第22話 瓜二つ
その台所役人の慶七郎は当番の開ける朝、六つ半(七時)に寝番の為の朝食作りの手伝いに入っていると年若い番方が来て、賄い方に少し早めに朝飯を戴けないかと頼んでいるようだったが、無理だと断っていたのである。
大番所の材木調達で急遽出かけねばならなくなった為三人分を都合してくれというものであった。
そこで別の者が待つ様に話しに行くと突然素っ頓狂な声を上げ、番方を見たり慶七郎を見たりして落ち着かないので、
「どうした」
と声を掛けながら寄って行くと、
「慶七郎と慶七郎」
と訳の分からぬことを呟いて、番方と慶七郎を交互に指さすのであった。
何と作事方に勤める兄の慶五郎であった。
「兄上!」
「居たのか、頼むから早めに出しては貰えぬか」
賄いの藤吉は奥に戻ってそのことを喋ると、四、五人の者が手を止めて集まって来た。
組頭の竹中次平に実の兄であることを告げると、
「作事方は今復興作業で忙しいようだから、慶七郎と藤吉で急いで拵えてやれ」
と指示したのである。
「有難うございます」
慶五郎が長椅子に腰かけて待って居ると、古参の下田嘉次郎兵衛がやって来て、
「どうした未だか」
とせっつく。
「おう下さん今弟らがやってるから待ってなよ」
と中から顔を出す。
「済まない。ところで弟って誰の事?」
「そこのあんちゃんの弟だとよ」
「慶五郎の弟?」
と下田も外から中を覗き込むが良く解らないので、
「新米の弟が此処に居るのか、誰よ」
「甘利慶七郎です」
「お前は豊川慶五郎。何で兄弟なんだ?」
と言いながらも二人の顔を見て納得したようだ。
「弟は父の後を継いだのです。正しくは後の後ですが」
下田嘉次郎兵衛は驚いた顔していた。
「お前の父親は甘利敬四郎?」
「左様です」
「そうか、いや親父殿には豪く世話になったのよ。何時も
「お待たせしました」
と五人分持って来たのだ。
「多いよ三人分で良いんだよ」
すると頭が、
「此奴らの気持ちだから遠慮しなさんな」
と言って受け取らせるのだった。
「お前さんの兄さんはなかなか優秀だよ。父上にそう伝えて置きなよ」
下田嘉次郎兵衛は礼を言うと上機嫌に詰所へと戻って行った。
洗い物も終えて当番に引き継ぐと台所の隅でお茶を飲みながら慶七郎の双子の兄の話になった。
「驚きましたよ、慶七郎さんに瓜二つそっくりなんだもの」
と藤吉が慶七郎の顔をまじまじと見る。
「そう言えば敬四郎に似てるよ」
組頭の竹中次平が思い出すように言うのだった。
一方下田嘉次郎兵衛らは朝飯を済ますと、平川御門から小船に持って、木材の材質確認の為日本橋材木町へと出かけて行った。
神田橋から常盤橋を潜って一石橋から日本橋川に入ると両岸に漁師の船が横づけしていて、河岸の賑わいを反映していた。
舟はその間を潜り抜けるようにして進み、江戸橋、思案橋から親父橋へと回り込む。
この辺りの人出も半端ではなかった。
此の辺りは葺屋町に堺町といって芝居小屋関係が密集する繁華街である。
その西側にある堀を進むと間もなく目的地であった。
材木を満載した舟が往来していた。
少し早すぎたらしく肝心の品が未だ着いて居なかった。
直着くというので縁台に座って出されたお茶を飲んで待って居た。
すると突然父敬四郎についての話を始めたのである。
「お前の親父さんは一流の腕を持った料理人だったよ。将軍弁当と言って、前日の食材の余りを使って弁当や菜を作って無料で配って呉れたものだったが、何しろ上様たちがお召しあがる食材の余りで作った弁当だから大層美味かったのよ。そんな訳で数には限度があったのよ。その内に作らなくなると、と言うより作れなくなったんだろうが、銭を払うから作って欲しいというのが大勢出たのさ。儂もその一人だが、そしたら親父さんはそれら客の為に非番でも朝早く作って、当番の者に持たせて要望に応えてくれたものだ。
代金を貰うとは言え、非番も何もあったものじゃ無かったろうに…。お前の親父様は皆が喜ぶ顔を見るのが楽しいと言ってたよ。
中々出来ることじゃない。結局上の方々から食材の流用は怪しからん況してやそれで銭儲けなど持っての他と禁止させられたのさ」
慶五郎は父の知られざる一面をこのお役目に厳しい上役に教えられたのであった。
母もこの父のことは怨むことなく愛しているようだった。
人は時に思うように事が運ばず、拗ねたり諦めたりするが、母親は決して諦めることはしなかったのだろう。
その結果夫婦と言う形ではないが、一緒に暮らして居るのだった。
然も身形からすれば武家と町人である。
傍から見れば武家の奥様と使用人と映って居るのではなかろうかー。
二人にしてみれば他人がどのように見ようと構わなかったのである。
地震の痛手から立ち直るに然程かからなかった。
江戸の町は以前にも増して活気に溢れていた。その頃には料亭梅乃も幅広い層に愛用されるほど知られるようになっていたのだ。
葎の私塾もより多くの庶民が通学し、多くの弟子を輩出した。
それらの者達が流派を唱えて分派して行った。 そうした中、養女きくは奥女中にはならないで、母の元で行儀見習いや作法・所作の指導をして居たのである。
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