第14話 引き付けられた先で
形ばかりの正月も過ぎて、時々は雪が降ったが、漸く陽気も良くなってきた。
或る日梅の花が川の土手沿いに咲き始めたので、気晴らしがてらそれを見ながら柳原通を歩いて行き、和泉橋先の大名屋敷の路地を曲がると長屋があったので何の気なしに入って行くと、髪結いの看板があったので、理由なく声を掛けてしまった。
居職のようだが、出掛けているらしく返事がなかった。
腰障子戸を良く観てみると、中桟のところに『昼四つ』の札文字が見えたのだ。
〈なんでこれが!〉
それは三味線の師匠お仙に造って上げた不在札にそっくりなのだ。
そっくりどころか己の字のようだ。
お仙の筈ないが偶然にしては、
〈もしかしたら〉
お仙かも知れないと思い直し、後四半時(三十分)もすれば、此処の主が戻るであろうから、暇つぶしに待ってみることにしたのである。
抑々この路地に入って来て髪結いの看板に惹かれた理由が分からなかったが、時には意味不明の行動をすることもあったから、胸騒ぎに掛けてみるのも楽しいものであった。
敬四郎は反対側の木戸の脇に立って待って居ると、それらしき女が道具箱を抱えて戻って来た。
女は間違いなくお仙であった。少し痩せたように見えるが間違いない。
お仙も気が付いたらしく、家の前で道具箱を落としてしまった。
「お仙」
敬四郎は思わず駆け寄ってお仙を抱きしめた。
「如何して居たのだ?」
お仙は泣くばかりで何も言わなかった。
敬四郎は腰障子戸を開けてお仙を中に入れると、散らかっている道具類を拾い集めて道具箱に入れると、中に入って戸を閉めた。
二人に言葉はなかった。
堰を切った水が溢れ出るように、一気に情愛の渦が巻き起こったのである。
その渦はうねりとくねりを連続的に繰り返しながら暫くは収まらなかったのである。
寧ろ溢れるばかりと言えた。
それを敬四郎は太めの栓で塞ぐと、きつく締まって外れなかった。
「彼方此方探したぞ」
お仙は嬉しそうに応えてみせた。
二人とも汗びっしょりであった。
矢張りお仙は葎とは違っていた。
元々情熱的ではあるが、今日の場合は特別だった。
それは何もお仙ばかりではなく、敬四郎とて同じかそれ以上かも知れなかったのだ。
二人は納得いくまでそうしていた。
「喉乾いたよ、水呉れないか」
揃いの柄の湯飲み茶わんであった。
道具は一人で運んだのか」
「えぇ」
七輪の上で薬缶が音を立て始めた。
「何時引っ越したんだ?」
「花見の翌日よ」
「また何で…断りもしないで」
「だってあの日お絹さんからお葎様の話を聞いてしまったの。愛し合っているようだというから、身を引くつもりで翌日に引っ越したのよ。大きな荷物はそんなにないからどうってことなかったけど。辛かったわ」
「実を言うとあの晩、松次郎お絹夫妻とお前のことで話をしていたら、疋田家の養女にしたらという話になったんだ。武家の行儀作法についてはお絹が教えるとなって、翌々日に五郎長屋を訪ねたらもぬけの殻だったのよ。今にして思えば翌朝にでも行けば良かったんだろうが…。済まぬことをした」
それを聞いてお仙は敬四郎の胸の中でまた泣いた。
そんなことを知らないお仙の取った行動の話を要約するとこうだった。
御殿山で女同士で話して居た時、ひょんなことから豊川葎の話になった。
というのもお絹の行儀見習いの師匠でもあったので松次郎との婚儀に際しては葎の実家の養女として貰い、それで疋田の嫁になれたという話から、お仙も頼めないかと言ったので其の相手の甘利敬四郎とは恋仲らしいし、もしかすると一緒になるかも知れないので無理だと答えたというのだ。
其れも良く会っているという話を聞くと、身分も違うので自分が身を引くべきと考えて翌日引っ越と言う手段に及んだと言う訳であった。
お仙の本業は髪結いで、三味線端唄も教えていたと言う話である。
敬四郎がこの地に誘われたのは矢張り、お仙との
或いは枕辺でお仙が話したことがあったのか、それが脳裏の片隅にでもあったのかも知れなかった。
またお仙にしても、探しに来る筈の無い男の為に不在札を付け続けたのにも、深い因縁を感じずにはいられなかった。
こうして敬四郎はお仙との交際が復活すると、非番で葎不在の時は家を留守にすることが多くなった。
葎とて略毎日のように、年寄の付き人として豊川の御屋敷か大奥に出向いて居たのだから仕方なかった。
だが時に抜け出して来ることだってあったから、その時の不在を帰宅した夜に書斎に挨拶に来て訊ねるのだった。
毎回同じような答えでしかなかったが、葎はそれ以上探ろうとはしなかった。
関心なのは二人とも外泊をしなかったことである。
葎の外泊は大奥での泊番に従ったまでのことで、連雀町の御屋敷に泊まることは無かったのだ。
敬四郎に至っては節句などの年中行事以外、先ず機会はなかった。
二人とも留守がちではあったが、政吉・登米という壮年の夫婦が使用人として住み込みで居たので心配はなかった。
時々台所より持ち帰った高級食材が裏庭にある氷室に保管して置いたので、それを使うように指示してあったが、主人の分しか作らなかった。
そこで敬四郎はお仙の家から早めに戻ると、魚を焼いたり天ぷらを揚げたりして手早く料理すると、囲炉裏のある部屋に箱膳を並べて三人で食べたのである。
「さぁ遠慮しないで食べなさい」
親子ほど違う使用人に料理を振舞うのは初めてであった。
「旦那様うめぇです」
「お上手ですなぁ」
二人は主人の職業を忘れたかのように褒めるのだった。
「おいおい儂は料理人だぞ」
「こりゃぁとんだことで。あい済みません」 と平身低頭して謝った。
「政吉、登米構わぬ構わぬよ。さぁさ食べなよ」
敬四郎はこうした会話と笑いに、久しぶりに家庭の団欒を思い出していた。
〈偶には親父やお袋の顔を拝みに行くか〉
こう思った敬四郎は久しぶりに台所町の組屋敷を訪れた。
遠回りして小網町で大坂屋の切り羊羹を土産に買って持って行った。
父彦一の大好物だったからである。
「父上、母上ご無沙汰致しました。ご壮健で何よりに存じます」
「お前ものぅ」
と親父様は暢気だが、母ふきは松次郎やお絹から得る情報に危惧して居たのである。
「葎は相変わらずお年寄様のお付きをされているようだね」
「そうだよ」
「ではお前の休みには家に居ないのかい」
ふきの顔がやや曇っていう。
「殆ど豊川様のお側に居るよ」
「それで良いのか」と父彦一が問う。
「仕方ありませぬ。その代わり私も自由にして居ります」
「何と…、それでは夫婦とは言えまい」
ふきはフッと溜息をついた。
「母上我らは
「では何だね」
「同居人ですよ。考えてみて下さい結納も挙式もしてはいないでしょう」
「ではあの時のお披露目は何だったの」
確かに梅野の両親も呼び、甘利家も出た。奥向きと表向きから招待をしたが婚礼の披露ではなかった。
その証拠に御祝儀や角樽等は一切御断りして単なるお披露目で済ませたのであった。
敢えて言うならば、将来に備えての屋敷の披露と言えないこともなかったのだ。
何せ敷地奉行とて曖昧な扱いとなっていた土地家屋であった。
『諸屋敷帳』に此処は明地と記されていて、手入れ不要と朱墨で入れられていた。
これは役所の台帳での扱いだから、後々調べることもないのである。
現在のところ、住民は役人と言えるが、所有者は誰なのかは不明であった。
葎は知っているのだろうが、敬四郎は分からなかった。
「お前は今のままで良いのか」
「構わないさ、よくよく考えれば自由だもの」
敬四郎は構わないにしても甘利の家はどうなるのか……。
案じるのは両親ばかりであった。
甘利家は家康に仕えて、譜代として敬四郎で四代目に当たるが、このままで跡継ぎが居なければ改易となってお家断絶の憂き目であった。
彦一にしろ敬四郎にしろ、この男どもにはそうした危機感が全く感じられなかった。
やきもきしているのは女のふきだけである。
ふきにしろ彦一にしろ、それを葎や義母に訴える訳にはいかなかったのである。
相手は飽くまでも格が上であった。
訊けば葎との仲は悪くはないのだが、殆ど夜の営みは無いというのだ。
まぁその分敬四郎は別宅にて励んでいる訳だが、ふきはそれを案じていた。
確かに敬四郎はお仙の家に居る時間の方が長かったのだ。
お仙が髪結いか三味線の教授で出掛けていても、その留守をして過ごしたのである。
だがゴロゴロとしていた訳ではなかった。
唯炬燵の上掛に板を敷いて机代わりにしていたので、その上で書き物をしていたのである。
それは役目に必要な知識や思いついた料理法や調理に関する専門的知識の書きつけであった。
敬四郎はそうした時の刻みの中で将来に関することを考えていた。
今は世の中太平であるが、嘗てのように戦乱の世が来ないとも限らないと思ったり、千代田城に届く物資は江戸の商業地に集まって来る物の一部でしかないのだが、そうした騒乱や冷夏などのように各地で作物が取れなくなって、食べ物が不足する事態が起こらないとも限らないのである。
敬四郎は武家社会の中心とも言える千代田城の中に在って、極一部の人の為に食べ物を作っていたが、その内もっと多くの人の為に作って、それらの人が喜ぶような料理が作れる人になりたいと思っていたのである。
その為にはその限られた枠から飛び出す必要があった。
始めるに当たっての準備は何処でも出来たが、その為にはある程度の資本が要ったのと、それを支えることの出来る相方が必要であった。 更には其れを拡大、展開して行く為の後継者が必要になるが、それは何も身内でなくとも良かった。
この様に考えて来ると成すべき道が見えて来るのだった。
先ずは女房である。これは亭主の考えを理解して支えることの出来る者で、時に間違いを改めて、正しい方向に修正出来る者が欲しかったのだ。
其れと丈夫な子どもも産んで欲しかった。
扨て現状を見直してみると、家本位の武家社会で戦の無い平和な世の中にあっては手柄も立てにくく、出世など覚束なかった。
美しく聡明な同居人は居たが、女房ではない。縛られる筈はないのだが、自由気儘とまではいかなかった。
敬四郎はこれまでの経験と知識を以て料理屋を始めたいと思っていたのである。
それには両親を説得しなければならなかった。 将軍の譜代の家臣として敬四郎で四代目だが、その家禄五十俵の役料五十俵三人扶持を捨てて町人になって、身分社会で生きる為には、それなりの覚悟が要ったのだ。
そうなった時に両親は無論のこと、同居人の葎は離れて行くに違いなかった。
敬四郎はある所に目星をつけてから先ずお仙にこの話をした。
それはもう驚いたが、自分を選んでくれたという喜びはこの先の苦労を厭うことなく、素直に受け入れてくれたのである。
次に両親にそのことを話した。
「多分そんなことだろうと思ったよ」
父彦一は冷静であった。母ふきは葎とのことを気にするばかりで余計な心配事は謂わなかった。
恐らく二人の会話の中で何度も語られた話であったに違いなかった。
「今すぐでは無かろう。ならば後のことは心配しなくとも良い。手はある」
後で分かることだが、彦一は弟彦六左衛門の次男彦佐を養子に貰い、五代目を継がせたのである。
扨て問題は葎との始末である。
敬四郎は同居人豊川葎が帰宅の挨拶に書斎に来た時にそのことを口にしたのである。
「葎殿」と何時もこう呼ぶのは、夫婦ではなく同居人だからだが、葎の方は「敬四郎」と呼び捨てであった。
これは何も格下だからと言う訳ではなく、寧ろ平等の立場で親しみを込めた呼び方のつもりであった。
「葎殿、我らはどうやら求める道が違うようだ。このまま居ても何ら進展も進歩もなく、互いの為にならないだろう。
葎殿は今後も奥女中としての役目に邁進されるであろうし、私は食の道を極めたいと思っているので道筋を変えるつもりだ」
そこで一息入れるように、登米が入れたお茶を飲んだ。
「疲れている所為か良く解らぬが、お役を下りるということ?」
「左様、我らがどんなに頑張っても食べて頂けるのは上様と御台様でしかない。然も調理してから一刻(二時間)も経ってしまっては食味も落ちてしまい、調理の仕方によって引き出した食材の美味しさを味わって頂けないのが残念でならないのだ。
それを味わっている者が居ない訳ではないが、それらは毒見の為なので味わうどころではないだろう。流用の食材を使って弁当を番方の方々に食べて頂いたが、これ等は薬味調味料などに制限が無いので食材にあった料理方法を編み出すことが出来、多くの称賛を得ることが出来た。
本心を申せば葎殿と一緒になりたかったが、それは端から高嶺の花であった。
一時なりとも心身を交せたことは一生の思い出として、心の奥深くに刻んで置きたいと思う」
葎は姿勢を正したまま、所々で肯き、聞いて居た。
「解り申した。敬四郎の邪魔は致しますまい。義母には話して置く故、特に動きは無用です」 葎は毅然とした態度でそう言い残すと、部屋を出て行った。
翌々日葎は義母の承諾を得たことを報告に来た。後は敬四郎自身の準備だが、その前に上役への届け出と家督相続と台所役人としての基礎知識を五代目に指導する必要があった。 敬四郎は上司斎藤新之亟から来春一月一杯勤めて二月朔日から五代目の彦佐を登城させるように申し渡されたのである。
約半年ばかりだが、この間に父彦一と共に彦六の指導をしなければならなかった。
敬四郎はそれまではこの家に住んで居て構わないというので、此処から御廣敷膳所に通ったり、台所町に五代目の指導に通ったのである。また奇態なことに葎もこの家から豊川の屋敷に通っていた。
そのお蔭で政吉、登米夫婦は失業を免れたのだが、懸念は払拭出来なかった。
敬四郎と葎の奇妙な同居生活は続いていたが、顔を合わせることは殆ど無かった。
表玄関の方で政吉が出迎える声がしたので、如何やら葎が帰宅したらしい。
その後風呂に入ったらしく湯殿でお湯を流す音が聞こえてきた。
すると登米が書斎の外から、
「旦那様、奥様が湯屋でお呼びになっておいでです」と声を掛けた。
使用人夫婦は葎と敬四郎を奥様、旦那様と呼んでいたのだ。
「あい分かった」
風呂場で何の用事があるというのだろうか、取り敢えず脱衣所から声を掛ける。
「何用で御座るか」
「中に入って体を洗って下さらぬか。腕が痛うて難儀して居ります故」
敬四郎は葎の裸は初めてではなかったが、同居人としての振る舞い格好に戸惑ったのである。
「何を躊躇されて居られるか、どのような格好でも構わないので早く入られよ」
敬四郎は着物を脱いで下帯一枚で湯殿に入った。
湯気で曇っているとは言え、桶の外に座り込んで居る葎の裸体の火照りが感じられ程眩しく映って見えた。
風呂の焚口は仕切り板の向こうの土間にあり、その横の方にお湯を流す樋が設けられていて風呂場にはそのお湯を受けて溜められる桶があった。
土間側に登米か政吉が居て、声を掛けると樋にお湯を流し送ったのである。
「もう良い」
と言うと、お役御免で離れたのである。
桶に溜まったのでそう声を掛けた。
「さあ洗ろうて下され」
葎は糠袋を渡すと先ず背中を向けた。
相変わらずの細身だが薄明りの中では肌理の細かさまでは確認できなかったが、肌触りで感じることが出来た。
後ろ側から前に回ると、
「全て洗って下され」
というので、首筋から二つの小山を越えて腹を過ぎ、下って叢に入ると深い谷間からまずは右の尾根を這いつくばるように下ってまた横尾根を上り、支尾根の割れ目に落ちないように手を添えて反対側に渡ると、同じようにゆっくりと下って上り、全体にかけてお湯を流してやると風呂に浸かった。
「敬四郎も入る?」
と訊くので、
「先に入らして貰ったよ」
と脱衣場に先に出た。
久しぶりに見た葎の裸に刺激された為興奮してしまったのである。
小袖を着て帯を付けると、まず悟られることは無かった。
「有難う助かったわ。あなたも寝るでしょう」
「あぁ寝るよ」
葎が部屋に戻ると敬四郎も隣りの寝室に移った。
すると壁の中程辺りに薄明りのような光が漏れて見えたのである。
何かと思って探ってみると、壁が崩れていて隣りの部屋の明りが薄っすらと見えるのだった。
「何としたことか」
如何やら修繕に漏れたようで今まで気が付かなかった。
だがそれにしても明るかった。
敬四郎は気になったので、剥がれ落ちている壁穴から覗いて見ると、葎が布団の中で何かしているのが見えるが良くは分からなかった。
時折妙な声を上げているが良くは聞き取れないのだ。
どうも変である。
腕が痛くて風呂場に呼んだほどだし、具合でも悪いといけないので、手拭いを懐に入れて西の廊下から南の廊下へと回り込んで葎の部屋の前で小さく声を掛けた。
「どうぞお入りになって」
待っていたかのように返事をした。
中に入ると行燈ではなく百目蝋燭が灯されていたのだ。
なるほどこれなら隣りに明かりが届く訳である。
「如何された葎殿」
と布団の中からはみ出ている葎の上半身から小山が連なって見えていた。それが妙に艶めかしく見えたのである。
「具合でも悪いのかと心配したが…」
葎は手に持っていた物を敬四郎の足元に投げた。それを手に取って見ると、
「此れは!」
それはお仙が持って居たものと同様の物であった。
大奥にはこのような玩具を売りに来る商人が居り、奥女中らの大方の者が購入して愛用しているのだと言った。勿論横長の枕本も所持しているようだった。
「葎ー」
敬四郎は愛おしくなって葎を抱きしめた。二人が情を交わすのは久しぶりだった。
葎はもう夢中であった。
これが最後かも知れないと思えば猶更離れ難かったのであろう。
二晩続けてこんな具合であったのには恐れ入った。
最後に葎は敬四郎に礼を言うのであった。
その時点では何を言っているのか分からなかったが、その意味を後で知ることになる。
それ以来湯殿に呼ばれることもなく、壁越しに明かりが漏れて来ることもなかった。
見れば剥がれ落ちて穴が開いていた壁はしっかり塞がれていたのである。
それを指示できるのは葎以外になく、塞いだということは穴が開いていたことを知っていたことになる。
思い出してみると、この家における照明は全ての部屋に於いて行燈が使われていたのだ。其れも上等な油を使うよう老女なみに言われていたのに、あの晩葎は百目蝋燭を使っていた。その明かりが空いた壁穴から漏れていた為覗き込む結果となったのだ。
それを葎に話さなかったのに知っていたということになる。
では態と覗くように仕組んだのか?、何の為に?
疑念はあったが、最早そんなことはどうでも良かった。
今後葎と会うことは無いであろう。
葎は奥女中の養女としてその業務に一生携わってゆくに違いないし、敬四郎は町屋の料理人としてお仙と共に生きて行くことを決心したのである。
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