第4話 密会
十月になって非番二日目の朝、松次郎が珍しく顔を出した。
「兄者近頃留守が多いけど何処かで商いでもしているの?」
と
「いいやそんな暇ありゃせんよ」
「近頃は弁当造りも熱心ではないようで、番方衆からの問い合わせも多いと聞いてます」
松次郎はその理由を知って居るかのような暗示の言葉を繋いだ。
「実は母上が兄者と奥女中らしき人が一緒に居るところを見たというのです。
私はまさか兄者に限ってそのようなことは無いと言ったのですが、間違いなく敬四郎様だったというのですよ」
「何処で見たというのかね」
「雉子橋通の小川丁裏神保小路辺で見かけたと言ってましたよ」
「見間違いだ。世の中には似た奴が三人程居ると言うではないかー其れだろう」
飽くまでも恍ける敬四郎だが、
「兄者が女子をそれも奥女中と連れ立って歩くなどとても信じ難いけど、薄茶の羽織を付けていたというから間違いないって……」
「ところで何か用が有って来たのじゃないのか」
敬四郎はそう言って話題を逸らし、
「おうそうだ松次郎今日は大傳馬町のくされ市(べったら市)だろう、父母を連れて参ろうではないか」
双方両親にそのことを話すと、偶には町屋で寛ぐのも良かろうとなったのだが、母ふきの体調が思わしくなく、一人残して暮れ六つに両家揃って屋敷を出た。
大傳馬町一丁目、二丁目、通旅篭町に渡っての市だが、御台所町から行くには神田川沿いに行っても良かったが、一橋御門から神田橋御門を通って龍閑橋を渡って常盤橋御門の手前本町一丁目の大通りを左に入って真っ直ぐ四丁程行った辺りがそうだった。
綿入れを着て来たが、十月も下旬ともなると夜は流石に寒いが、大層な人出で、熱気が籠っている所為かあまり気にならなかった。 翌二十日の戎講に因んだ夷大黒像や打出の小槌などを売る店もあるが、大方は大根の浅漬け(糟粕漬)を売っていた。
商家の小僧たちは荒縄で括ったべったら漬を「べったりべったり」と叫びながら振り回して人々の中を駆け抜けて行った。
そんな光景に見惚れているうちに四人と離れてしまったが直出会うだろうと暢気に店先で浅漬けの見本を摘まんでいると、
「敬四郎様」と呼んで袖を引く者が居た。
見れば葎であった。
「おぅ葎殿、これまた奇遇な、して今宵は何用で来られたか」
すると葎は辺りを気にするように見て、
「ちょいとこちらへ」と敬四郎の手を引いて暗がりに。
「どうしたというのだ」
「この間からお年寄豊川様のお付きになったの。敬四郎様に知らせたかったけど機会が無くてどう知らせようか思案してましたのよ」
「それはいいが今宵は何故ここに居るの?」
「お宅に伺ったら母上様がいらっして、お隣とご一緒に大傳馬町のくされ市に出かけたとお聞きしたのであなたを探しに来たのよ」
「そうか上手い具合に会えて良かった」
「お連れの皆様はどちらに?」
「恥ずかしながら逸れてしまった」
「まぁ大きな迷子だこと」
大声で笑うものだから近くにいた者達が振り返って笑っていた。
二人は雑踏から逃れて茶屋を見つけると、迷うことなく入った。
久しぶりの逢瀬に無我夢中になって時の経つのを忘れそうになったが、
「お年寄の付け人が勝手に御城を抜け出して大丈夫なのか?」
「お年寄豊川様は町屋に御屋敷を与えられていて、今日明日は御屋敷に滞在しているの。 実を言うとね、貴方とのこと知られてしまったの。母の見舞いに毎月出かけて行くことに不審に思ったらしく、或る時お付きの娘に後を付けられて、あなたとの密会を見られてしまったの。豊川様の控えの間で正直に話したわ。本来なら軽いお咎めでは済まないところを、御錠口衆を解かれて、改めて豊川様のお付き補佐(十石四人扶持)を命じられたのよ。
御屋敷は神田橋御門を出て本多様の屋敷横を真っすぐ入って行き、表猿楽町通に出て右に四軒町から雉子町、多町二丁目と過ぎて、その対面にある連雀町の一角に在るの。
使用人は警護を入れて全部で十人。私はそれら使用人らの管理も任されてますの。この外出は勿論許可を頂いて居りましてよ」
「それにしても良くお許し頂けたものだ。葎は余程気に入られたようだ」
敬四郎は愛おし気に項を撫で、頬摺りをした。
「豊川様が一度あなたの料理を頂きたいとおっしゃってましたよ。如何かしら」
「葎の為なら喜んで」
「まぁ嬉しい…」
葎は率直に喜びを表現して見せた。
「御屋敷に帰るのか」
「えぇ、残念だけれど戻らねばなりませぬ。でも今少し…」
葎は誰に気兼ねすることなく、こうして愛しい人に会える喜びを素直に伝えていた。
そのことは十分敬四郎には伝わっていたのだろう、呼応するように答えてくれたのだ。
「葎会いに来てくれて嬉しかったよ。これからもこの様にして会えると良いな」
「えぇ是非とも」
身繕いが終えたばかりなのに、二人は抱きしめ合う。
「さぁ送って行こう」
宵五つ(二十時)はとっくに回っていたが二人は急ぐことなく連雀町の屋敷を目指した。大傳馬町近辺は未だ人が大勢居た。
十軒店本石町から今川橋、鍛冶町、そして須田町で左斜めの道に入るとその屋敷はあった。 葎は門番に声を掛ける前に敬四郎に寄り添うとじっとして離れようとしなかった。
敬四郎が代わって声を掛け、潜戸が開いて門番の咳払いで漸く躰を離すと、俯く様にして中へ消えて行った。
葎は分かれるのが辛かったに違いないが、敬四郎とてその余韻を引きずって歩いて居たのだ。
台所町の木戸番に幾らかの銭を握らせると家に戻った。
玄関に入ると母親のふきが綿入れを引っかけて出迎えた。
「まぁまぁ今時分まで何処をほっつき歩いて居たの。お父上が黙って途中で居なくなったと呆れて居られましたよ。明日にでもご心配おかけした疋田様にお詫び申し上げなければなりませぬよ。いいわね」
「分かりました母上、そう致します」
幾つになっても母親に叱られるとこのように素直になったものだ。
敬四郎は葎と会ったことを言わなかったが、ふきは皆が出かけた後に訪ねて来た葎と会えたから遅くなったのだとは理解していた。
そのことは言わないまでも、心配かけたことには違いないので、親しき仲でも欠礼の無いよう注意したのであった。
翌日敬四郎は疋田家に詫びを入れた。
「敬四郎も決心したか」
と信之介が可笑しなことを言う。
「何のことですか?」と訊ねると、
「見たのだよ、お前がお女中と一緒に居るとこをさ。暗がりに居てもお前さんら二人は随分と目立って居たぞ」
「皆様も?」
「あぁそうとも。妻は二度目だと言って居ったが」
「では父上もですか」
「彦一はその場にいなかったから見てはおらぬが、その話をすると承知して居ったわ。唯松が怒って居ったぞ。この間その奥女中のことを問い質したら恍けていたと。正直に話して欲しかったと言って居ったわ。松は当番だから出掛けたよ」
その晩松次郎が珍しく食材を持ち帰ってやって来た。
「悪かったな松次郎、気恥ずかしかったものだからつい本当のことが言えなくてよ」
「分かってたさ。母親の言うことに間違いはないと思ってたから、そのうち兄者を揶揄ってやろうと思っていたのだけどね」
松次郎は屈託なく笑うと、食材を置いて帰った。
松次郎が持ち帰った食材を見て、炬燵に温まりながら作る
翌日弁当を余分に作って、その内の二折を風呂敷に包んで御錠口のお女中に年寄豊川様お付きの梅野様にお渡し下るようにと、頼んだのである。
この事が御錠口衆の間に伝わると、御使番役(御廣敷と御殿の開閉担当)にも知れ渡り、中身は分からぬまま高価な物を台所役人が御年寄付御女中に贈った等と噂となったのである。
これは元同僚の御錠口衆の一人が、御年寄付となった葎を
だが事実はそうではなく、折詰はお年寄と葎に味わって貰う為の物で、添え書きを付けてあったのだ。
騒ぎが大きくならぬように豊川が手を打ったに過ぎなかった。
翌々日、敬四郎の非番に葎がお供を連れてやって来た。
年寄豊川の名代として、あることを依頼しに来たのである。
それは豊川みなの賀寿の祝いに於ける調理の依頼であった。
一月廿日が五十歳となるので、その五十賀の祝いを梅野葎が主人に忖度して企てたのである。
会場は無論連雀町の御屋敷だが、台所は然程広くはないという。そこで敬四郎は事前視察を申し出ると何時でも構わぬとの返事であったので葎と示し合わせて豊川の屋敷を訪ねた。
余程狭いかと思ったが、釜戸は四台あり、流しも俎板も結構大きかったのでまずまずといえる。
但し人数がどのくらいになるかによって、料理内容と調理人の手配と手順を考えねばならなかったのである。
招待すべき人の大半は奥女中であるが、表向きからは老中や若年寄に、勘定吟味役と吟味方改め役など、役目柄懇意にして置きたい人は候補に入れるなど外せなかった。
料理は松次郎や台所役人の仲の良い者に頼むとして、盛り付ける器皿に、載せる御膳を用意する必要があった。
この家では宗和膳や奉公人らは箱膳を使用していたので、人数が確定次第仁ノ膳やお盆などを用意する必要があった。
これ等については損料屋から借りて賄うことにした。
それと手土産は大奥出入りの商人に菓子折りを頼むことにした。
最も苦慮したのは祝いに贈る品物で、葎からそのことを聞かされた敬四郎は父彦一に相談すると、絵師に知り合いがいるから何か描いて貰うよと簡単に引き受けてくれた。
絵師と言えば昨今では浮世絵と言われる美人画や役者絵等風俗画を描く絵師が居るが、まさか大奥重鎮のお年寄に贈るべき絵柄としては相応しいとは言えず、然りとて御用絵師となると旗本と同格であるから、御家人風情が所望する等到底叶わなかった筈。だとすると、それらの門人や弟子たちの表絵師辺りだと、御家人格だったので付き合いのある者も居たに違いなかった。
師走も押し迫った頃、賀寿に参列する顔ぶれが決まった。
招待しても役目柄参列できない者も居るので、最終的に客数は四十名となった。
幸にして三十畳の大広間があるのでそこを会場に決めた。
床の間には表絵師が描く絵を掛け軸にして飾る心算であった。
こうした準備はお役目の間に行ったが、敬四郎はとも角、お付き役の葎は奥勤めと御屋敷勤めを兼ねてだからそれは忙しかった。
だが豊川のお眼鏡通り、それら細部に亘る業務を難なく熟して居たのである。
豊川が葎に目を付けたのは、他の女中とは違って物腰の柔らかさに気品に満ちた顔立ち立ち振る舞いが群を抜いて目立ったのと、声音も上品に響き聞く耳に心地よかったのである。
それと母親の病気見舞いが語りであったことが露見した際、率直に認めたことが何よりも好感が持てたのである。
とに角年寄豊川にしろ葎にとっても、この人事は上々の結果を招いたと言えそうだ。
扨て敬四郎だが心のうちを支配する葎が、思わぬ才能を発揮して、豊川にとっては掛替えのない人材となったことで、少々不安になった。
遅かれ早かれ妻に迎えたいと思っていた葎が万人に認められるほどの才女ぶりを発揮したら手の届かない所へ行ってしまうかも知れないと思い始めたのである。
あれ程女人に関心がなかった己の心がすっかり葎の虜になって居たのだ。
年が明けて元日二日は諸大名や旗本らが式服に身を包み表御殿に登城した。
束帯、衣冠、
そうした華やかさの陰で、敬四郎達裏方は特にこの日は朝早くから作業に追われていた。
御廣敷詰の役人や番方らも通常通り詰所や諸門の警護に当たっている為、御寝番と共に特別食を用意をして置かなければならなかったのである。
元日から三日に限り、役方や番士小者に特別にお雑煮が振舞われた。
餅を四角く切る者、それを焼く者にほうれん草を茹でる者、蒲鉾を作る者、それを細かく切る者、鰹節と昆布でだしを取り、すまし汁を作る者とそれだけでも多くの手が要った。 その為御廣敷御膳所と表台所の二か所で調理し、大奥の膳所では御仲居六人が分担して御廣敷膳所台所頭の献立に従って雑煮を作った。
必要とするお椀の数が半端ではないので、控えの間や詰所ごとに配膳し、食べ終えたものは直ちに回収して、洗いから盛り付けに回して次に配膳するという手順で回した。
明日もこのような状態とすれば、将軍弁当を持ち込むことは可能であっても控えることにしたのである。
元日二日と出た敬四郎は三日が非番となったので神田明神社に初詣に出かけた。
水道橋を渡って川沿いに歩き、聖堂東側の路地を塀に沿って裏に回る辺りから中山道沿いに人が溢れていて、鳥居まで行きつくのに結構時を費やした。
そこから奥の本殿までがのろのろと進む。
どちらかというとせっかちな敬四郎だが、大事な願い事がある為本殿まで行き、賽銭を投げ入れて願掛けを済ますと、脇の茶屋で休んだ。
〈葎はどうしているだろうか」
働き者故心配であった。
「敬四郎様」と呼ばれて、
「えぇ」っと振り返ると、葎が立って居た。
「えぇーどうして分かったの」
敬四郎は夢でも見ている気分であった。
「豊川様が行っておいでとおっしゃるので、有難く仰せに従いましてよ」
「では役宅へ来られたのだね。初詣に行ったと言われて見当をつけて此処に来たと言う訳か」
「ちゃんとお詣りしてお願いもして参りましてよ」
「何と願うたか」
「あなたと同じこと」
葎はその端正な顔立ちに優しい笑みを浮かべるのだった。
「私は明日は当番なので夕方ぐらいまでなら良いが葎殿は?」
「私も早く戻らねばなりませぬ」
「そうか、ならば」
敬四郎は葎の手を引いて男坂を下りると、明神下を茅町方面に向かい、出合い茶屋に入った。
一時程過ごすと、明神下を戻って昌平橋を渡り、八ッ小路側から連雀町の御屋敷横の路地で別れた。
表猿楽町通りで振り返ると、葎は小さく手を振ったので敬四郎もそれに応えるように手を振って返した。
この通りは大名屋敷の間を右に弧を描く様に神田川まで続いていたが、その手前の丁字路を左に曲がって真っ直ぐ行くと、御台所町であった。
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