最終話

 午前の授業が終わり、今日もお昼休みの時間がやってくる。今日のラノベ、「俺は男女の友情を成立させてみせる!」を読み終えてしまった俺は、手持ち無沙汰になって挿絵を呆然と眺めていた。

 まだ今朝のもやもやは拭い切れていない。物語の中にまだ籠もっていたいのに、読む内容がない。いつもなら、タブレットを取り出して小説家を志望しようのサイトを開くのだが、今日に限って充電してくるのを忘れてしまっていた。授業以外で使えば充電が切れてしまうだろう。かといって、そのためにわざわざ充電器を職員室にまで借りに行くのは面倒であった。今朝の赤堂さんが職員室に体操服を借りに行きたがらなかった理由も、きっと同じようなものだったのではないかと、その時に思った。

 この学校では、基本的にタブレットの充電は家でしてくるようにいわれている。学校で行う場合には、職員室に行って充電器を借りる為に許可を取らなければならない。そうしなければ盗電になりますよ、といつの日にか担任が言っていた。


 深い溜息をつく。食欲がない。鞄から弁当箱を取り出すのですら億劫だ。

 机に頬を付けながらべったりと項垂れていると、どかどかと煩い足音が廊下に響く音が振動してきた。どうやら廊下は走ってはいけないことを知らない奴がいるようだと、どうでもいいことを思う。

 その音はこの教室の近くにまで来ると消失し、代わりに勢いよく扉が開けられる音が鳴る。爆発的なその音の方へとゆっくり目を向けると、このクソ暑い時期に赤いマフラーを付けた変な女が立っていた。

「尾緒神!挑戦状を受け取ったぞ!」

 俺の名前の刺繍が入った体操服を着ているその女と目が合う。キラキラとした瞳が、いつものように死んでいる俺に輝きを分けにやってきた。赤堂さんの登場だ。彼女がこのクラスを訪ねて来る展開は今朝にもやった気がしたから、今日はもうないものだと期待したかった。そんなことないのに。

 近くの無人椅子は赤堂さんに誘拐され、俺の席の前へと連れて来られる。その上に赤堂さんがどっかりと座る。

「尾緒神?なんか、元気がなさそうだな」

「……。まぁな」

 寧ろ、なんでお前はそんなに元気なんだ。もう朝のことは忘れてしまったのか、お前は俺に迷惑なお節介をやかれて不快な思いをしたんじゃないのか。などという考えが頭の中で永遠と漏れ出てくる。今は一人にしておいて欲しい。どうしようか。取り敢えず、とりとめのない理由で誤魔化そう。

「雨の日は、皆元気ないだろ」

「そんなことはないと思うけど。取り敢えず、私の弁当が置けないから顔を上げてくれないか?」

 俺が机に貼り付いているせいで、赤堂さんのお弁当が行き場を失っている。彼女の手に可愛らしくのっているそれを見て、俺は自分の顔を腕に隠す。

「おい。私は私の弁当を置かせろっていったんだが」

「今日は別のところで食べてくれ」

 頼むから、今は一人にして欲しい。

「え。なんで?」

「ちょっと落ち込んでるんだ。一人にさせてくれ」

「悩み事か!?」

 やけに明るい声が聞こえた。俺の体が怯えを感じて震えた。これは、よくない流れの気がする。薄目で、腕の隙間から赤堂さんの方を見て見ると、好奇の目が俺を捉えていた。

「なんだよ。嬉しそうだな」

「まあな。悩み事なら私に任せておけ。友達の悩みだ。華麗に、サクッと解決してみせてやろう」

 胸を張り、ふふんと赤堂さんは威張る。

「そういうのじゃないんだ。一人で解決するから、ほっといてくれ」

「やだ」

 やだじゃない。より一層頭を腕の中に沈めようとしたとき、頭をがっと両手で押さえられた。何かとびくつくのも束の間、俺の顔は強引に持ち上げられる。目の前にいる赤堂さんに頭を引き上げられたのだ。彼女の真剣そうな目が俺を捕まえる。

「教えて」

 真面目な表情を作っていても、好気の目が隠せていない。

 これは譲ってくれそうにないな。ここで最後まで言わなかった場合と、素直に白状した場合を想像してみる。

 ……。

 言わない場合、なんてものはないな。拒絶しても言わされるのか、自分から白状するのかの二択の未来しか想像できない。どっちにしても話さないといけないのなら、拒絶する労力がある方が無駄である。

 溜息一つ。

「分かった。話すよ」

 俺が自分の力で顔を持ち上げると、赤堂さんは俺の頭を離す。気が重かった俺は、また頭が落ちてしまわないように頬杖を突いた。そして視線を彼女から外す。

「朝のことだ」

「うん」

「その、悪かったな」

「うん?」

「……。」

「え、終わり?」

「ああ。終わり」

「いや、そんなんじゃ何も分かんねぇよ」

 掌の側面で軽く頭を小突かれる。

 自分でも言葉足らずなことなのは分かっているのだが、いざ一から説明をしようとしたら上手く口が動かなかった。そもそも、これは俺が謝ることなのか?

 偽善を押し付けてごめんなさい。不快な思いをさせてごめんなさい。そんなことを言ったところで意味なんてなさそうである。出来れば、察して欲しい。

「え、私、尾緒神に何か謝られるようなことされたっけ?」

 そんな俺の願いも虚しく、赤堂さんは頭に疑問符を浮かべながら首を傾げる。

「朝、体操服を貸しただろ」

「え?ああ、貸して貰ったな。今も着てるぜ、制服がまだ乾かなくてな」

 俺の制服がつまみあげられている様子を見ながら、なんとか次の言葉を編み出す。

「無理矢理押し付けるようなまねをして悪かった。もう少し、赤堂さんの意見を尊重するべきだった」

「え」

「……。」

 ぽかんと、くりくりした目が俺を見る。そんなものを真正面からは見られず、俺は相変わらず窓の外を眺め続ける。なんだろう、この小っ恥ずかしさは。

「はぁ。なんだ、そんなことか」

 深く、失望めいた溜息が吐かれた。赤堂さんの目にあったキラキラとした輝きもその明るさを薄めている。

「そんなことって。赤堂さんにとってはそんなことで」

「あー。はいはい。そういうのいいから」

 俺の発言は、手を振りながらいらないと一蹴される。

「ちえ。尾緒神のことだから、前みたいにどーでもいいけどよく考えたらちょっとだけ気になるようなことで悩んでると思ったのにな」

 言いながら、赤堂さんは地面に置いていた弁当を取って机に置く。机の上に置けないようにしていたのは俺だが、床に置かせてしまっていたことには少しだけ申し訳なさを感じた。

「なんか、言い方酷くないか?」

 前みたいにというのは、“どうして篠崎先生が俺と赤堂さんを友達関係だと誤解したのか”の件だろう。たしかに、事例だけを聞くとどうでもいいなと思う。でも、俺にはそれがどうでもよくならない理由があった。赤堂さんにそれを伝える気はないけれど。

「事実だろ。実際、今考えてみてもどうでもいいし」

「む。」

 実際にはそうなのだが、赤堂さんの口からそう言われるとなんだかムカつく。

「でも、楽しかったよな、あれ」

 文句を垂れていた筈の赤堂さんが、当時を思い出したのか軽く笑顔を見せる。そして此方を見ると、ふふんと自慢げな笑みを浮かべた。

「私、あの一件で気づいたことがあるんだ」

 背もたれに寄りかかって、どっしりと椅子に座り込んだ赤堂さんが、得意げに人差し指を立てた。自慢話でも始まるのかな。

「現実なんて、漫画やドラマみたいなイベントは起こらないし、超つまんねぇ。とか思ってたけど、実はそうじゃないんだなって」

 はぁ、そうですか。なんてことを思いながら鞄から牛乳パックを取り出してストローを突き刺す。

「要は考え方なんだ。面白いイベントへのきっかけは、案外そこら変に転がっていて。ただ、私達がそれについて深く考えないようにしているだけなんだって」

 つまり、考えると面倒だから敢えて放棄していると。うん。実に俺好みの答えだ。

「だからさ、私はあの時みたいな面白いことを探そうとしたんだけど」

 赤堂さんは目線を辺りへと彷徨わせる。身振り手振りまで付けて、探す素振りを見せていた。それを見るだけで言いたいことは分かった。

「見つからなかったと」

「そうなんだよな~」

 腕を組みながら、赤堂さんは難しそうな顔をする。

「だから、尾緒神が悩んでるって聞いて、またあの時みたいにどーでもいいけど面白いことに巻き込んでくれるんじゃないかって期待してた」

「そりゃあ、残念だったな」

 というか、巻き込んだのは俺じゃないし。あの一件を持って来たのは赤堂さんの方だ。まあ、確かに深く考え始めたのは俺の方だけど。

「面白くない悩みで悪かったな。」

「あ、いや、悪気があった訳じゃないから。悪かったって、そう拗ねるなよ」

 拗ねてない。むくれてみているだけだ。

 少々申し訳なさそうにする赤堂さんはなんだか新鮮だ。いつもはこう、ずかずか来る感じだから。

「でも実際面白くはないだろ?だって今のお前の悩みに対する答えは簡単だ」

「簡単って。これでも結構悩んでるんだぞ」

 偽善の押し付け。どうやったらそれを他人に押し付けずに過ごせるのか。優しくしない以外に方法はない。でもそれはそれで気が引ける。だったら、孤独になる以外の解決方法なんてない。でも俺は、家庭の事情的に孤独になることを許されていない。詰んでいる。

 そういえば、赤堂さんはどこまで俺の悩みを把握しているのだろうか。考えてみれば、表面的なことすら伝えていない気がする。だとすれば、前回同様、客観的に見れば簡単に解決できる程度の悩みなのかもしれない。

「私と一緒にいる時には気にするな。答えは、これだけで充分だろ?」

「……。」

「押し付けとか、そんなこと。私といる間は気にしなくていい。私だって、私の好きなものをお前に押し付けてるわけだしな。お互いさまだ。」

 赤堂さんは懐を弄ろうとするも、その手は空中を漂う。その手の場所には、俺の名前が書かれた刺繍があった。

「あ、そっか。今日は体操服なんだったな。漢のホビー魂、取ろうと思って失敗しちまった」

 手を後頭部に置きながら、赤堂さんが軽く舌を出す。

 あれ、いつも懐に入っているのか。内ポケットに入るような大きさじゃないと思うのだけれど。

「たしかに、赤堂さんとはロボットとか変身アイテムの話はする。でも、それは俺も楽しいことだから、別に押し付けなんかじゃ」

「でも、本当はその時間も本を読みたいだろ?」

「うぐ」

 それは否定しきれない。

「な?だから、気にすんな。私も気にしないからさ。」

 両手を頭の後ろで組みながら、赤堂さんは無邪気に笑う。

「あ、でも。本当に嫌だったら、その時はちゃんと言葉にするからな。私がやめてって言ったらやめてくれよ。」

「分かってるよ。無理に強要はしない。」

 元々そのつもりだ。だから悩んだ。

「朝のあれは、嫌がってはいなかったのか」

「え?ああ、まあ。」

 赤堂さんは少しだけ視線を彷徨わす。

「死ぬほど嫌って訳じゃなかったから、別にいい。実際、貸してくれて助かったなって、思ってるし。」

 いいながら、赤堂さんは着ている体操服の首下を掴んだ。

「ほ、本当に嫌だったら、もう少し本気で抵抗する。嫌だ!くらいの声は出す。」

 赤堂さんが大声を出したことで、クラスメイトからの注目が一瞬集まる。でも直ぐにその視線は散っていった。

 でもそうか。朝のこと、本気で嫌がってた訳じゃないんだな。赤堂さんは、あれで心底嫌な思いをした訳ではなかったんだ。

 気にすんな、か。

「そっか。それは、よかったよ」

 そう言うと、赤堂さんの体が跳ねた。何事かと思ってそちらを見ると、好奇心旺盛な顔をする彼女がそこにいた。なにか、嫌な予感がする。

「ふーん。ほーん。」

 赤堂さんは意地悪な顔をして此方の顔を覗き込む。

「な、なに。」

「いいや?尾緒神って、そんな笑い方もするんだなって思って」

「は?」

 俺、今笑ってたのか。口元を確認してみるも、口角が上がっている様子はない。自然に笑顔になった、そんなことがあるのか?

「お前も、意外と爽やかな顔をして笑う時があるんだなって」

「意外とって、いつもはどんな笑顔をしてるっていうんだよ」

「根暗笑顔」

「おい」

 根暗笑顔ってなんだ。

「ははは。冗談だって、そんなに怒るなよ」

 笑う赤堂さんに、俺の机がばしばしと叩かれる。

「別に怒ってない。ただちょっと、腹が立っただけだ」

「それを怒ってるっていうんだよ。怖い怒り方ではないけどな」

 赤堂さんも、明るい笑顔をしていた。

 その後、彼女は弁当の風呂敷を広げた。それを見て、俺も自分のお弁当を鞄から取り出す。机に二つのお弁当が並ぶ。いつもはここに、漢のホビー魂もあるのだが、今日はない。あれがなくても、俺って赤堂さんと話が出来るんだなと思った。

 今日はそこに、一枚の手紙が置かれた。赤堂さんに宛てられたという挑戦状だ。この先の展開は、簡単に予想できる。

「そうだ尾緒神、話は戻るけど」

「行くよ」

「え、いいのか?」

「なんだよ、意外そうな顔をして」

「いや、てっきりもっと駄々をこねられるものだと思って。」

 たしかに、いつもの俺なら断っていたかもしれない。

「別にこのくらい、いいよ。まあ、あんまし気にすんな」

「あ!それ、私の言葉!」


 それから俺達は、挑戦状の話をした。それ自体は、放課後になるまで開けてはいけないらしい。どんな謎が待ち受けているのか、赤堂さんとはそんな話や雑談をしながら残りの時間を過ごした。

 俺達はまた、放課後にこの教室で落ち合う。


 こんな友達は、初めてかもしれない。

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