第20話 於美津と言う御薦

 話からすれば姿を消したお仙と思えないことも無かったが、あの女がお貰いさんに身を落とすとは考えられなかった。

 その話を聞いて十日ほど経ったある日のこと、梅吉は日本橋の呉服屋の要請で打ち合わせに出かけた帰り道に青物市場の前に差し掛かると三味線の音が聞こえて来たので寄って行くと、


♪浅利取れたか蛤ャまだかいな 鮑くよくよ片想い と唄うその声が正しくお仙のそれに似ていたのだ。

「ごめんよごめんよ」と無理やり分け入って女の前に立った。

 秋口とは言えまだ陽気は良いというのに、女は顔を隠すように頭巾に手拭いを首に巻き付けて弾き語りをしていた。

 茣蓙ござを強いて道端に座り込んで居てその前には銭の入った篭が置いてあった。

人々は曲の切れ目に銭を投げ入れて行った。

一文銭の他に一分銀や二朱金が入っていた。

「姐さん何か聴かせて呉れないか」

 と梅吉が声を掛けると、

「兄さんは羽振りがよさそうだから弾んでおくれな」

 と言いながら調子を合わせてから唄い始めた。


♪エー奴さんどちらまで 旦那お迎えに 

さても寒いのに供揃 雪の降る夜も風の夜も 扨てお供はつらいね  

いつも奴さんは高端折 アリャサ コリャさ  其れもそうかいな~

 テントンシャンと調子を変えて、


♪髪を七分三分の本多に髷て 当てる気もない大筒は 元はさぶろう二本差し 

寄り添う夢の覚めぬ間に 襖の奥に実らす種を 知らば後朝きぬぎぬ

捨てる泪かー


「お仙お仙だな」

 女は唄い終えると黙って三味線を後ろに置いて、お辞儀をした。

「於美津と申します。さぁ旦那弾んで下さいな」

 周りに居た連中が一斉に男に視線を向け、

「如何する如何する」

 と囃し立てるのであった。

「参ったなぁ、姐さん持ち合わせがねえんだが…何方どなたか貸しちゃ呉れまいか。後で返すから五両で良いから貸してくんねい」

 芝居かかった台詞に、

「なんでぇ、この野郎」

「ふざけるねぇ」

 まさかたかりと思った訳でもなかろうが、野次馬たちも潮が引く様にその場から散って行った。

 男はそれを見てにっこり笑って、

「なぁお仙無事で居て呉れて良かったよ。心配したんだぜ」

「旦那、何度言ったら分かるのさ、あたしゃ於美津と言うんですよ」

「そうかい分かったよ」

 梅吉は女の前にひざまづくと、懐から財布を出して、小判三枚を牡丹を描いた半切れの手拭いに包んで篭に入れたのである。

女は何かを言おうとしたが梅吉はそれを制して、

「姐さんに似た女が居たんだよ。思わず声を掛けちまったが、端唄とかいう奴だったかな、良い音曲だった。機会が在ったらまた聴かせて貰うよ。寒くなりそうだから体に気を付けて稼ぐんだよ」

 きざな台詞を残して去って行く。

「ば~か。泣けるじゃないか」

 於美津と名乗る女は篭の中のその日の稼ぎを巾着に入れて、茣蓙も畳んで店じまいすると、三味線を抱えて楓川かえでがわ方面へと向かう。

そこから江戸橋を渡って真っ直ぐ道浄橋を渡って右に折れると、田所町坂町の先千鳥橋手前の元濱町の棟割り長屋に入った。

それを伊達男が見ていた。

 間口九尺奥行二間の裏店には髪結三味線教授の看板がかかってあり、腰障子の中桟には八つ半(三時)の文字が薄く透けて見えた。

 付いて来る心算はなかったが、江戸橋横の市場で覗いて居たら堀沿いに歩いて行く於美津なる女の姿を見て、思わず後を付けてしまったのである。

 河原乞食はやはりお仙であった。

戸口の看板に又もや探しにも来ない男の為に所在札を使っていたのである。

 敬四郎はお仙が居職にしろ出職にしろ河原乞食でなかったことでホッとした。

何れにせよそれらで生計を立てていることは間違いなかった。

 会おうと思えば会えないことも無かったが、於美津と名乗って別人を装ったことからすれば、覚悟の上の別離であったのだろう。

敬四郎もこれで気に掛けることも無く、仕事に打ち込むことが出来るというものであった。 

敬四郎がその場を立ち去ると間もなく、札の掛かった戸口から十四五位の娘が札のようなものを抱えて来ると厠横かわやよこにある掃溜め(ごみ置き場)にそれを投げ入れたのだ。

娘は手の埃でも払うかのように叩いて、家の中に消えた。

 掃溜めから捨てたばかりの紙片が二枚ほど風に舞ってどぶ板の上に落ちた。

一枚は午半と書いてあり、もう一枚には申とあった。

 午半 申と並んだ札は、読み様によっては【うまは さる】と読めないことも無かったが、此れは飽くまでも風に吹かれた所為で、自然の成せる技に過ぎなかったのであるが、。梅(吉)は去るとも読めはしないだろうか。

全くの偶然ではあるが……。


 だが然し、今不要となった塵を捨てに来た娘は誰だったのか、間違いなくお仙の家から出て来て戻ったのだからお仙の縁故の者に違いなかった。

そう言えばお仙に似てなくもない。

〈これは天の呟きだから後は読者諸氏の御想像に任せたい〉


 結局お仙は日本橋に敬四郎を誘い、住まいまで尾行をさせて安心させたのである。

最早所在札も不要となったので、掃溜めに捨てたと言う訳だ。

 この二人二度と会うことは無かった。



 さて佐柄木の家に戻ると、葎がお酒を用意して待って居たがその前に、

「先にお風呂にお入りになって」

 というので屋敷の裏手に抜ける木戸から湯屋に行き、湯に浸かった。

何故かすっきりした気分であったので、覚えたての端唄の一節を唸っていると、

「ご機嫌ですこと、お背中を流しましょう」

 と葎が声を掛けたのだ。

珍しいことであった。

「お頼み申す」

「はい」

 葎は肌着を付けて入って来たが、お湯に濡れるので全て外して全裸になった。

 敬四郎は手拭いを腰に巻いていたが、葎の手が体に触れると何の役にも立たず、自ら外してありのままの姿をさらけ出したのである。

「まあ!」

 葎は敬四郎の変化を楽しげに眺めて居た。

今度は敬四郎が葎の背中を流す番である。

「如何した種は取れたか」

 とふくよかな腹部を撫でると葎は、

「そのことで後でお話が…」

「そうか、冷えるといかん温まろうよ」

 湯桶が大きいので二人が並んで入れた。

敬四郎は葎を肩まで入れて温めると、後ろに回って抱きすくめる様にして重なって浸かるのだった。

横の桶に流れ落ちてくるお湯を掛け合いながら湯屋から出ると、料亭の奥座敷に戻って秋刀魚を突っつきながら酒を飲んだ。

「ねえさっきの話ですけど、いいかしら」

 今日はやけに色っぽい。

「いつかあなたにお話したように今度は女の子が欲しいの」

「あぁ分かってるよ」

「でももう無理だと言われたの。養女にしたい子が居るの、どうかしら」

「どういうことだ。まだ大丈夫だろう」

「いえ、聰安先生に四十路を過ぎたのでお止めなさいと言われましたの」

「ならば何処から貰うつもりなんだね」

「行儀作法に通いだして未だ一月足らずの五歳の子ですが、とても賢くて聡明な子なんですよ」

「その様な子ならば親御さんが離さないだろうに」

「親は片親で旅籠の仲居をしていて、その子まで商家の手伝いをさせて駄賃を稼がせて居るのです」

「単に可哀想だからというのではないのだな」

「勿論です。あの子の将来の為にです」

「分かった。思うようにしたら良いが、その前にその子の意思も確かめることだ」

「はい」

 葎は嬉しかった。

二人は正式には夫婦でなかったが、他のどの夫婦よりも愛情は深く絆は強かった。


 葎は翌日きくの来るのを楽しみにしていた。そして帰り際にきくにそのことを話すと、

「母親を嫌いでない」とは言った。

 迎えの者を待たす訳にも行かなかったのでそのまま帰したのだが、四五日後に家を訪ねて養女にもらい受けたいとの申し出に母親のおすみは、

「あの子はうちの稼ぎ手の一人ですよ、その子が居なくなったら私は飢え死にしてしまいますよ」

 と強請り出した。

「もし養女に欲しいのでしたらそれなりに保証して下さいな。それでないとお出しできません」

 まるで物でも売るような按配であった。

「一両日中にお答えしましょう」

「早くして下さいな。夜中も稼がなきゃならないんですから」

 仲居と言ったが如何やら飯盛り女のようであった。

夜伽まですれば三百文近くの稼ぎにはなった。夕方から朝までの仕事で昼間は寝ていたのである。

きくは母親の昼ごはんの支度までしていたらしい。

後の時代ならば幼児虐待と言えそうだ。

 葎はきくを貰い受けるに当たっての受け料を敬四郎にはかったのである。

「そうだな如何やらその女強欲らしいから娘を女衒ぜげんにでも売り飛ばしかねないが、女の元服までとしたら後十年から十二、三年といったところだろう。

 細かく算出することもないからと、左記の證文と金十両を用意したのである。

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