第3話

 そう。姉の佳奈恵は、「鬱病」だとは思えない時もあるのだ。


 絵を描き始めると、人が変わったようになる。

 寝食には別の問題が出てくる。食べたい時に信じられないくらいの量を食べ、殆ど眠らずに描いている。たまに気絶したように、その場に倒れて眠っていることがある。


 そして、問題行動を起こすようになる。


 一旦、キリのいいところまで描いて納得すると、姉は骨休みにショッピングに出るのだ。妹はそれに付き添う。

 姉は、服やアクセサリーをどんどん買い、多い時には100万を超える買い物をする。しかし、買うと満足してしまい、全く着ないし、身につけることもない。

 なるべくブランド物を選ばせ、妹が、後でこっそり売りに行くのが、いつものパターンだった。



 佳奈恵は、ホストクラブへも出入りする。奈々恵は、それにも付き添う。

 金をどんどん使い、ちやほやされている姉から、なるべく離れた椅子の端っこで、妹は、彼女の気が済むのを待つ。

 事情を知らぬ下っ端のホストが、奈々恵の隣に座る。

「ナナちゃんって、よく見たら、カナちゃんと顔がそっくり。さすが姉妹だね。すごい美人。」

 と言われる。


 当たり前だ。

 姉、佳奈恵とは一卵性の双子だ。

 元々同じ顔なのだ。


 姉はお気に入りのホストを連れて帰るようになる。

 かかるお金は数百万。1年間の家計がつき果てるのではないかと思わされる。 

 暫くの間、姉の部屋から、姉の大きな喘ぎ声が続く。

 父は、その間は、家に帰ってこない。



 絵を描き終わると、姉は力尽きる。

「藤原さんに連絡して、取りに来てもらって……」

 そう言って、憔悴した顔で、部屋に籠もるのだ。

 そして、また、何もしない、何もできない人になる。



 暫くすると、姉の絵が売れ、美術商からのお金が、姉の口座に入る。

 奈々恵は、姉のマネージャーの藤原に頼んで、税金などを計算してもらい、残った額から家計に、使われた分を補填してもらうのだ。


 そんな生活が、もう何年も続いていた。



 ある日、父が呟いた。

「すまない……何もできなくて」

「……いつものことだもの」

「もう、奈々恵も嫁に行ってもいい年なのに」

「結婚なんて、考えてないわ」

「好きな人はいないのか?」

「いない」

「そうか……」


 いない、は嘘だった。そっと憧れている人はいた。そっと。


「一度、佳奈恵を病院へ連れて行ってくれないか?」

 連れて行かないか? ではないのだ。

 また奈々恵任せの父親。



 姉の調子が悪く、何も口にしなくなった頃に彼女を説得して、なんとか、近所のクリニックに連れていった。


「鬱病ですね」

 医師は、状態を見て、すぐにそう言った。そして、抗鬱剤が出された。

 姉はすぐ元気になって、また絵を描くようになった。

「ほら、病院に行って、よかったじゃない」

「そうだね。ごめんね、ナナ。」

 こうして、穏やかなときが過ぎていった。

 

 姉はもう大丈夫なのだろう。

 奈々恵は心底嬉しかった。


 これでやっと自分の人生のことを考えられる。

 奈々恵の心に、希望の光が差した。


 

 しかし、そう思えたのは、束の間のことだった。


 佳奈恵の調子がかなり良くなっていることをクリニックで報告した。それを聞いて、

「そろそろ薬を減らしてみましょうか」

 と、医師は減薬を提案。薬が減らされても、もう姉は大丈夫だろうと思っていた。



 そう思っていた矢先のことだった。姉は、また暴力的に絵を描き始めた。


「私には神が見える。神が私にこう描けと言っている」


 パレットナイフを使い、鋭利で緊迫した絵を描いていく。その姿は、何かに取り憑かれたかのようだった。人が変わったような姉に、奈々恵でさえ、声をかけることができなかった。 

  

 何日か後、アトリエから何かがバタバタッと倒れる音がして、奈々恵は慌ててアトリエのドアを開く。


 佳奈恵が倒れていた。


 絵には、佳奈恵のサインが書かれてあった。仕上がったのだ……。


 奈々恵は救急車を呼んだ。

 佳奈恵は、大きな病院へ搬送された。


 佳奈恵の絵のことは、全て、藤原に任せた。



「お姉さんのことについて、少しお話を伺ってもよろしいですか?」

 カウンセラーだと名乗る人が来て、奈々恵は、別室で話をすることになった。



「もしかして、姉は、もっと重い病気なのですか?」

 部屋に入って座るなり、焦ったように、奈々恵はカウンセラーに問いかけた。

「詳しくお話を伺わなければ、それは判りかねます。それに、診断をするのは先生ですから……」

 カウンセラーは落ち着いて話す。

「佳奈恵さんの日常生活について、なるべく詳しく教えて下さい」

 

 奈々恵は、「それ」を暴露することを、姉に申し訳ないと思いながら、全部吐き出してしまえばラクになる。そんな気もしていた。

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