第11話 花見とその後

 非番の朝五つ(八時)に五郎長屋に着くとお仙が、稲荷や山クジラの肉を料理しているところだった。

「桶はあるかい」

「酢飯の桶ならあるわ。おっかさんが使っていた物を貰ったの」

「そうかい、この色目から言うと木曽のさわらだな」

 流石料理人である。材質を見ただけで何処から取れたかが分かるらしい。

ヒノキと違って匂いはないし木目の色がやや赤み帯びていた。

「お袋さんの手入れが良かったんだな」

「えぇ後始末で米粒は柔らかい布を少し湿らして取れとか、桶を水に浸けないようにとかやかましく言われたわ」

 懐かしそうに話す。

「揚げは如何したい」

「煮詰めて冷まして置いたけど…」

「米が炊けたら寄こしな。それと酢と団扇を用意しときな」

 お仙は武士の敬四郎に酢飯が出来るかは疑問であったが、この場は亭主に任せて置こうと許準備した。

三合ほどを桶に移すと、団扇で扇ぎながら酢を少しずつ入れて混ぜて行く。

その手際の良さを横で見ていたお仙が頻りに感心していた。

 重箱にいなり寿司と果物と肉を詰め込み、最後に沢庵を入れると風呂敷に包んで、竹筒に水を入れて準備は出来た。

「御殿山で良いの?」

 実のところは、松次郎夫妻と四つ半(十一時)に御殿山の入り口で会おうと約束していたのである。

 お仙には内緒であった。

「品川御殿山までは二里程度だから、そろそろ出かけようか」

 お仙は綿入れを着て黒塗りに赤い鼻緒の下駄を履いて出た。

髪は櫛巻きのままであった。

その町屋のおかみに付き添うのが二本差しのれっきとした侍となると、その取り合わせは奇妙ではあった。

すれ違う人々からすればそうなのだが、御当人たちは一向に気にしなかった。

 二人は日本橋通を京橋、芝口橋から東海道を金杉橋へと向かった。

 神明町、濱松町辺りで、

「この二筋奥に飯倉神明宮が在るんだがお仙は知ってるかい」

「知らない一人では来れないもの」

「そうか、それじゃ今度来ようか。そうだ来るなら秋が良いかな、九月十一日から十五日が祭礼なんだが、だらだら市と言って九月になると社内に見世物小屋や曲芸などの小屋立ても始まり、露店が立ち並ぶようになる」

 祭礼中は生姜を売る店が多いとも付け加えたのだ。

その先奥が増上寺で神明宮の横の道先に大門が見えていた。

 金杉橋を過ぎて真正面には海が広がっていた。

そこから暫くは砂濱が続き、薩州の蔵屋敷等が在った。

赤羽橋から三田を抜けて来る道が東海道に合流する辺りは町屋と大名の下屋敷が多かったが軈て寺院へと代わって行った。

すると轟町の大木戸があった。

 江戸から旅立つ者や江戸に入る者など悲喜交々の人が入り混じるところである。

「お仙茶屋で休んで行こう」

 と一軒の茶屋に入ろうとした時、

「兄者こっちこっち」

 と呼ぶ声に立ち止まって見ると、隣りの茶屋から松次郎が手招きしているのが見えた。

「おお此れは奇遇だな。お主らは何処に行くのだ」

 お絹が挨拶しながら怪訝そうにした。

「お仙、此方は同輩の疋田松次郎殿とその御新造の絹殿だ」

「神田三河町で三味線の教授をして居りますお仙と申します」

「われらも御殿山に花見に行くところだよ。ならば一緒に参ろう。賑やかでいい」

 山の入り口で落ち合う約束であったが、此処であったのだから早速行動を共にすることが出来たのである。

 お絹が怪訝そうな表情を見せたのは、御殿山に花見に行く約束の筈が男二人が初めて知ったようなことを口にしたことと、甘利敬四郎が葎と秘かに付き合っている筈なのに、こうして町屋の女と付き合っていることを知ったからであった。

てっきり別の奥女中が相手かと思っていたのである。

 四人は日差しの反射を受けて海岸線を歩いて行った。

「この辺りは袖ケ浦と言って江戸前の海産物が取れるところだ。

「お前さまは何でも知っているんだね。お武家様にしては珍しいわ」

 と感心するもので、松次郎は口を滑らす。

「姉様、兄者は料理の専門家ですよ。当然でしょう」

「えぇ~、そうなんですか!もうどうして教えて下さらないの。意地悪ー」

「追々話すつもりだったが、勘弁してくれ」

 情の深い女だけに、敬四郎のことは何でも知りたかったので本気で訴えた。

 お絹も松次郎も、人目も憚らない二人の愛にほとほと感じ入るのであった。


 何だかんだと言いながら御殿山の入り口に着いた。

敬四郎と松次郎は雪駄であったが、お仙とお絹は下駄であった。

 敬四郎は二軒手前に草鞋や草履が下がって居たのを思い出して戻ると草履を二足買って戻って来た。

「これに履き替えなさい」

 と二人に渡すと、敬四郎はお仙の下駄を懐に入れたのである。

「あなた汚れますよ」

「構わぬ」

 松次郎は手に持って歩いた。

二人とも優しいには違いないが、この辺りに違いが見られたのである。

下駄で上まで上がるにはちときつ過ぎるが、草履に履き替えた時点から楽になったのは事実であった。

 結構人が出てたが上手いこと海の見える方に席を取ることが出来た。

海から吹き上げて来る潮風がやや寒いが、お絹は雨除けに使う油紙を敷くと、その上に四人が座った。

 松次郎夫妻は海苔巻きを作って来たので、稲荷寿司と分け合って食べた。

敬四郎らは竹筒に水を入れてきたが、松次郎夫妻は酒を入れて来たと言うのだ。

体を温めるには好都合であった。

すると杯も竹で造ったらしく、お絹が皆の前に一個づつ置いて注いだのである。

その数は四つ。

「えっ」

 お仙はお絹と松次郎の顔を見てから、敬四郎を見た。

夫妻は笑いを堪えていた。

「もうあなたったら」

 お仙は怒るどころか、敬四郎のやんちゃぶりに嬉しくなって抱き着くのだった。

 

 轟町の茶屋で偶然あった筈の夫婦が、杯を四個も用意して来るなど可笑しな話で、またもお仙を騙したことになるが、こうして楽しませてくれたのだから、文句は言えなかった。

「お仙、皆ほら見てご覧」

 眼下には江戸湾があり、その先対岸の半島、辺りには然程高くはないが上総の國の山々が良く見えたのである。

「上総の國の先が安房の國で半島の行きつくところのようだ。廻り込めばとてつもない大海原だとか、ほらそこに見える漁師の船ではその大海原には漕ぎ出すことは叶うまい。上総の國の上が下総の國で、北の方に筑波嶺が見える筈だが、曇って居る所為か見えぬな。良く見えるのは王子の飛鳥山だろう。あそこも桜の名所だからな」

 お酒が入ると女子衆も自然と打ち解けていった。

そうした中でお絹が町屋の娘であったという話になった。

 行儀見習いでお葎様からご指導を頂いたことがご縁で、御実家の養女にして頂いたのです。お葎様は大奥お年寄の養女になられて居りますので、梅野家の養女として疋田松次郎様に嫁ぐことが出来たのです」

「ということは、私もどこかの養女になれば敬四郎様と一緒になれるということね」

「そうです」

「ではあなたの指導者であった豊川様の養女でいらっしゃるお葎様にお願いしたら叶うのね」

 いやはやとんでもない事を口にした。

葎様と敬四郎は今でも密会する仲であるからそれは無理であった。

「駄目です、それはなりませぬ」

「どうしてなの。可能でしょう」

 お仙は口を濁すお絹を怪しんだ。

すると後ろに居た松次郎が助け舟となって、武家社会の仕組みを解説するのだった。

「お絹、ちゃんと説明しないと姉様は分からないだろう」

「実は武家社会の中でも更に身分差が付けられてまして、格が同じでないと夫婦にはなれないのです。簡単に申し上げると、兄者も拙者も上様の家来には違いないのですが、御目見え以下の御家人なんです。その上に御目見え以上の旗本が居りまして、更には大名が居りますよね。旗本と御家人の縁組は出来ません。況してや大名と御家人の縁組などは有得ないのです。因みに葎様の養母豊川様は信州の大名家の娘御でいらっしゃいますので、その養女にお頼みすることは出来ないのです」

「随分と面倒ですのね」

 悲しそうな顔をすると、敬四郎はお仙をぎゅっと抱きしめた。

「出来るなら二本差しを捨てたいと思うが」

「出来ないでしょう」

「あぁ跡を継がねばならぬからな」

 二人が知り合って以来こんな悲しい思いを抱くのは初めてであった。

お仙は無論のこと、敬四郎とて会えば会うほど離れ難くなって行くのだった。

 四人は帰りに飯倉神明宮に寄った。

社内には桜の木が少しはあり、人の出は結構あったが、軒提灯を連ねた九月のだらだら市に集まる参詣人のその数には遠く及ばなかった。

 社殿をぐるりと回って裏側に行くと、眼病に効くという霊泉があった。

またその脇には芝居小屋があったが、この日は閉まっていたので見ることが出来なかったが、その傍で大道芸人らが曲独楽や皿回しなどで群衆を集めていた。

「そろそろ帰ろうか」

 神明前通りから東海道に出ると芝口橋まで両側は町屋が連なり、其々の後ろには、大名屋敷が広い敷地を有して連なってあった。

芝口橋から京橋、日本橋までは東海道を囲むように町人の町が広がっていて、江戸で一番の賑わいを呈して居たのである。

 四人は日本橋から堀伝いに龍閑橋を渡ると、神田橋手前で二組に別れた。

 お仙がお絹に寄って行くように誘ったのだが、家で両親が待って居るからと遠慮するように帰って行ったのである。

「ちょっと待ってて」

 お仙は桶に水を汲んで来るとお湯を沸かしながら、、敬四郎を上がり框に座らせて手拭いで足を拭いた後、下帯一枚にして行水用の桶にお湯を入れて水で適度に薄めて埃を拭うように体を拭いた。

 そうやってお互いの体を拭き合ってサッパリすると、二人は何方からともなく寄り添って、果てることの無い合戦に突入した。

大筒の威力は衰えることなくさらに威力を増して居るが、それを受け止める柔軟且頑丈な壁は如何やらその砲撃を上手く跳ね返したり吸収したりしていた。

 明日は四六時中三味線の稽古がある為家でのんびりしている心算であったが、昼四つ(十時)過ぎに、野村甚吾郎が仁吉と翔太と豊治を伴って雪氷を運んで来た。

「これはこれは野村殿、暫くです。何時もお気遣い有難く存じます」

「今回の氷は良質です。上手く出来て居りますよ」

「でまさか金澤から届いたばかりと言う訳ではありますまいな」

「そのまさかですが明け六つ(六時)頃に届いたものですから、上屋敷の分と献上分を保管してからやって参りました。氷室に入れて置きますよ」

 野村らが氷室で作業を始めると、それを察知したように松次郎が顔を出した。

「この時期に金澤から移送して来るのか…それじゃ献上氷も来てるんだ。凄いね」

 松次郎はどうやら寝不足のようであった。

「食事は済まして来たというので、お茶菓子を用意しよう」

 母ふきに訊くと最中があるというのでそれを頼んだ。

「これは疋田様もご一緒で良かったです」 

 甚五郎らは縁側に腰を下ろすと、ふきが入れたお茶をうまそうに飲んだ。

「お袋様のお淹れになるお茶は実に旨いですね」

 と甚五郎が言うと、

「その最中小網町の大坂屋のものですね」

 と仁吉が言い当てる。

「良く分かったね」

「そりゃもう此奴は甘いものには目がねえ口でして」

 仁吉は本所深川にある蔵屋敷に米を取りに行った帰りに永代橋から箱崎橋を渡った来た先に店はあった。

下屋敷に行った帰りには必ず寄ったものだった。

「くずもちなんぞも良いですぜ」

「馬鹿野郎それじゃ催促してるようなものじゃねえか」

 と甚五郎。

「いけねぇそんな心算じゃありませんで」

 仁吉は失敗とばかり月代を撫でた。

一同大笑いであった。


 金澤から手木足軽らは四日程で運んで来たという上下段の物氷は綺麗に固まっていた。

師走、一月二月と江戸に降った雪は冷凍庫の周りに詰められて、低温を護って居たのである。

二人っきりになると珍しく屋敷内で酒を飲んだ。

「兄者余計なお世話かも知れないが、お仙さんのこと放って置けないでしょう。どうする心算なの」

 そう核心に迫ると、

「分かって居るが如何することも相成らん」

「実は昨日戻ってからお絹とお仙さんのことを話して居たんだよ。何れにせよ兄者と夫婦になるには何処か養女になってからでないと成り立たない話でしょう。そこでお仙さんが承知ならうちの養女はどうかということになったのよ」

「疋田家に養女に入るか……。それも妙案だが、お主の母じゃは厳しそうだな」

「それはお絹も言って居った。おぅお絹、お前も兄者に話してくれ」

 お絹は敬四郎の前に正座すると、

「義母上様に直接お願いしたら難しいと思います。そこで僭越では御座いますが私めがその任に当たらせて頂きたいと思います。

 私も商家の娘として何の心得も無いままに十七より行儀見習いをさせて頂きましたので姉様の方が早く修得できるように思います」

 お絹は御殿山での二人の親密さに何とか添わせて差し上げたいと思ったのである。

「忝い。きっとお仙も喜ぶことだろう。話してみるよ」


 翌々日五郎長屋に行ってみると家の中は空っぽであった。

〈引っ越したのか〉

 花見の時には何時もと変わらなかったが、よくよく考えてみると、お仙のことは三味線の師匠とは聞いて居たが、その他のことは一切知らなかったのである。

生まれは何処なのか、親兄弟は居るのか等、何一つ知らなかったのである。

 故郷にでも帰ったのだろうと推測するしかなかった。

非番になると訪ねてみたが状況は変わらず、長屋の者に訊いても知らぬ存ぜぬで埒が明かなかったのである。

 吹く風も涼しくなって、叢から虫の泣く声が聞こえるようになると秋の深まりを感じたものである。

 朝一に御錠口衆に豊川葎様宛に風呂敷に包んだ折詰を渡して貰うよう頼んだのである。それから三日後、詰まり敬四郎の当番日に葎からの封書が届いたのである。


【過日頂戴致しました折詰、義母と共に美味しく頂きました。敬四郎様の益々磨きの掛かった調理の技を味合わせて頂きました。

 ついてはその御礼をさせて頂きたく、御縁のあります例の場所にてお待ち申して居りますので、是非ご一緒に参拝致したく存じます。(日付は翌日で昼四つとあった)】

 これでは他人に読まれたとしても落ち合う場所は分からなかった。

二人が縁のある場所とは偶然にも混雑の中で巡り合えた場所、神田明神社であろう。

迷わないよう葎は一緒に参拝したいとまで書いたので間違いなかった。


 翌日昼四つ前に東側にある茶屋で葎を待った。

「敬四郎様」

 振り返ると髪型から着ている物までそれまでの葎とは違った装いで、一瞬戸惑った。

「葎殿如何された?」

 葎はにっこり笑うと、何も言わず、本殿へと向った。

お詣りが済んで茶屋で羊羹を食べながらお茶を飲むと、二人は黙って男坂を下りて、明神下通りを不忍池方面へと歩いたが、結局何時もの出会い茶屋に入ったのである。

「話はお絹から聞きましたよ。私は嫌です」

「行き成りどうしたの」

「あなたのお子は私が生みます」

 葎はしなやかな肢体を横たえると、珍しく焦れて敬四郎の衣服を剥ぎ取ったのである。

「それは無理だろう。其方は…」

 葎は何時になく激しかった。

これ程乱れた葎を見たことなかったのだ。

それだけに本気であろうことは体から伝わって来た。

 葎は片時も離れまいと繋がったままでいた。

「そうは言っても義母様が許されまい」

「それは心配要りませぬ」

「葎に相応しい婿殿が居るだろう。手前のような半端者では幸せには成れぬぞ」

「敬四郎様は私がお嫌いか」

「違う違うそんなことは無い。痛いよ葎放してくれ」

 何がどうなっているかはご想像に任せるが、葎は如何やら本気のようだ。

 敬四郎にしても元々は葎に惚れていたのだが、年寄豊川の付き人になると、思わぬ才能を発揮し、次第に遠のいて行くように感じて、敬四郎は葎の為に退こうとしたのだが、縁談が壊れたことで葎の思いが復活してしまったのである。

 縒りを戻した当初は只会えるだけで良かったのだが、敬四郎の心が町屋の娘に傾き始めると、今度は葎がそのままでは遠くに行ってしまうような思いに駆られ始めたのだった。  

 葎は蘭学医に教えて貰ったように己の受胎日を合わせて敬四郎と会ったのである。

敬四郎は若くて元気が良いので、間違いなく受胎でき、願わくば男を生みたいと思っていたのである。

 これ程までに思い詰めているとは思わなかったが、葎が覚悟を以て臨んで居るなら、敬四郎もそれなりに覚悟が要った。

 葎の覚悟とは大奥年寄の養女を捨てることであった。

詰まり御徒衆七十俵五人扶持の御家人の娘に復縁するということになるのだが、その為にはけじめをつけなければならなかった。

「豊川様に挨拶に参るよ。葎と一緒になることを承知して戴く為と、梅野家への復縁を果たさねばならぬからな。ご了解頂けたならご両親様にもご挨拶をさせて戴くよ」

「待って下され、義母へは先ず私が話します 葎は根回しが必要と考えたのである。

何も豊川が気難しいとかではない。養女になって以降、好きなようにさせてくれているのだ。

 実の親子のような関係なので、じっくりと話して理解を得たいと思ったのである。

「承知した。先ずは葎に任せよう」

 二人の絆は強く、どんな障害困難があろうともその結び目は解けることなく繋がっているに違いなかった。

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『役得人生』 夢乃みつる @noboru0805

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