第15話 アヒル姫の戦略についてこられる男
「……そうきましたか」
懐から取り出したハンカチーフで、サイサリスは顔を拭った。
汗なんてかいてないくせに。
もちろん表情を隠すための動きだろう。
「正直に申し上げまして、ウィリアム卿はもっとずっと武辺なのかと思っておりました」
「いやいや。俺なんか武辺者というより不便者だよ」
くだらない返しをして笑ってみせる。
武辺者は武芸に優れた勇者で、不便者だと貧乏人って意味だ。
じっさい貧乏だったしね!
「抜く手もみえない高速斬撃の使い手。相手は自分が斬られたことすら自覚せずに倒れるという神業から、ついた二つ名が閃光ビリー。武辺でないとは、謙遜も度が過ぎれば嫌味ですな」
ちょっとくだけた態度になる。
慇懃に接するよりフランクな対応の方が好感度が高いと見定めたか。
正解だよ。
対面してからのほんの短い時間と少ない会話で、そこまで見抜いていくんだね。商工会のトップに君臨するような人物ってのは。
「誇張もいいとこだよ。そもそもなんて斬られた相手が感想を語れるんだ?」
俺としては苦笑するしかない。
傭兵とか冒険者とか用心棒とか、荒事が生業って連中にとってはハッタリが重要なんだよね。
弱いですよーって見せかけてじつは強いってのは、実戦ではそれなり有効なんだけど、商売としては意味がない。
弱そうに見える傭兵に仕事を頼む人がいるかって話さ。
外見が厳ついってのが判りやすいんだけどね。俺みたいな優男の場合はネーミングで箔を付けるんだ。
で、トーマスがつけた二つ名が閃光ビリーね。
やつのネーミングセンスって微妙だよなー。
「ハッタリが半分というのは商売の世界も同じですよ、ウィリアム卿。そのハッタリに実力が伴っていなくては淘汰されるという部分まで含めて」
にやっと老人が笑う。
「俺もあんたも生き残っている。ハッタリの半分くらいの実力はあるってことだな」
「改めまして、私はサイサリス。タイタニア商工会の会頭を務めさせてもらっています」
差し出された左手を、俺は握り返した。
利き腕は簡単に触らせないっていう傭兵の流儀に合わせてくれるってことね。
「サクラメントの経済振興は、私どもの耳にも入っておりました」
穏やかな笑みをたたえたまま、サイサリスが語り始める。
さあ、ここからが折衝の本番だ。
サクラメント男爵領の経済規模なんて、王都タイタニアのそれと比べものになるわけがない。
アリと象なんてレベルじゃないくらいに違う。
ここのところちょっと実績は伸ばしてきていても、タイタニア商工会が注目するようなポイントはないはずなんだ。
だけどサイサリスは興味を持った。
それは、たいして質は良くはないんだけと安価な鮭の燻製がかなりの数タイタニアで流通するようになったから。
すみませんね。
うちだって質の良いものを作りたいんですよ。
だけど、職人の腕だって良くないし、そもそも材料の質が悪いんだ。
川を上ってくる鮭は身がパサパサで脂っ気がなくて、なんかもう最後の力を振り絞って生きてるみたいな感じなのよ。
海で捕れる鮭は美味しいって話なんだけどねー。
けどまあ、それでも大量に捕れるんで、かなり安く売ることができる。
領内の人々だったら、生のやつはぶっちゃけ無料だ。
リトリバ村のサクラメント水車にいって管理人に鮭くれっていえば、一匹二匹くらいならほいって投げてくれる。
そんだけ捕れまくってるんだよね。
だから燻製小屋もフル稼働。そもそも小屋の数が足りない。
「私も試してみましたが、感想としてはこの値段ならこんなものか、というものでした」
「だろうな」
俺が肩をすくめた瞬間、サイサリスの目が鋭くなる。
「狙いましたね? 男爵閣下」
サクラメント産の鮭の燻製は、ぶっちゃけたいして美味くない。だけどまずくて食えないってほどでもない。
だけど安いんだ。
こんなもんかっていうサイサリスの感想は、じつに正鵠を射ている。
つまり、値段と味のバランスは、ちゃんと客が納得できるラインだってこと。
「気がついたとき、ハンマーで頭を殴られた気分でしたよ。そして改めて市場を見ると、庶民はサクラメント産をたしかに買っているのです」
「嫁が言ったんだよ。安いから人は買うんじゃなくて、値段に見合っているから買うんだって」
サクラメント産の鮭の燻製は質が良くない。
これはもうどうしようもない事実だ。
原材料を良くするか、燻製技術を格段に向上させるか、質を上げるにはこの二つの手段しかない。
だけど前者は無理。
後者だって一朝一夕に進歩するもんじゃない。
だからアリエッタが進言してくれたのは、我慢しなくても食べられる程度の味を目指そう、ということだった。
すっごい美味しくなくて良い。
まあまあ食えるかな、というラインで良い。
目標値を低く設定したおかげで大量に出荷できるようになった。
その結果として、王都タイタニアにも安定した数が供給される。で、たいして質が良くないことはみんな判っているので、商人たちが無意味に値段をつり上げることもない。
庶民は安心して買えるという寸法である。
「慧眼です」
俺の説明を聞き、ほうとサイサリスが嘆息した。
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