第6話 隠れ家デートではありません!

 リロイに連れてこられたのは街の中でも王城に近い場所に建つ、こじんまりとした可愛らしい屋敷だった。

 クリーム色の壁にレンガ造りのドア枠と窓枠。こげ茶のドアには黄金のドアベルが下がり、庭に咲いた花が客人を出迎える。


 リロイが屋敷の敷地内に足を踏み入れると同時にドアベルが軽やかな音をたてた。


「いらっしゃいませ」


 にこやかに迎えた店員にリロイが慣れた様子で声をかける。


「久しぶりに珈琲を飲みたくなりまして。よろしいですか?」

「ぜひ、どうぞ」


 促されるまま屋敷の中へ。

 穏やかな雰囲気の広い玄関。これといった飾りはないけれど、実家に帰ったような落ち着きがある。

 案内されるまま奥の部屋へ通される。


 高い位置にある窓。真っ白な壁に、木目調が目立つ流線形のテーブルと椅子。淡い水色のテーブルクロスと椅子のクッション。

 壁際にはさりげなくサイドテーブルがあり、活けられた花が彩りを添える。


(さすが、王家御用達のカフェ。ドアや窓の配置からテーブルと椅子、他の家具の配置まで全部計算されて置かれているわ)


 外からは襲撃されにくい位置にある窓。いざという時には、すぐに要人を守れるように計算された動線。


(むしろ護衛のために設計されたような屋敷ね)


 室内を観察しながら勧められた椅子に座る。

 リロイが私の正面に腰をおろし、テオスがいつものように私の背後へ。

 そこで、空気となっているテオスに店員が声をかけた。


「従者の方はこちらの控室へ」


 指示された先には隣室につながるドア。たぶん護衛専用の控室なのだろう。テオスの黒い瞳が無言で私に指示を仰ぐ。

 私が口を開くより前にリロイが手で店員を制した。


「彼はこのままでいいですよ。初めての場所で従者と離れるのはソフィア嬢の負担になりますから」


 思わぬ言葉に私は顔に出さないまま驚く。それは店員も同じだったようで返事がワンテンポ遅れた。


「……失礼いたしました。ご注文はいかがいたしましょう?」

「お任せします」

「はい」


 店員が一礼して下がる。

 リロイが笑顔で私に話しかけた。


「ここは先代の王が珈琲を楽しむために作ったカフェでして。その時々の季節にあった豆を焙煎して淹れます」

「先代の王が?」


 先代の王といえば現王の父。つまりリロイの祖父。

 珈琲ぐらい王城でも飲めるだろうし、わざわざカフェを作る理由が分からない。


「先代の王の頃は『珈琲は平民の飲み物』という認識が強かったため、王が城で平民の飲み物を口にするなど考えられなかったそうです」

「それで城の外で飲めるように王専用のカフェを作られたのですか?」


 あくまで伯爵令嬢の仮面を被ったままの私にリロイが眉尻をさげる。


「普段通りの口調でいいですよ。ここのカフェは王が身分を忘れ、楽しむために作った場所ですから。それとも……」


 琥珀の瞳がテオスを睨む。


「他の目が気になるなら払いますが」


 つまりテオスを控室に入れて二人きりになるということ。それは別にいい。ただ、控室に移動してもテオスの耳ならこの部屋での会話はすべて聞かれる。それなら、何かあった時にすぐ対処できるように近くにいたほうがいい。


 私は軽く首を横に振り、伯爵令嬢の仮面を外した。


「このままで結構よ。あまり私の従者を威圧しないで。潰れたら代わりを見つけるのは大変だから」


 素っ気なく言ったつもりなのに、リロイが嬉しそうに顔を綻ばす。犬耳がピンと立ち、ふわふわの尻尾が左右に揺れる幻影が見えるほど。

 リロイが腰をあげ、私に上半身を寄せる。無骨な手が伸びて淡い金髪を長い指に絡めた。


「やはり、その方がいいですね。気負わず自然に話がしたいですから」


 そのまま髪に触れていた手を私の頬へと滑らせ、耳元に口を寄せる。


前世の頃むかしみたいに」


 私にしか聞こえない小さな声。美声にくすぐられた耳が熱くなる。

 横目で睨めばリロイは悪戯っ子のような笑みを浮かべて席に戻った。


「それで今回、王都に来訪された理由は? 何か目的があるのでしょうか?」

「それは……」


 どう話すか悩んでいると香ばしい香りが漂ってきた。紅茶とは違う、独特な匂い。


「珈琲豆を挽いた時に出る匂いです。この香りも、このカフェに来る楽しみの一つでして」

「今でも王城では珈琲を飲めないの?」

「飲めないことはないですが、あまり良い顔はされませんね」

「王族は王族で面倒なのね」


 リロイが苦笑いを浮かべる。


「そういう世界ですから。ローレンス領では珈琲は飲まれますか?」

「珈琲とか紅茶とか選り好みをしていられないから。その時にある物を飲むわ」

「……ローレンス領はそんなに物資が不足しておりますか?」


 この言葉だけで現状を把握してくるとは。下手に誤魔化せば、その点を突いて追及してくる。それならば……

 覚悟を決めた私は目を伏せて説明を始めた。


「物資が不足というより物流の安定が一番の問題ね。生活維持に必要な最低限の物は自領内で生産しているけど、それ以外の物はいくつもの山を越えて運んでいるのが現状。それも、かなりの日数を要して、天候にも左右される。この前なんて、大雨による土砂崩れで道が塞がれて一か月ほど滞ったもの」

「それは大変でしたね。領民たちの生活は大丈夫でしたか?」

「さっきも話したけど、自領内で生活維持できるようにはしているし、貯蔵庫に備蓄があるから大丈夫だったわ。ただ、これは平和な今だから」


 私の言いたいことを汲み取ったリロイが頷く。


「これが他国との戦争中、しかも敵軍が山越えをして攻めてきた時に起きた場合、が問題ですね」

「そうなの。もし他国から攻められた時に他の領地からローレンス領に繋がる道が塞がれたら……援軍も援助物資もない状況になったら……籠城戦に持ち込んでも耐えるには限度があるわ。この問題はずっと課題とされてきたけど、解決されることはなかった」


 私が王都に来た理由。


「だから、私はこの物流問題を解決する糸口を求めて来たの。王都や他の領地の物流状況を把握して、そこからローレンス領にも転用できる技術がないか」


 ここで近づいてくる足音に気が付いた私は再び令嬢の仮面を被り、上品に微笑んだ。


「あとは、王都の流行りを知りまして、ローレンス領の特産品に取り入れたいと考えておりますの」


 扇子を持っていたら広げて口元を隠したいけど、今は持っていないので我慢。

 そこに軽いノックの音が響き、ドアが開いた。香ばしい珈琲の香りが部屋を満たす。

 リロイが穏やかに話を続けた。


「ローレンス領の乳製品や羊毛は一級品として人気がありますよ」

「えぇ。ですが、現状に胡坐をかいていては市場に置いていかれます。良き物は残しつつ、最先端の流行も取り入れていきませんと」


 表面上は穏やかに会話をしている私たちの前に珈琲が置かれる。あと生クリームとフルーツがたっぷりのケーキも。

 流れるように給仕を終えた店員が素早く退室する。


 リロイがカップを持ち上げて私に微笑んだ。


「よく店員が来ていたことに気づきましたね」


 私は軽く息を吐いて肩にかかった髪を払った。


「足音がないから気づくのに遅れたぐらいよ。王子に敬語を使わず話していたなんて、いくら王家御用達のカフェの店員でも知られたくないもの」

「私はかまわないのに。ほら、こういうのは……隠れ家デートって言うんでしたっけ?」


 まったく予想していなかった言葉に私の顔が熱くなる。


「隠れ家デートではありません!」

「そうですか。これはデートとは言わないのですか……」


 まるでオヤツを取り上げられたような犬のようにしょぼんとするリロイ。犬耳がペタンと伏せて尻尾がダラリと下がった幻影が見える。


(だ、だって、前世で殺した相手とデートだなんて、普通は考えられないでしょ!?)


 混乱する私の前でどこか残念そうに珈琲を飲むリロイ。

 なんとなく気まずくなった私は白いカップの中にある真っ黒な水面に視線を落とした。



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