File1:呪縛ぐ(うけつぐ)

呪縛ぐ/独りぼっちの疫病神

 大頭おかしら市立冠城かむろぎ高等学校。

 その教室棟三階に、3年B組の教室が存在している。

 このクラスの生徒たち27人に「どうして鮎川恒吾を無視するのか」と問えば、全員が「アイツがクラスを避けているから」と無責任な回答をするだろう。

 しかし、事実無根とも言い難い。

 もし僕の方から積極的に関わり合いを持とうとしていれば、教室で常に独りぼっちになることも、クラスメート全員から置物のように疎まれることもきっとなかったはずだ。



 ならばどうして、僕はクラスメートの誰とも交流を試みなかったのか。

 その理由は「クラスに嫌いな奴がいたから」とか「喉が痛くて発音するのを避けていたから」とか、そんなありふれたようなものじゃない。

 言ってしまえば、クラスのみんなに迷惑をかけたくなかったからだ。



 端的に言おう。僕は間違いなく、「何か」につけられている。

 それも、数年間に渡って。


 その「何か」が人間なのか、あるいはバケモノの類なのかはわからない。

 だが少なくとも、まともな奴じゃないのは間違いない。

 学校で授業を受けていても、市街を歩いている最中でも、なんなら自室で寝ている時だって、何処からか視線を感じ続けている。

 自室にカメラを仕込んだり、下校の途中に勢いよく後ろを振り返ってみたりしたが、何時だってそこに誰かがいたことなんてなかった。

 漠然と、でも確信をもって、何かが僕を監視している感覚がまとわり付いていた。


 奇妙なのが、少なくとも小学校高学年~中学時代ごろから監視されていたにも関わらず、僕に対する何らかのアクションを一度も受けたことがない点だ。

 個人の生活を覗くだけで満足しているのだろうか。

 それとも、これから何かを起こすつもりなのだろうか。

 僕を長期に渡ってビビらせ続けることに価値があるようには思えないし、数年経ってもなおこんな事をしている目的がまったく理解できない。


 そんな状況を家族にも友人にも教師にも、何度だって相談した。

 心配を寄せてくれていたのは最初の数日だけだった。

 実害が無く、気配を感じているだけでは、両親は簡単に「気のせい」だと決めつけてくる。もちろんそんな事案に対して警察なんかが動くわけ無い。

 いつの間にか友人から気味悪がられるようになったし、担任教師の僕を見る目も変わってしまった。

 意図的にイジメたわけではないのだろうが、僕を取り巻く人間関係が少し拗れていったのは確かだったし、少なくとも僕の心はクラスから離れて冷めきってしまった。

 思えば、その時のどこか諦めたような感覚が今の僕のスタンスを作り上げてしまったのかもしれない。


 しかし、今更どうすることもできない。

 周囲の人間に対して抱いた不信感と孤独が無くなるわけではないし、どちらにしても僕を監視するような感覚は今も消えてはいない。

 僕の人生は、もう既にどこか狂っていたんだ。




 状況が大きく変わったのは二年前だった。




 ––––––僕の父親が、何者かに殺された。


 遺体があったのは自宅の玄関。ドアのすぐ手前だった。

 左脚がまるごと切断されており、それによる多量失血が死因だそうだ。

 切り離されただろう欠損部位は現場に残ってはおらず、現在においても発見されていない。


 警察の見解は、猟奇的な殺人班の犯行、らしい。

 普段の父は他人から恨みを買うような人間ではないし、自殺を考えるような人間ではなかったことは家族の僕が一番理解していた。

 僕が感じている精神的苦痛を理解できないにしろ、「いつでも相談しろ」と言ってくれるような心優しい人だったし、僕もそんな父を嫌いになりきれなかった。


 僕と母が疑われなかったのは、それぞれが買い物に行っていたからである。

 死亡推定時刻において、訪れていたそれぞれの店舗の監視カメラに二人とも映っていたため、アリバイがあると認められた。


 怨恨での殺人だとしても、左脚のみを狙って持ち帰るというのも奇妙な話だ。

 加えて、インターホンには彼の死亡推定時刻の直前、誰も映っていないのに呼び鈴だけが繰り返し鳴らされる映像が記録されていた。

 警察はこれを具体的な証拠と捉えているらしい。それ以外にろくな手掛かりもないというのが本音だろうけれど。

 母も警察も、インターホンには「誰も映っていない」と答えていた。



 だが、僕には見えていた。見えてしまっていた。

 画面の中央には、ノコギリを右手に握る、長い白髪の老婆が立っていた。

 カビにまみれた古着を着ており、背中を丸めていながらも威圧感をまとっていた。


『……脚、いるかぁい? いらないかぁい?』


 擦れた不気味な声が、僕の耳にだけ届いていた。

 呼び鈴が鳴らされる度に、かならず映像記録に映っていた。

 下卑た笑みを浮かべ、まるで獲物が罠にかかるのを待っているような顔だった。

 子供の悪戯だと考えたのか、父は不審に思って扉を開けてしまったのだろう。



 マスコミが騒ぎ出すのは想像以上に早かった。

 「無色透明の殺人鬼」やら「左脚コレクターの猟奇殺人」やら、あることないこと大量に書かれていたし、極めつけにはテレビレポーターが家の前にまでやって来たこともあった。

 近所の人間が、学校中の人間が、大頭市に住む人間全員が、僕たち一家に怪奇の視線を向けるようになった。



 ついに牙を剥いた。そう思ってしまったのも仕方がない。

 今までナリを潜めていた「何か」が、数年の月日を経て僕や僕の周囲に悪影響を及ぼし始めたのかも知れない。

 実の父が玄関先で命を奪われるなんて、左脚を奪われて殺されるなんて、あまりにも異常過ぎる。


 気が動転していたのかもしれない。

 肉親が突然いなくなってストレスが溜まっていたのかもしれない。

 僕にしか視認できない犯人だなんて、そんな奇妙な状況に耐えられなかったのかもしれない。

 きっと、自分のせいだって結論付けて、無理やり整理しようとしたんだと思う。

 僕自身の心が壊れないようにするためには、そうやって理由を作って自分を納得させるしかなかった。


 ––––––だからきっと、僕のせいだ。

 僕が狙われていたから、僕の家族だから襲われたんだ。

 僕なんかが家に居たせいで、家族が殺された。優しい父さんが殺された。

 これからも僕のせいで、周りの人が傷ついてしまうかもしれない。

 母まで失うかもしれない。



 だから、周囲が僕に気を遣って、あるいは怖がって距離を置いてくれたのは好都合だった。

 「アイツと関わると殺されるかもしれない」という噂が流れ始めたことに対して、悲哀よりも安心が勝ってしまうような状態だった。

 他人に対して既に冷めきっていた心は、恐怖と自己嫌悪によってより強固な壁を築き上げていた。



 誰も僕には関わろうとしない。

 だから、僕も誰とも関わろうとしない。

 そりゃ教師に名指しされたら渋々ながら回答はしたし、前後の座席の生徒とプリントを手渡ししなきゃいけなかったりする時だってあった。

 でもその程度だ。受動的に行動せざるを得なくなっても、能動的に関わりを持とうだなんて微塵も考えないようにした。


 何をキッカケにして、あの老婆が他人に作用するのか、僕にはわからなかった。

 僕に出来ることは、そもそもそんなキッカケを作らないようにするだけだ。


 結果的には、クラスメート全員から疎まれる気味の悪い置物になっただけ。

 それでも僕のせいで誰かが傷つくことに比べれば、幾分かマシだろう。




 ––––––だけど、人間は一人では生きていけない。

 僕の生半可な決意は、残酷な現実によってあっけなく崩れ去ることになる。






 先日、母がキッチンで倒れた。

 鼻腔と耳から血を流して意識を失っていた。


 僕はやっぱり、疫病神に違いない。

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