第2話

「今夜はどこにします」

「そうだなあ」

 新妻のとなりを歩きながら、森口が本日のネグラについて相談していた。日が暮れるまでにはまだ間があるのだが、暗くなってから寝場所を探すのは危険なので、前もって目星をつけておかなければならない。

「来たときと同じとこにするか」

「あの公民館は絶対にイヤだよ」

 顔を歪ませて、拒絶の言葉を吐きだしたのは島田だ。右手を顔の前で降って、ナイナイを連発している。

「友香子じゃないけど、私もあそこに行く気はないですよ」森口も同調した。

 自分たちの縄張りの境界線を越えてここまでくるのに、彼女たちは途中で一泊しなければならなかった。雨露しのげて煮炊きしてもバレない場所を探し、とある公民館の廃墟に泊まったのだった。

「ははは、あそこはゴキブリがすごかったからな」

 深夜になり彼女たちが寝ていると、どこから涌いてきたのか、壁といい床といい、フロアすべてが無数のゴキブリに覆い尽くされてしまったのだ。ゴキブリが大きらいな島田は、その公民館での出来事がトラウマとなっていた。

「私もイヤ」

 ゴキブリ嫌いは十文字も同じだった。普段はなにかと強がる美女であるが、虫が苦手であることは隠さなかった。

「まあ、私もゴキブリはカンベンだな」

 リーダーの頭の中で、ゴキブリだらけの公民館で寝泊まりすることは却下された。たしかに安全な場所であったが、あまりにも非衛生的だと逆に病気になるかもしれないし、皆の嫌がるところにすると、なんといっても士気が下がってしまう。

「たしか、プールがありましたけど」

 森口は、屋内プールを提案した。そこはかなりの広さがあるので、いざ襲撃を受けても動きやすく、出入口も多いので脱出も容易だ。 

「プールもゴキがいっぱいいそうだなあ」新妻は、なんとなくそう言った。

「絶対にダメ」

「絶対にダメ」

 島田と十文字が即座に拒絶する。二人がハモる様子がおかしくて、新妻はクスクスと笑う。

「橋の下はどうですか。たしか公民館の近くに大きな橋がありましたよね。あそこの下なら雨も当たらないし、広くて涼しいですよ」

 大きな橋の基部にある空間を利用しようと、先頭を歩いていた鴻上が後ろを振り返って言った。多くの橋が崩れ落ちていたが、そこはなんとか原型を留めていた。

「でも、蚊がいそうだなあ」

 屋外での野宿は、蚊の襲撃に悩まされることが多い。島田は蚊も嫌いであった。

「たき火の煙で燻せば、それほどでもなのでしょう。ゴキブリの大群よりはマシのように思えますけど」

「橋の両側から包囲されたら逃げ道がないじゃん」

 当然のように、十文字がネガティブな意見を言った。一見もっともであるが、彼女の場合、鴻上の提案にケチをつけることが主目的である。

「この辺りに、あの広い河川敷を包囲できるやつらがいるとは思えないが」

 鴻上は冷静に答えた。十文字の反論に、さも価値がないような言い方だった。

「よし、唯の案でいこう。どうせ屋内にいても蚊はいるし、場所によってはゴキの大群だからね。それに川の近くだと涼しくていいよ。時間があれば魚も獲りたいしね」

 提案内容の妥当性に加えて、鴻上に華を持たせたいと思っていた新妻は速断した。さっきの失敗を払拭する機会となるからだ。

 リーダーの決定に異議を唱える者はいなかった。十文字は一見不満そうな顔だったが、寝苦しい屋内よりも野宿のほうがいいと内心では考えていた。

 ややしばらく歩いて、彼女たちがつり橋の下に到着した。鴻上と十文字が一足先に行って、油断なく安全を確認する。少し経つと合図があった。待機していた他の三人も、注意しながらやってきた。

「思ったより広いな。ここだったら陰になるから、外からは見えにくいよ」

「真ん中へんに寄ればいい」

 橋の下は意外にも蚊がそれほど多くなかったので、たき火はしないことになった。夜になると、炎の紅は目立ってしまう。

 一通り安全確認をした後、彼女たちは砂地の上に敷物を引いて座った。

「友香子、スカートを縫ってやるから脱ぎな」

 新妻は、制服のポケットから裁縫道具を取り出した。

「帰ってからでいいよ」

「いいから脱ぎなって。早めに修繕しとかないと、もっと破れちゃうから」

 島田はモジモジしている。新妻は、彼女がスカートを脱ぐまで辛抱強く待っていた。

「はいこれ。姉さん、早くしてよ」

 スカートの下はパンツだけで、彼女は両手で出来得るかぎり隠していた。

「痛っ」

 だが不自由な姿勢で動いたために、頭を橋桁の鉄骨に当ててしまった。頭上に手をあてがって悶絶しているために、下半身が無防備になった。

「なんだおい、汚えパンツだな」

 十文字が島田のパンツの汚れ具合を茶化した。指をさしてゲラゲラと笑う。

「うっせい。あんただって汚えくせして、なに言ってやがる」

 十文字の指摘通り、島田のパンツは薄汚れていた。もとは純白の下着だったのだが、いまや黄色や茶色のシミだらけで、とても年頃の女子が履いているものとは思えなかった。

「友香子のはまだきれいだって。私のなんかこうよ」

 森口がスカートをまくり上げた。彼女のパンツも存分にカラフルだった。とくに股間付近の汚れはひどく、臭いまで漂ってきそうなほどだ。

「裕子、たまには洗濯しなよ」

 親友のパンツのあまりの酷さに、島田が申し訳なさそうに同情した。

「洗濯して、こうだから」

「十文字、あんたのも見せろよ」

 十文字のスカートを、島田が強引に引きずりおろした。もともとサイズが大きめだったので、ストンといとも簡単に落ちて、その特徴的な模様を披露した。

「あはは、トマトのパンツだ、お子ちゃまかよ。しかもきったねえし。尻のほうにウンコついてるぞ」

「ついてない」

 十文字は、涙目になりながらスカートをたくし上げた。

「あんたらのはまだ甘い」

 そう言って、新妻はスカートを脱いた、

「うっわ、臭そう」

「姉さん、さすがにそれはないわ」

「うげえー、信じられない」

 その汚れ具合は、リーダーにふさわしくダイナミックなものだった。

 どっと笑いがおこった。橋の下は、女子たちの黄色い声がしばらく反響していた。パンツの汚れ騒動には入っていなかった鴻上までもが、めずらしく笑みを浮かべている。

「よし。ちょっと早いけど、ご飯にしよう。さっきのカップ麺でいこうか」

 新妻がそういうと、皆の顔がさらに明るくなった。

「一人一個だよ」

 森口が、それとなくつけ加えた。

「あたし、イカ焼きそば。あ、やっぱり大盛り塩とんこつにする」

「カレーあったろ、なあ、カレーをくれよ」

 食事時に騒々しくなるのは、いつも島田と十文字だ。

「姉さんは、なにがいいですか」

 食べ物を管理するのは、森口の役目である。大盛りとんこつとカレー味をうるさい二人に手早く渡してから、リーダーの分を取り出しにかかる。

「そうだな。シンプルなやつでいいよ」

 その答えが返ってくると予想していたので、新妻にはなんの変哲もないしょう油ラーメンを手渡した。  

「唯は」

「私は何でもいいです」

 鴻上には肉増し濃厚とんこつしょう油が与えられた。それは、あの廃墟のコンビニで一番高価だったカップ麺だ。森口の気の使い方に、新妻は心の中でニンマリとしていた。

「友香子姉さん、早く沸かせよ」

「うるせえ。いまやってるだろう」

 ポータブルのガスコンロは一つしかない。お湯も一度に二人分しか沸かせないので、順番待ちとなる。

「友香子、もういいんじゃないか」

「まだぬるいって。てか、中坊のくせして呼び捨てにするな」

 島田と十文字が、ああだこうだ騒がしかった。食事時には、毎度おなじみの光景である。

「いっぱいにな。ケチらずに蓋のとこまで入れてくれよ」

「わかったよ、うっせーなあ」

「もうちょっと、もうちょっと」      

 いつもは乾燥した飯をカップに入れて、うすいダシを注ぐだけの食事だ。久しぶりにカップ麺にありつけて、食べ盛り女子のテンションはいい具合に上がっていた。

「あーあ、あんたの分を入れたら、あたしの分のお湯が足りないよ。ったくもう」

 島田は水を足して、再度沸かしにかかった。  

 その時だった。

「なにかいるっ」

 鴻上が急に立ち上がり、川のほうに向かってアサルトライフルを構えた。その気配は他の女子たちも感じていた。

 斥候の十文字が弓矢を手にして、滑るように前へ出ていった。そのすぐ後に続いた新妻が、彼女に情報を求めた。

「数は」

「二つ」

「どんなの」

「子ども」

「ほかは」

「たぶん、子どもだけ」

 五人の目が注視していると、巨大な橋脚の脇から子どもが出てきた。

 一人は十歳くらいの女の子、もう一人は幼稚園くらいの幼児である。ランニングシャツに下半身を露出しているので、男の子だとわかった。女の子のほうは、シャツにデニムの短パンだ。どちらも浮浪児のようだ。とくになにをするでもなく、言葉を発するわけでもなく、ただ立っているだけだった。

「コラア」

 突如、背後から島田が怒鳴る声がして皆が振り向いた。

 男の子だった。小学校高学年くらいの坊主頭が、鴻上のリュックサックを持っていた。女子たちの視線を浴びると、急いで逃げにかかった。

「しまった、陽動だ」

 橋脚にいた二人の子どもは、すでに姿を消している。子どもの誘いに引っかかったのだ。

「待てこら」

 島田が捕まえようとするが、坊主頭はリュックサックを素早く背負って逃げた。

「このう」

 背中の重さに華奢な体が一瞬ふらつくが、彼は橋桁の鉄骨部分によじ登ると、サルのように渡り始めた。すぐに島田と十文字が追うが、鉄骨の足場部分が狭くて、坊主頭のように素早く動けなかった。

「そっちはあきらめな」新妻は、二人に深追いするなと命令した。

 少女が一人フラフラと出てきた。幼女以上少女未満といった見た目だ。

 よほど腹をすかせていたのだろう。十文字が食べようとしていたカレー味のカップ麺に手をつけようとした。だが慌てていたので、熱いそれをつかみ損ねて、敷物の上にぶちまけてしまった。逃げることも忘れて、ふやけた麵を手づかみしようとする。

「クソガキがあ」

 十文字が髪の毛をつかんで地に伏せさせた。少女の、ワナにかかったネズミのような悲鳴が橋の下にこだました。

「まだ食ってないのに。カレー味はこれしかないのに」

 十文字は少女の後頭部に膝をのせて、グリグリと強く押していた。食い物の恨みは、美女を粗暴な女へと変えていた。

「もういい、やめろ」

 新妻が十文字の手をつかんで止めさせた。それ以上やると、ただでさえ痩せすぎている少女の首の骨が折れてしまう危険性がある。

「姉さん、あのリュックに予備の弾倉がある」

 鴻上が呆然としながらつぶやいた。

「なにぃ」

 リーダーの顔がこわばった。どうして身に付けていなかったのか、刺すような口調で叱責した。常日頃から武器の類、とくに弾薬は絶対に身体から離すなと厳命していたからだ。

 鴻上はなにも言えなかった。さっきのパンツの騒動で気が緩み、身体の重荷になっている弾帯を、無意識のうちにリュックサックへと入れてしまった。

 鴻上は謝ろうとした。一日に二度のチョンボは致命的だ。しかも貴重な弾薬を、みすみす盗まれてしまったのである。謝ってもすまされない失態なのだ。

「こいっ」

 だが、新妻は鴻上をかまわなかった。地に伏せっている少女の髪の毛を鷲掴みにすると、そのまま立たせて引きずりながら歩きだした。そして、橋脚のすぐ傍までやってきて怒鳴るように叫んだ。

「ガキどもーっ、そこにいるんだろう。さっき盗んでいったリュックを返しな。いま返せば許してやる。すぐに持ってこい」

 返事はなかった。新妻は、付近に仲間が潜在していることを察知している。

「このガキを今から切り刻む。最初は耳をもいでやる。それから目だ。目の玉に箸をつっ込んでえぐり出してやる。それから歯を一本ずつへし折るからな」

 その恫喝を聞いて一気に緊張が走ったのは、新妻をのぞく四人の女子たちだった。

なぜなら彼女たちのリーダーは、言い放ったことは鋼鉄の意志をもって実行するタイプだったからだ。 

 いくら盗人の浮浪児とはいえ、小さな女の子を拷問にかけるのは気がすすまないどころか、見たくもなかった。とくにミスを犯した鴻上の焦燥は深刻で、この事件の全責任は自分にあると激しく思いつめている。

 新妻がその少女を切り刻む前に、自ら撃ち殺したほうがいいかも知れないと考えたが、引き金にかかった指は一ミリも動かなかった。

 数分の時が流れた。

「どうした、返事がないんだったら始めるぞ」

 そう言い放って、少女の後ろ髪をグイっと引っぱった。それほどの痛さはないのだが、少女は子どもらしく大げさに悲鳴をあげていた。

「姉さん、誰か来るよ」

 大人が一人、ゆっくりと近づいてきた。大きなリュックサックを抱えている。新妻がナイフを取り出して、少女の首筋に当てた。大人の周りに数人の子どもが見え隠れしている。

 その大人は、新妻たちのすぐ目の前までやってきた。リュックサックのほかに武器らしいものはなかったが、女子たちが油断することはなかった。

「これは返すから、その子をはなしてくれるかい」

 タヌキのような顔をした中年の女だった。鴻上のリュックサックを放り投げて、子どもを解放するように言った。

「唯、確認しな」

 そう指示されて、弾かれたように鴻上が動いた。中身を、とくに89式小銃のマガジンを念入りに調べていた。 

「なんにも盗っちゃいないよ」

「信用できるかってんだ、クソババア」

 十文字が矢を射る仕草をして威嚇する。鴻上が手を離せないので、アサルトライフルは裕子が構えていた。

「全部ある。なにも盗られていない」

 食料については詳細を憶えてなかったので、ひょっとしたら少しばかり盗られているかもしれないが、弾薬は無事であったので鴻上にはどうでもよかった。ふーっと、大きな息を吐きだして安堵していた。

「そのへんに隠れているガキども、出てきな」

 新妻の警戒心は容赦なかった。

「もう、はなしておくれよ」

 タヌキ顔は、困ったような表情で懇願している。

「もう一度言う。ガキども、全員出てきな」

 銃と弓矢が際立っていた。威嚇効果は充分すぎるほどであった。

「わかった、わかったから、そのぶっそうなもの、しまっておくれよ。みんな出てきな」

 タヌキ顔が合図をすると、付近に隠れていた子どもが出てきた。皆小学生以下で、誰もが痩せて薄汚かった。あのサルのようにすばしっこい丸坊主もいた。ほかの子どもたちが怯えるような顔をしている中、彼だけは敵対的な目線で見つめていた。

「これで全部か」

 鷹のように鋭い目が、子どもたち一人一人を吟味しながら言った。

「あとは病気で動けない子がいるけど、もういいだろうよ。勘弁してちょうだいよ」

 新妻が少女を放すと。わんわんと泣き叫びながらタヌキ顔に抱きついた。お母ちゃんお母ちゃんと、必死に叫んでいる。

「あんた、この子らの母親なのか」

「そうだよ。まあ、血は繋がってないけどね」

 子どもたちが、タヌキ顔のところへ集まってきた。小さい子は、彼女の足に抱きついて離れようとしない。

「病気の子がいるって話だけど、悪いのか」

「よくはないね。おいしいものでも食べさせれば、少しは元気になるかもしれないけどさ、タニシとドブ貝と小魚ばかりじゃね」

 自嘲気味だったが、気さくな話し方だった。相手は中年の女一人と子どもたちだ。それほど脅威にならないと判断した新妻は、緊張を解いた。ほかの女子たちも、一人ずつ肩の荷を下ろしていく。

「リュックを盗んじゃって悪いことしたね。まあ、こんなご時世だから許しておくれよ」

「気にしてないさ、よくあることだよ」

 他人の物を略奪しなければ生きていけない世の中である。現に新妻たちも銀紙男たちの縄張りから、力づくで食料をかすめ取ってきたのだ。他人の悪事に対し、道徳的に責めたてる気はなかった。

「おがあじゃん、おがあじゃん」

 ランニングシャツを着た少年が叫んでいた。鼻水を垂らしひどく咳き込んで、よろけた足取りで近づいてくる。最初に現れたのとは、違う子どもである。

「翔太、なんででてきたんだ」

 坊主頭が駆け寄った。しかし彼だけでは満足できないのか、ランニングの少年は「おがあじゃん」を連呼しながら咳き込み続ける。

「ちゃんと寝てなきゃあダメじゃないのさ」

 タヌキ女が近づき、その少年をそっと抱擁した。安心したのか泣くことはやめたが、咳は止まらなかった。

「だれもいなくなったから、出てきちゃったんだ」

 少女の一人がポツリと言った。新妻たちを責めたわけではないのだが、自分たちの存在が原因であると、女子たちは少しばかりバツが悪そうだった。

「裕子、咳止めシロップはまだ残っていたか」

 新妻が言う数秒前から、森口はリュックサックのポケットに手をつっ込んでいた。ゴソゴソとまさぐり、そして小さな小瓶を取り出した。

「まだ、だいぶあるよ」

 新妻が頷いた。森口がランニングの少年のところに行って、小さな計量キャップに適量の液体を注いで、それを彼の口元まで持ってきた。

「大丈夫だよ。苦くないからね」

 森口が薬を飲ませようとするが、少年は呆然とそれ見つめるだけだった。

「ちょっと貸してくれるかい」

 中年女が言った。森口が手渡すと、こぼれないように慎重に受け取り、少年の口へと近づけた。今度は素直に飲み込んだ。

「お姉ちゃんに、ありがとうしようか」

 しかし、ランニングの少年は呆然としたままだった。

「ありがとう、助かったわ」

 かわりに、中年女が礼を言った。

「その瓶はあげるよ」

 咳止めシロップの瓶は、子どもたちのものとなった。森口が用量を説明し、計量キャップごと手渡した。タヌキ顔が、うれしさでほころんでいた。

 新妻が、他の女子たちに目線をおくった。ほどなくして、全員が彼女の元へ集まってきた。

「ちびっ子たちに少し分けてやろうと思うんだけど、どうかな」

 新妻は、人を一人殺してまで手に入れた食料を分け与えることを提案した。もっとも大事な食料のことである。リーダーといえども、独断で決めてはあとにしこりが残ってしまう。皆の了解がほしかったのだ。

「うん、いいと思う」

「少しならいいんじゃね」

「千早姉さんが、そういうなら」

 子どもたちのみすぼらし過ぎる姿に、彼女たちの良心は十分にくすぐられていた。森口、島田、そして鴻上に異存はなかった。

「千早姉さんは、怖いんだかやさしいんだか、わかんねえや」 

 十文字は当然反発するだろうと予想されたが、あっさりと受け入れた。食料のロスよりも、リーダーの暗黒面を回避できたことにホッとしていた。

「少しだけど食い物をあげるから」

 新妻が中年女に、決定事項を伝えにいった。ランニングの少年をあやしていたタヌキ顔の女が、まぶしそうに見上げた。 

「ホントかい。ありがたいねえ、なんてありがたいんだ。あんたたちは女神だよ。ただでさえ可愛い女子高生なのに、女神さまだったんだね」

 タヌキ顔は、さんざんに褒め称えた。食べ物にありつけるとわかって、子どもたちの目も輝きはじめた。

「オバサン、少しだからな。ちょびっとだけだぞ」

 あんまり期待されて余計にねだられたら厄介だととばかりに、島田が、さもイヤそうな顔してクギを刺した。

「裕子、カップ麺を一個ずつだ」

「はい、姉さん」

 森口がうれしそうにリュックサックの口を開けて、カップ麺を取り出し始めた。

「ほらあ、ガキども、ボケーっとしてないで並ぶんだよ。カップ麺だぞ。スゲーごちそうなんだよ。タニシやドジョーとはわけが違うんだ。もたもたしてると、食われちまうからな」

 島田がハッパをかけると、子どもたちがワーっとたかってきた。それぞれがバラバラに手をだして略奪しようとするところを、島田が力づくで整理していた。その光景を、新妻は柔らかな瞳で見ていた。

「この子は風邪で、ラーメンは無理だよ。なんか違うものないかい」

 ランニングの少年には別のものにしてくれと、タヌキ顔の女が言った。

「たしか、レトルトのシチューがあったろう」

 風邪をこじらせている彼には、クリームシチューが与えられた。レトルトの容器を両手で掴んだ少年は、これっぽっちも嬉しそうな顔をせず、相変わらず呆然としたままだった。

「私らは、さっそく帰って食べるけどさ、せっかくだから、お姉さんたちも来ないかい。一緒に食べたほうがおいしいさ。なんなら泊まっていきなよ」

「私らはここでいいよ」

 新妻は即答した。下手に子どもたちのねぐらにいってしまうと、同情心をくすぐられてしまい、より多くの食べ物を与えてしまいかねないからだ。他の女子たちも同意見だ。

「そうそう、あたしは橋の下が好きなんだ」

「私も」

「大勢でおしかけちゃてもね」

 彼女たちは、なるべく相手の気分を害さないようにと気をつかっていた。

「そうかい、残念だねえ。この子らもお姉さんたちの話を聞きたいみたいだからさあ。それに、ここは夜になったら野犬の溜まり場になるんだけどねえ」さも、意地悪そうに言った。

 ある意味、野犬は盗賊よりもタチが悪い。なぜなら恐ろしく凶暴であり、しかも群れで襲いかかってくるからだ。下手をすると、生きたまま少しずつ肉を食い千切られながら殺されてしまう。

 さらに狂犬病に罹っている犬も、ごく稀にではあるが存在する。そんな犬に少しでも噛まれてしまえば、じっくりと苦しみながら死ぬことになるだろう。野犬がいるという話の真偽は不明だが、常に最悪を想定するのが新妻たちの基本だった。

「やっぱり、お邪魔しようかな、ははは。みんなはどうだい」

「そ、そうだね、姉さん」

「ワイワイやったほうが、メシはうめえしな」

 女の変わり身の早さは光速だ。新妻の意見に皆が賛同する。

「そうかいそうかい、そりゃよかったよ。もうすぐ暗くなるから泊まっていきなさいよ」

「そうさせてもらうわ」

 女子たちは、リュックサックを背負った。ちびっ子たちが恐る恐る近づいてくる。新妻が女の子の頭を撫でると、ほかのちびっ子たちも、それぞれの女子にまとわり付いてきた。

 十文字の傍にきたのは、あのすばしっこい坊主頭だ。彼女の弓矢を興味深そうに見ていて、触ろうか触らないか、出した手を引っ込ませてはまた出していた。

「ほら、もってみなよ」

 十文字が、ぶっきらぼうに手渡した。予想以上に重かったのか、少年はそれを落としそうになったが、なんとか持ち上げて弓兵の格好をキメていた。

「あのお姉ちゃんのとは違うんだ」

 鴻上の89式小銃をチラッと見て言った。たいていの男の子には、高性能な照準装置付きのメカニカルな銃のほうが、カッコよく見えるはずだ。

「私は銃が好きじゃないんだ。なんかさあ、味っつうか、手ごたえっていうか、そういうものがないじゃんか」

 彼女の言わんとしていることがよくわからなかったが、この美女の感性が正しいことであるように思えた。 

「うん、俺もこっちのほうがええ。カッコええぞ」

 少年は、弓をさも勇ましそうに掲げた。十文字は満足そうに頷きながら彼の頭をポンポンと叩いた。

「じゃあさ、私らのあとをついてきなよ」

 タヌキ顔が出発の号令をかけた。子どもたちが、わあーと嬉しそうに叫びながら、彼女を通りこして行った。

「お姉ちゃんたち、こっちだよ」

 坊主頭がもっとも先に行って、こっちこっちと手招きしていた。さっきまでの敵愾心が、ウソのように消えていた。自分が案内したくて仕方がないといった様子だった。

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