蜘蛛の魔物

 声が聞こえてきた。


「……ッ!?」


 それと共に、自分の体が一段と重くなってくる。


「……うそっ」


「アンシアっ!?」


 一瞬だけ重くなり、すぐに軽くなった僕に対して、アンシアは堪えきれなかったのか地面へとその膝をつける。

 これは、何だ……?僕が簡単に抵抗しちゃったせいで何で今、アンシアが倒れているのかわからない……っ。


「……っぶないッ!?」


 地面に膝をついて俯いてしまったアンシアを前にどうすればわからず動きを止めていた僕はすぐ後ろ、急に現れた気配を感じ取って慌てて彼女の体へと抱き着くような形になりながらも何とかその体を押し出して、鉄の牢屋の方へと近づいていく。


「ぎしゃしゃしゃしゃしゃしゃっ!」


 地面へと無様に転がりながらも何とかその場を離れた僕が後ろを振り返れば、そこには一体の化け物がいた。

 遥かに大きな巨躯を持つ蜘蛛の魔物。真っ赤な六つの瞳に口から鋭く伸びた牙。毛むくじゃらの八つ足からは大きく長い、禍々しい爪が伸びている。

 そんな化け物の右足が先ほどまでアンシアが立っていた場所を貫いていた。


「……これは」


 見るだけでわかる。

 この魔物は、さっきの狼の魔物とは格が違う、と。


「アンシア」

 

 そんな魔物を前にして、僕はアンシアの方へと声をかける。


「……何とか、逃げられない?」


「……待って」


 そんな僕の言葉に対して、アンシアの方は体を震わせながら、何とか立ちあがる。


「……」


 その姿を見たら……。


「無理、ね。今の私では……」


 アンシアは僕に対して、想定通りの言葉を返してくる。


「……ぼ、僕たち……死んじゃうの?」

 

 そんな自分たちのやり取りを見て、鉄の牢屋の中にいた子供たちのうち、一人が声を上げる。


「あっ!ばかっ!」


「じ、自分たちのことは気にしないで!」


「……元はと言えば、自分たちが」


 死んじゃうの、そんなことを告げる子供の一人に対して、周りにいた子たちはその子を押しとどめて自分たちのことは気にしないように言ってくる。

 この子たちも、魔族と戦うために教育されている最中の子たち、ということだろうか。

 気丈な態度で振舞おうと、震えた体でありながらも、奮起していた。


「大丈夫よ。君たちのことはこっちの死んだ魚のような目をした男の子が助けてくれるから。この、ロワくんと一緒に逃げて?」


 そんな子供たちへとアンシアの方は優しく声をかける……ん?なんていった?


「……っ!?待って、僕はそんなことっ!」


 勝手に僕へと子どもたちを任せてきたアンシアを前に抗議の声を上げる。


「貴方しかいないわ。この状態でも出来ることはある」


「無理だよ。僕にはそんなこと出来ない」


 アンシアの言葉に対して、僕は首を振って答える。


「無理なものは無理なんだ。僕には出来ない」


 僕が子供たちと一緒に逃げるなんて無理だ。

 何に発展するか、わかったものじゃない。


「逃げた先に魔物がいたらどうにもならないし……」


「でもっ、可能性があるのはそれしかないわ。お願い、子供たちの為に動いて」


「……ほ、本当に僕は生き返ることしか能がないんだよ」


「貴方しかいないのっ!子供たちを救える可能性があるのはっ、ルータ先生から聞いているわ。少し戦うくらいなら出来るんでしょ?なら、お願い」


「……僕には、無理だよ。出来ない」


 自分のことを真正面から訴えてくるアンシアに対して、僕はその視線から逃げるように逸らしながら答える。

 

「……ッ!ロワくんっ!」


「……っ」


 だが、そんな僕の胸倉をつかんでアンシアは強引に僕の視線を合わせてくる。


「やる前から諦めてどうするのっ!?お願いっ!貴方は何のため、ここに来たのっ!」


 は?


「……ッ!?」


 何も出来ないやつが。

 何もかも出来てしまう僕の何がわかるっ───あぁ、駄目だ。


「うるさい」


 僕は自分の胸倉をつかんでくるアンシアの腕を払いのける。

 ……。

 …………。


「……僕はもう、何もしたくないんだよっ!」


 聞こえてくる。


「何も見たくないっ!何も考えたくないっ!何とも向き合わないっ!全部、全部、知らないっ!僕はこのまま消えてくなって、何もせず、ただ一人で死にたい……」


 足音が、近づいてくる。


「ろ、ロワくん……」


「はぁ……はぁ……はぁ……僕は何を言っているんだ、こんな時に」


 僕は何を口走っていた。

 そんなこと、僕の願いを今、言ったところでどうしようもないだろうっ!


「……」


 僕は忌々しさを自分の表情に出すことを一切躊躇せず、ただただ胸元から一振りの短剣を取り出し……ちらりと、震えながらも、気丈にふるまっていた子供たちの方に視線を向ける。

 あぁ……クソッタレ。


「僕はもう何もしたくない。ただ、一人で消えてしまいたい……それでも、誰かが死ぬのを見るのはもうこりごりだ」


 くだらぬ感傷。

 僕は自分の中に湧き上がってくる素直な思いをそのまま吐露する。


「……ッ!?」


 そして、そのまま僕は自分の首へと短剣を突き刺した。

 あふれ出していく己の血。

 一気に僕の服が血に染められ、地面も染まっていく。

 そして、その血はアンシアの方にもかかっていた。


「僕の血を分けた。一時的に僕のように完全な麻痺などの態勢を得られるはず……それで逃げて」


「……ほ、本当だ、動ける。ちょっと待って!?その前に、ロワくんは何をするつもりなの?」


「アンシアには関係ないよ。子供たちを早く」


 僕はアンシアとの言葉を切り、ゆっくりと蜘蛛の魔物の方に向かっていく。


「ぎしゃしゃしゃしゃしゃしゃっ!」


 蜘蛛の魔物が地面へと刺さった八つあるうちの一つの足を持ち上げている中で、僕は自分の首に差している短剣を滑らせながら近づいていく。

 僕の位置がアンシアよりも蜘蛛の魔物の方が近くなったころ。

 短剣によって切断された僕の首が地面へと落ちていく。


「あぁ……」


 自分の視界が反転し、僕は自分の体を見上げる。

 首を失った後の僕の体は変わらず歩を進めている。

 そして、胴体が頭を見捨てて進んでいく中で、地面へと落ちた僕はそのまますぐに溶けて消え───。


「……ァァァ」


 ───そして、再び、僕の視界は晴れる。


 僕は我、我は僕。


 我を開放せよ、我を受けいれよ、我を──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る