第7話 寝言は寝て言え!
珈琲に手をつけない私にリロイが念押しをする。
「毒など入っておりませんよ」
「……」
そこまで言われたら飲まないわけにはいかない。
私はそっとカップを持ち上げて口をつけた。苦味の後にフルーティーな香りが抜ける。酸味は少なく、雑味はない。かなり良い珈琲豆を使っているだろう。
ただ……
カップを置いた私にテオスが近づく。
「失礼いたします」
店員が置いていったミルクと蜂蜜を私のカップに入れる。その様子を無言で見つめる琥珀の瞳。その圧が! ミルクと蜂蜜を入れただけなのに、圧が強い!
しかし、圧を向けられているテオスはどこ吹く風。珈琲を混ぜ終えると優雅にカップを差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
黒からカフェオレ色に変わった珈琲に手を伸ばす……が、その前にカップをリロイに取られた。
「え?」
目線だけでカップの行方を追う。
躊躇いなく薄い唇が私の珈琲を口に含んだ。ゆっくりと味わい飲み込む。
「……これが好みの味ですか。覚えました」
何事もなかったようにリロイが珈琲を私の前に戻す。
(それ、私の珈琲で……しかも、さっき一口飲んだのに……もしかしなくても、これって間接キ……)
まともに回らない頭にリロイの淡々とした声が響く。
「次からは私がミルクと蜂蜜を入れますね」
「付け合わせのデザートの甘さに合わせて調節しておりますので」
テオスの説明にリロイが形のよい顎に手を添えた。
「つまり、珈琲だけならもう少し甘味を強くする、ということでしょうか?」
「はい。あとミルクも少し増やします」
「気を付けるようにしましょう」
うんうん、と頷くリロイ。
私は慌てて背後に控えているテオスを睨んだ。
「余計なことを教えないで」
「私の代わりをされるなら、完璧にしていただかなければ」
「代わりをさせないって選択しはないわけ?」
「面倒事は避けたいので」
平然と言い切ったテオス。従者の風上にも置けない。
「あなたの主人は誰よ?」
「ローレンス辺境伯です」
「……薄情者」
いろいろ諦めた私は体を正面にむけた。
フォークに刺したイチゴをパクッと口に入れる。瑞々しさと一緒に甘さと酸味が口の中に広がり、その味に少しだけ目が大きくなってしまった。
そのままフォークをずらし、ケーキを一口。甘すぎず舌触りがよい生クリームと、しっとりとしたスポンジが口の中で混ざり合う。噛まなくても溶けていく。
ローレンス領のケーキは甘味が強く、硬いスポンジのケーキばかりなのに。
初めての食感と優しい味。
私はすぐにオレンジとケーキをフォークに刺して食べていた。
「んぅ……」
無意識に感嘆の声が漏れる。
フルーツが変わればケーキの味も変わる。口溶けがよい生クリームとスポンジにオレンジの果汁が合わさり、絶妙な美味となる。至福の瞬間。こんなに美味しいケーキがあったなんて。
口の中が幸せで満たされる。新しい発見の連続。手と口が止まらない。
気がついた時には皿が空になっていた。
「もう、ない……」
呟きとともに真っ白な皿を見つめる。極上の時間は過ぎるのも早い。
沈む私の耳に微かに笑うような声がかすめた。顔をあげれば琥珀の瞳と視線が合う。
「なっ……」
ここでようやく現状を思い出し、急に恥ずかしくなった。言い訳をしようとするけど言葉が出ない。
「あの、これは、その……」
ここで、リロイの目がいつもと違うことに気が付いた。底のない沼や威圧感がない。慈しむような、穏やかな眼差しで満足そうに私を見つめる。
無言のリロイに私は誤魔化すように小さく咳をして訊ねた。
「なにか言いたいことでもあるの?」
平然を装う私にリロイが温和に微笑む。
「口に合ったようで、良かったなと。あ、私のケーキも食べます?」
「食べていいのっ!?」
考えるより先に体が反応してしまった。
誤魔化すように姿勢を正すフリをしながら顔を背ける。
「い、いえ、いらないわ。それより、これで終わりでいいかしら? 王都に来た理由も話したし、珈琲も飲んだわ」
「そうですね……ですが、王都に来た理由はそれで全てですか?」
私を疑うように覗き込む琥珀の瞳。嫌な予感がした私は視線をそらした。
「そうよ」
「では、昨夜の王城での舞踏会に出席されていた理由は?」
「だから、王都での流行や、問題の解決の糸口を探す情報を集めるために……」
私の言い分をリロイが笑顔の圧で封じる。
「そういう交流もありますが、昨夜の舞踏会は男女の交流がメイン。つまり、婚約者を探している者たちの集まりでしたが?」
「……ぅ」
王都に出てきたのは、婚約者を探すのも目的の一つだった。
だけど、それをリロイに言ったら大変なことになる気がする。主に私の身が。絶対に、何か、
私は必死に誤魔化した。
「そ、それは知らなかったわ。王城での舞踏会なら、いろんな貴族が集まるから有力な情報が入ると思ったの」
「……そうですか」
低く重圧がこもった美声。完全に疑っている……って、なんで私がリロイを気にしないといけないのよ! リロイだって舞踏会にいたのに!
私は攻勢に転じるため、顔を正面にむけた。
「あなただって、その場にいたじゃない。第三王子なんだし、婚約者がいるんじゃないの?
自分で言いながらも何故か気分が沈む。
当たり前のことなのに。リロイは第三王子で、決まった婚約者がいてもおかしくない。それなのに、何故か胸のあたりがモヤモヤと……
「それこそ婚約者がいたら参加しませんよ。昨夜は一度だけでも出席してくれ、と王に泣きつかれたので仕方なく参加しただけですから」
「そ、そう」
少しだけホッとする。
(……なんでホッとしているの? 前世で私を殺したヤツのことなんて、どうでもいいのに)
自分の感情に驚く私を置いてリロイが満面の笑みで話を進める。
「ですが、思いがけない幸運でした。あなたと会えたのですから」
(私には思いがけない災難でしたがぁぁあ!?)
「ソフィア嬢?」
名前を呼ばれて背筋を伸ばす。
「は、はい」
「災難だった、とか考えていません?」
リロイににっこりと問われ、私は喉まで出かけていた言葉を笑顔で吞み込んだ。
「ま、まさか! そんな失礼なこと考えないわよ!」
ほほほ、と誤魔化すように笑う。扇子があれば表情を隠せたのに。今度から絶対に持ち歩くようにしよう。
決心する私に気づかないリロイが視線だけで疑いながらも、笑顔で私に訊ねる。
「ですが、実際のところソフィア嬢の年齢を考えれば婚約者も探さないといけないのではありませんか?」
伯爵令嬢が独り身というのは世間的にもあまりない。伯爵家は双子の兄のどちらかが継ぐけれど、念のために私も家庭を作り、後継者を育てておく必要がある。これは貴族として当然のこと。
私は笑顔を消して目を伏せた。
「そうね。婚約者については、貴族の……伯爵家の娘として責務だと考えているわ。ローレンス家に婿入りできる貴族出身の騎士と契約結婚ってところかしら」
恋愛感情は必要ない。ただ、他国からの侵攻があっても立ち向かえるだけの力と統率力があれば。
カップを手にとり、珈琲に口をつける。最初より苦味が少なくなり、蜂蜜の甘さが冷めた心を包む。
(……って、これリロイが味見した珈琲じゃない! なんで普通に飲んでるのよ! これじゃあ間接キ……あぁ、もう! 私のバカ!)
自分の愚行に悶絶しているとリロイが私に訊ねた。
「私は、どうです?」
苦悩しすぎて幻聴が聞こえたのかと思った。
「……は?」
間抜けな私の声に満面の笑みでリロイが提案する。
「私を婚約者にどうでしょう?」
身分や状況を考える前に私は叫んでいた。
「寝言は寝て言え! どこに王子を婿入りさせる伯爵家があるのよ!?」
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