第20話

岩島さんが言っている事は正しく、確かに私は沼田さんのことを何も知らない。それに、彼とは今日初めて会ったばかり。知らなくて当然だ。


「とにかく、陸斗君を施設へ送るべきですよ」

「施設は嫌だ!」


 私が岩島さんに話していると、陸斗君が突然逃げ出した。けれど、岩島さんがそれを許さず、目にも止まらぬ速さで陸斗君の腕を掴み。そして、歩道に立たせる。すると、陸斗君は「帰りたくない」とワンワン泣き叫ぶ。

 周りの視線を集める中、岩島さんはその場に屈み、


「嫌や嫌や言うても、帰らなしゃあないやろ」

「でも、あんな所帰りたくない!」


 泣き叫ぶ陸斗君を前に、私だけではなく岩島さんも困っていて。どうしていいか分からずにいると、岩島さんの車の後に白いセダンが止まった。その見覚えのある車から降りてきたのは橋本さんで、彼はこちらを見るなり、


「ガキ相手に何しよるんですか? 誘拐とか趣味悪すぎやろ」

「誘拐なわけあるかい。こいつが、急に飛び出してきてん」

「飛び出してきた?」


 わけが分からないと、眉をひそめる橋本さんに、私は簡潔的に事情を説明した。

 陸斗君が泣いている中、橋本さんは手で耳を塞ぎ、


「それは分かったけど、ちょっとそいつを黙らせてくださいよ。煩くてたまらんちゃ」


 子供の泣き声が苦手と言う彼は、顔を顰めて陸斗君を見ている。

 私は陸斗君を抱き抱え、背中を擦って宥める。小学生なのに彼の身体は軽く、まるで保育園児を抱えているかのよう。

 私が陸斗君を泣き止ませていると、なぜか岩島さんと橋本さんがこちらを射るように見ている。


「……なんですか?」


 それが気になって聞くと、岩島さんはガシガシと頭を掻いて、


「子供をあやす嫁みたいでええのう。夫婦生活送っとるみたいやわ」


 ニヤニヤと笑う岩島さんの顔が不快で、私は彼に背を向けて立つ。

 ガヤガヤと辺りが煩い中。クラクションの音が鳴り響き、車が次々と過ぎ去っていく。


「俺と同じこと思うのやめていただけますか?」


 橋本さんの声が聞こえ、はあ?という岩島さんの間抜けな声が聞こえ、


「うっさいねん。金魚の糞のくせしてからに、ワシに意見すなや」


また、クラクションの音が鳴り響く。

 今度は、バスが停留所に止まった。福岡行きだという男性のアナウンスが聞こえる中、バスから何人かの人が降りてくる。

 モノレール乗り場の階段からは人が数人降りてきて、通行人が更に増えた。

 いつの間にか泣き止んでいた陸斗君は、疲れていたのか死んだように眠りにつき。可愛い寝顔を見せている。

 このまま、陸斗君を施設に帰して良いのだろうか。嫌がる子供を施設に帰すことなど私にはできない。


「私、この子をしばらく引き取ります」


 私は言い合いをしている二人に向って、ハッキリと言った。その直後、間抜けな声が2つ重なり合い、騒々しい中でも辺りに響く。


「お前正気か? そいつはただの赤の他人、助ける義理もあらへん」

「ガキ預かるなんて面倒なだけやろ。やめとけちゃ」


 二人は当然のように猛反対し、ああだこうだと文句を垂れている。

 それでも、私の意思は振れず、


「施設に帰すなんてかわいそうですよ。それに、私も大人なんですから、陸斗君の面倒をちゃんと見れます」

「でも、仕事しとらんのにどうやってみんねん」

「仕事ならしてます」

「はあ? どこでや?」


 岩島さんに聞かれ、私はコホンと咳をして、


「お父さんの会社で事務の仕事をしてます」


 はあ?と岩島さんは口から声を漏らして、


「六代目の会社? そら、まともなもんやないで」

「まともですよ? 大きな建設業です」

「建前はな。でもその会社、六代目が社長やないで? お飾り社長がおんねん」

「お飾り社長って?」


 私が聞き返すと、橋本さんは溜め息を吐いて、


「雇われ社長のことたい。なんかあった時、そいつに罪を被せれるき、六代目は何も責任取らなくて済むんたい。ようは身代わり、その社長は六代目の操り人形やろ」

「お父さんはそんなことしません」


 私が橋本さんを睨むと、彼は困ったように頭を掻いて、


「まあ、そう思っちょった方が幸せやろ。でも、他所ではそのこと話さん方がいいばい」


と、彼は苦笑している。

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