第2話 ミッドナイト・ギャル①
そういえば、回想だというのに、僕は僕のことを何も紹介していなかった。
この物語がいわゆる「化物交遊録」であるというなら、ベタとはいえ、きちんと自分の紹介をしなければいけないだろう。
僕は
人文系で、オカルト研究会に所属している。
先日、虫を採取していたのは、決して趣味ではなく、サークル活動の一環である。
そして、重要なことは僕はインセル(望まない禁欲者)ではないということだ。
いいかい? 僕は、ただ硬派なだけなんだ。分かったね?
なぜ、オカルト研究会に入っているのか。これが中々、話せば長い話になる。だから、ここではあえて割愛しよう。
家族構成は、父と母、それに妹が一人。
何の変哲もない核家族だ。取り留めておくことがあるとすれば、家族仲は良い。
ただ、協調性があるというよりも、みな自由にやっているからこそ、仲が良いと言える。
有り体に言えば、我が家は自由人の集まりなのだ。ともあれ、親のすねを存分にかじっている僕が言えることではないが……。
まぁ、過保護じゃないことは確かで、妹が少しばかりブラコンの気があるくらいで、普通の家族とだけ最後に示しとく。
翻って、僕の最近の生活事情の話に移ろう。今現在をもってして、一人暮らしである。一人暮らしと言えば、この世の春みたいな生活体系だが、1Kの6畳一間で貧乏暮らしで、余裕があるわけではない。
家賃など生活費は両親が工面してくれるが、交際費は自分持ちのため、気が向いた時にバイトをしている。
「男は、独り立ちしてこそ一人前」が我が家の家訓。古臭い家訓だが、財布の紐を握る親には逆らえないのが現実だ。
とまぁ、こんなもんか。
さてさて、僕がなぜ、急に一通り下世話かつ野暮な話をしたのかをそろそろ話さなければなるまい。
退屈させてすまないが、プロフィールを紹介したのには、単純な理由がある。
それは前述の通り、話すべき相手が僕の部屋にいるからだ。
話を聞いたその人物は、金色の髪を梳きながら、興味深げに頷き「面白い経歴じゃん」と語った。
「いやぁ、それほどでも」
目の前にいるのは、市民公園で拾った――もとい、空中で優雅に羽ばたいていた「化物」である。
名を「クレア」といい、御年80歳の「ピチピチギャル」だと彼女は自称した。
いや、80年も生きてたら、ババアじゃねえか。と、人は思うだろう。
しかし、眼前に座る彼女は、どこからどうみても20代そこそこの容姿を持っていて、見るからにギャルであった。
「あーし、吸血鬼だかんね」
自ら吸血鬼と名乗られても信じがたい。てか、ほぼギャグだろって思う。
だが、もっと信じられない現象を、家へと帰ってくる前に僕は目にしてしまっていた。
――下弦の月と踊るようにして、空を飛ぶ彼女の姿を。
「月といっしょにダンス動画撮ってたら、なんかパンピーにバレたんだけど。めっちゃウケる」
「ウケるな。もっと焦燥感持て」
「いや、こう見えて、めっちゃ焦ってんですけど? 顔にメイク落としいきなりぶっかけられたレベルで」
それ、ふつうにクレンジングしてるだけじゃね?
いや、比喩が分からん。80代にしては、若すぎし、現代っ子にしてはちょっと古い。
なんかこう、昭和レトロというか、平成初期のギャル感が滲み出てるんだよなぁ……。
ま、いい。それはそれとして。
「まあ、正直、クレア? が、焦ってるかどうかは置いといてだな」
「そこ、ふつう置いとく? 童貞って、すげーね。あと、あーし、クレアじゃなくて、久礼亜ね。字面かっけーっしょ?」
クレアじゃなくて、久礼亜だった。近年、キラキラネームが加速度的に増してるから、さほど違和感はないが、そんなことどうでもいい。
なんで童貞ってバレてんだ?
「一つだけ訂正しておくと、僕は童貞ではない」
「童貞だけだよね。童貞否定したがるのって。あわれみあるわ~」
ケタケタ笑いながら、金髪の髪を揺らすクレア。
童貞って哀れまれるべき存在なの?
そうなの?
「てかさ、あーし、お腹空いてんだよね。ご飯食べさせてよ」
「さっきから会話が自由すぎんだろ……。ま、いいけど何食べたいんだよ? 適当に作ってやろうか?」
「あはは。ウケる」
「どこが!?」
立ち上がり冷蔵庫に手を伸ばそうとしたところ、クレアは手をパチパチ叩いた。
「あーし、吸血鬼なんだけど。飯って言ったら、流石にアレっしょ?」
「アレ――」
吸血鬼。
字面だけ見ても主食が分かるのは、アリクイかその「架空生物」くらいだろう。
「童貞くん。ちょっと面貸せし」
「お、おいっ! ちょっとま――」
クレアはいきなり僕に飛びついたかと思えば、有無を言わさず首元に鋭い歯を突き立てた。
「そんな騒ぐなし。天井の染みでも数えてたらすぐ終わらせっから」
ジワリと粘り気を持った「ソレ」が、首から肩にかけて流れていくのを感じ取った。
血――そう思ったのも束の間、クレアは生ぬるい舌を首筋に這わせ、迷いなくそれを「捕食」した。
「あ、ひぃんッ!」
喘いだのと同時、彼女の唇が僕の首筋を襲う。
「じゅ、ルルッ♡」
「ひゃ、ちょっ! まっ、たんま、たんま!」
「ん、じゅっ♡ 変な、んっ。声だす、なって!」
ドクッ、ドクッと、心臓が跳ね上がるのを感じ、無理やり彼女を引っぺがす。
「馬鹿! 急に――」
――なにすんだ。
抗議の言葉を吐こうとする。しかし、目の前の光景を見、僕の声は無情にも喉元へと引っ込んでしまった。
床へと飛び散った血を、クレアは親指で拭うと、「ちゅぱっ」という艶めかしい音を立てつつ、それを美味そうに
「うまっ♡」
褐色の頬に付いた血と、人の心の奥深くを見透かしているような濁った眼。
僕はその時、生まれて初めて「捕食者」に出会ったのだと判った。
「お、まえ……」
へたり込む僕に対し、クレアは赤い涎に包まれた舌を出しながら微笑し、蔑みながら言の葉を並べた。
「童貞卒業おめでとう♡」
そんな彼女の恍惚とした表情を見て、にわかに僕は高揚感を覚えた――
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