第16話 胸の炎はまだ消えていない
「奥方様というのは、たしかサラソータ侯爵家の姫君でございましたね」
「そこまで知ってるか」
どんだけ深く調べたんだよ、こいつ。
奥さんとか娘ってのは基本的に重要視されない。歴史書なんかにもよっぽどの功績がないと載らないしね。
だからかなりちゃんと調べないと、サクラメント男爵家にサラソータ侯爵家の末娘が嫁いだ、というところまではたどり着けない。
まあ、さすがにアリエッタがアヒルだったってところまでは、絶対にたどり着けないだろうけどね。
「意外でした。サラソータ侯爵といえば一大経済圏を作り出し、国内経済の何割かを牛耳り、王国政府や王家にすら睨みをきかせられるほどの大物です。失礼ながらウィリアム卿との接点が見いだせませんでした」
そうなんだよな。
はっきり言って、アータルニア王国を代表するような御仁なんだけど、どういうものか昔からは俺は良くしてもらっている。
毎年のように借金をお願いしても、嫌な顔すらされたことがないしね。
本当に不思議だよ。
「姻戚関係を結ぶ利得もないように思われました。本当に失礼だと承知しておりますが」
「事実だから仕方がないな」
肩をすくめるしかない。
俺と仲良くしたってサラソータ侯爵にはまったく利益がないんだよね。
まさか、娘がアヒルに変えられることを予期しており、押しつける先としてキープしていた、なんて馬鹿げた可能性があるわけもないし。
「理由まではわかりませんが、ウィリアム卿はサラソータ侯爵家と親密であり、かつ領地も躍進の気配をみせている。私どもといたしましても、よしみを通じるに充分な理由があるわけです」
だからこそ、俺の経歴や
傭兵をやっていたこともあるってのも、その中で判ったんだろうね。
「それなら商工会を訪ねた理由もわかるってことか」
「人材の確保でございましょう」
「ご名答だ。土木か建築の専門家で、サクラメントに移住しても良いって人はいないかな」
これが本題なわけだけど、簡単な話じゃないのは自分でも判る。
そんな専門技能のある人は都会でも食いっぱぐれがないからね。
わざわざ田舎に移住する理由なんかないよ。
「……まずは建築の専門家ですが、ひとりだけ心当たりがございます。ただ、年寄りですので若い人みたいにバリバリは働けないかと思いますが」
そういってサイサリスは、なんと自分自身を指さしたのだった。
「おいおい……」
このひとなに言ってんだ。
タイタニア商工会の会頭って地位は、そんな簡単になげうって良いものじゃないだろうに。
そもそも報酬だってずっと下がる。
男爵家お抱え建築士としての地位は約束するけど、たぶん収入として半分以下になってしまうんじゃないかな。
「どのみち、あと一、二年で引退しようかと考えておりました。ここでの私の仕事はもう終わったと考えておりましたので」
老顔に、すこしだけ寂しげな笑みをたたえるサイサリス。
やりきったという感じなのかな。
「ですが、まだ私の心にも燃えるものがあるようで。サクラメントの商戦を目にしたとき、悔しいと思ってしまいました」
品質の高さで売るのではなく、価格の安さで売るのでもなく、納得を最大の武器とする。
こんな商売の仕方があるのかと。
「年甲斐もなくと思われるでしょうが、人生の最後にもう一勝負したくなってしまいまして」
一転して照れくさそうに笑う。
格好いいじゃん。
「給料、あんまり出せないよ?」
「じつはもう働かなくて良いだけの貯蓄がありますので」
「うらやましい。ねたましい」
今度は俺から右手を差し出す。
商人の流儀でね。
不敵な笑みを浮かべたサイサリスが力強く握り返した。
「そして、土木の専門家なのですが、こちらもぜひ自分を紹介してくれという者がいます。いることはいるんです」
「歯切れが悪いな」
「問題児でしてね。サクラメントでトラブルを起こさないか心配です」
「というと?」
性格が悪いということだろうか。
周囲に毒をまき散らすタイプの性格の悪さだと、さすがにちょっと受け入れられないかな。
いくら能力が高かったとしてもね。
「明るく積極的な人物なのですが、壮大な野望を抱いておりまして。その実現には大都市ではなく、これから発展していく町がふさわしいと」
なにをする気ですか。
俺の領地で実験とか、ちょっと怖すぎるんですが。
おもわず横にちょこんと座っているアリエッタを見てしまい、びしっと太ももをつつかれた。
痛い。
困ったらトリに助言を求めるような人物だと思われたらどうするんだ、ってことだよな。
判ってるよ。
「一応、壮大な野心とやらの内容を聞かせてくれ。場合によってはお断りすることもある」
たとえば大規模な農業改革とかね。
作付けする品目をいきなり変えるとか、さすがにそういうのは受け入れられない。
領民たちの生活がかかってるから。
「ウィリアム卿は、測天量地という言葉を知っておられるでしょうか」
「いや、寡聞にして知らないな」
聞いたことのない言葉に首をふる。
なんだそれは。
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