第5話
姉を思う気持ちが、段々、妬みや憎しみになってくる。
姉などいなければ……そう、いっそいなければ……。
「お姉ちゃんなんか、いなくなればいいのに」
独り言のように、ぼそっと呟いた……つもりだった。
「ナナ……?」
振り返ると佳奈恵がいて、驚いたように奈々恵を見ている。
「ホントに……そう思ってたの、ナナ?」
佳奈恵は涙を浮かべていた。
「違う……違うの、お姉ちゃん!」
佳奈恵は、裸足のままで、家を飛び出して行く。止めなければ、追いかけなければ……。
追いかけなければと思うのに、何故か全身の力が抜けていく。奈々恵は意識を失った。
目を覚ますと病院だった。父がいた。
「お父さん、お姉ちゃんは?」
そう聞く奈々恵。
彼女の手を取り、優しく握りながら、父は言った。
「よく聞いてくれ。……お前に、お姉ちゃんはいないんだ、奈々恵」
奈々恵には、父が何を言っているかわからない。
「変なこと言わないで。お姉ちゃんはどこ? まだ見つかってないの? 探さなきゃ」
奈々恵は、姉を探しに行こうと立ち上がり、ふらつき、看護師に抱えられてベッドに戻された。
父は、ふぅ、と溜息をついた。
「駄目です。私に説明は無理です、先生」
「辛抱強く治していくしかない病気です」
「治るんでしょうか?」
「信じるしかないでしょう」
「私から、本人に、ちゃんと説明しましょう」
医師はそう言った。
「奈々恵さん、『解離性同一性障害』という言葉を聞いたことはありますか?」
「いいえ」
「『多重人格』と言われることもあります」
奈々恵には、医師が何を言おうとしているのかわからなかった。
「あなたは、一人で人格を二つ持っています」
「二重人格だと……?」
「そうです。『佳奈恵』さんと『奈々恵』さん、どちらも、あなたです」
「仰っている意味がわかりません。佳奈恵は私の姉なんです」
「お姉さんが『変わった』と思われたのは、いつ頃からかわかりますか?」
「母が……母が亡くなった頃からです」
「佳奈恵さんは、その頃に、あなたの心の中にできてしまった別人格です」
「そんなはずは……だって、姉は、いつも家にいて、私は仕事に行って……」
「どこの会社に?」
思い出せない。
「ずっと佳奈恵さんとしての生活をしながら、奈々恵さんとして家事をしていたんですよ。お父様に伺いました」
「じゃあ、姉の病気は……双極性障害はどうなるんです?」
「あなたご自身のものです」
「……」
「ここまでにしましょう。少し入院が必要です。あとは、カウンセラーさんにお任せしてあります。ゆっくりで構いません。お話をしてみてください」
「……」
奈々恵の治療が始まった。
奈々恵の中の佳奈恵を、奈々恵に吸収させるのが、最終目標だった。
奈々恵は、度々佳奈恵に入れ替わる。佳奈恵の時に躁状態のことは、殆ど無くなった。ただ、酷い鬱の時があって、奈々恵が自分を嫌っていること、必要とされてないことを延々と悲しみ、「消えたい」「死にたい」と言うこともあった。そういう時には、病院スタッフは十分に気をつけて、彼女が自殺を図らぬようにした。
「双極性障害(躁鬱病)」の自殺率はとても高い。未治療の患者であれば20%、5人に1人と言われている。自殺企図を持った経験がある患者は20%よりまだ多い。
奈々恵は、それを防ぐべく、慎重なケアをされた。
奈々恵も、佳奈恵が自分の中にいることを、少しずつ理解し始めていた。
しかし、今度は、それが問題になる。佳奈恵が躁状態時にやった恥ずかしい事の数々を、自分がやっていたのかと思うと、辛いのだ。今度は奈々恵が自殺を考えるようになった。
治療は、一筋縄では行かないものになった。
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