祠を壊された神の行方

祠を壊された神の行方

 畳み一枚分ほどの平たい岩の上に立つ古びた祠。

 いつからからあるのか、何が祀られているのか、その由来さえも知る者はいない。


 そんな祠は周囲を木々で囲まれていた。

 春には柔らかな木漏れ日に包まれ、夏には蝉の鳴き声で賑わい、秋には紅葉の葉で彩られ、冬には雪に埋もれる。


 参拝に来る者はいないが、祠の主はそれでよかった。森の動物たちとのんびりと時を過ごし、自然とともに朽ちていく。そう思っていた。


『では、少し留守にするぞ』


 毎年恒例の神無月の寄り合い。今では人に忘れられ、奉られていない存在だが、神である以上、参加をしないわけにはいかず。

 見送りに集まった森の動物たちに挨拶をして旅立った。


 行き先は神々が集まる地、出雲。


 稲佐の浜で行われる神迎神事かみむかえしんじで人々から厳かに迎えられ、大社内にある十九社で寝泊まりしながら神議かむはかりをおこなう。


『……今年は集まりが少なくないか?』


 森の祠の神の問いに付き合いの長い神が答える。


『最近、人たちに不穏な動きがあるだろう? その影響だ』

『不穏?』

『少し前、遥か彼方にある東の地より巨大な黒い船がやってきただろう? あれから、おかしくなる者が現れたのだ。お上の命だと言って祠や社を壊している』

『なんと!?』

『依り代を壊されれば、この世に存在できない。突然の破壊に恨み、辛み、輪廻に戻ることを拒否する神もいる。そうなれば、その念は執着となり、祟り神や腐れ神に堕ち、行きつく先は常闇というに……』


 付き合いの長い神が、ため息を吐くように話を続ける。


『江戸という安定した時代が長かったからな。我らもその安寧に浸かり過ぎたようだ』

『戦国の世では、壊され、忘れられ、朽ち落ち、地へ還る。それが当たり前だったからな』


 クックックッと苦笑いのような声が漏れた。


『それが今では季節ごとに奉られることが当たり前となった。なんと贅沢なことよ』

『本当に贅沢なことだな』


 森の祠の神がしみじみと呟く。人々から忘れられ、奉られることもなく、祠は朽ちていく一方で。そのため、この世にある体の形も少しずつ崩れていた。


 そんな森の祠の神に、しっかりとした体を持つ付き合いの長い神が明るく話す。


『さて、辛気臭い話はこれぐらいにして、我らの仕事をせねばな。来年の縁結びや収穫について決めねば。お主は森の実りを決めねばならぬぞ』

『そうだな。来年も実り多き森にして、動物たちが穏やかに暮らせるようにせねば』


 こうして、他の神々との交流を終え、神等去出祭からさでさいで出雲大社の神官から静かに見送られ、慣れ親しんだ森へと戻った。



 ところが――――――



『……祠が』


 森の動物たちが心配そうに囲む中央で、祠が潰れていた。


 しかも、どうみても自然の壊れ方ではない。明らかに何者かが叩き潰した跡がある。ただ、幸いなことに依り代は無傷だった。そのため、まだ神として存在はしている。

 ただ、その依り代もこの壊れた祠にいつ潰れるか分からない。潰れた瞬間、この世から消え去ってしまう。


『さて、どうするか』


 まるで他人事のような呟きが落ちる。

 祠の主であり神でもあるが、この世に実体はないため、物には触ることも動かすこともできない。


「ピチチチチ……」

「キュキュ」

「チュン、チュン」


 心配して集まった森の動物たち。だが、体の小さい彼らではどうすることもできない。


『崩れたら危ないからな。近づくでないぞ』


 ボロボロになっていく祠に比例して神の体の形も崩れていた。それがますます加速して、ドロドロと境界をなくすように溶けていく。

 そこにポツポツと秋雨が落ちてきた。


『……』


 空を見上げれば、一面に広がる鈍色の雲。

 その色と同化するようにドロリとした感情が身を蝕んでいく。理不尽な暴力への怒り、悲しみ、恨み……


「きゅ?」


 小さな声に呼ばれて下を見れば、自身を囲む慣れ親しんだ動物たち。


『あぁ、すまんな』


 この地を蝕む疫病神になるのだけは避けねばならない。


『ちと休むとしよう』


 ズリズリと体を引きずりながら進む。その間も、地へ還るように小さくなっていく体。


『このまま自然に還れれば……』


 そこにサラサラと流れる川の音が聞こえてきた。


 その音に導かれるように進んだ先には、清水が湧き出る泉と川。


『なんと、このような場所があったとは。これは僥倖であった』


 森の祠の神が、とぷんと倒れるように身を沈める。小さかった体が溶けるように泉の中で広がり薄くなっていく。


 それから、どれだけの時が流れただろうか。


 紅葉に染まっていた葉がすべて落ち、木々の風通しが良くなった頃。境界が曖昧になっていた体が再び形を取り戻していた。


『なぜ……?』


 森の祠の神は泉から出て、冬の森を歩いた。


 その先にはあるのは、見慣れた岩の上にある祠。しかも、最後に見た時は潰れていたのに、今はかろうじて立っている状態。


「これと、それと」


 うんしょ、うんしょ、と幼い女の子が立て直そうとしているが、その手つきは危なっかしく、今にも崩れそうで。


『こ、これ。そこまでせんでいい。危ないから下がれ』


 森の祠の神は声をかけながら幼子の近くを周る。しかし、声が届くはずもなく、女の子はどこからか集めてきた枝を支えにしながら祠を直した。


「できた!」


 汚れた両手をあげて嬉しそうに笑う。

 その姿に森の祠の神がほわんとした温もりを感じた。ずっと、ずっと忘れていた、懐かしい感覚。


「これで、かみちゃまのおウチ、大丈夫だいじょぶね」

『そうだな。ありがとう』


 声も聞こえなければ、姿も見えない。それは分かっている。それでも返事をしたくなった。


(……いつぶりか)


 この近くに家があり、畑があり、人々が一日の始まりと終わりに挨拶に来ていた。その頃も、届かないと分かっていても、かけられた言葉に返事をしていた。

 それだけ、人々を見守り、ともに生きていたということ。


『なんと、懐かしいことか』


 遠い記憶に浸っていると、ミシリと音がした。


『ん?』


 それから、ミシミシと祠が揺れて傾き……


 ぐしゃり。


 祠は再び潰れた。


「あー!」


 その光景に幼い女の子が呆然となる。


「……どうして」


 これまでの明るさが消え、小さな唇を悔しそうにグッと噛みしめた。大きな目には涙がたまっているが、それをこぼさないように我慢している。


「……ウチ、がんばったのに」


 ついにこぼれた声。

 そして、それを皮切りにボロボロと涙があふれて、地面にボタボタと落ちる。


「……っく」


 止まることのない涙を汚れた小さな手で拭う。そのため、顔もどんどん汚れていく。


『これ、泣くでない』


 伝わらないと知っていながらも、つい声をかけ、頭に触れる。感触も、温もりもないが、少しでもこの気持ちを伝えたい。

 すると、女の子が小さく呟いた。


「ごめんちゃい……」


 その言葉に森の中の祠の神の体内から風が吹き抜けた。

 最初に祠を壊された時の怒りや恨みの念が消え去り、これまで感じたことのない感覚となる。浄化されたような清々しさが全身を包む。


『よき、よき。お主のおかげで輪廻の輪へ還れそうだ』


 体が星屑のように輝き散っていく。


『終わり良ければ総て良しとは、よく言ったものだ』


 この世での役割は終えた。

 次はいつ、どのような姿で現れるか分からないが、それまで悠久の世界へ……



 いくはずだったのに。



「こぉらぁ! おめぇさ、一人じゃ危ないから勝手に触るな、って言っただろ!」

「ごめんちゃあ!」


 老人のしわがれた怒鳴り声と、幼い女の子の声。


 気が付けば森の祠の前。しかも、消えかけていた体は元通り……どころか、前より形がしっかりしている。


『……なにが?』


 改めて周囲を見ると、祠が修復されていた。継ぎはぎなところもあるが、今までなかったしめ縄に紙垂しでと、お供え物まで。


 髪の毛が薄い白髪の老人が、真剣な表情で森の祠に手を合わした。


「孫が大変なことをしでかして、すまねぇ。どうか、どうか、呪わねぇでくだせぇ。もし、呪うならワシを呪ってくれ。この子は親もいねぇんだ。だから、祠を壊した罰はワシが受けるで、どうか呪うならワシを……」

「ウチ、こわちてないの! こわれてたの!」

「いいから、おまえも頭をさげろ」


 祖父に言われた女の子が不満顔になる。だが、直った祠を見て満面の笑顔になった。


「なおって、よかっちゃ」

「はよ、頭をさげ!」


 シワシワの手が小さな頭を押さえる。それから、祖父は必死に「呪うなら自分を……」と願って孫と一緒に帰っていった。


『そんなに呪われたいとは、酔狂な者もいるもんだ』


 もちろん、真意はわかっている。ただ、久しぶりに触れた気持ち良い人の念につい軽口が出た。


『さて、久々に森の実り以外の仕事だな』


 ヤル気になった森の祠の神は小さいが出来る限りの加護を二人に授けた。



 それから、森は平穏な日々が続いた。

 少し変わったことは、幼女と祖父が時折、顔を出すようになったこと。


「祠を直してから縁起がよいことが続くな。秋は豊作だったし、冬の間に編んだカゴがあんなに高く売れるとは」

「じいちゃ、よろこんでちゃ!」

「これも、祠の神様のおかげだ。最初はおまえが呪われないか焦ったが」

「のろわれ?」


 首を傾げた孫の頭を祖父が押さえる。


「いいから、お礼を言って頭をさげろ」

「あい! かみちゃま、ありがちょ!」


 お供えとして、収穫した野菜や米を持ってくる二人。


 森の祠の神はこれまで通り、森の動物たちと過ごしながらも、その姿を見るのが楽しみになっていた。


 こうして幼女は少し大きくなり、いつからか祖父は一緒に来なくなり。


 そして……


 森の祠の前でボロボロと泣く女の子。それは、祠が壊れた時以来の大泣きで。


「じ、じいちゃん、じいちゃんが……」


 少し前から病に臥せっていた祖父。その命がついに切れたのだ。

 そのことを悟っていた森の祠の神は届かないと分かっていても、つい声をかけていた。


『祖父はよく頑張っておった。大往生だから、泣かずに誇るがよい』


 涙でグシャグシャの顔を両手で拭い続ける女の子。

 その隣には、困ったように見守る祖父。


『まったく、情けない。四十九日までは一緒におるから、それまでに泣き止むんだぞ』


 霊となった祖父の言葉も女の子には届かない。もどかしい状況に祖父が目を閉じる。それから、二人を見守る森の祠の神に髪の毛が薄い白髪頭をさげた。


『不出来な孫だが、どうか見守ってくだせえ。じじいの最期の願いを、どうか頼みますだ』


 霊になったからといって、森の祠の神の姿が見えるわけではないし、神の存在を認識できたわけでもない。

 それでも、人は願わずにはいられないのだろう。残していく者の幸せを。


『あいわかった』


 森の祠の神はその願いをしっかりと受け取った。



 祖父が亡くなった後も女の子は一人で森の中の祠へ足を運んだ。

 定期的にお供えをして、祠と祠の周囲を掃除して。こうして、月日は流れ、女の子は少女となったが、その習慣は続いていた。


『さて、行ってくるかな。あとは任せるぞ』


 毎年恒例、神無月の寄り合い。


 出雲へ出向き、いつものように神々と神議かむはかりをおこなう。


 そこで付き合いの長い神が森の祠の神に声をかけてきた。


『なんかツヤツヤしておるな』

『ツヤツヤ?』

『ひと昔前に戻ったようだぞ』

『……ひと昔前』


 たしかに少女が祠の掃除をするようになって体は綺麗になった。


『心当たりがあるのか?』


 どこか楽しそうな声に森の祠の神が答えようとして、言葉を詰まらせた。


『……おまえ、体が』


 それ以上は言えなかった。

 少し前の自分のような、いや、それより酷いかもしれない。輪郭がぼやけた体。しかも、全身が黒ずみ、焦げた臭いが漂う。


『社が焼け落ちてな。依り代は無事だし、すぐに人が直すさ』

『ならよかった』

『あぁ』


 軽く話したが、何となく無言となり、気まずい雰囲気に。

 それからは何も話さずお互いに仕事を始めた。


『次はこの男の縁だが、近くによい娘はおるか?』

『そうだのう……どうも、この男の近くの娘たちは縁遠いな。なにかしら相性が悪い』

『ならば、少し距離を置くか』

『それなら、この娘はどうだ?』

『あぁ、祖父を亡くして独り身の娘だな。年も良いし、相性も良いな。ん? この娘は森の祠のが担当か』


 問われた森の祠の神が体を寄せる。


『その娘ならば器量も性格もよく申し分ないぞ』

『では、それで話を詰めていこう』


 他の神々が粛々と仕事を進めていく中で、森の祠の神が席を立った。

 そのことに気がついた付き合いの長い神が声をかける。


『どうした?』

『ちと、海を見たくなった』

『そういえば、おまえのところは海がないな』

『たまには、ゆっくりと見るのもよかろう』


 森の祠の神が外に出れば、ちょうど海に陽が沈むところだった。

 朱色の太陽が雫のように紺色の海に垂れ、白い波がいくつもの線を織りなす。空は明るい橙色から暗い濃紺へと変化し、反対側では星が煌めく。そこに規則正しい波の音が空気をくすぐる。


 森では見ることができない光景をぼんやりと眺めていると、焦げた臭いがした。


『どうした?』

『疲れたから休みに来た』


 付き合いの長い神が森の祠の神の隣に立つ。

 実体を持たない神が疲れるということは、普通はない。


(ここに来るための方便か)


 そう考えた森の祠の神は話題を振った。


『おまえは縁を結ぶのに躊躇うことはあるか?』

『ん? 悪縁ではなく良縁で、か?』

『あぁ』


 悟ったように付き合いの長い神が話す。


『そういうことか。まぁ、あの娘はおまえの祠を直した。ある意味、縁が強い。それを切られるようなものだからな』

『切られる……』


 予想もしていなかった言葉に森の祠の神が黙る。


『そうだろう? おまえとの縁を切って、別の男と結び直すんだ』

『たしかに、そうなるか』


 言われれば納得する。ただ、モヤッと何かが残る。

 それを見越したように付き合いの長い神が言葉を続けた。


『丁度良い時期だったのかもな。これ以上、縁が強くなったら、その娘がこちら側へ引きずられる。そうなる前に、とどめておくべきだ』

『人は人の世に、か?』

『そうだ。お互いの世界は超えないほうがいい』


 ここで森の祠の神は、付き合いの長い神の声音に力がないことに気が付いた。


『珍しく弱気だな』

『……友からの忠告だと思ってくれ』

『何を言って……』


 声をかけるが、今までそこにいた姿がない。

 まるで陽炎のように、何も残さずに消えている。あるのは、茶色の砂浜と寄せては返す白波のみ。


『まさか……』


 森の祠の神は急いで大社へ戻り、他の神へ聞いてまわった。

 そこで分かったのは、付き合いの長い神がいた社の燃え残っていた部分が崩れ、依り代も潰れたということ。


『なぜ、人は依り代を出していなかったんだ……』

『かなり燃えていたらしく、周囲の人々は依り代が残っていると思っていなかったらしい』

『あいつは、こうなると分かっていたのか。それなのに……』


 社は再建されるが、壊れた依り代は戻らない。もう、付き合いの長い神とこの世で会うことはない。


 悲しみとも違う気持ちとともに、森の中の祠の神は神議かむはかりを終えて森へ戻った。


『私も最期はああなるのか……いや、ああなれたらいいな』


 羨望とほんの少しの寂しさを覚える。この世に念を残すことなく消えることができれば……


 その雰囲気に森の動物たちが集まってきた。


『心配するな。しばらくは大丈夫だ』


 祖父と少女が立て直した祠。あと百年は持つだろう。


『そういえば、そろそろか』


 少女がお供えを持って森を歩いている。長い黒髪をまとめ、少し大人びてきた顔。スラリと伸びた背に、少女から乙女へと成長していく途中の体。


『たしかに良縁を結ぶべき年頃だな。私としたことが、見誤っていた』


 いつものように祠へお供えをして拝む少女。

 そこに大きな黒い影が現れた。


「なにっ!?」

「騒ぐんじゃねぇ!」


 大男が少女を羽交い絞めにする。


「こんなところに、こんな上玉がいるなんてな!」

「やめっ!? 離して!」


 森に少女の悲鳴が響く。森の動物たちがざわつき、風が強く吹く。しかし、ここは人里から離れているため、誰も気づかない。

 暴れる少女を押さえつけようとする男に、森の祠の神の怒りが天を突き抜ける。


『不届き者が!』


 怒声に呼応して一瞬で黒雲が集まり、雷が轟き……


「なにをしている!?」


 若い青年の声がした。

 同時に鋭い拳が男の顔面に埋まる。


 この展開に少女だけでなく、森の祠の神もポカンとなった。


 気絶した男を青年が持っていた縄で縛り上げる。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。その、ありがとうございます」

「無事ならよかった。この男が何となく怪しい感じがしたので、追いかけたのですが……あなたを助けることができてよかった」


 そう説明する快活な青年。元々は家族とともに都会で暮らしていたが、代々受け継いできたこの地を開拓するために戻ってきて、下調べのために歩いていたという。

 その姿に森の祠の神は出雲での縁結びを思い出した。


『この者が娘の良縁か』


 こうして出会った青年と少女はとんとん拍子で話が進み、結婚へ。青年は土地を開拓して農地を広げ、さまざまな作物を作った。

 そして、徐々に人々が集まり、遠い昔のような賑わいに。


 森の入り口には小さな公園が作られ、少女の子孫たちの遊び声が響く。


 そんな公園の奥には、祠へ続く道がひっそりとあった。あまり目立たないが、祭事のたびに奉られ、人々から親しまれている。


『……こうして、見守るのも良いな』


 森の木々に囲まれた穏やかな空間で、森の祠の神は今日も動物たちと過ごしている。



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