第21話 養女縁組證文
金澤町旅籠の仲居おすみの長女きくを豊川葎の養女とすべく、茲にこれまでの労苦に子育て料として謝礼並びに支度金として、金十両をすみに呈上するものなり。
尚これを以ってきくは実母おすみから離籍し、豊川葎の養女として籍を移し置くものとする。
正徳〇年十月吉日
(実母 すみ)
請負元 豊川 葎
立会人 甘利彦一
すみどの
(豊川 葎どの)
葎がきくを引き取りに行くとおすみは酒を飲んで待って居た。
きくの横に徳利が置いてあるところを見るときくに酌をさせているようだった。
葎は正座しておすみの前に座ったが、おすみの方はだらしなく足を投げ出して茶碗酒を飲んでいた。
「幾ら持って来たのさ。見せてご覧よ」
こうも
「まずこれに署名を下され」
葎は【養女縁組證文】を二枚差出して、うち一枚にすみの署名を求めるのだった。
「あたしゃ読み書きが出来ないのさ。何て書いてあるんだい。聞かせておくれよ」
それではと證文を読んで聞かせると、金十両という言葉に
「さぁ此処に署名を」
と指さすと、
「書けないんだよ。おきくお前書けるだろう
代わって書きなよ」
随分と酷い親である。
十両を手に入れられるならその元手に対しての仕打ちである。
「本人じゃないと駄目。なら親指にこれを付けて」
と墨を付け捺印とした。
葎は財布から小判を出すと一枚二枚と数えて十両を渡したのである。
おすみは見たこともない小判をお手玉のように投げながら狂ったように笑い転げるのだった。
「おすみさん、きくには二度と会わぬよう申し付けましたぞ。もし違えた場合は役所にて処罰が下ることを覚えて置きなさい」
「早く連れて行きなよ、もう用はないだろう」
きくが悲しげな顔をしたが泣かなかった。
こうしてきくは葎の養女となったのである。
豊川の養女となったきくは直に義母の葎から教えを受けた。
これまで以上に厳しく
葎はきくが十六歳になったので大奥に上げようかどうか迷っていた。
実の子ではないが背格好から顔立ちまで葎に似てきたのである。
この頃になると慶七郎が非番になると顔見せに来るようになった。
二十八にもなるというのに独り身であった。
彦一、ふきとも八十を過ぎていたが、肝心の跡取りが一向に妻を娶る気配がないのだ。
諭しても意に介さず、さりとて敬四郎のように何かに打ち込む様子も見られなかったので心配になって来た。
そのことをふきは敬四郎に零した。
「分かり申した。話して置きましょう」
そこで次にやって来た時、嫁取りをしない訳を質した。
すると、
「好きな相手が居りますので」
と隠しも照れもせず答えたのである。
「今度紹介しなよ」
「いえ片想いですから、今は未だそれは駄目です」
敬四郎は真面目に答える慶七郎の顔をまじまじと見た。
如何やら冗談でないらしい。
「言えないのか」
「はい父上」
慶七郎が初めて父と呼んだ。
「母上にも言えぬのか」
「はい駄目です」
「断られるのが怖いのか」
と率直に訊いてみた。
「いえそうではありませぬ。自信はありますが、求婚するには早いと思うからです」
どうも分からなかった。
好きだったら迷わず告白すべきだと思うのだが、慶七郎は生真面目過ぎるようだ。
この問答はここまでとして表台所のことを訊いてみた。
「食材の持ち帰りをする者がまだ居るのか」
「はい然も弁当にして売って居りますよ」
特に批判しているようではないが疋田のおやじさんに叱られて居りますよ」
と言って笑った。
夜慶七郎のことを葎に話すと、
「私も気になっては居りました。多分…」
その後を繋ぐ言葉があるのか珍しく濁したのである。
「慶七郎の好きな相手を知っているのか?」
「母親としての勘ですよ」
「教えて呉れないか」
すると葎は用心深く、
「多分ですよ、多分きくが好きなんだと思います」
「真か!きくは確か…」
「十六です」
「歳には文句はないが、まさかー」
「そのまさか何ですよ」
「どう言うことになるんだ」
「どうにもなりませぬ。二人は他人ですから問題はありませぬが」
「きくは知っているのか」
「多分感づいて居ると思います」
慶七郎は最初の頃は二言三言声を掛ける程度であったが、徐々に好みや何をしたいか等と細やかな内容の会話に変わって行ったようだが、
「どう思っているのだろうか」
「分かりませぬ。私があなたの心を読み取れなかったように迷っているのかも知れませぬ。でも添いたいと思っているならば叶えてあげたいと思いますけど」
葎は昔を忍ぶように笑って言葉を置いた。
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