第10話 素敵な贈り物

 敬四郎は真っ直ぐ屋敷に帰るつもりであったが、久しぶりに魚河岸を覗いて見たくなって鎌倉河岸に出て龍閑橋を渡った。

堀伝い二筋目を入った辺りは本石町と言って一丁目二丁目とあった。

其の二丁目に丸に彦と書かれた指物屋が在ったので、気晴らしに覗いてみると、

「いらっしゃいませ」

 と、初老のかみさんが愛想良く出迎えた。

「ちょいと見させて貰って良いかな」

「えぇどうぞどうぞ、ゆっくりご覧くださいまし」

 店を入って右側が土間で、台の上に箪笥などが飾ってあった。

「女将さんこれ良いね。幾らだね」

「それは見本ですが、其れで宜しければ二両におまけしておきますよ」

「見本か!」

「この箪笥はある旗本の御屋敷からの注文でお造りしたのですが、先方の御都合で不要となりましてそれでこうして店先に展示したんですよ。倅が腕に縒りを掛けて造りましたもので本来は倍以上の値なんですよ」

 確かに作りはしっかりしていてそこらの損料屋(かし物屋)にある箪笥とは違っていた。

「旦那様手付を頂けましたら、明日にでもお届けしますがー何方でも構いませんよ」

 中々の商売上手である。

「今日のところは持ち合わせが無いので亦にする」

 と言いながらその箪笥の隣にある鏡台が目についたのである。

「それは幾らするのかね」

「金一分(二万五千円)ですよ」

 敬四郎は財布から一分金を一枚取り出すと、女将に手渡した。

「有難うございます。では領収書です。ではこれにお届け先をお書き下さい。それと送り主様のお名前とご住所をお願いいたします」 と藁半紙を出したので、

台所町組屋敷内、甘利敬四郎と書いて、届け先を神田三河町三丁目五郎長屋内、端唄師匠仙様宛と記したのである。

「お師匠様は明日は御在宅でしょうか」

「分からぬので拙者が居れば問題なかろう」

「それはもう…」

 ということでお仙には内緒であったが、また明日も裏店に出掛けることにしたのである。 

金一分の衝動買いなど初めてであったが、それだけ町屋の女お仙が可愛かったのである。とは言うもののお仙は二つ上の姉さんで、それにぞっこんであったから、偶にはこのような贈り物も必要と思っていたのである。

 翌朝五つ(八時)に家を出ると真っ直ぐ三河町に向かった。

家の前で声を掛けたが返事がなかった。

 腰障子の中桟に札は無いので、近くにでも言ってるのかと待って居ると、

「あなたー」と盥を抱えて井戸端からお仙が駆け寄って来た。

「こんな早くからどうしたの」

 お仙は盥をどぶ板の上に置くと、人目も憚ることなく抱き着いた。

それを見て井戸端周辺に居た雀がやんやと騒ぎ始めたのである。

「お仙、実は本日此処に鏡台を届けて貰うことになってるんだ。其れで不在では困るので来たのさ」

「えぇ~、其れってあたしの為に買って下さったの?」

「そうさ、だって柄鏡ではお仙の姿ははみ出てしまうだろうからな」

「まぁ憎らしい」

 敬四郎は衣桁の側に置いてある鏡掛の柄鏡を覗いているお仙を何時も見ていたのだ。 化粧道具はその横に雑然と置いてあったので、展示品の、鏡の下の台には抽斗や扉があって、化粧道具などが入れられるようになっていたので、これならそれらを収納するに丁度良い造りなので、喜ぶに違いないと思ったのである。

 その荷物は昼少し前に届いた。

表面保護の為に巻かれた布地を外すと、木目が綺麗に出た板目の鏡台であった。

「素敵~」

 お仙は思わぬ贈り物に感激頻りで、顔や体の角度や位置を変えては鏡に映して眺めて居るのだった。

「お仙、忙しいとこ済まぬがお茶を入れてくれないか、喉が渇いたよ」

「あらご免なさい。未だだったわね」

 お仙は竈に薪をくべると薬缶を掛けて火を点けた。

「あなた少し待ってて下さいな」

 炬燵櫓の上に板を載せて急須や湯呑を置くと亦鏡台に向かった。

「ねぇねぇこの髪型どうかしら」

 気が付かなかったが如何やら何時もと感じが違う。

良く観ると髪を元結で結ばずに櫛に巻き付けてあった。

所謂櫛巻きという髪型で整えるのに手間が掛からず、何方かというと町人の妻女がする髪型であった。

詰まり既婚の女性の髪型で、お仙はこうして通って来る敬四郎を亭主に見立てての髪型にしたのである。

 敬四郎は奥女中の髪型なら見慣れていたからお目見え以上なら片外しで御目見え以下(お使い番、御仲居、御末頭まで)が志の字かえしという髪型に似たもみじわけという髪型であることぐらいは承知していた。

 それは奥女中に興味がある訳ではなく、髪型によってある程度は身分が判ったので覚えたものだった。

「お仙は鏡台を覗き込みながら端っこに写り込む敬四郎の表情を眺めて楽しんでいた。

「お仙湯が沸いたよ」

「はぁい」

 お仙は急須にお茶を淹れてからお盆に載せると、上口でお湯を注いで、櫓の上の板に載せた。

「ねぇ敬四郎様今度花見に行きましょうよ。そろそろ見頃だわ」

「何処に行きたい。何処でもいいなら御殿山にでも行くか」

 話は簡単に決まった。


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