直な見解だった。真夜中なので、自らを飾ることにこだわっていない。
「テッポウのお姉ちゃんは、たいしたことないよ。たぶん、ちょっとトロい。カタナのお姉ちゃんは強いけど頭わるそう。おれだったら、うまくさそい込んで落とし穴に落とせるよ。オッパイのおっきなお姉ちゃんのほうがやりにくい」
少年は、ほぼ的確に女子たちの性質をつかんでいた。人間や状況を正しく判断できないと、それが命取りになる世界だ。幼くはあるが、彼もこの終末をタフに生き抜いている猛者である。
「ははは、よく見てるなあ。だいたい当たってるよ。千早姉さんはどう思ってるんだ。ほら、背の高い、ちょっと鋭い目をした人だよ」
「あのお姉ちゃんは・・・」
坊主頭は言い淀んでいた。新妻に対する評価を、口にするのが憚られるといった様子だ。
「どうした、カンタロウ。やっぱり千早姉さんが気になるのか」
「あのお姉ちゃんはヤバい。おれ、怖いよ。あのお姉ちゃん、すごく怖い」
「そうか」
ほんとうに、この子は人間の観察眼が鋭いと、十文字は感心していた。
「おれ、もっといっぱい戦いたいんだ。川で魚やタニシをとるのはイヤだよ。それよか戦って、うまい食い物をとってくるんだ。お姉ちゃんたちのように」
少年には、銃や刀、弓矢で武装し、颯爽とご馳走を奪い取ってくる女子たちが、カッコよく見えてしかたないようだ。
「でも、お母ちゃんがダメだって言うんだよ。危ないことは絶対にやっちゃダメだって。知らない大人がきたら、すぐに逃げろって。さっきだって、お姉ちゃんたちのバックとってきたってじまんしたら、ゲンコツされたんだ。ここ、すごくいたいよ」
少年は坊主頭の頂点を撫でていた。
「それは母さんの言う通りだよ。なんせよう、まともなやつなんて滅多にいなからな。大人を見たら、逃げるにこしたことはないさ」
「お姉ちゃんたちは、いっぱい食い物を持ってるんじゃんか。おれ、カップメンなんて食ったの初めてだよ。戦えば、毎日カップメンが食えるじゃないか。みんなに腹いっぱい食べさせてやれるじゃないか」
「だけどなあ、カンタロウ。結局、私らに捕まっちまっただろう。あんたは逃げ足が速いけれども、ほかのガキんちょが足を引っ張って、うまくいかなかっただろうに。あのとき母さんが来なかったら、どうなってたと思う。千早姉さんの怖さは、よくわかってるだろう」
「だから、こんどはおれ一人でやるよ。一人なら逃げきれるし、戦っても誰にもめいわくはかけない」
十文字は、もう一度少年を抱きしめながら言った。
「なあ、カンタ。私たちだって好きで戦ってるんじゃないさ。逃げ隠れする場所があって、タニシでもヤモリでとにかく食い物が手に入るんだったら、じっとおとなしくしてるよ」
大人の女の温もりと柔らかさに、意気込んでいた幼い気合がスーッと溶かされていった。
「そんなの、モグラじゃないか」
少年は、それでも不満げに言い返した。思春期に突入しようとする男子は、やたらと強がりたいのだ。
「モグラって、けっこう美味いんだぞ」
「お姉ちゃんたち、強いくせにモグラなんて食うのかよ。それに、おれはカンタロウだって」
二人は笑顔でおしゃべりを続けていた。寒いので毛布でも持ってこようかと思った時、照明が点き始めた。人の動く気配がした。
「どうしたんだ、なんかあったのか」
「だれかきたのかも」
真夜中にここに来るとうことは、およそ盗賊の襲撃しか考えられない。十文字は弓矢をとりに行こうとする。少年もあとに続いた。
「なんだ來未、起きていたのか」
すぐに新妻と出会った。給湯所にお湯をとりにきたようで、洗面器を持っていた。
「どうしたんだよ、千早姉さん。賊がきたのか」
「いや、そうじゃないよ。病気の女の子がダメっぽいんだ」
「シンコが」
カンタロウが走り出した。シンコの寝床には、すでにタヌキ顔と森口がきていた。
「お母ちゃん」
カンタロウが力なく言う。母親の腕に抱かれて、シンコはすでに冷たくなっていた。
「シンコね、仏様になったんだよ。きれいな仏様になったさ」
涙をボロボロと落とし続けながら、母は声を詰まらせていた。
「がんばったね、シンコ。もう苦しくないからね。今度はね、ちゃんとしたとこに生まれてくれんだよ。おいしいものがいっぱいあってね、立派なお医者さんがいるところだよ。こんなとこに生まれてきちゃあ、ダメだよ」
森口がたまらず背を向けて、大粒の涙を流していた。
新妻が洗面器を持ったまま立っている。そこに鴻上と島田もやってきた。そして一目見るなり、女の子が亡くなったことを知った。
「もしかして、桃缶がわるかったか」
島田は、自分が与えた缶詰が傷んでいたのではないかと思った。腐ったものを食べさせて、重病でただでさえ体力のない小さな命に、トドメをさしてしまったのではないかと、その後悔で顔面が蒼白になっていた。
「いや、そうじゃないさ。ほかの子どもたちは異常がないし。たまたま、今晩があの子の寿命だったんだよ」
冷静で客観的な意見だった。しかし、十文字はその言い方に腹が立って、反抗的な視線でリーダーを見つめた。新妻は、チラリと彼女を見返しただけだった。
「うん、そうだと思う。かえって、亡くなる前においしいものを食べさせることができただけ、よかったと思う」
森口は、たえず鼻水をすすっている。泣き顔をみられたくないのか、あらぬ方向に顔をむけていた。
「お母ちゃん、シンコ死んじゃたの」
異変に気づいた子どもたちが、次々と起きてきた。そして、導かれるように女の子の寝床を囲んだ。
「シンコ」
「シンコ」
だれも取り乱したりはしなかった。冷たくなった家族の名を呼びながら、あるいは呆然と立ちながら、その死を受けとめていた。
「シンコね、遠いとこにいっちゃったんだよ。みんなにサヨナラ言えなかったね。みんなが大好きだったのにね」
母親が死んだ女の子を抱きながら、あやすように身体を振っていた。
「シンコ、バイバイね」
チンミと呼ばれている女の子がシンコの額に、そっと手を置いて言った。
「バイバイ」
「またね」
いくつもの小さな手が、冷たくなり始めた遺体を、そうっといたわっている。シンコはいく分、微笑んでいるように見えた。母親が、「バイバイね、バイバイね」と何度も言っていた。
子どもたちにとって、家族の喪失はめずしいことではない。混沌の世界が始まってから、少なからずの兄弟姉妹を失っている。明日が来ないかもしれないと、誰もが心の中にわだかまりを抱えていた。
だから、かえって死を悲観的に考えないようにしていた。もし毎日のように死のことを考えていたなら、幼い心はあっという間に押しつぶされてしまうだろう。
「シンコなあ、やさしかたったんだよ。いっつもちょっとしか食べなかったんだ。じぶんはちょっとで、チビに食べさせていたんだよ」
自分よりも小さな子どもに食べさせようと、シンコはいつも割り当ての半分しか食べていなかった。母親に何度も叱られていたが、それでもやんわりと我を通していた。最後に桃を食べることができてよかったと、カンタロウは心優しき少女を淡々と語った。
シンコの弔いは、夜が明けてからとなった。母親は朝まで付き添うつもりだった。
「シンコ、寂しがり屋だからさ」
真っ赤に腫らした目でニッコリと笑った。両腕でしっかりと亡骸を抱きかかえている。
子どもたちは、しばし弔うように立ちすくんでいたが、タヌキ顔に寝るように言われた。みんなで床につくが、いつものように寝つけなかった。
「天国いったかなあ」
「シンコはやさしかったもの。天国にいったよ」
「シンコねえちゃん、てんごくでおいしいもの、くってるのかなあ」
少女によく食べ物をもらっていた男の子がつぶやいた。
「そうだね。シンコ、いっぱい食べてるよ」
「はんぶん、のこしてくれないかなあ」
子どもたちのひそひそ声は、しばらく止まなかった。
タヌキ顔は相変わらずシンコを抱きかかえたまま、少女の耳元に何ごとかをささやいている。明日の朝まで一緒にいるつもりなのだ。
「私らも寝よう。今晩は冷えるから、風邪ひかないようにしないとな」
新妻の号令で女子たちも就寝することにした。普段はそこそこ距離をとって寝るのだが、その晩は、子どもたちと同じように密着していた。とくに十文字は新妻の温もりを奪うかのごとく、きつく寄り添うのだった。
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