第2話 君と夕焼け。

 君との始まりは映画のような劇的なドラマではなかった。高校を卒業した俺は社会人になり、働き始めた。職場は地元から離れた四階建て以上の建物のない小さな街だった。そこがふたりの出会った舞台だった。

 こじんまりとしたスーパーでパートタイム制のレジ打ちをしていた彼女を見つけた。肌は白く、黒くて長い髪を束ねた君は、硬い茎にパサ、と白い花弁をつけるユリの花を思わせた。若いのに気高く、美しい子だと感じた。店を出て君を、ちらと見やると客の入りがまばらの店内でぽつんと、うつむき加減にレジに立っていた。


 友人の多く住む地元を離れて仕事が終わりすることのない俺は、砂浜が三日月の形をしているビーチに来ることが習慣になっていた。綺麗な場所だが、その街の住人にとって当たり前にある場所には人はいない。俺は一人でそこにいた。風の向こうからスクーターの音が聞こえてきて、その方を見ると制服姿の君が、スクーターを停め、フルフェイスで乱れた髪を手櫛で整えているところだった。

 君がこっちに歩いてくる。あの子だ、とすぐにわかった。君も気づいたようだと感じた。君はまっすぐ俺のところに歩いて来た。砂浜にポツ、ポツ、とついた、とても小さい歩幅が今も目に焼き付いている。

 「おつかれさまです」

 潮風が膨らませる髪をおさえて、薄く笑いながら君は言った。

 「こんにちは」

 挨拶の言葉がチグハグにすれ違ったが、それは声をかけられた動揺からだった。

 「同じ高校、でしたよね」

 「そうだったかな、同じ学年だったかな」

 「いや、先輩の方がふたつ上の学年でした」

 「そうなんだ、あんまり、その、見覚えがないんだよね…」

 「先輩はスポーツ科でしたよね。私は料理科だったんです」

君はいいながら、息をつくように笑っていた。俺はなんとなく、目を合わして話そうとは思わず海をまた眺める。

 それは、君を見覚えがあるわけがないわけだと思った。君から見ればスポーツ科の俺のことは、朝の全校生徒の集会なんかで表彰されたりした際に見たはずだ。俺から一般生徒の君を知る術はなかった。どちらかが、声をかけたりしない限りは。

 「たまにここに来てますよね」

 「たまにというか、毎日?来てるよ」

 「好きですか?海」

 そう言った君を横目に見やると君も海を眺めていた。

 「まあ、どちらかといえば好きかな。暇だからってのもあるけど。なんかザザーンって、波の音を聞くと落ち着くというか」

 「わかりますよ。和むというか、風と波の音だけっていうのが、すごく静かに聞こえますよね」

 「綺麗だしね」

 「そうなんです。この時間の、日が落ちていって、暗くなっていく時間が、わたしも一番好きです」

 どうしてか君は、ひどく落ち込んでいるように見えた。「たまに、ひとりで眺めていると、なんか、病みますけどね」君はひとりごちる。

 俺が気付かなかっただけで、君もたまにこのビーチに来ていたんだなと思った。

 「まあ、そういうのもあるかもな」

 俺たちはしばらく、立ったまま並んで、海の街の落陽を潮風に吹かれながら眺めた。君の言った通り、白波が立つ音に意識すると、風に混ざる波音がとても気持ちを和ませた。その音しか聞こえないということが、どれほどの静寂を作りだすのかを知った。向こう側に伸びていく濃紺の海と、夕焼けの中、暗くなっていくオレンジ色の空がつくる地平線が曖昧に溶け合う。

 「また先輩を見かけたら、今日みたいに一緒にいていいですか?」君は体ごとこちらを向いて言う。

 「いいけど…」

 「それならよかった。ひとりより、ふたりの方が、きっと風も気持ちがいいし眺めもきっといいですよ」

 それだけ言うと君は、ではまた、と笑いながら軽く頭を下げ、スクーターの方へ歩いていった。

俺は誰かと一緒に、プライベートで過ごしたことをひどく懐かしく思った。君と見た今日の光景が、実際より少し色濃く、美しく、記憶に残った。

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