第29話

「……すんません、何でもないです」


 文句を言っていた話し声は、謝罪の言葉へと変わり。その直後、戸は開き。開いた戸の向こうには亮平おじさんが居て、その後に岩島さんと白石さんがいる。


「どうかしたんですか?」

「どうもしていないよ。ただ、羽虫が騒いでいただけだから気にしなくていい」


 私が聞くと、おじさんは優しく笑んで答える。

 その瞬間、岩島さんは顔を顰めて、


「このおっちゃん、今度は羽虫ぬかしよったわ」


と、また文句。けれど、おじさんが振り向いた瞬間、岩島さんは黙り込む。


「春夏秋冬問わず、夜の羽虫は鬱陶しいものでね。寄りつこうものなら、駆除も考えねばならない」


 独り言のように言ったおじさんは玄関の中へ入り、草履を脱いで廊下へと上がる。その表情は、能面そのもの。

 おじさんは、チラッと岩島さん達の方を見て、


「沙羅ちゃん、羽虫のように纏わりつく男に騙されてはいけないよ。羽虫が綺麗事を並べても、それはただの戯言。本気にしてはいけないんだ」


 話を続けたおじさんは、「わかったね?」と語尾に言葉を添えた。


「はい」


と私が返事をすれば、おじさんはまたにっこりと笑み。


「お腹が空いたかい? それならば、夕飯にしよう」





 部屋で着替えを済ませて食卓のある部屋へ向えば、亮平おじさんはすでに座卓の上座に座っていて。岩島さんも白石さんも、おじさんの側で座っている。

 座卓の上には肉じゃがや焼き魚、白和えや酢の物などの和食が並んでいて、どれも盛り付け方が綺麗。おじさんのこだわりなのか、食器も美しい。


「白石、覚悟しとけや。すぐに事件現場になんで?」


 岩島さんが隣の白石さんに耳打ちしたが、白石さんは無表情のまま反応せず。彼は無言を貫いている。


「なんやねん。いつもは、ベラベラ嫌味言っとるくせに、何で黙っとんねや?」


 それでも、岩島さんは一人で話し、文句ばかり垂れる。

 すると、亮平おじさんが立ち上がった。そして、おじさんは岩島さんの襟首を掴み、引き摺りながら廊下の方へと歩いていく。

 それを見ていた白石さんの鼻が、フンと音を立てる。


「何すんねん! ただのシャレですやん! せやのに、なんで――」


 岩島さんの声は次第に遠退いていき、廊下へと投げ出される。


「お前は、俺が良いと言うまでそこにいろ。いいか? 一歩も中へ入るな」


 おじさんの地響きのような唸り声は、聞くものに恐怖を与え。それは岩島さんも例外ではなく、急に静かになった。

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