終点く/幽霊電車にハイレタハイレタ

 視界が滲み、思考がぼんやりとしてままならず、欠伸も止まらない。

 光の届かない漆黒を走る電車に止まる様子はなく、ガタガタと音を立てながら揺れるだけ。

 煌々としていた屋内ライトが徐々に光量を減らしているのも異様だ。


 果たしてこの電車は何処に向かっているのだろうか。

 それに、興味の無さそうに座ったままの幽霊たちの目的もわからないままだ。

 生前の行動を模倣しているだけなのだろうか、それとも理由があって集まっているのだろうか。


 –––––––ただ現状、最もその行動の意図を掴めないのは、やはり猿だろう。

 にやけ顔のまま固まった、着ぐるみのような不気味さを持つ三体の猿たち。



「ウッキィ~、強めに殴られちゃったね~」


 僕がアマグモさんを振ってぶっ飛ばしたはずの猿は、いつの間にか半田鏝を両手に握っている。

 この場に電熱式製品なんてないし、その使用用途は拷問か何かしかないだろう。

 殴られて一回転したはずだが、それほど大きなダメージは負っていないようだ。


「まったく、ウッキウキな野郎だね~」


 続いて口を開いたのはハンマーをリズミカルに振り回す猿。

 先ほどの言動といい、彼らの存在と行方不明事件のことと絡まれば、嫌でも嫌な予感をしてしまう。


「だけど~、俺らには勝てないぜ、ウッキッキッキィ~」


 そして、最後の一匹の手には工具用のドリルが握られている。

 電源コードは何処にも繋がっていないようだが、怪異の持つような道具に常識なんて通用しない。

 半田鏝やハンマー以上に警戒するべきだろう。



 対する僕は、山の妖怪たちから託された刀が一振りと、手元にあるアマグモさんが化けた蛇の目傘。

 ただし異様なほどの眠気が全身の感覚を鈍らせてしまっている。

 数でもコンディションでも劣り、逃げ出せる算段も整っていない。


 ……八方ふさがりだな。

 こうなってくると、に賭けるしかないのだが。



「ウッキ……でもすごいね~。意識を保ったままでいられるなんて~」

「普通のウッキウキな人間じゃないってことかな~?」

「でも殺すよ。ぶっ殺すんだ。ウッキッキッキッキィ~」


 表情を変えないまま、上半身をユラユラと揺らし、にじり寄って来る。

 アマグモさんを介した攻撃が効かなかったため、単純な物理攻撃では有効打になり得ない。


「親方様、ここではスペースが無さすぎる。それに––––––」


 手元から響く声に耳を傾けつつ、突き刺そうとしてきた半田鏝を避ける。

 足のバネで後方へと飛び、それと同時に蛇の目傘を大きく振り抜いた。


「ウッキ!?」

「おっと……! ウッキウキすぎるぜぇ~」


 猿たちにぶつかる手応えはあったし、事実、猿たちは三匹まとめて後退している。

 だがやはり、僕に対する嘲笑と余裕の空気感は消えてくれない。


「……あぁ、他の幽霊を巻き込むようなことも避けたい」


 つまりは、他の幽霊の乗客に被害を与えないようにしつつ、寝たままの人間三人を守らなくてはならない。

 電車内の狭い通路では僕とアマグモさんが横並びになって戦えない。

 彼を本来の姿に戻しては、かえって僕が攻撃しづらくなってしまう。

 緊急時のプランがあるとはいえ、それが効果を発揮するには時間がかかる。

 それまでに、出来ることはしておかないと。


 蛇の目傘を開き、鮮やかな赤色とそれに囲まれた目玉のような白黒が広がる。

 柄を右手から左手へ移し、腰に差していた刀を右手で抜く。

 現状の最適解。攻防一体の構えだ。


「アマグモさん、痛いだろうけど我慢してくれ……!」



 防御壁としての傘で全身を覆いつつ、そのまま前方へと走り込む。

 攻撃を反射させることを前提とした捨て身の突撃だ。


「ウキ!?」


 獲物が近づいてくれば、猿たちもそれを仕留めようと考える。

 傘へと穴を空けるべく武器を振るい、柄に微かな振動が伝わって来る。

 僕はそのまま突き進み、猿たちの直前で大きく傘を振り抜いた。


 今まで狙っていた傘が左側方向へと振られれば、嫌でも視線はそちらに釣られる。

 顔が動かないため、彼らの視線はどこに向いているか測れないが、微かにでも隙が作れれば十分だ。


「––––––《盲膜白切もうまくはくり》!!」


 傘と同じ方向へ、右手の刀を持っていく。

 その道筋で、その鋭い刃は撫でるように、猿たちの視界を薙いでいく。


 この刀は、いわば“ぬらりひょん”の霊力の結晶体だ。

 僕が使用できるスキルはこの刀に由来しており、能力の維持も刀を介している。

 誤認識を与える能力の根幹は、まさしく誤認識の塊だ。

 つまり、この刀自体が強い誤認識を与えることが出来る武器なのだ。

 使用者が抱いた認識や解釈を、絶対のルールとして斬った対象に押し付ける。


 《盲膜白切もうまくはくり》はその剣技の一つ。

 対象の視界を薙ぐことで、「自分の視覚が斬り苛まれた」と誤認識させるのだ。

 異常なまでのタフさを持つ彼らには、一度視覚を失ってもらう。

 そうでもしなければ、このギリギリな状況で上手く立ち回れない。



「ウキ……!? あれれ~?」

「真っ暗だよ~。ウッキウキになれないね~」

「俺らと似たような能力だね……ウッキッキ~」

「…………「俺らと似たような」って、どういう意味だ?」


 降って湧いた疑問を訪ねつつ、次の一撃の準備をする。

 視界が潰れている間に、《踊刀喰肉ようとうくにく》で奴らの肢体を斬れるのか試すのだ。


「ウッキ、猿って言ったら……ねぇ?」

。ウッキウキなお前でもわかるだろ~?」

「お前の技はすごいけど、俺らの方が三倍便利だぜ~、ウッキッキッキ~」



 そして、僕の身体が止まった。


 四肢の動きが制限されたわけではない。全身へ命令を与えるはずの脳が、働いていないのだ。

 視界が涙で滲み、勝手に欠伸が溢れて、耳の穴がぼやけたような感覚がする。

 眠気だ。先ほどよりも過剰なほど強い睡眠欲が、脳全体を犯している。


 たしか、栃木県の日光東照宮には猿を模した彫刻があるんだったか。

 込められた意味合いは、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」といった中国の古典に由来をもつ戒めだ。

 孔子いわく、「礼に反することは、見てはならず、聞いてはならず、言ってはならない」とのこと。


 といっても、大学で各地の逸話をざっくりと勉強しただけで、それほど詳しいわけではない。

 だが、それに準ずる能力があるということは、あの猿と日光の猿には関連性があるかもしれない。

 「礼に反すること」……彼らがやっていることに、ルールに反するような物事が隠れているということか?



「親方様……すまぬ、我の頭も働かない……」

「くそ……寝てる場合じゃないのに……」


 意識せず、全身が床に伸びてしまう。

 アマグモさんの傘も身動きがとれず、元の姿に戻ることすらままならないようだ。

 これでは、睡眠なんてものとは言えない。

 意識あるいは精神レベルの機能停止だ。



「ここら辺だったかな~、ウッキウキの生者は~?」


 その間にもハンマーを持った猿は、一緒に乗車した人間たちの方に向かっている。

 奴の足元には、スマホを弄っていた青年が伸びていた。

 不味い。非常に不味い。

 視界は潰したはずだが、狭い電車という空間では、手探るためのオブジェクトが多すぎる。

 それに、奴らは自身のテリトリーに関して熟知しているのかもしれない。


 表情は変えないまま、下品な笑い声をあげ、一匹の猿が生者を補足する。

 手探りながらも近づき、その手は青年にまもなく届く。

 僕は思わず、彼が猿によって傷つけられる未来を確信してしまった。





 だが現実は、時にして確信を覆すようなことが起こるらしい。




「………………ウキ? あれ~?」



 猿の手が触れたのは、電車の床だった。

 そこには血液はおろか、髪の毛一本すら散ってはいない。


 避けたのだ。その手に捕まる、その直前に。


 眠っていたはずの、なんの特殊能力も持たないはずの青年は、猿の手を回避した。




「…………ハイレタ」

「……ウキ? なんだって?」

「ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ」


 倒れていた身体をえげつない角度に捻ることで神回避を実現した彼は、過剰なまでの猫背の姿勢で口を開く。

 その唇からは、一般人の肺活量と滑舌からは考えられないほど言葉が漏れた。

 間違いようがない。取り憑かれている。


「ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ」

「ハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタハイレタ」


 そして、その症状は一人だけじゃない。

 金髪の彼も、眼鏡をかけていた彼も、気色の悪い体勢で変な言葉を口走っている。

 何も知らない人が見たら、集団ヒステリーに見えてしまうしょうな光景だ。

 正直、僕もちょっと怖い。舌どうなってんだよ。



「ウキ? なにが起こってるんだ!?」

「こいつら、ウキウキすぎやしないかい……?」


 視力が回復したのか、猿たちは狼狽を隠せていない。

 そりゃそうだろう。確実に眠らせたはずの人間たちが立ち上がり、奇怪な言葉を連呼しているのだから。

 だが、これで彼らが始末される事態は回避できた。

 最高のタイミングだ。



「親方様、あそこに!」

「……来たか!」


 アマグモさんの声に気を引かれ、漆黒の世界を映し出す窓へと視線を向ける。

 車内の外側の窓枠には、真っ白なが引っかかっていた。


「キタヨキタヨキタヨキタヨキタヨキタヨキタヨ」

「ノビルノビルノビルノビルノビルノビルノビル」

「ハヤイハヤイハヤイハヤイハヤイハヤイハヤイ」

「だぁぁぁぁもうわかったって! 怖いんだよ連呼されると!!」


 初めて会った時から思ってはいたが、その喋り方はどうにかならないのだろうか。

 短い言葉を連呼するのは伝承通りなので、怪異らしいちゃ怪異らしいけれど。

 しかし、それでも彼らの伝えたいことは把握できる。


 緊急時用に備えていたプランが、問題なく作用したということだ。




 ––––––瞬間、白いものが引っかかっていた窓ガラスが、音を立てて吹き飛ぶ。

 ガラス片は微かな光を反射して輝き、高い音を立てて床に散らばった。


「––––––っと、おっとっと!」


 大穴の空いた窓枠から車内へと飛び込んで来たのは、人間だった。

 いや、人間と同じ外見を有しているが、結界に包まれたはずのこの電車に乱入できる存在が人間なはずがない。


 実際に、僕と猿たちの間に割り込んで来た彼女は僕と同じく異譚課の職員であり、正真正銘の怪異だ。



「いやぁ……オバサン使いが荒すぎるでホンマに! 大丈夫やったか、鮎川クン?」

「なんとか無事です。最高のタイミングですよ」

「ホンマか!? よっしゃ、後輩にエエとこ見せれたなぁ!」


 やはりハイテンションだなこの人。

 でも、彼女のお陰で幾分か安心できた。


 黒いスーツを着込んだお姉さんは、肩甲骨や背骨に沿ったラインからバイクの排気筒のようなものを生やしており、蒼い炎にも似た煙を吐き出している。

 心なしか彼女の呼吸は荒く、鳴り響くエンジンの音は全力疾走した直後の鼓動のようにも聞こえた。


 彼女こそ、今回の事件に関して、緊急時の遊撃班を任せられていた人物。

 異譚課介入係の西小路班に所属する、駆巡かけめぐランさんだ。



「まいど! 音速デリバリーでおなじみの、“ターボババア”のお出ましや!」



 得体の知れない猿に向かって、このお姉さんは意気揚々と宣言する。

 怪異“ターボババア”––––––もとい“ターボレディ”は、この空間に場違いなほどハイテンションだった。

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