終点く/くねくねの上のターボレディ
電車が揺れる重たい音と、散らばったガラス片が踏み割られる音が重なる。
それに混ざるように、彼女の心肺からはエンジンのような唸りが響いていた。
「––––––にしても“猿夢”かいな。えらいもん振り回しおってからに……」
窓ガラスを蹴り破って飛び込んだランさんに、猿たちは呆気に取られている。
なんてったって、彼女は時速80キロ近い速度で走る電車に追いつき、そして出口の無かったはずの空間に穴を空けたのだ。
嘲笑を絶やさなかった三匹も、流石に驚くしかないだろう。
「ウ、ウキ、どうやってここまで……!?」
「そんなの走っただけやで。オバサンはな、駆けっこだけは自信あんねん!」
猿の抱いた疑問も当然だ。
一体どうやって電車に追いつくことが出来たのか。
その理由こそが、彼女が有する怪異としてのスキルだ。
上級指定怪異譚“ターボレディ”。それこそが彼女の正体だ。
時速100キロ以上の速度で走ることができ、乗用車との並走はおろか、時には電車にも勝るとも劣らない走りを見せる怪異界最速のスプリンター。
一般的に知られている名称は“ターボババア”や“100キロババア”などだが、ランさんの場合はそもそもの年齢が違うために名称も異なっている。
生前、短距離走のランナーだった彼女は、選手生命を絶たれたことを原因に30代後半で自殺。
遺ってしまった悔恨が鎖となり、彼女自身を怪異化させてしまったらしい。
だが、元来の明るい性格からスキルの悪用を控え、その走行速度を人助けのために活かしているのだ。
「……い、いや、それでも“偽電車”のウッキウキな結界だぞ!?」
ハンマーを持った猿が訪ねて来る。
やはりこの暗闇と車体の異常強度は、この電車に施された結界が原因らしい。
だが、連続行方不明事件の真相解明に向け、電車自体に介入できなくなった際の対策は講じてある。
その対策こそが、ランさんがこの結界で包まれた電車に追いつけた真の理由だ。
僕はこれ見よがしに指を立て、その先を割れた窓際へと向ける。
そこには、窓枠に引っかかっていた白い何かがあった。
あれこそが、僕たちの案じた対策の中核を担う鍵そのものなのだ。
「ウ~~~~ヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョ~~~」
間延びしたような、一切の生気を感じない声が響く。
数秒経ち、窓の外から顔を乗り出して、真っ白かつ淡白な顔が出て来た。
頭髪も耳も鼻も無く、埴輪のような三つの穴が目と口のように鎮座している。
「ウキ!? な、なんだよアレ!?」
「ご存知“くねくね”クンやで! オバサンはあれの上を走って来たって寸法や!」
まさしくランさんの言った通り。
彼女は電車に引っ付いた“くねくね”の上を乗って、ここまで走って来た。
僕が乗車した駅からずっと、窓枠に白い指を引っかけて待機していたのだ。
特級指定怪異譚“くねくね”は、巨頭山に古くから棲みついていた怪異の一種だ。
そして、かつて“ぬらりひょん”と心を通わせていた妖怪の一体でもある。
細長い身体は何処までも伸びることが可能であり、その顔らしき穴からは感情の一切を読み取ることができない。
僕が初めて会った時も、くねくねと全身と腕を揺らしているだけだった。
しかし、この怪異の危険度は「特級」。
その認定を受けているのは、非常に恐ろしい憑依スキルがあるためだ。
彼に取り憑かれた対象は、徐々に精神を擦り減らし、あっという間に人格を失ってしまう。
加えて“くねくね”本体は、有している自我が非常に薄い。
善悪の明確な判断も出来ないままに、思い付きで憑依を行ってしまうのだ。
“ぬらりひょん”による介入が無ければ、今頃巨頭山の周辺にまともな人間は誰一人いなかったかもしれない。
そして青年たちに取り憑いたのは、中級指定怪異譚“ヤマノケ”だ。
“ヤマノケ”は“くねくね”の下位互換にあたるような存在らしく、真っ白な外見や、強力な憑依スキルを有していたりと様々な類似点が見受けられる。
自我を損失するほどに凶悪な憑依ではないらしいが、それでも取り憑いた身体をある程度自由に操ることが可能とのこと。
今回において彼らには、それぞれ異なる役割が与えられていた。
“くねくね”は最初から僕の乗った電車にへばり付いており、その身体を伸ばすことで結界の内外にかかる橋の役割を担っていたのだ。
その上を乗っていけば、現実世界から結界の内部へと介入することが可能になる。
ただし、仮に彼の上を走っていくにしても、電車に追いつけるほどの速度が必要になってくる。
そこで白羽の矢が立ったのが、“ターボレディ”であるランさんだったのだ。
“ヤマノケ”たちには、緊急時に青年たちに憑依して逃げ回ってもらうことをお願いしていた。
ランさんに付随して“くねくね”の上を辿って来てくれたため、間一髪のところでその役目を果たせたようである。
「ホメテホメテホメテホメテホメテホメテホメテ」
「いや怖いって。陰キャにはキツいって」
忘れているかもしれないが、彼らが憑いているのは見知らぬ若者だ。
よく知らない人が、虚ろな目で「ホメテ」って連呼しているのは流石に怖すぎるでしょ。
「––––––さぁて、そろそろタマ張る覚悟しぃや、お猿さん?」
背中から生える排気筒から、重い音を鳴らしながら蒼炎が走る。
彼女には攻撃に転用できるだけの十分な体重はないが、それでも人智を越える運動速度には目を見張るものがある。
本気を出せば、一秒で三匹をまとめて完封することすら可能だろう。
「“ヤマノケ”クンたちがおる以上、もう生者に攻撃はできへんよ?」
奴らの目的は、間違いなく生者の命を奪う事だろう。
先ほど口走っていた“偽電車”という怪異に乗り込んだ生者を殺すことが目的なら、“ヤマノケ”に取り憑かれて自由に動けるようになってしまった時点でそれを果たせなくなった。
形勢逆転。庇護対象も守れるし、出口だって手に入った。
「ウキ……ウキキィィ!! 元はと言えば人間共のせいだろぉ!!」
「上にバラされるわけにもいかねぇ……ウキキ!」
「この場で全員、ウッキウキに口封じだぜ~!」
だが、猿たちに諦める様子はない。
気になる言葉を怒号と共に吐き出し、各々の武器を構えている。
それに応じて刀とアマグモさんを構える僕へ、ランさんが掌を見せて来る。
「ここは任せろ」ということだろう。
「ええから。パイセンのカッコええとこ見ててや!」
あのタイミングで助けに来てくれた時点で既にカッコいいんだけどなぁ。
だが僕のコンディションも万全とはいえない。
この場は、頼れる先輩の雄姿を目に焼き付けよう。
「……《
彼女の声に従い、背面から生えていた排気筒が数本減る。
“ターボレディ”としてのスキル、運動速度の変更––––––ギアチェンジだ。
肩甲骨から一対一本ずつ、そして背骨に沿って四本が二列に並んで揃っている。
逆に言えば、“くねくね”の上では今以上の速度で走っていたということだ。
「いくでぇ……!」
右脚を数歩分引いて、軽く膝を曲げる。
遅れて排気筒から蒼炎が噴き出し、エンジンによく似た心拍音が唸りをあげた。
そして、居なくなる。
「––––––ウギィヤァ!?」
「––––––ゴウギィィッ!!」
「––––––ウギャンッッッ!?」
猿たちが悲鳴を上げるころには、既にランさんは次の一撃を見舞っていた。
加速された身体から繰り出される左脚は、突然の攻撃に驚く猿たちへの連撃を叩き込む。
彼女いわく、《
それだけ心肺機能への負荷は高まるが、彼女が生前から引き継いだアスリートとしての身体は、そんじょそこらの“ターボババア”を凌駕するほどの長時間運用を可能にしているのだ。
「俺らにも生活がかかってんウギィィッ!!?」
「––––––その生活いうんが、この若人たちにもあるんとちゃうんか?」
身勝手に対する怒りが、彼女の正義が、知覚できないスピードで放たれる。
音速で叩き込まれた健脚が、半田鏝を、ハンマーを、工具用ドリルをへし折って粉砕する。
ろくな抵抗も出来ないまま彼らは自分たちの得物を失い、車両の後方にまで吹き飛ばされた。
「––––––んで、もう1ラウンドやるんか?」
電車の揺れる音に混じって、エンジンのような拍動が静かに響き渡る。
いつの間にか僕たちの前方に戻って来ていたランさんは、もちろんまだ警戒態勢を解かない。
スタミナが切れた様子もないし、猿たちがいかに頑丈だとしても彼女の連撃に追いつけることはないだろう。
「……ウキィ。まずったね~」
「……そうね~、ノットウキウキだね~」
「年貢の納め時だね~、ウキィ……」
猿たちは見るからにテンションが下がり、持ち手を床へと手放す。
きっと自分たちの想定を上回るような相手が現れたことが効いているのだろう。
戦意を喪失したならば、会話をする余地がある。
「……そんで、ブチのめすって訳やないんやろ、鮎川クン?」
ランさんの呆れたような声に頷く。
気になる発言だってあったし、彼らの身の上について聞けるだけ聞いても遅くはないはずだ。
「とりあえず、話を聴かせてくれないかな?」
幸運にも座る場所はたくさんある。腰を落ち着けて話をしよう。
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